いろんな人との出会いが仕事だから・・・・。
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平成16年8月30日(月)
| 異常気象の中で |
8月が終わります。今年は何だか台風がいっぱいやってきたような気がします。たまたまなのか、地球温暖化のせいなのか、よく分かりませんが、とにかくこの夏のキャンプはいろいろと台風の影響を受けました。私自身が担当したキャンプについては、キャンセルこそ無かったものの、突然の台風の発生や異常な進路、そして通過するのか足踏みするのか分からない状態など、いろいろと心配させてくれました。
ちなみに、ここ3年間承っている県レベルのキャンプも、私が担当する前年の開始時から数えると、4年間で3回の台風に遭遇しています。75%という信じられない高率ですが、何とすべて(!)実施されています。まあ、直撃というか、風雨の中で身動きできないというほどの状態ではなかったのですが・・・。公的な機関が実施するケースとしては珍しい例だとは思います。
昔話をして申し訳ないのですが、15年ほど前の夏、やはり県レベルの機関の主催事業で11日間のキャンプがありました。淡路から但馬まで、バスと徒歩での移動をメインプログラムとし、テント泊やら宿舎泊やらを織り交ぜながらの企画だったのです。途中(たぶん8泊目?)、氷ノ山の山頂(兵庫県最高峰 1510m)近くの避難小屋での宿泊があったのですが、折からの大雨で、確か警報も出ていたぐらいでした。ベースキャンプの鉢伏高原で、強行登山か変更中止かのスタッフ会議が開かれ、今でも目に浮かぶぐらいの大モメだったことを思い出します。
『ここまで来ているのだから、子どもたちに挑戦させたい』派と、『もし何かあれば、思い出が台無しだ』派に分かれて喧々囂々。特に、この企画には県下選りすぐりのスタッフ(各青少年団体から推薦されたメンバー)が集まっているものですから、その議論もいい加減なものではなく、ディベートしても記録に残せそうなものだったと思います。刻一刻と変わる気象情報と、現地ガイドの貴重な意見、そして、子どもたちの体力・健康面の報告、スタッフの技術・力量の見極め、目の前の詳細な山地図。そして、議論が出尽くした一瞬・・・。
『登りましょう! ただし、コースは最短・安全でよろしく!』主催者側責任者の決断でした。
結果的には、避難小屋での宿泊もできましたし、翌朝、わずかな晴れ間をついて山頂まで登ることもできました。そして、全員無事に3日後には但馬海岸へ。
この昔話は、結果オーライの話や無謀の勧めをしたいわけではありません。自分の立場を十分に分かって、すべき議論はしっかりとし、そして決断がなされた後はブツブツ言わずにプログラムリーダーに従い、これまた出し惜しみせずに自分の技量・持ち場で最善を尽くす。そんなメンバーが揃っていたキャンプなので、今でも印象に残っているのだということです。当時、ほんとに若造のスタッフだった私ですが、ずっと年配のベテランスタッフがかっこよく見えたものです。こだわりを捨てて、(言い方は悪いですが)さっと一兵卒になることができる余裕が魅力的でした。
そんな関係になれるのも、お互いの信頼関係があってこそ。主催者側もスタッフ達に全面的な信頼を置いていたし、いざという時の責任は取りますという覚悟も見えました。また、スタッフの側も忙しい身体なのに打ち合わせには必ず参加し、とことんプログラムを詰め、自分たちがこのキャンプを作っているという気概が感じられました。
最近、数多くのキャンプが実施され、青少年が野外活動や体験学習に触れるチャンスは増加しています。しかし、その内容や質を見たとき、いわゆる『やっつけ仕事』が多くなっていないでしょうか? 他の事業との掛け持ち、スタッフ不足での見切り発車、打ち合わせの回数減、医療・救急面の軽視、そして、それが予算削減によるしわ寄せだという沈滞ムード。そんな中では、スタッフ同士の思いやりも何もあったものではありません。信頼以前の問題です。そんな中で子どもたちにベストなプログラムが準備できるでしょうか?
氷ノ山で震えながら過ごし、下山も土砂降りの中でした。滑って転んでびしょびしょになった子どもたちやスタッフは疲れ切っていて、下山後すぐに取りかからなければならない飯盒炊爨が憂鬱でした。でも、お腹はペコペコ。そんな暗澹たる気持ちで下りてきた目の前の炊事場から、薪を燃やす煙と暖かい湯気が・・・。たまたまプライベートな用事で帰宅していたスタッフの一人が、みんなのことを心配して大雨の中駆けつけ、自前で準備した暖かい『卵とじうどん』を作って『待ち伏せ』していてくれたのです。お互いをいたわり合い、子どもたちにいい体験をさせるために、自分がそれぞれの持ち場でどう動くことが最善なのかの判断ができること。それは、『やっつけ仕事』の中からは決して生まれてこないものだと思います。こんな異常気象のときだからこそ、それを忘れてはいけないのではないでしょうか?
今でもあのうどん味は忘れていませんよ。ウィズネイチャーの西森さん!
