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「窓ガラスの絵」
大牟田教会礼拝堂は高く造られている。低い位置にも、高い位置にも窓ガラスが付けられている。夏の暑い時分、窓が開け放たれて、よろしい風が入って来る。風と共に珍客も入って来る。まず蚊。正直に言って閉口する。礼拝の司会やメッセージ中に耳元で飛びまわれると、手のやり場に困る。潰す訳にもいかず、されるがままも良い気分ではない。手で追い払うと、「彼女たち」は図に乗って仲間を呼び、飛び回る。そして蝉。礼拝の最中に、「彼ら」も讃美歌を歌う。仕様がないので、会衆と共に苦笑い。大牟田教会の初夏の礼拝の一こまである。
高い位置にある窓ガラスのうち、なぜか一枚だけは透明ガラスとなっている。あとは曇りガラスだ。窓を閉めて礼拝をする冬から春にかけては、その透明ガラスを通して外の様子や景色を窺うことが出来る。透明ガラスの向こうには、桜の木の枝が見える。冬の間は茶色い枝が見える。冬の終わりの頃には、枝が段々と太くなるように見える。つぼみを身につけて来た、ということだ。そして春。桜が咲く。一人のご婦人が、透明ガラス越しの桜を「礼拝堂に桜の絵が飾られている」と言った。そして今、「礼拝堂の絵」は若葉で一杯となっている。
多くのことがある中で、目先、手先の事柄に気持ちを詰めることが続くこともある。時間は間違いなく先に進んでいるのだが、先に進んでいるという実感が感じられることはなく、ただその日、その一週間を遣り繰りしている、と振り返って気付くこともあった。そのような折の「礼拝堂に桜の絵が飾られている」の言葉は、目を内側ではなく、外に向ける言葉となった。「礼拝堂の絵」は、一日として同じ絵が飾られることはない。天候や風向きによって動くことになるし、時の経過の中で変わるものでもある。身近にたくさんの「絵」がある。
5月、教会では「聖霊降臨祭」という礼拝を守る。「聖霊」とは、神さまによる力、あるいは息吹ということになる。帆を張って動く船にとっての風と理解できるであろう。聖書を見ると、聖霊の働きは、人を活かす働き、枯れた骨を立ち上がらせる働き、人を前向きにさせる力などがある。その力が私たちに与えられることを覚えるのがこの日の礼拝の意味するところだ。何度でもこの出来事に立ち返りたいと思う。自然の事柄の中で「動く絵」を見つめつつ、自身も「動かされる絵」だということを思いながら、与えられた月を生きていきたい。
日本福音ルーテル久留米教会
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牧師 水原 一郎
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