COOLDOWN SideStories
「災禍鎮まりし夜 (前編)」
written by 木公



 この作品はフィクションであり、COOL DOWN(伊達将範)・Phantom〜Phantom of inferno〜、吸血殱鬼ヴェドゴニア(ニトロプラス)・月姫(TYPE-MOON)・月詠(有馬啓太郎)・HELLSING(平野耕太)・トリフィドの日(ジョン・グラハム)(以上順不同、敬称略)
 等の作品から人物、設定等を流用してパロディにしたものです。実在の人物、団体、事件等とは、一切関係ありません。ご了承下さい。
【災禍鎮まりし夜】

 #01“誰彼”

「……面白かったですねー!」
「……ああ」
 夕暮れ。苛烈に過ぎる夏の日射しもまずは明日までお預けとなり、夜の涼がおずおずと舞台袖から現れる時間。赤く照らされた映画館から、高校生くらいの年頃であろう男女が出てきた。寄り添う姿はカップルと言うほどべたべたしているわけではなく、仲むつまじいという表現がぴったり来ている。女の子が僅かに頬を上気させて興奮したように話しかけるのを、男の子の方は無表情とも言える顔で相づちを打っている。しかし、彼の方もけして不快なわけではなく、むしろ好ましいとすら思っているのは、優しげな微笑をときおり口元に表しているのが確かな証拠だ。

 彼らの普段を知るものならば、まず目を疑うだろう。
 女の子……香月紗夜が、誰かに向かって積極的に話しかけている(しかもにこやかに!)事がすでに奇跡に近い出来事である上、その相手である男の子……氷室克樹が優しげに相づちを打つなどというのは、すでに想像の外である。
 二人とも、普段はおよそ社交性というものが皆無で、クラスでも孤立している雰囲気があるし、克樹に至っては近隣でも名前を知らぬ者のない不良というレッテルを貼られているからだ。
 見るからに旧家のお嬢様然とした紗夜の交際相手として釣り合うとは思えない。

 だが、『常識では考えられないこと』などという言葉は常識の通用する範疇でしか通用しない。彼らが親しくなるきっかけとなった出来事は、およそ常識では計りきれない事件だったからだ。そのことについて、紗夜はずいぶんと気にしているらしい。彼女いわく、『異常な環境で結ばれた男女は長続きしない』とか。そのため、とりあえず『お友達』から始めようという克樹の提案通りに、はたからみると微笑ましい関係が続いている。昼食を一緒にとったり、一緒に買い物に出たり、今日のように、二人で映画を見に来たり、と。
 ちなみに今日見た映画は『DADDY FACE』。すでに3まで続編が発表されている超人気映画のリバイバル上映である。破天荒な設定と派手なアクション、さらにはラブコメまで取り込んだエンタテイメント性が高く評価されており、アカデミー賞全賞ノミネートという快挙を成し遂げるものの、主演男優賞のみ受賞を逃したという逸話まである。一説によると、主演の男優があまりにもみすぼらしいためだったとかなんとか。

 閑話休題。
 さて、映画の興奮さめやらぬといった感じで、克樹にむかってあれが格好良かったこれが感動したとまくし立てていた紗夜だったが、はっと我に返って克樹の顔をちらちらと見上げる。
「あ、……あの、…わたしばっかり話してて…退屈だった? …ごめんなさい……」
 どうやら、反応のとぼしい克樹を見て不安になったようだ。この紗夜という少女にはそういう、必要以上に他人に気を遣う癖がある。
「あ、いや、別に。面白かったぜ」
 この言葉に嘘偽りはない。たしかに、テレビで何度も放送しているような映画をあらためて映画館で見たいという紗夜の申し出は、なるほど克樹の想像を超えていたが、映画館ならではの迫力、というものもあったし、何よりも、となりで騒いでいた紗夜を見ているのは彼にとっても楽しい時間だった。現に今も、『笑ってる香月はやっぱり可愛いな』とか埒もないことを考えながらその口元を緩ませていたのだから。
 もっともこの場合、彼が本当に楽しかったかどうかではなくて、『楽しそうに見えない』ことこそが彼女の誤解を招いたのだが、そのあたりの機微についてこの少年は大変うといのだ。
 そのあともしばらく「私が悪い」の「気にするな」のと、押し合い問答が続いていたが。