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平成16年8月13日(金)
| 七釜温泉の思い出 |
このところ、但馬地域に仕事に出ることが多くなっています。何だか毎週のように、全但バスのオレンジと緑のラインの車体にお目にかかっています。日本海や円山川もなじみになり、最近開通した蘇武トンネルも通ってみました。兵庫県徒歩縦断を何回も経験した私にとって、但馬は親しみのある地域なのです。
でも、私のようにJRとバスで移動する人間にとっては、但馬、特に北但馬地区は遠い存在です。竹野町・香住町となると、始発列車で出ても、午後の仕事にしか間に合いません。浜坂町となれば、特急スーパーはくと(智頭急行)で鳥取を経由した方が、早く到着するぐらいです。最近、県外の仕事が増えているのですが、岐阜までが2時間30分、大分でも4時間弱で行ってしまいます。これは、新幹線を利用するという秘密兵器(?)があるからなのですが、北但馬の場合、特急はまかぜが利用できない時(午前中早い時間には走っていない)、普通列車を乗り継ぐと5時間近くかかります。だって、和田山駅で40分近く接続列車を待つんだもの・・・。
まあ、こんなにグチったところで、『だから、車の免許を取ればいいじゃない!』というお叱りで、会心の一撃(!)をされてしまう私なのですが、時間がかかることにさえ目をつぶれば、いいところもいっぱいあります。例えば、揺れに合わせてゆっくり眠ることもでき、そして、窓外の景色を眺めて四季の移り変わりを楽しみ、車内の乗客の会話に耳を傾け・・・、でも、遠い。
ブツブツ言いながらも、但馬通を自認する私がビックリすることがありました。それは、浜坂での講演会でのことです。5月の末の給食サービスボランティアの方々の研修でした。話の中で15年ほど前の兵庫縦断チャレンジキャンプ(10泊11日・兵庫県青少年本部主催)のことに触れ、ゴール地点が浜坂漁港だったことや、前日に七釜温泉の外湯で10日分の汗と汚れを落としたことなどを話しました。特に、30人ほどの汚い大人と子どもたちが入った男湯は、真っ黒になってしまったので、管理のおじさんに謝って、一度湯を抜いて、私がデッキブラシで洗ったことなどを面白おかしくしゃべったのです。
講演終了後、片づけをしている私のところにやってきた女性が、
『その七釜温泉に行かれたのは何年前ですか?』
と、聞くのです。そして、思い出しつつ答えると、
『そのとき番台にいたのは、私の父です!』
と言われるのです。
『その頃父から、風呂を洗って帰った律儀な男の人の話を聞いたことがあります!』
間違いなく、それは私です。
その講演会の日、浜坂には仕事仲間の車に乗せてもらってきました。それも梅雨の走りの大雨の日でした。ちょっと気持ちが曇っていたかもしれません。それが、その女性との話でパァーッと晴れ渡りました。そんな単純な・・・と言われるかもしれませんが、私は少し反省しました。
あの頃は仕事を始めたばかりの頃でしたから、しんどい仕事でもうれしくて、うれしくて。その上、いろんな方々とのネットワークが出来ていくのが面白くて、面白くて。そんな中、仕事先で迷惑をかけるとまずいという気持ちが、自発的に風呂洗いへと向かったのだと思います。特にほとんど何も知らない『但馬』の地ですから・・・。
そのときの気持ちに帰れば、何で遠いなんて文句が言えましょう。見るものすべてが新鮮だったあの頃の『目』で、これからも但馬に行かせていただきます。もし、しんどそうな顔をしていたら叱ってやってください。でも、一つだけお願いが・・・。これからも頑張って乗りますから、運行本数を減らさないで! 全但バスさん!
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平成16年5月3日(祝)
| 新快速の車内で |
姫路での仕事の帰り道、JR山陽本線の新快速電車に乗って、爽快にすっ飛んでいく景色を見ていました。そのスピードはなかなかのもので、姫路〜西明石間32kmを19分で駆け抜けていきます。ですから、姫新線や加古川線の気動車(ジーゼル車)でやってきて、新快速に乗り換えると、そのスピード感のあまりもの相違に圧倒されます。
途中は、加古川にしか停車しないため、もっぱら通勤客か旅行客で席が占められています。ですから、朝夕でも、一般公立高校の生徒はあまり見かけません。学区の境界を跳び越しての運転ですので、部活動の遠征か、エスケープして遊びにでも行かない限り、ご縁のない乗り物となっています。
その結果、普通列車やローカル線で見かけるような、一面にカバンを放り出して列車の通路に座り込む高校生にはあまり出くわしません。そして、結構車内が静かなので、読書や睡眠(!)にも適しています。その日も多少旅客が大目でしたが、私はドアのそばの折りたたみ式(混雑時には開かない仕組み)のイスに腰掛けていました。
すると、加古川から男子高校生が2人乗ってきました。先述したとおり、新快速に乗る時点で公立高校の確率は少なく、その上、その日は土曜日でしたから、ゆとり教育反対の私立高校に間違いはありません。ここでは学校名を特定はしませんが、東播磨地区在住の方は乗車駅、乗車方向から想像することは簡単だと思います。ヒントは、相当勉強熱心な生徒が集まっている高校です。
私はご存知のとおり、列車・バス通勤が通常ですので、彼らにもよく出くわします。別に賢いからどうこう言いたいわけではないのですが、彼らもご多分に漏れず、車内のへたり込みに参加(?)しています。この2〜3年の間によく目立つようになりました。登校時に4〜5人でドア前にべたべた座り込んでいるので、わざと顔の前にお尻が来るように立ってやったこともあります。
それが、その日に限ってキチンと立っているのです。それも、周囲に相当『へたり込み』スペースがあるにもかかわらず・・・。おかしいなと思っていると、なにやら2人で話し始めました。
『イス、空いてないよな』
『この頃、○○が乗っているから、(床に)座りにくいよな!』
