04.01.19
 今日、某放送局に書類をもっていった。 明日が必着の応募だったので、持参したわけである。受付に若くてなかなか美形の女性がいたので、少しうれしく、無論、顔はそんなそぶりもみせず、託した。

 とまあ、ここまではよかったのだけれど、 「念をいれて」と持参した受領書を、「受け取りにサインしていただけますか。」と提示したところ、 「そういうことは特にやっておりません。」と真顔で言われて驚いた。

 受付で書類を受け取るということは普通にある。 書類をうけとった側が配達してきたものにたいして受領のサインをすることも普通であると思っていた。

 こころでは「エエッ」と思ったものの、「ではよろしくお願いします。」とだけ言って帰った。

 しかし、である。

「なぁ〜んて気のキカン女だ。」と思ったのも事実だ。

 場の雰囲気を判断して「これはラチがあかんな」と思い、 また「多分まあ、99%は大丈夫だろう。」という思いもあり、 余計な問答をして嫌な思いを増幅させるのもツマランと思ったからおとなしく帰ったのだけれど、 天下の大放送局でこういう展開になったのには、しばらく経った今でも 正直ちょっと「まだ胸のウチがおさまらない感じ」である。

 受付で受け取りにサインをするのはごく普通だろうし、公共的立場の組織の受付が 相手が求めてきたのを拒否するということはちょっとばかし異様だと思うのだが、 かの受付氏はちっともそう思わず、かえってプライドを少し傷つけられたような雰囲気さえあった。 「私を信用できないんですか。」というわけである。

「そんな、サインなど、 自分に責任が回ってくるのはゴメンです。」という気分もなんとなく読みとれた。

 今思うに、どうもかの受付氏は受付専任ではなく、正社員が持ち回りで担当しておったのかもしれない。 でなくては、相手の心情を考えることもせず、自分の主張(あるいは都合)を優先させることは考えにくい。 しかしどういう理由にせよ、組織の顔としての受付氏がこういうサービス精神の無いことでは困る のではないか。

 近頃は「お役所仕事」の元祖である当のお役所でさえもう少し気の利いた対応をする。 「期待」を抱いたこちらが馬鹿だったのかもしれないが、一流企業であるべきこの組織の受付でこういうことがおこると、 つい一足飛びに「日本社会」への危惧感が強まってしまうのである。

 (なお、さすがにその資料は無事とどいたようで、その後、ちゃんと(?)「不採用」のお知らせがきました。(^^;; )


04.01.07
 幸せの「青い鳥」を探しにいったチルチルとミチルが、どこにも幸せを見つけることができなくて、 落胆して帰ってきたが、我が家にその幸せがあった。

 半世紀近く昔とは言わないまでも、ずいぶん前に読んだきりなので、もうなにもかもうろ覚えだけれど、 確かメーテルリンクの書いた「青い鳥」という童話はそんなお話だったと思う。

 話は違うけれど、会社を辞めて自宅であれこれするようになったので、 我が家で飼っている猫が仕事をしている机によくすり寄ってくるようになった。 しきりに鳴いてこちらをみる。抱き上げて膝の上にのせてやり撫でてやると のどをならす。そのままでは仕事が進まないので、しばらく撫でて膝からおろすが、 自分から降りることもある。

 なんの遠慮もなく勝手にすりよってきて、勝手に満足して去って行く。 それだけのそんな事であるのだけれど、ある意味では仕事の邪魔をされているこちらも幸せな気分になる。

 けれど、「仕事の邪魔」だと思えば決してこの幸せを味わうことはできない。

 幸せがそんな単純な簡単なことで味わえると思わなければそれに気がつきもしない。

 のどをならして寄ってくるネコを抱き上げ、膝にのせて撫でてやりながら、 ふとメーテルリンクの青い鳥というのはこういうことではなかったろうかなどと思う。 幸せは探しにゆくものではなく、心に曇りを持たなければそこここで見つかるものではないだろうかと、 ふと思うのである。


「日々随想(断片的思いつき)」のトップに戻る


ホームに戻る Tetsuri: Page of philosophized physics − 「哲学的物理学」