 くぅ〜

 という可愛らしい音が争議を中断させた。
「あ、ハラへったよな? なんか食いにいこうぜ。オゴるから」
 紗夜の方は、もはや真っ赤になって縮こまってしまっている。
「あ、あの、わたし、その、……昨日から緊張してて、その、ごはん、食べてなくて……」
 緊張の余り言わずもがなのことを口走って、そのままうつむいて固まってしまった。
「ほら、気にすることないからさ、行こうぜ」
 固まったままの紗夜に業をにやして、強引に手を取って歩き始めた。克樹の方にとっては、この構図だと「路上で女の子を泣かしている」と取られることを危惧しての行動だったのだが、
「○♪△◆□・・λΓρШХ×!?」
 いきなり手を握られた紗夜の方は、まともな思考が吹き飛んでしまったらしい。真っ赤に染まった顔のまま、魂が抜けたように手を引かれていった。
 そこから少し離れたベンチ。ここにも一組のカップルがいた。中学を出たばかりくらいの少年と、もう少し幼い感じの少女だ。少女の方はローティーンくらいの外見に似合わず大胆に、腕を絡めてぴったりと少年に寄り添っており、ときおり顔を近づけて声をひそめ、二人だけの会話を楽しんでいるようにも見える。

 しかし。
「ターゲットを確認……ホントにあの子が──なのか?」
「間違いないわ。香月紗夜。S高校2年生。……情報によると、彼女が──よ」
 交わされる内容は、恋人同士の甘い会話とはほど遠かった。
「うーん……イメージ違うな…」
 とまどい顔をした少年の疑問を、少女は無機質とも言える感情のこもらない言葉で切って捨てる。
「彼女がなんであれ関係ないわ。わたし達の目的は一つ。日本におけるイノヴェルチ勢力の殲滅。彼女はそのための餌……それだけよ」
「ああ、そうだな」
 そう返した少年の顔からも、すでに表情は消えている。
 そしてこの二人も──外見上は仲の良いカップルを装ったまま──先の二人を追って人混みの中へ消えた。

 ロサンジェルスの高層ビル群。その摩天楼の中に、米国最大の犯罪秘密結社「インフェルノ」の拠点、その一つがあった。
「…なにも、我々インフェルノの腕利き…『ファントム』とその一番弟子までも送り込むことはなかったのではないかね? ミズ・クロウディア」
 見ただけで高級品と解る調度が置かれた応接室。周囲のそれに見劣りしない気品を備えた男が、長いパイプにくゆらせた煙を弄びつつ、傍らの女性に声をかけた。
「念には念を、と思ったまでです。ミスタ・マグワイア」
 クロウディアと呼びかけられたその女性…身につけた赤いスーツは、その豊満な身体と態度に表れる自信にはち切れそうだ。美しい金髪を何気なく手で梳きながら言葉を続ける。
「日本におけるイノヴェルチ勢力の弱体は、先日のハイスクールでの出来事を隠蔽しきれなかったことや、未確認ですが一度は手中に収めたはずのロードヴァンパイアを取り逃がした、などの情報からも明らかです。ここで一気に叩くことが出来れば、彼らの大きな拠点である日本を我らの勢力圏に加えることすらできるでしょう」
「…だがよ、少し急ぎすぎやしねえか?」
 伝法な口調で異を唱えたのは、先ほどから部屋の隅で面白くなさそうにしていた黒人の大男だった。高級品の並ぶこの部屋にあまりそぐわない、どちらかというとストリートギャングの親玉といった感じの男だ。
「しくじったときにゃおめえ、切り札をなくす事になるんじゃねえか? サイスのヤロウも行方知れずだしよ」
「心配はご無用です。ミスタ・アイザック。彼らはきっと私たちの期待に応えてくれることでしょう。
 ……インフェルノ最強の暗殺者・『ファントム』の名にかけて」

 #02“亡霊”