どうも、管理職か生徒指導の先生が乗車することが多くなって、彼らにしてみるとうっとうしいようです。
『○○は、斉藤さんに張り合って、電車通勤にしたらしいぞ!』
『斉藤さんは、(車の)免許持ってないのかな?』
『あの人は、勉強一本で来た感じだから、取ってないんじゃないかな』
びっくりです。その会話に登場している『斉藤さん』って、ひょっとしたら・・・・。
『俺さぁ、一番前の席だから、今日、斉藤さんにノートを覗き込まれて・・・』
『しく・しから・しく・しかり・・・だったっけ』
『でも、天気晴朗なれど浪高しは言えたけれど、しかりしこうしては・・・』
やっぱりそうでした。私の高校3年生の時の担任で、公私共にホントにお世話になった斉藤先生のことだったのです。確かに県立高の校長を退職の後、その学校に勤めておられるはず・・・。ホントに世の中狭いです。思わず大変だなと、2人に声をかけそうになりました。
古文を心から愛していた先生、いまだに高校生相手に奮闘(ちょっといじめ)しておられるんですね。2人の話に耳を傾けながら、教壇でホントに楽しそうに源氏物語や漢文を読んでおられる姿を思い描いてしまいました。ふっと、25年前にタイムスリップした瞬間でした。
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平成16年4月18日(日)
| まずは感謝の気持ちから |
例年、4月は講演の仕事が少なめで、割とのんびりしています。まあ、年度始めでもありますので、事業を組まれていることも少ないわけです。その間を利用して、お世話になっている所(教育委員会や公民館、各種施設など)に、『あいさつ回り』に行かせていただくことが多いのですが、今年は様子が違っていました。いつもの4月の2倍近く仕事をいただいて、スケジュールが詰まっているのです。毎度ありがとうございます。
一つには、今年度から柄にも似合わず、武庫川女子大学短期大学部の非常勤講師として出講していることも原因です。何しろ、初めてのことですから、事務室から説明を受けたり、資料の準備をしたり、シラバス(講義要項)の原稿や各種書類が・・・。やっぱり、バタバタしてしまいます。
それと、もう一つが、子ども会の仕事の多いことです。この時期は、各市町の連合子ども会(少年団)の総会や指導者研修が目白押しです。毎年のように、私が講師として出かけていく市町もありますが、今年は、その回数が多いのです。不思議なことに、兵庫県内では、郡部に行くほど夜間開催の割合が多くなります。役員の仕事の関係上、昼間に計画することは無理なようですし、男性の占める比率が高くなっていることも一因かもしれません。そんな夜の会合に出かけることが多いわけです。
時期は違いますが、やはり中国縦貫道以北ならば、PTAの研修会もほとんど夜に実施されます。そんな子ども会やPTAの研修会に出席されている方々を前にした時、私が開口一番、必ず言うことがあります。それは、『ホントにすみません。お忙しい所を・・・』と。
確かに、総会や定期研修会、研究発表会など避けることのできない行事が必ずあります。表立っては見えませんが、もちろん、地区別、単位別の責任出席や動員というのは日常茶飯事です。そのことに文句を言わないのが不文律になっていますし、またそうしないと、総会の定足数は危ない上に、研修会の講師も怒って帰ってしまうかも・・・。
自分自身のPTAや子ども会の役員経験からも、仕事が終わってゴロ寝したいところを講演会に出向くのは、拷問(!)に近いものがありましたし、夕食の片付けもそのままに駆けつけているお母さん方のグチもよく聞きました。だからといって、それを言い訳にしてはいけないのでしょうが、本当に疲れた顔と不満げな顔が講演会場にあふれていると言っても過言ではないでしょう。だからこそ謝りたくなるのです。『ホントにゴメンなさい』って。
特に、この時期、いわゆる新役員が初めて顔を合わせるという状況も多く、イスに座っていても困惑以外の何ものでもないという顔ばかりです。そこに向かって、『もっと子ども中心の子ども会に・・・』とか、『地域との連携を・・・』とか、『親がまず学ぶ姿勢を・・・』とか持論を述べる教育評論家的な講師の方が来られても、ホントに浮いてしまっています。
それが毎年続くから、ますます研修会アレルギーの方が増えていくのではないでしょうか。確かに、講師の側が信念を持たず、大衆迎合的なことばかり述べていたのではいけないことも承知しています。でも、正直な話、みんな寝てますよ。携帯でメールをしてますよ。早く終わらないかなと時計を気にしていますよ。それでもいいんですか?
まず、状況を読んで、今日無理して集まっていただいたことを、心から感謝できる話し手であることが必要だと思います。そういう姿勢になることができれば、話の内容もお客様の聞きたいことを聞きやすい言葉で話し始めることができるのではないでしょうか。そして、身近な話だから面白いわけで眠気も多少遠のきます。『いつもと違って、面白かったな!』という感想が聞こえれば、主催者側も満足できるというものです。
この話を読んで、ウンウンとうなづいた子ども会役員の方、子ども会事業の時、子どもたちを前にしてむずかしい話を延々としゃべっていませんか? たまの休みに、朝からたたき起こされて集まってきている子どもたちに、『話が早く終わらないかな』と思われていませんか? 人の振り見て我振り直せですぞ。
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平成16年3月31日(水)
| カレーカレーうどん |
皆さんはご存知ですか? 兵庫県の播磨地方と但馬地方を結ぶ国道312号線を、車で走っていると、和田山町竹田近辺で不思議な看板を見ることができます。確か青色の看板だったと思うのですが、鮮やかな文字で堂々と『カレー カレーうどん』と書いてあるのです。初めて見たのは数年前。自然学校の子ども達とバスに乗って移動中に見つけました。『何だあれ!』と、子ども達も大笑い。『どんなカレーうどんなんだろう!』
