2008年(平成20年)1月9日 水曜日 朝日新聞
支持も非難も世間任せ
REの時代 5
REVERSE【り・ば−す】−反転
「ネットで覚えた快楽」の宿命
牛丼店の店員が、丼から肉がこぼれ落ちるほど大盛りにした豚丼を作る。そんな「いたずら」動画がネットに投稿され、年末の世間を一時騒がせた。当初、面白がっていたネットの住人たちは、やがて、「食べ物を粗末に扱うな」「不衛生だ」と一斉に非難を始める。犯人を特定した、クビだ、損害賠償だと、抗議はエスカレートし、マスコミに報道されたことも「燃料」となって騒ぎは拡大した。結局、舞台となった牛丼チェーンが謝罪、該当する店舗・従業員を特定し、事実確認ができれば厳正な処分をすると発表し、ようやく沈静化した。
ある日、突然、手のひらを返したように評価が一変し、メディアを介し、大騒ぎになる。ネットの中だけでなく、現実の世界でも「反転現象」とでも呼ぶべき出来事が、昨年は相次いだ。
映画の舞台あいさつでむくれ批判を浴びた女優、大口をたたきながら、タイトル戦で無様な反則を繰り返したボクサー、母国に引きこもった横綱……。
矛先を変えては、人気者が悪役となり、バッシングされるのはなぜなのか。週刊「SPA!」は先月、「『嫌われ者』誕生の最新メカニズム」と題した特集を組んだ。
「世の中が怒っている結果なのかと思ったが、実はそうではなかった」と、企画を担当した北井亮さんは言う。バッシングは「共通の話題作りにすぎない。『自分も嫌いでいいんだ』と、他者とつながっていたい人々の欲求の現れ」と分析する。それが逆になだれ打てば熱狂的人気に変わる、とも。
『「戦後」状況論 課題としての日本』の共著がある評論家の八柏龍紀さんは「他者を全人的につかめず、不遜が気に障るか否かの二者択一。他者からの評価でしか自己像を結べない若者は、好き嫌いも決められず、社会の気分に翻弄(ほんろう)されている」と語る。
政治の場面でも変転が相次いだ。強力なリーダーシップから相談重視へと政権の性格は変わった。自民党の大敗北という参院選の結果から、二大政党制に近づいたかと思えば大連立への党首会談。郵政造反組は復党し、年金やC型肝炎問題で国の姿勢も大きく揺れる。
『ネオリベラリズムの精神分析』の著者で愛知大学の樫相愛子准教授は言う。
「思想が脆弱な日本では、ただ変わること、新しいことに価値を置く幻想がある。小選挙区制も二大政党制も、新しさや強さを求める差異のゲームに陥りやすく、有権者の態度もコロコロ変わる」
変えるために変える−。閉塞感が社会全体を覆う中、ホリエモンら若きITの寵児たちの、同語反復的な変化への望みの揺るぎなさも新しい時代の象徴として歓迎された。しかし、スキャンダルで一転、見限られたことも記憶に新しい。
競争優先の新自由主義は、世界を他人事でなく、一人ひとりに私事化を迫る。一方、変化の必要性は感じても、むき出しの個人が自己責任の世界に放り出されるような不安も高まる。「世界に変化を求めつつ、自分の生活は変えたくない。その保身の身代わりとして、他者の劇的な『変身』に魅せられる」と八柏さんはみる。
支持と非難の反転が社会を活性化させると指摘するのは、民俗学者の赤坂憲雄さんだ。その構造を未開社会の「王殺し」の風習に重ねる。王を祭り上げ、災厄の責めを負わせては生け贄にし、集団をストレスから浄化する。
「圧倒的な力と、役割を背負う覚悟を持つ者が真のエリート。その超え難い距離への羨望が、社会にダイナミズムを与えてきた」と話す。だが、戦後、教育や社会は均質化を求め、エリート=王が不在になった。そこで疑似的なエリートを「バブル」的に祭り上げてはたたく。バッシングの対象となるような「異端」が「いた」のではなく、「見つけた」のだ、と。メディアを通じて繰り返されるこうした行為は、社会を活性化させるための本能だと赤坂さんはいう。
だが、そうした反転が繰り返されるような状況に対し、風向きが変わりつつあるのではないか、とTTジャーナリストの井上トシユキさんは感じている。「電車男」さながら、恋や仕事、人生の悩みを打ち明ける「メンタルヘルス系」のネット掲示板に、投稿者が戻り始めてきているという。
「ネットの世界では、そろそろ罵詈雑言の応酬にも飽きてきた面がある。匿名性に支えられ、むき出しの『本音』がぶつかり合ってきたのがネット。だが、人と信じ合いたいという欲求が匿名の生かし方を変え、見知らぬ誰かの役に立つ快楽に向けられる可能性もあるのではないか」
井上さんは、ネットの映し鏡といえる実社会でも、反転のありようは変化するのではないかと期待する。とはいえ、「一瞬で、針が振り切れるほどに世間を動かせるという快楽をネットで覚えてしまった人々の宿命的風景」 (赤坂さん)が反転するのは、そう簡単ではないのだろう。 (宮崎陽介)
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