「そういえばさー、香月って……」
 某所ファーストフードチェーン店。時間帯が中途半端であるせいか人気は少ない。いろいろと悩んだあげくに、手近なここで少し早めの夕食を取ることになったようだ。ワリカンだのおごりだのともう一悶着あったが、結局「ダイエット」とかで100%のオレンジジュースだけにした紗夜を眺めつつ、克樹はなんとなく思ったことを口にした。
「血とか吸わねえの?」
 プピュッ!
「エッ、ケホッ、ケホッ」
 思わずむせる紗夜。当然といえば当然だ。
「あ、わりいわりい」
 テーブルに備え付けのナプキンで口を拭ってやる克樹。紗夜の方は青くなったり赤くなったり大変である。
「あああのそのえと、どこから話したらいいのかな…」
「ん、慌てなくていいから。落ち着いて」
 可哀想なくらいに動揺している紗夜に対して、憎たらしいほど落ち着き払った克樹が声をかける。もっとも克樹の方も内心、そこまで驚くとは思わなかったので少しは慌てているのだが、外見には出ていない。
「ええと……、わたし達は確かに…その…吸血鬼の一族なんですけど、かならずしも赤い血を吸うっていう訳じゃなくて……ある意味『血』に属していればなんでもいいんです」
「っていうと?」
 ようやく落ち着いたのかとつとつと話し始める紗夜に、あいかわらず興味があるのかないのか解らない表情で克樹も相づちを打っている。
「血液でさえあれば、性別、種族は問わないですし……一般に血とは呼ばれない…樹液や、昆虫の体液でも生きていくことはできるんです」
「ああ、だから」
 紗夜の飲んでいるオレンジジュースに目を落として、ひとり納得したように頷く克樹。確かに、果物の血、という解釈が成り立たないわけではない。
 もっとも、紗夜は普通の食事をとれないわけではないから、今回のこれは単に克樹に遠慮しただけである。
 いちおう追記しておくと、吸血種にも何種類かあり、紗夜の種族のように自然発生的に存在する吸血種は、その吸血衝動がどちらかというと「性癖(人間に例えるなら麻薬中毒)」に近い。
 そのため、自身の意志で抑えることも不可能ではないのだが、死者から黄泉返ったり、他の吸血種に血を吸われて吸血種の仲間入りをしたものは、血液補充の有無が存在そのものの維持にすら関わるため、血を吸わないことは自殺行為に等しい。
「でも、やっぱり…その、生き血が一番おいしいですけど……」
「ふうん……じゃあさ、俺の血、飲んでみる?」

 ブーーーッ!

 今度こそ盛大に吹き出した。少し身体を乗り出していた克樹の顔にまともにかかる。
「うわっ!?」
「あ、あの、ごめんなさい!」
 慌ててディバッグからハンカチを取り出し、克樹の顔を拭う紗夜。
「い、いや、あやまることねぇって。なんか悪いこと聞いたみたいだな」
「あああの、その、あの……」
 真っ赤な顔で口ごもる紗夜。当然といえば当然で、人間、特に異性への吸血は性衝動──早い話がH──と深く結びついている場合がほとんどなのだ。純真な紗夜には刺激が過ぎるだろう。
 克樹にしてみれば、『仲のいい友人においしい物を食べさせたい』という考えしか無かったし、血を吸う行為についても『ちょっと気の利いた献血』程度の認識しかだったのだが。
「あーあ、冗談だって。気にすんなよ。ちょっと、顔洗ってくるな。これ、洗って返すから」
 そういって紗夜のハンカチ──真っ白で、肌触りからも良い品だと知れる──を持って克樹は席を立っていく。
 その後には、所在なさげな紗夜が一人で取り残されてしまった。
「(……うぅっ、どうしてわたしってこうなんだろ……)」
「もったいないねぇ。くれるってんだから、貰っておけばいいじゃねぇか」
「……!?」
 いつの間に近寄ったのか、コートと帽子で身を包んだ大柄な男が紗夜のすぐ後ろの席にいた。
 いつの間に、と言っても尋常な意味ではない。先ほど紗夜が話していたことは一般の人間に聞かせられるような事ではない。相手が秘密を共有している克樹だからこそ話したのであり、もちろん会話が聞こえる位置に他の人間がいないのは確認済だった。光の中にいるため若干衰えているとはいえ、夜の眷属たる紗夜の超人的な知覚に気配すら悟らせずこの大男は忍び寄ってきたのだ。そんなことができるのは……
「夜族(ミディアンズ)!?」
「ご明察」
 男の口調は、これからの災難を歌い上げるかのようだった。

 ダンピール、クレニスク……吸血鬼と並ぶ力を持ちながら、夜族を滅ぼすためにその力を奮う吸血殱鬼(ヴァンピルズィージャ)たち。
 その中でも、赤き衣胞より生まれ、生来吸血鬼を狩る力を備えながら、死した後には自らが吸血鬼と化す宿命を背負った者……
 ……其を、ヴェドゴニアと言う。