私も子ども達も思ったのでした。それはきっと、『カレー』と『カレーうどん』の両方が売り物で、たまたま並べて書いてしまって、奇妙な看板になったのだと。だから、頭の中に浮かんでくるものは、とても辛いカレーうどんか、うどんの上にカレーのルーがたっぷりとかかっているごてごてしたカレーうどん。そんなイメージが共通理解になっているため、看板を見た私たちは大笑い。もうちょっと考えて看板を作ったらいいのに・・・と。
そんな思いを何年間も持ったまま、何回もその看板を見たにもかかわらず、頭の切り替えができなかったことを、今は深く反省しています。なぜなら、先日とうとう機会を得て、その看板を出している店を訪ねたのです。そして、メニューを見たとたんビックリしたのです。確かに『カレーうどん』もメニューにはあるのですが、何とその横に『カレーカレーうどん』もあるではありませんか。そのお店はうどん屋さんですので、もちろんカレーライスはありません。
よく考えれば分かったはずですよね。カレーとカレーうどんを一緒に売っている店なんてないはずです。なぜならば、カレーうどんはカレールーをかけているのではなく、出汁で延ばしたカレーを使っていますから。根本的に作り方も違うし・・・。そして、注文してみて初めて『カレーカレーうどん』の名前の由来が分かったのです。なんと、うどんそのものにカレー粉が練りこんであるのでした。ですから、麺もカレー色です。出汁もいいお味で、おいしい上に身体もホカホカに温まりました。
いつも講演のネタで言っている事があります。『無いようであるのが先入観・・・』。言っている自分がその塊だったのです。自分の都合のいいように思い込んで、それも笑い話の種にして・・・。お店(確か、一心というお店だったと思います)の方、本当にゴメンなさい。そして、私の話を聞いて、今も誤解したままでいる方、本当にスミマセン。人一倍好奇心がいっぱいの私なのに、こんな失敗をしていたことを深く反省しています。
『ティッシュペーパーは、なぜ2枚重ねになっているんだろう?』
『ローソンの看板には、なぜ牛乳瓶みたいなのが書いてあるんだろう?』
『飯盒は、なぜあんな歪んだ形をしているんだろう?』
『点字ブロックは、なぜ黄色いんだろう?』
いろんなことが気になって仕方ありません。いい歳をして・・・と言われますが、好奇心だけは衰えません。そんな柔軟な発想を持ち続けたい私にとって、『カレーカレーうどん』は強烈な一撃でした。まだまだ修行の足りない私です。私の知らないトリビアがありましたら、ぜひお教えください。私的に『80へぇ』以上の情報には、ちょっと豪華なお食事にご招待しますから・・・。
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平成16年3月7日(日)
| 話しにくい? 聴きにくい? |
『今日は、話しにくかったでしょう?』
小学校の子どもたちに、福祉や野外活動のお話に行った時、校長先生や教頭先生が私によく声をかけてくださいます。特に、全校児童を対象とした教育講演会といったケースの場合は、講演が終わって校長室に帰る途中、たいがいそのように言われます。確かに、人数があまりに多いと、なかなか顔を見ながらしゃべるというわけにもいかないので、『しゃべり手』として辛いものがあります。でも、私が辛いのは、1年から6年までの子どもたちに平等にしゃべることができないことなのです。
人数が多くても少なくても、対象学年が限定されていれば、話の内容の焦点をはっきり絞ることができます。しかし、小学校の6年間というのは、人生のうちでその差の最も激しい6年間だと思います。ホントに同じ小学生として考えるのがかわいそうなぐらいです。そこでしゃべるとなると、当然、1・2年生に焦点を当ててしゃべることになってしまいます。そうしなければ、ものの10分もしない間に、低学年はダラダラ状態になり、おしゃべり・つつき合い・連れ立ってのトイレ・・・と、騒然としてくるわけです。
といって、低学年向きに『ひらがな』で(むずかしい熟語は使えません)、身振り手ぶり面白くしゃべると、高学年は『何なん!あのおっさん!』と、馬鹿にされているように感じるわけです。当然知っていることを、なおかつ幼稚にしゃべられると誰でも腹が立ちますよね。その上、学校の方からの要望が、講演時間90分だったりするものだから、びっくりです。小学校の授業時間って何分でしたっけ? 特に冬場の体育館での講演会となると、低学年のオシッコが持つかしら・・・と心配になります。
『僕は中学校から来たから、全校集会で低学年にしゃべるのは苦手でねぇ・・・』
そんな風に苦笑する校長先生がおられますが、月曜日の朝、『校長先生のお話』としてしゃべるのは何分間ですか? 無論、ギャラをいただいて仕事として伺っているわけですから、文句を言っては叱られますし、『そんな話ができる人だから呼んだんだ!』と言われれば、ぐうの音も出ません。しかし、時間設定や講話の内容、季節、聴講規模、場所設定などなど、いろんなことが主催者側(この場合学校)中心に作られていませんか? 給食と掃除が済んだ時間帯(一番脳の血流が少なくなっています)、学校の研究指定に無理やり合わせた内容、真冬や真夏という時期、全校児童のざわつき、体育館で長時間の三角座り・・・・などなど。
私は、高学年と低学年に分けた2回講演も引き受けています。講演時間の前半が終わって低学年だけ退場してもらい、高学年だけにしてから話を深めるパターンもやっています。私と同様に福祉学習の講師をしているメインストリーム協会の廉田さんや、HAT神戸の稲松さんも言っています。『全校講演だけは勘弁して! 学年ごとの3回講演でもいいから。ともかく少人数じゃないと伝わらない。それに、全校講演で一番聴いていないのが先生だから!』って。
伝えたい内容を持っている人間ほど、『動員』のかかったような人数勝負の講演会は時代遅れだと認識しています。ただ、これだけ文句は言っているものの、どんな人数でも、どんなに対象の幅があろうとも、合格点の満足度を感じていただく仕事をするのがプロというものです。これについては自信を持って仕事をしています。だからこそ、子どもたちにとってベストな状態で聴いてもらえるように、私の方にいろいろ注文していただきたいのです。子どもたちの状態を一番ご存知なのは先生方なのですから・・・。
