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近江草津は古くから遺跡、文化財も多く残っています。また江戸時代の草津宿は東海道・中山道の分岐合流点として、東海道五十三次の52番目の宿場町として栄え、 当時の草津村は膳所藩が管理していましたが、草津宿本陣のあった草津宿は幕府の道中奉行の支配下にありました。 街道沿いには家康や芭蕉たちも食した草津名物「うばがもちや」跡や歌枕として知られる諸国六玉川のひとつでもあります「野路の玉川」、当時は玉のような清水が湧く所として風光明媚なことからも有名な所として「あすもこむ 野路の玉川萩こえて 色なる波に月やどりけり」(源俊頼作)の句碑がたっており、当時の面影を残しております。 また、「武士(もののふ)の矢橋の舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋」の「急がば回れ」の語源が琵琶湖を渡る「矢橋の渡し」にあることは意外と知られていません。 |
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最終更新日: 2008年3月3日 |
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@nifty ID: RXB03050 |