 #03“殱鬼”

 とある日本家屋。住んでいる者の性格が反映されたのか、よく手入れされた清楚な庭園は……今宵、戦場と化していた。
 戦場というものはまずもって現実感のないものだが、今夜のそれは格別だった。
 サブマシンガンになぜかクロスボウガンと、本来ならグレネードが取り付けられる場所に懐中電灯のようなものを付けた武器を振り回す大柄な白人の男。
「ヒャハハハハ!」
 狂喜としか思えない笑い声をあげながら、初速1000/sを超える銃弾をばらまいている。
 その銃弾を、時にかわし、時にはその身に食い込ませても、まるでひるむ様子を見せずに縦横無尽と跳ね回る……
 ウサギを擬人化したような怪物。
 しかし、ウサギらしい可愛らしさなど、どこにも残っていない。
 軽く跳ねるだけで10メートルを一跳びし、そのたびごとに庭石を踏み砕く。伸びた前歯は銃弾を弾き落とす。
 極めつけは、血に飢え、自ら赤く光るその瞳。
 キメラヴァンプ、と呼ばれる改造吸血鬼だ。イノヴェルチ──ロシア語で『異端』の意──という組織がその名のとおり異端としか呼べないような悪魔の知識をもって作り上げた、悪夢の怪物である。
 すなわち、吸血鬼の異常再生力を利用した他生物との合成。
 そうして生まれたキメラヴァンプは、熟練のハンターですら返り討ちにする戦闘力を誇るのだ。
 それを知りながら、恐れる様子など微塵もなく。むしろ楽しげに戦いを続ける白人の男もただ者ではない。
 戦況は膠着状態に陥っていたが、いずれ限界に達するだろう。ウサギとの合成吸血鬼──ラビットヴァンプとでも呼ぼうか──がその身に備えた凶悪な殺傷力は未だ健在であり、男の攻撃はときおり相手を捉えるものの、銀で皮膜したライフル弾でさえ、キメラヴァンプが持つ常識はずれの再生力の前には効果が薄く、致命傷を与える前に弾が切れるだろう。
 このままでは。

 変化したのは男の方だった。それまで、ラビットヴァンプの速い動きを追いきれずに弾をばらまくだけだったのが、あきらかな意志を持って、敵の動きをせばめてゆくように予測射撃を始める。
 ラビットヴァンプの方もうかうかと相手の図に乗るつもりはないが、さすがに急所──心臓や、脳──に撃ち込まれればいかな吸血鬼といえども無事ではいられない。とはいえ、それ以外の場所であれば当たったところで実質のダメージは無いし、弾が切れてからゆっくりと料理をすればいいだけ──夜はまだ始まったばかりだ──なので、いくらかの油断がある。
 そこに付け入る隙があった。
 ある木立の近くに着地した瞬間。
 男の持つサブマシンガンに取り付けられた、懐中電灯のようなものが紫色の光を放つ。対吸血鬼装備のひとつ、紫外線灯だ。
 もちろん致命傷にはほど遠いが、一瞬、感覚が混乱する。
 その一瞬が、まさに命をわけた。
 混乱した感覚が、再び鋭敏さを取り戻したときには、背後からの驚異はその身体能力をもってしても避けることのできない所まで来ていた。

 メシィッ!

 それまで木陰に隠れていたのだろう何者かが、巨大な質量をラビットヴァンプの足に叩きつけたのだ。
 銃弾とは質の違う破壊に、たまらず、その場に突っ伏す。
「塵より生まれし汝──」
 響いた声は、歌うようだった。
 突っ伏したラビットヴァンプのすぐ側に歩み寄った何者かの声であるようだ。
「等しく塵へ、還るがいい」
 すっ、と影が差した。振り上げられた何かが月光を遮る。
「灰は灰に、塵は塵に!」
 キリスト教の鎮魂の詩(うた)。しかし、その語調は死者を弔うそれではなく、憎しみと……秘かに隠れた喜びに満ちていた。

 ブォンッ!