舞台設定やら、演台やマイク、演題を書いた垂れ幕、黒板や水差し、そんなものに気を使われるより、児童観や教材設定の理由、指導観をお聞かせください。この講演会で話が終わりな訳ではなく、次の授業に生かしていただきたいわけですから。『子どもをどう座らせましょうか』ではなく、『子どもはこう座るのがベストなので、ここに立ってしゃべってください』と立ち位置を決めてください。
『今日は話しにくかったでしょう?』という声に送られて学校をあとにする時、私は心の中で言っています。『ごめんね、今日は聴きにくかったでしょう』って。
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平成16年2月14日(土)
| 風邪はシグナル |
インフルエンザがはやっています。海外からは鳥インフルエンザの情報も伝えられています。兵庫県内でも風邪のために修学旅行が延期になった高校があったと聞きます。もちろん小中学校の学級閉鎖は数えられないほど。でも、とりあえず、わが家ではひどい風邪症状を呈している家族はいません。せいぜい鼻かぜ程度で、ティッシュを浪費するだけで済んでいます。もちろん(?)私はヴェリィナイスの体調で、昨日も2件の仕事を回ってきました。
しかし、近所や知り合いでは相当風邪が蔓延しているようで、一家揃ってダウンの所もあります。そんな中、小さい子どもは、やはり風邪をひきやすく、高熱が出たり、治ったと思ったら『ひきなおし』で、とても辛い状況です。電話やメールで友人からグチが入ってきます。
『仕方がないんだけれど、ホントに忙しい時に限って、子どもが熱を出して・・・』
『仕事に出たとたん、保育園から子どもの発熱の電話が・・・』
『もう、これ以上年休取れないのに、今度は下の子が風邪・・・』
『私も頭痛がするのに、子どもも旦那も寝込んじゃって・・・』
もう悲鳴に近いグチがたくさん届いています。その精神的な辛さもよく分かります。なぜなら、わが家もそんな時期があったからです。子どもの鼻水が垂れるのを見て、夜中に咳き込むのを聞いて、頭が痛いと泣くのを聞き、朝方起きにくそうな子どもに触れると身体が熱いのを感じ、今日の仕事の予定を恨めしく眺めたことが何度あったことでしょう。ともかく薬を飲ませて様子を見つつ、ウソをついて保育園に連れて行ったこともありました(先生、ごめんなさい!)。
子どもに罪はないのに、『何で今日に限って・・・』と文句を言ったり、辛く当たってみたり・・・。それでまた泣き出す子どもに腹が立って・・・。今考えると、本当に悪い事をしたと思います。心から謝りたいです。確かに、わが子も4歳から2年生ぐらいまではよく風邪をひきました。その後は、あの当時がウソのように、みんな丈夫に過ごしています。多少風邪気味なことはありますが、寝込むことはなくなりました。免疫というもののすばらしさを感じます。
とはいうものの、実際子育て真っ最中の親にとって、子どもの病気は心身ともに親をヘトヘトにさせます。皆さんのグチを聞きながら、同情こそすれ『今はそんな時期だから仕方ない』とは、とても言えません。しかし、私は子どもの病気を『親への警告』だと思うのです。それも親自身が『最近無理していませんか?』と、子どもから尋ねられているような・・・。
子どもの病気は、特殊な病気でない限り必ず前兆があります。親に心のゆとりがあれば、それを未然に察知することができるものです。ですから、病状の悪化を最低限に抑えることができるのだと思うのです。ところが、親の側に心身共の余裕がなければ、微妙な細かい配慮ができていないのだと思います。
何だかダルそうな表情、少し赤みを帯びたほっぺ、ちょっと落ちている食欲、皮膚のかさつき、わずかに潤んだ目、そして湿った咳、鼻水をすする音・・・・に気がつかなくなっています。外から帰った時のうがいや手洗いの声かけ、風呂上りにサッサと服を着させること、少し早めに寝かせたり・・・、そんな判断が一歩出遅れてしまうのです。
別に親の努力が足りないことを責めようとしているのではありません。自分もそんな経験をしてきて思うのです、これは『ゆとりがなくなっている親』に子どもが『大丈夫?ちょっと休んだら!』と言ってくれているのだと。子どもがわが身を痛めてまで、親に警告シグナルを出しているのではないでしょうか?
確かに、仕事を休めない、時間が取れない、手間がかかる。でも、そのまま突っ走っていったら、きっと親も倒れてしまう・・・そんな時にこそ、子どもは風邪をひいたり、熱を出したりしているような気がします。小児科の待合室で、苦しそうな子どもの背をさすりながら、『ありがとう、私もちょっとだけ休憩するから・・・』って、笑顔で感謝しましょうよ。苦悩の顔で子どもを眺めても、お互いに熱と血圧が上がるだけですから・・・。
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平成16年1月30日(金)
| あなたを待つの テニスコート |
ある中学校の仕事に出かけました。全校生徒対象の講演会だったのですが、そのイベントの名前は『立志式』。中学2年生は14歳。昔なら(と言っても、ずいぶん昔ですが・・・)元服の15歳ということで、子どもから大人への心構えを作る式典として、回数を重ねてこられたようです。
もちろん、町長やPTA会長の祝辞、校長の式辞、在校生のお祝いの言葉や2年生の決意表明など、厳寒の体育館の中で粛々と進むプログラムもあります。そして、私からのはなむけ(?)の言葉としての講演が、トイレ休憩後の第2部として用意されたわけです。本当に寒い日でしたので、聞いていただく生徒達はもちろん、列席者にも申し訳ない思いでした。だって、座っていて吐く息が白いんですから・・・。寄贈された高性能のファンヒーターも可哀想なくらいの気温でした。
