トップページへ)(礼拝説教の目次ページへ)  

前週のページへ)(次週のページへ

2009年11月8日
聖  書   「詩篇121:1ー8」
121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。
121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
 

 

説   教      「主のお支え」

この4節には、「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」と、うたわれています。

ここでの「イスラエル」は、現在のイスラエル国家ではなく、神を信じ神に従う人々を指しています。神は、神を信じる人々を寝ずの番をして守って下さるお方であると記されています

近代は、戦争の時代と言われました。利権と対人不信によります。
このような時代にあってわたしたちは、人としての原点に立つことが必要です。
聖書は、人は神よって創造され、神によって生かされてるのですから、神と共に生きることを求めています。

死んだ状態とは、神と離れて自分の利益のみ、求めて生きる生き方です。現代の諸国家はまさに死んだ状態であると言えましょう

私は高校3年生の時に受洗しました。
就職し9年間関西にいましたが、やがて6年間全く礼拝に出席しなくなりました。

28歳になって転機が訪れ、もっとも不忠実なクリスチャンだったものが、今は牧師を務めております。

それまでの間、主は、幾度となく、わたしをいかに支えられ、キリスト者として霊的に生きるために導き、祝福してくださったことでしょうか。

イエス様は「わたしは本当のぶどうの木、あなたがたはその枝です」と言われました。枝は木につながっていて生きることができるのです。「生きる」とは神の意志を知り、神に喜ばれる生き方を送ることなのです。

この死から生へと移るには、わたしたちの自分の力ではできません。助けが必要です。
今日の聖書の箇所には、「 私の助けは、天地を造られた主から来る。」(121:2)、主なる神様は「その場所」におられ、そこから祝福して下さると謳われています。
わたしたちを助けて下さるお方、「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」(121:3〜4)お方なのです。すべての災いからとこしえに支えて下さると約束しています。

私たちには、この主なるお方、キリスト様の内に希望を持っているのです。
あなたはこのことをご存じでしたか。
あなたはこのすばらしいお方と、離れていらっしゃったでしょうか、ともに生きていらっしゃいますか。

 

トップページへ)(礼拝説教の目次ページへ30622

前週のページへ)(次週のページへ