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「礼拝堂の声」
「ハッ」とさせられる言葉がある。会話の中で、深く心に残る言葉がある。そういう言葉を手帳に記している。最近は、葬儀、記念会などの後に、手帳が言葉で埋まる傾向が強いことに気付いた。葬儀、記念会の後、それぞれの方から、愛する者との別れの思いの中で発した言葉、神さまのみ許へと行かれた家族との惜別の言葉を頂く。いわゆる「弔辞」に相当するだろうか。そういう「別れの言葉」は、葬儀礼拝、記念会礼拝の中で発せられる、親愛そして信仰の言葉と位置付けられている。私自身も大きな慰めを受けつつ、その言葉を頂いている。
6月の土曜日、ある方の記念会を行った。「記念会」とは、亡くなられた方を墓所や礼拝堂で覚える礼拝。具体的には、例えばその方を思い起こす聖書を読み、讃美歌を歌いつつ、お花などを用いて参列者の思いを天国に届ける。前述の記念会では、故人の墓所で記念の時を持った。10人強で守り、礼拝の最後に教団賛美歌529番「ああ嬉し わが身も」が歌われた。これは、故人が好まれた讃美歌とのこと。墓石が並ぶ灰色の墓地に、季節の花がご家族によって手向けられ、故人の好まれた歌が歌われた。讃美歌は、自動演奏機の助けで歌った。
記念会後は、通常の礼拝が、場所を教会に移して守られた。礼拝は、普段は数名で行う。讃美歌も、前述の自動演奏機の助けで歌う。オルガンは、あることにはあるのだが、演奏者がいないので、隅に置かれている。しかし、その日は違った。礼拝は数十名。讃美歌が力強く聞こえる。参列者の中から一人、礼拝奏楽の心得のある方が、途中から礼拝と讃美歌の奏楽を行った。隅に置かれているオルガンを用いて。長年触られていないオルガンではあったが、その方の手にかかって息を吹き返した。召天された方も、礼拝堂に共にあると思えた。
「召天された方も、礼拝堂に共にある」と記した。召された一人ひとりの思いが、長年触られることはなかったオルガンでも、内部の構造、部品一つひとつ、細部にわたって守ったのだということを礼拝後、思った。別の方も、同じような感想を述べられた。これまで、どれほどの方が、礼拝堂に讃美歌を刻み、祈りの言葉を向け、心を込めて掃除をしたのだろうか。祈り、歌、奉仕に満ちた空間だからこそ、そこにある一つひとつが、保たれている。私たちも、そうありたい。「どのような時にも…祈り…根気強く祈り続けなさい(エフェ6:18)」。
日本福音ルーテル久留米教会
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牧師 水原 一郎
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