何ものにも代えがたい『若さ』というエネルギーを持っていること。自分たちより勉強ができなかった環境や条件にいる人たちのおかげで、この恵まれた『場』にいること。そして、今後は少しでもその『恩返し』をすべきこと。その大切な『命』をしっかり守ること。絶対に親より先に死なないこと。思いつくままに、いろいろとしゃべってしまいました。
中学生にとって、他所から来た『おっさん』がベラベラしゃべることは、大迷惑な話だということは分かっています。こちらも依頼をいただいた仕事なのですから、中学生にも我慢をしていただかなくてはならないところです。ですから、少しでも面白く、そして分かってもらえるようにはしゃべっているつもりです。一応、プロ(!)ですから・・・。
でも、それ以上に話しかける相手が中学2年生である時、余計に私を頑張らせてしまう何かがあります。それは、私にとって中学2年生は一番キラキラしていた青春期だった気がするからなのです。時代も時代(昭和48年)でしたから、今の若者の青春より幼稚なものだったことは否めません。その前年に大阪府吹田市から転校してきた弱気な中学生が、造船景気に沸く相生市(今とは大違いです)で、ごんたな友だちに揉まれながら人間関係を学び、一人前に初恋も(片思いですが)し、身体を作っていきました。
家庭環境に恵まれなかった私にとって、今までのしがらみを吹っ切ることのできた新天地だったわけで、ここぞとばかりに人間改造に取り組んだものです。それまで病気がちで弱かった身体も丈夫になり、自転車で(バイクでない所が可愛い!)町中を走り回り、友だちの影響で『吉川三国志』という大作を読んだり、裏庭で密かに木刀(といっても自作)や竹ざおを振り回してみたり、降るような星空に突然興味を持ってみたり・・・。
先輩と初日の出を見に行ったり、友だちのお父さんと将棋をしたり、好きな女の子の家の周りをうろついたり(ストーカー?)、友だちに誘われて『三沢あけみショー(?)』を見に行ったり・・・。ホントに数多くの人たちとのふれあいが、私を変えてくれたのです。自分は何て不幸な奴だと思い込んで、周囲からなるべく縁を切って生活しようとしていた私を・・・。
中学2年生という時期に、人生の大きな曲がり角を曲がってみた私は、今りっぱに更生(!)させていただいております。そんなことのできるエネルギーや爆発力を持っているのが、この時期です。そんな時にブスブスくすぶっていたらもったいない! 目いっぱい勉強しても遊んでも、まだまだ余力のある時です。『だる〜!』『しんど〜』そんなこと言ってる場合かい!
そんな気持ちで、思い出に勝手に浸ってしゃべったおじさんをお許しください。妙に力が入っていたことを不審に思ったでしょう? だって、あの頃は、朝早くにテニスコートに行ったら、朝もやの中から自転車に乗った天地真理がやってくると信じていたんですから・・・。
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平成15年12月31日(水)
| 楽しんでますか? |
年の暮れにあたり、デザイン改訂というほどではないにしろ、ホームページの更新をしています。表紙に新年の挨拶を入れ、プロフィールを新年版にし、スケジュールも書き換え、そして、お世話になった仕事先一覧も、平成14年分に入れ替えです。
数えてみると、昨年も300件あまりのお仕事をいただきました。このデフレ不況の折に、本当に申し訳ないことと思っています。兵庫県内だけでなく、大分県、岐阜県、京都府、大阪府などの遠方からも呼んでいただきました。また、東条町のように、2ヶ月に1回は仕事で伺っている市町もあり、町の広報誌やケーブルテレビで『しょっちゅう見てるで!』と、声をかけていただけるところもあります。
仕事先一覧をパソコンに打ち込んでいきながら、主催者名を一つ一つ見たとき、いろんな情景が思い出されます。これは、私の不思議な体質だと思うのですが、私の脳は変わっていて、文章より光景の方がしっかり記憶できます。ですから、仕事上いろんな場所を尋ねるのですが、一度行った場所は脳裏に風景で焼きついているので、まず道に迷うことはありません。それも、短時間で通り過ぎたようなところでも、結構覚えています。だから、私は自動車の運転ができなくても、周囲からは相当有能なナビゲーションシステム(?)として扱われています。
主催者名から導き出される光景・・・、天候・寒暖・時間帯・参集者の雰囲気・担当者の顔・会場の設定・・・、そして、笑顔、笑い声、口、目・・・。いろんなハプニングも思い出され、ちょっとニヤニヤしながらキーをたたいています。しかし、その印象度の強弱があるのも否めない事実です。それは、講演時間の長短や会場までの距離、ギャランティの多寡(これは多少はあるかな?)や接待していただいた茶菓の良否(?)などが主な要因ではないのです。 いい格好を言うようですが、それは、『事業担当者が楽しんでいたかどうか』です。単なるポーズではなく、心から思っていることです。
それは、企画の段階から分かります。私が『何をしゃべらせていただきましょうか?』とか『どんなスタンスで当日は臨みましょうか?』とか言った時、
『・・・・、う〜んと・・・、お任せします』
『栗木さんの好きなようにやってくれたらいいから・・・』
『適当に・・・、まあ、面白ければいいですから・・・』
そんな担当者の事業に限って、受付の資料が足らなかったり、落丁があったり、来賓への根回し不足から、祝辞が異常に長かったり、客席の空調への配慮が無かったり・・・。いろいろなアクシデントが起きるものです。確かに目白押しの事業を抱えて、担当の方のご苦労には同情すべきところもあります。しかし、ともかく『こなせれば』いいという感覚で『やっつけ仕事』として主催事業を乗り切られる担当者の顔には、ひきつった自嘲の笑みしかありません。へらへら笑ってくださいというのではありません。お客様の笑顔や満足げな顔を見るためには、主催者側が楽しんでいることが大切だということなのです。
