巡業今昔こたびいまむかし
大阪、名古屋、京都など同じ場所で一カ月単位で公演する旅を大旅(おおたび)、地方巡業で毎日場所を変えて公演する旅が小旅(こたび)と呼んで区別しています。
私が初めて巡業に出たのは高校生の頃のこと、今から40年以上前のこと。前進座公演で父が立三味線を努める勧進帳が初仕事。場所によってはSLも走っていました。今の飛行機移動など考えられませんでしたね。初給料でカメラを買い,そうそうと出掛けました。ちなみにカメラはヤシカフレックスの二眼レフというもの。安芸の宮島での写真があるはずですが…。宿泊は日本旅館で二人部屋でした。若かったせいか旅館のグレードも悪くは無かったように思います。
それより一日2回の勧進帳の舞台は大変な辛さでした。というのも一時間以上も舞台に座ることが辛いのです。冷や汗だらだら、足は動かせずそれはもう死ぬ思いでした。オーバーではありませんよ。高校生ですから勉強しようと教科書や参考書を持って行ったのが事もあろうにお尻の下へ…。それでも良い経験をいたしました。
48年に松竹歌舞伎に入り、早速こたびに駆り出されます。上野発の夜行列車で青森駅の雪の中?へ。降りたら急いでバスへ、青函連絡船に乗り朝霧煙る龍飛岬を後に函館へ。唄の文句じゃあるまいし、いい加減にしてほしいと思いながらも列車で札幌へ。それからバスに乗り換えて旭川を過ぎ滝川へ。そんなところ知りません!畑の真ん中に目的の会館がありました。着いたら舞台稽古。明くる日は本番でそのまま移動か、次の日移動します。それでも会館の前にあるゴーカーコート場で仲間と競走。若かったですね。まだまだ下の者は日本旅館で相部屋になります。 たまにホテルのシングルでも泊まろうなら、どんなセコイホテルでも天国でした。(何年後かに同じホテルへ泊まったら独房見たいに思いましたが)
それでも巡業の楽しみは味グルメの旅が出来ると云うこと。今でこそ近所のスーパーで全国の名物が買える時代になりましたが、以前ではその土地に行かなければ食べられないものが多くありましたね。札幌では金曜日になるとサッポロビールから黒の生ビールがその日だけ発売され、サッポロビール園に行くのが楽しみでした。新潟のあまえびでさえ、ドライアイスで固めて特急に乗りお土産にしたものです。博多のめんたいこもそうですね。その楽しみも今では半減致しました。
現在は全員ホテルでシングル。それも結構なホテルが多くなりました。いまの若い人たちは幸せですね。そうでもしなけりゃこないですかね。
巡業には、文化庁、公文教(その土地の会館)、デパート友の会(岩田屋、井筒屋など)などの公演が有ります。以前には北から順番に降りてきて九州まで50日間回るこたびがあり、7、8月の暑い盛りに回りました。一番辛かったのは関東地方を回るとき。疲れが出るころであり、蒸し暑い盛り、食べ物もうまくない。前橋で古い旅館に入り冷房もなく食事もまずく、おまけに蚊が出るので蚊帳が釣ってあり寝られたものではありません。しかもその旅館は歩道橋ある交差点の所に建っていました。その名は油屋旅館。現在では一カ月単位です。交通が便利になった事と、スケジュールが取りにくくなったと見えてあっちへ行ったり、こっちへ戻ったりと何度か同じ場所を行き来する事が多くなりました。今月の巡業が良い例で四国に2度、九州長崎に2度も行きました。
地方の会館も立派になり、狭くてどうにもならない所はなくなりました。それでも歌舞伎専門劇場ではありませんから黒御簾はやりにくい所もあります。そこはプロ、何とか工夫して演奏しています。縦列に並んで演奏したこともありました。
総勢80〜120人の団体ですから宿泊ホテルや乗りものの手配も大変でしょう。
大型貨物2台で大道具から我々の荷物、ボテと呼んでおりますが、を運びます。これも以前は布と竹で出来たこうり、でしたが今はジュラルミンの大型ケースになりました。開け閉めが楽ですからね。役者さんはまだこうりが多いです。自分でやらないで済みますから??
ボテの管理は若い人がやるので気の毒です。
ヨーロッパ公演の折り。日本の大道具さんの手際良さには外国の舞台関係者が驚いておりました。貨物の出し入れから舞台配置まで短時間で正確にこなしていくのが 考えられないと評判でした。国内のこたびの成果かも知れませんね。毎日移動して公演するというのは日本だけでしょうか。