 巨大なスレッジ・ハンマー─工事などでコンクリートの塊を砕くための巨大なハンマー─が唸りをあげて怪物の胸に叩き込まれる。どういう改造を施してあるのか打撃面の真ん中から木の杭が生えており、ハンマーの運動エネルギーに導かれるままに、化け物の胸部を貫いた。
 ギュュアァァァ!!!
 白木の杭に心臓を貫かれ、聞くに耐えない絶叫をあげる異形の者。燃えるように、しかし、炎をあげることなく灰になり……風に吹き散らされた。
 ……呪われた命を生きる者の典型的な死に様…いや、滅ぶ様だ。
 皮膚が、筋肉が、骨が灰と化してゆく姿は、とても正視に耐えるものではない。
 しかし、たった今とどめを刺した人物は、むしろ喜悦すらたたえた表情でそれを見つめていた。
「終わったようですね」
 暗がりから一人の女性が歩み出て声をかける。“日本人形のような”そんな形容がまさにぴたりとくる、和服の似合う美しい女性だ。見る者が見れば、その面影が紗夜を思わせることに気づいただろう。それもそのはず、香月紗夜の母親である。
「…………」
 答えず振り返ったのは、先ほどのハンマーの主。しかし、その容姿には誰もが己の目を疑うだろう。
 紗夜の母親が日本人形だとするなら、こちらは白磁人形(ビスクドール)を思わせる美貌。しかも、真っ黒なワンピース─喪服のようだ─に包まれた身体はどう見てもローティーンを出ていない。
 その彼女が巨大なスレッジハンマーを操り、たったいま、夜に生きる異形を滅ぼしてのけたのだなどと、誰が信じるだろう。

「ありが…」
「礼を言う必要はないわ」
 頭を下げようとする紗夜の母親を制して、喪服の少女が遮るように言う。
「私たちは当面の敵を滅ぼしただけ。あなた達を助けたなどと思わないことね。
 ……狩り合い、滅ぼし合う。それが、わたし達とあなた達の宿命。馴れ合いは、ありえない」
 その言葉に困ったような顔をしたものの、
「ですけど、今はわたし達をそっとしておいてくれるのでしょうし、現に今回は助けられました。ですから、ありがとうございます。モーラさん、フリッツさん」
 そうして深々と頭を下げる。その姿には、一片の警戒も感じられない。
「………フリッツ、行くわよ」
「……ああ」
 いかにも面白くなさそうな顔をして、後ろで銃を構えていた大柄な男と共に歩み去る、モーラと呼ばれた少女。
 その姿が見えなくなるまで見送りながら、紗夜の母親は考えていた。
(吸血鬼ハンターがこんなところまで来るなんて……状況は思ったより動いているのね……紗夜は大丈夫かしら?)
「……あら?」
 ふと後ろを振り返ると、長女の紗枝と、三女の紗里が抱き合うようにへたりこんでいた。
「……どうしたの? あなた達」
「だって〜、あのフリッツってガイジン、マジ殺すって感じでにらむんだもの〜」
「あのモーラってコもなんかコワいし〜」
 どうやら本物の“ハンター”と対峙した緊張から解放されて腰が抜けたらしい。二人とも、すでに半泣きだ。
 こういうときには、むしろ普段おとなしく、気弱ともとれる紗夜の方が落ち着いている。
 しかし……イノヴェルチはおろか、ハンターにまで嗅ぎつけられたとあっては、単独で街に出ている紗夜の身が案じられる。
(克樹くん、か………)
 紗夜本人は隠しているつもりらしいが、すでに家族中では周知の仲である、普通の男の子。
 まだ会ったことすらない、しかもただの人間である彼に望みを託すのはあまりに身勝手というものだろうか。
 それでも、いま我が子の安全を祈れる相手は神か…彼しかいないのだ。しかし、神はとうの昔に死んだという。
 ならば。
(お願いね、克樹くん……)
 静かに目を閉じて、祈った。全ての望みを、ひとりの人間に託して。

 第二次大戦以前のこと。
 それは、戦争に備えて国民の意識を高めるため、「日本は高い能力を持つ単一の民族である」という名に実をともなわせる為の行為であったという。
 時として特異な能力をもつ少数民族──山に住むものが多かったため山人(サンカ)と呼ばれた──を、狩り集める行為。
 それを、山人狩りといった。
 彼らを襲った運命は過酷だったという。
 夜でもものが見える少年は、昼夜を問わずに見張りをさせられ、目から血を流して死んだ。
 人より力の強い青年は、炭坑で働き続け、日の光を見ることなく死んだ。
 人の心に敏感な少女は、幾多の実験の後に、心が壊れて死んだ。
『日本原種』はそれらの悪夢を切り抜けてきた。
 今となっては知るものもいない、過去の話。
 不死なる種族の紗夜達にとって、その時代の記憶はまだ、新しい。

