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「キリストの香り」
この時期、花の香りに足を止められる。キンモクセイの花だ。町を歩いていると、「スッ」と香る香りのもとを探す。見つからない。良く探してみると、緑と緑の合間にオレンジ色の塊を見つける。大きな別の木の陰か根元に、恥ずかしそうに隠れているキンモクセイを見つける。そんなことを繰り返して、キンモクセイの香りの名所を、この秋はいくつも見つけることが出来た。各教会の敷地内にも、自身の散歩コースにも、キンモクセイが与えられていることを思う。確かにこの時期だけの香りではあるが、秋を知らせてくれる香りと言えよう。
大地の恵の香りも味わうことが出来た。この時期、幼稚園の焼き芋のお世話を任せられている。サツマイモを濡れ新聞紙と銀紙で包み(ここまでは幼稚園の先生方にして頂いている)、鉄鍋に均等に並べる。かまどに鉄鍋を乗せて、後は火の様子を見守る。柔らかくなったかならないか、その辺の加減を見て、外にある「おき」の上に転がして、熱い灰を被せる。しばらく放って、焼き芋の出来上がり。包んでいる銀紙や新聞紙を破ると、中から秋の香りが「スッ」と広がる。味は、一生懸命に食べる子どもたちが、言わなくても保障してくれた。
キンモクセイの香りは、そのものの香り。一方焼き芋の香りは、少々手を加えた香り。
どちらも、秋の香りとして感じることが出来るのは嬉しい。色々なことの中で、それでも、キンモクセイの香りが与えられること、焼き芋のお世話の働きが与えられること、本当に嬉しいことである。日々、失うこと、無くしてしまうことに目が行ってしまうが、与えられていること、受けていること、そこに目を留めると、私たちは実に多くのものに囲まれているのだと思わされる。自然そのものにも、そして人の手のぬくもりにも、その背後にある神さまにも。
「香り」つながりで聖書をひも解く。すると「キリストの香り」という言葉を見つける。「私たちから、キリストの香りが香っている」そういう趣旨で語られている。聖書はそのように言うけれど、本当にキリストの香りが香るのか、そんなことを日々思う。「キリストの香り」という言葉から、たとえて言うならば、キンモクセイのような上品な香りを想像するからだ。けれど、聖書のキリストは、そういう上品さとは無縁だった。悩み、苦しみ、嘆く人々と共にあった。ありのままの香りをもって、来る11月を平和のうちに過ごしてゆきたい。
日本福音ルーテル久留米教会
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牧師 水原 一郎
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