東葛ジャーナルを発行しながら、流山市議会議員として活動をさせていただいてきました私は、今年の4月に行われる流山市議会議員選挙に6期目の立候補の決意をしました。
市議会議員の仕事の重要な一つが議会で「質問する」ことであると、私は考えています。私は、一九八三年の初当選以来、一回も休まずに「市政に関する一般質問」を続けてきました。なぜこのような当たり前のことを書くのかと申しますと、年4回しかない本会議での「市政に関する一般質問」の機会に「質問」をしない議員も、残念なことに少なくないからです。もちろん回数が多ければそれでよいというわけではありませんが、内容が良いかどうかは市民の判断を仰ぐしかないことは申すまでもありません。
私は、「教育」の問題や「環境」の問題を比較的に得意の分野として、できるだけ「提案」「対案」をしながら、質問し、市当局の追及をしてきたつもりです。
「体罰」という名の教師による暴力をなくすための主張をあらゆる機会に続けてきました。新聞の紙面に私の追求が登場することも何回もありました。私が議員になったばかりの頃は、学校の現場では、タテマエ(体罰は禁止)とはうらはらに暴力で生徒を押さえつけようという体質は根深いものがありました。
しかし、「くさかべさんががんばっても体罰なんかなくなりっこない、と思っていましたが、言い続けていくと減るものですね」と、あるお母さんから言われ、また、市教委の幹部職員から「くさかべさんのおかげで、体罰が減ってきました」とも言われたりもしました。
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く毎年開かれる「江戸川・坂川シンポジウム」でコーディネーターをつとめている |
環境問題では、具体的な行動を多くの市民とともに、つづけてきました。江戸川や坂川の流域の住民でつくる「江戸川の環境を考える会」のメンバーとして、毎年夏にシンポジウムを行い、コーディネーターをつとめ、主張だけでなく、実際の行動で裏付けることもやってきました。
さらに、オオタカが棲む「市野谷の森」の保全については、「流山・自然観察の森を実現させる会」のメンバーの一員として、都市公団・千葉県・流山市との意見交換を5年間も地道に続け、放っておけばなくなってしまった「市野谷の森」を県立公園として25ヘクタールの保全を確実にさせることに成功しました。
「核と戦争を許さない流山市民の会」とともに、一九八二年から毎年「反戦・平和」にかかわる集会を続けてきました。また、一九八六年以来、中学生と高校生を一泊二日で「ヒロシマ」への研修旅行(平和公園での原爆碑巡り、原爆資料館見学、原爆映画を見て、被爆者の講話を聞いて帰ってくるという内容)を続けてきました。