私が自分の韓国籍を理由に入居を拒否されたのは、2回目です。最初は大学院生の時でした。今から17年前です。その時も今回も、いろいろな意味で計り知れない衝撃を受けました。
 まず、今回、入居拒否の後、いろんな人に相談したのですが、日本人の友人は、みな一様に、「今でもそんなことがあるのか」と驚くのです。在日朝鮮人の間では、日々の生活の中で差別を受けることは、珍しくもなんともないのに、そのことを日本人が全く知らないこと、未だに在日朝鮮人が日本でどのような差別を受けているのかを全く知らないことに、私は衝撃を受けました。
 他方で、同胞のほとんどは、「(それは)よくあることだ」「そんなこと言わない家主を捜せばいい」など、入居拒否があるのはあたりまえで、今さらそんなことを言っても仕方がないという反応です。実際に、入居拒否にあったことのある人がほとんどで、つい最近も、実務修習のために埼玉から大阪にやってきた同胞の修習生が入居拒否にあっています。
 けれども、こうした同胞の反応が、少し気になりました。「入居差別なんか、あるに決まっている」という、諦めにも似た感情のように思えたからです。
 私は、日本国籍がないという理由で、今まで様々な差別を受けてきました。たとえば、子どもの頃は、いろんな人から「大人になったら何になりたい?」と、良く聞かれます。それに対して、学校の先生、スチュワーデス、といった他愛のない答えにすら、返ってくる言葉はいつも、「それは朝鮮人はなれない」「日本人じゃないからだめだ」「朝鮮人を雇う会社なんかない」というものばかりでした。
 高校生になると、ほとんどの同胞の友人は、食べていけないということで理系に、特に医学部へ進みました。私が大学生の頃は、バブル真っ盛りで売り手市場だと言われましたが、それでもどこにも就職が決まらない友人もいました。
 そして私は、就職はどうせ無理だろうと考えて大学院に進学し、下宿を探した時、入居拒否にあったのです。
 今回の入居拒否は、私にとっては2回目の経験です。私が自分で部屋を探したのは、学生時代と今回の2回だけですが、2回とも入居拒否にあっています。日本人であれば、経験せずにすむことを、2回も経験しているのです。つまり、日本社会が17年たっても、ほとんど同じ状況なのだといえます。他の同胞たちも当然、同じように入居拒否を受け続けており、在日同胞がこの差別的な日常生活に、希望を持てと言う方が無理でしょう。
 けれども、私は現在、弁護士をしています。弁護士の第一の職務は、社会正義の実現、人権の擁護です。その私が人権を侵害されて、そのまま黙っている訳にはいきません。
 また、かつては、弁護士になるにも日本国籍が必要でした。けれども、外国籍のままでも弁護士になれる道を、同胞の先輩が切り開いてくれたからこそ、今の私があるのです。誰かが声をあげ、それを支持する人が現れることで、日本社会が変わったのです。
 ですから、私がこの裁判を起こしたのは、単に、私の入居を拒否した個々の家主の責任を追及するだけではなく、このような在日朝鮮人をとりまく差別的な日常を放置し続けている行政の責任を問うことによって、日本社会がより寛容で豊かな社会に変わる契機にしたい、と考えたからです。
 法の目的は社会正義の実現にあるのだということが、この裁判を通じて明らかになることを、心より願っています。
                                     以上


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 第1回口頭弁論 意見陳述(2006年1月24日)

弁護士 康由美
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