単なる『仕事』だから・・・、と言われるかもしれませんが、私だって『仕事』です。その上、私の場合は、お客様や主催者の満足が無ければ、次の仕事がなくなるという怖い『仕事』なのです。だからこそ、私自身が真っ先に楽しむように心がけています。仕事が終わった時、私と一緒に『お疲れさまでした。面白かったねぇ』と言い合える担当者の事業は、その光景がいつまでも記憶にとどまっています。そして、その方の職場には、また行きたいなぁ、と思うものなのです。
今年もたくさんの人に出会いました。いろんな出会いがありました。いろいろご迷惑もおかけしました。こうしてパソコンに向かい、そんな担当者の顔の記憶をたどりつつ、一つ一つ仕事先を打ち込んでいます。まるで百八の煩悩を払うといわれる除夜の鐘のように、心の中に感謝の音を響かせつつ。
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平成15年12月7日(日)
| プールサイドを走らない |
中3の二女が学校から帰ってきて、しきりにため息をついています。そうです。2学期の期末試験が終わって、何か不本意な部分があったのだと思います。
『あ〜あ、アホなこと書いてしもうた・・・』と、しきりに嘆いています。
何があったのか聞いてみると、今日の保健・体育のテストの中に、こんな問題があったというのです。
『水泳を行う上で注意すべきことは何か。詳しく答えなさい。最低4つ!!』
そこで、彼女がどんな答えをしてしまったのかと聞いてみると、何と『プールサイドを走らない』などと、思いつくままに書いてしまい、今思い返せばすごく恥ずかしいと言うのです。テストが返ってきた時に友だちに笑われてしまうと言うのです。
そりゃそうでしょう。小学校ではあるまいし、中学3年のテストですから・・・。アカデミックな、とまでは言いませんが、もう少しレベルの高い解答を書かないと、小学校の廊下の標語ポスターみたいです。思わず、中1の長男と私で、たくさん『つっこんで』しまいました。少しヘコんでいる彼女を多少バカにしつつ・・・。
『そんなんなら、水泳帽をかぶるも正解じゃん!』
『準備体操をするとか、洗体槽に腰まで浸かるもOK?』
『もちろん、水着を忘れないとか、健康チェックカードに捺印してくるも大切やね!』
『冷たくてもシャワーをちゃんと浴びるとか、笛が鳴ったら水から上がるも・・・』
『着替えは男女別々には?』
『プールの中でぐるぐる回る時に、逆さまに泳がないとか・・・』
『取水口に髪の毛や唇を持っていかないは?』
『友だちの水着を脱がさない、はダメかなぁ』
もう、さんざんです。特に、いつもやり込められている長男は、この時とばかりに総攻撃にかかります。ならば何が正解なのかを彼女に聞かれて、私は得意げに、
『そりゃ、水温が20度以下では入水禁止とか、残留塩素濃度がどのくらいとか・・・、そんな解答じゃないの?』と答えました。すると、長男が『そうそう、6年生の時に習ったよ!』と応援演説をしてくれます。彼女は愕然として、『やっぱり、かっこ悪いわ。テスト返しの時、どうしょう?』と、ますます落ち込んでいくのでした。
小学校や中学校の時の水泳の授業って、詳しくは覚えていないものの、何だか楽しいような、照れくさいような、それでいて妙にドキドキした覚えがあります。私が小学生の頃は、6年生でも更衣は男女同じ教室でした。まあ今になって考えてみると、バスタオルを使って器用に着替えていたものだと思います。その上、当時の私は水泳がちょっと苦手でしたので、ある意味必死でした。なぜなら、好きな女の子の目の前で、泳げないというのはメチャメチャかっこ悪いことでしたから・・・。
その努力の甲斐あって、学生時代には臨海学校の指導員ができるほどにもなり、高校生の遠泳指導をするかたわら、その臨海学校の調理員として頑張っていた女性と出会い、夏の恋の結果がマイワイフという始末。その上、養護学校勤務中も、プールの水質管理担当として、夏休みにしょっちゅう登校しては濾過機と悪戦苦闘をしていた私です。だからこそ、わが子がそんなダメダメな解答をしたことに、ちょっとショックを受けたぐらいです。
『もう少し、中3らしい答が書けんかったんかいな?』
なおも追い討ちをかけるように、二女に声をかけた4日後のことです。彼女がテストを持って帰ってきて、ニヤニヤしながら言うことには、
『お父さん、あの問題の答は、プールサイドを走らない、で正解なんやて!』
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平成15年11月23日(日)
| 寿限無 |
『じゅげむ じゅげむ ごごうのすりきれん・・・ちょうきゅうめいのちょうすけ君、学校行こう!』
これは、ご存知落語の『寿限無』の一節です。講演後、私はよく、『学生時代は落語研究会(いわゆる落研)だったのですか?』と聞かれるのですが、全くそんな経験はありません。ただ、中学校時代に、ちょっと落語に興味が向いた時期があり、桂米朝さんの『牛の丸薬』や笑福亭松鶴さんの『三十石』をカセットテープに録音して、何度も聞きました。当時、まだ若くて売出し中の笑福亭仁鶴さんの『寿限無』も真似をしていたことを覚えています。
『・・・ちょうきゅうめいのちょうすけ! お友だちが迎えに来てますよ、起きなさい!』
『おばちゃ〜ん! もう、学校終わってもうた!』
たしか、そんなオチだったような気がするのですが・・・。
先日、仕事で訪れた学校の廊下に、大きな模造紙が貼り出してあり、そこにいわゆる『寿限無』が全部書き出してあったのです。妙に懐かしくて見ていると、校長先生が
『それがな、大変やねん!』と言うのです。
聞いてみると、校長先生自身の発案で、少し前から、小学校の子どもたちに暗記させているのだそうです。小学校時代の暗記力のすぐれている時期に『脳』を鍛え、日常の学習にも生かすことができれば、と考えられたのです。
『運動の得意な子は、しょっちゅう表彰されてるけれど、その他の子も何かで表彰されたら、きっと励みになるから・・・』と言われるのです。ただ、一斉には検定できないし、授業にしわ寄せもできないので、自信のある子から昼休みなどに校長室を訪ねればいい、ということにしたのです。そして、校長先生に聞いてもらって、その結果クリアしたら、校長名入りのミニ表彰状が渡されるという制度です。文字も雰囲気を出すために寄席文字を使っているのです。