 #04“秘密”

「……ん?」
 ふいに、誰かに呼ばれたような気がして、克樹はハンカチを洗う手を休めて振り向く。
 しかし、振り向いたところで誰もいない。気のせいと思い直し、あらためてハンカチをながめた。
 新品の白さを取り戻せたかは怪しいが、だいぶ綺麗になったような気がする。
「……ふむ」
 こんなものだろう、と水を切り、まだ湿ったままのハンカチを畳んでポケットに収め、トイレから出た。
「……?」
 出てきた克樹の目に入ったのは、見知らぬ大男と対峙する紗夜の姿だった。
『なんの用ですか? わたし達は、【隠れ】の身です。あなた方とは関係ありません』
『つれないことを言うねぇ。同じ夜族どうし、仲良くしようじゃない』
 傍目にはただ向き合っているとしか見えない。しかし、実際には人間の可聴域をはるかに超えた超高速言語で意志の疎通を行っているのだ。
 この場に犬がいたなら、さぞかし騒いだことだろう。
『お断りします。わたし達は人の影でひっそりと暮らす。そのようにして今の時代まで生き抜いたのですから、いまさら闇の中には戻りません』
『お堅いことだ。感心するねぇ。ご馳走に囲まれて暮らしてるってのに、それに見向きもしないなんてねぇ。……いや、そうでもないのかな? さっきの彼…』
「氷室くんはそんなのじゃ!!」
 痛いところをつかれて、つい肉声で叫んでしまう紗夜。
 その声に驚いた周囲の注目を集めるが、男はひるむ様子もない。大仰に肩をすくめて話を続ける。
『ま、そっちの事情はどうでもいいんだ。こっちとしては、【純血の吸血鬼】たるお前さんが欲しいだけなんでね。
 ……痛くしないから、おとなしく着いてきてくれないか?』
『お断りします、と言ったら?』
「力ずくってのも、それはそれで萌える♪」

 むしろこうなることを望んでいたかのように、男は嬉しげに両腕を広げた。
 その様子を、克樹はトイレの出口から見守っていた。もしかしたら香月の知り合いかとも思ったが、話している内容こそ聞こえないものの、あまり親しげな雰囲気ではない。
(吸血鬼関係の知り合いなら俺が顔だすとややこしいことになるかな?)
 などと思って様子をうかがっていたが、なにやら大声でやり合い始め、男が両腕を広げて襲いかかる構えを取った時点で、男を『敵』として認識した。
 襲いかかってきた男の腕を、紗夜の細腕が受け止める。大男の巨躯と並ぶと、あまりに繊細で頼りなく、容易く組み伏せられるのが自然の成り行きだろう。
 しかし、予想に反してがっちりと組み合い、しばし動かなくなる。両者の力が拮抗したのだ。
 だが、それもつかの間、じりじりと押され始めた。夜の紗夜は、その外見に反してプロレスラーをも押さえ込む腕力を持つにも関わらず。
 敵も、夜族なのだ。
「血を吸わねぇ吸血鬼の力なんぞ、クソみてぇなモンだよなぁ!」
 顔を近づけて、吐いた息が臭い。
 ………血のにおいだ。
「あなた、まさか!?」
「そう、出がけにちょっとね。そろそろ血も馴染んだ頃だし……いくぜ」
 帽子の奥に隠れた瞳が、真紅の輝きを放つ。とたん、手に加えられる力が増し、
 みしり。
 骨のきしむ、嫌な音。
「あうぅッ!!」
 掴まれた腕の骨が、あっけなく砕ける。男が手を離すと、痛みに耐えかねたのか紗夜は膝から崩れ落ちた。
「大人しくついてくれば、痛い目を見ずに済むって言ったろう?」
 だが、諭すような台詞とは裏腹に、男の口調はこの状況を心から楽しんでいるようだ。
「さて、これくらいじゃあ、すぐに再生して暴れるだろうからねぇ。……足も逝っとくか?」
 身をかがめて、スカートから伸びた細い足に手をかける。
 そのとき。
「そのへんにしとけよ、バケモノ」
 バキィッ!
 欠片の容赦も手加減もなく、鋼鉄製のスツールが男の延髄に叩き込まれ、あたりに破片が散らかる。
 我らが氷室克樹、そのひとだった。

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