しかし、小学校の全児童対象ですから、小規模校とはいえ3分の1が来ても80人ぐらいはいるわけで、その子たちが五月雨式に校長室を訪ねてきたり、廊下で呼び止めてくるとなると・・・。これには、ちょっと先生も参っておられてました。だから、大変なのだそうで・・・。その上、子どもたちには、次の課題を求められているとか。いよいよご愁傷様(?)です。
昨今いろいろ言われていますが、子どもたち(特に小学生)の知識欲というのは捨てたものではありません。うまく動機づけができれば真剣に暗記にも取り組みます。我が家でも一時期、百人一首の暗誦が流行った(?)時がありました。小学校や中学校で百人一首の大会があるからです。
実は私も、小学生の頃に暗記したために忘れなくなっているというか、40年近く経っても記憶に残ったままになっていることがあります。当時の担任の先生がたぶん好きな内容(?)だったのだと思いますが、当時の小学生には意味など知る由もなく、ともかく覚えてしまったのです。教職も経験した私にとって、大人になってからの疑問は膨れ上がるばかり。何で、何のために、覚えさせたのだろうと・・・。
それは、『朕思うに 我皇祖皇宗の 国を建つること宏遠に 徳を建つること深高なり 我臣民よく・・・』 そうなのです。教育勅語なのです。そして、もう一つは『じんむ すいぜい あんねい いとく こうしょう こうあん こうれい こうげん かいか すじん・・・』 お分かりですか。そう、歴代天皇の名前なのです。
ここでは、その暗記内容については言及しませんが、子どもの時って、スポンジのように何でも吸収してしまう怖さがありますよね。そう考えると、自然学校やキャンプで出会った子どもたちに、一体何を吸収させてしまったやら・・・。その責任を考えると、ちょっと怖いような気がします。そういえば最近、キャンプリーダーのプロになって、一生の仕事にしたいなどという恐ろしいことを考えている若者が増えているような気が・・・。ああ、怖い、怖い。
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平成15年10月31日(金)
| たまには自転車も・・・ |
いつも乗っている自転車は、もう使い古されたいわゆる『ママちゃり』で、手入れもいい加減なのでサビだらけになっています。でも、愛着というのは恐ろしいもので、近所に買い物に行く時は必ず乗っています。確かにペダルは重く、ブレーキもキーキーとうるさい代物ですが、前カゴと後の荷台を合わせた積載量は相当のものです。
子どもたちが小さい頃には、前カゴに入れたり、荷台にしがみつかせたりして、ついでに買い物にも出かけるという荒業をやってのけていましたが、そんな酷使もしなくていいほど、子どもも大きくなりました。ですから、変速機などというものとは縁遠い生活が長く続いていたのですが、久しぶり(高校生以来?)に変速機付自転車に乗る機会に恵まれました。それも、少し昔に大ブレイクしたマウンテンバイクというやつです。
山崎町の学遊館という生涯学習施設を使った研修会があり、地域イベント仕掛け人なる大人の方々に、オリエンテーリングを主催する側に立った実習ということで、私も一緒に楽しませていただきました。その際、相当広域な地域を使うことと、実施時間をあまり取れないという点から、いわゆるサイクルテーリングという形で、自転車を使ってポイントをめぐる設定をしていただきました。その時に、その施設に備え付けられていたのが真新しいマウンテンバイクだったのです。
バイクのサイズも3種類用意されていたのですが、それ以上にビックリしたのは、前輪3段、後輪8段の変速機付で、3X8の24段変速という恐ろしいものだったことです。そういえば、中学生の時、友だちが妙に12段とか16段とかいう変速スポーツ車に、自慢げに乗っていたのを思い出しました。でも、乗りこなせないのですぐにチェーンが外れ、手を油で真っ黒にしていた記憶がありますが・・・。
もちろん、今回マウンテンバイクに乗る方々も、自転車なんて何年前に卒業しただろうという方ばかりですから、普通に乗るのでさえ少し不安な様子でした。ハンドルは低いし、サドルは高いし・・・。ということは、全く24段もの変速は無用の長物ということで・・・。というようなこともボヤきつつ、秋の山あいにこぎ出して行かれました。
1時間ほどのコースに、5〜6箇所のポイントがあり、そこで問題を解いてから次のポイントへ出発です。相手チームが作った地図を見ながら、久しぶりの自転車に乗り、『あ〜あ、しんど!』と言いながら帰ってこられました。山あいのお寺の由来を見、古墳の入口の高さを目測し、炭焼き小屋を覗き込み、祭られている神様の名前をチェック・・・。結構盛りだくさんだったようです。
帰ってきて、慣れないサイクリングで痛くなった筋肉をマッサージしながら、参加者は口々に言うのでした。『自転車もたまにはいいもんやなぁ!』、『ほんまのんびりしたわ!』、『いつもは車で通り過ぎる道を、こんなにじっくり見たのは初めてや!』、『この谷のこと、地元の人より詳しくなったかも!』などなど。
別に、流行のスローライフを提唱したいわけではありません。でも、地域のことや、住んでいる町のことを知ろう、という企画が多い昨今、いつもと違うスピードで走ってみて(歩いてみて?)こそ、町の移り変わりや色合い、におい、人の動き、そして、山や川、木々や空の色、風や雲や鳥のさえずり、そんな要素を総合的に知ることができるのではないでしょうか。
最近、お家の近くを走るバスに乗ったことのない皆さん、ご近所のバス停の名前を知っていますか? 一日何本ぐらいバスが通っているかご存知ですか? 車の免許を持っていない私の方が、きっとたくさんのバス停の名前を知っていると思いますよ。ちなみに、宍粟郡千種町の『下下河野』ってバス停、読めますか?
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