COOLDOWN SideStories
「災禍鎮まりし夜 (中編)」
written by 木公



「……では、現状打開の策があると?」
「インフェルノの連中も最近五月蝿いし、一度地下に潜るべきだと思うなぁ」
「しかし、今、日本という拠点を失う訳にはいかない。『埋葬機関』の目が届かない先進国といえば、ここしか無いのだ」
「だからこそ! 大陸からわざわざあやつらを招き入れてやったというのに! なんだあのザマは!」
「せっかく国内の退魔機関をおさえてやったのにねぇ。まさか、たった一人の高校生に全滅とわ。無様だねぇ」
「いえ、彼らは失敗しましたが、貴重な情報を残してくれましたよ」
「ほう?」
「もはや伝説となったはずの、純血の吸血鬼一族……」
「『日本原種』の存在を」

 #05“吸血”

「ほう……ナイトくんのおでましかい?」
 首筋をなでながら、ゆっくりと振り向く大男。先ほどの攻撃は『少し驚いた』に留まったようで、スツールを首筋に叩きつけられた事によるダメージは感じられない。
「そんなんじゃねーよ」
 淡々と答えながらも、克樹の内心は穏やかでなかった。鋼鉄製のスツールを、折れるほどの力で延髄に叩き込んだというのに、小揺るぎもしない。
「…なんでもいいから、とっとと香月をおろして消えな、変態ヤロー」
「……ククク……」
「なにがおかしい!? もうすぐケーサツも来る。逃げ場はねえぜ」
「いや失敬。ナイトくんと死闘の末、辛くも脱出…というシナリオも楽しいと思ってたんだけどね。確かに時間がない。
 ……よけいな手間は省くとしようか」
 ぎらり、と帽子の奥の目が赤く光り、男の右手が霞む。
「! だめ!」
 克樹を狙ってふり抜かれようとした腕の軌道に、へたり込んでいたはずの紗夜が強引に割り込んだ。
 そのまま、
 ドカァッ!
 二人もろともに、反対側の壁まで吹き飛ばされる。
「がはっ!」
 受け身もとれずに背中から叩きつけられ、肺から追い出された空気が、悲鳴となった。
 克樹の方はその程度で済んだが、それほどの打撃をまともに受けた紗夜の方はそれどころではない。
「エッ…ッ…ゴホッ」
 身をかがめ……腕が折られているので体を支えることができずに、克樹の胸に顔を押しつけるような格好で血の塊を吐き出した。
 折れた骨が肺に突き刺さったのだろう。
「こ…香月!」
 慌てて克樹が抱き起こそうとする、それより一瞬早く。歩み寄ってきた男が紗夜の髪を掴んで引きずりあげた。
「ケッ、手間ァかけさせやがって。……あんまり『壊す』と後でうるせぇってのに」
 糸の切れた操り人形のように、ぶらり、と華奢な身体が揺れる。
 首から下は自らが吐き出した血でどす黒く染まり、紗夜の白い肌と不気味なコントラストを表していた。
「く……そ……ッ! ナメやがってぇ!」
 力を振り絞って近くにあったテーブルをひっくり返して叩きつける。上に乗っていた誰かの食べかけのメニューがぶちまけられ、大男と紗夜の上に降り注ぐ。
「ぐ!? ……ぬぅ?」
 すると、打撃力という点では先ほどのスツールと比べ物にならないにも関わらず、ひどく動揺したような苦鳴を大男が漏らした。
【にんにくデカナイスバーガー大好評セールCHU!】
 そんなノボリが視界の端に入ったが、今はそれどころではない。
 畳みかけるように股間の急所を蹴り上げ、さらに、紗夜を持ち上げている腕の腋下に肘を打ち上げる。
 素手の攻撃がどれほど効いたかは分からなかったが、掴みあげていた手の力が緩み、ずるり、と紗夜が床にへたり込んだ。
「いぃ……りゃぁッ!」
 放心したように立ちすくむ男の鳩尾に、さらに肘打ちと前蹴りを叩き込むと、さしもの大男もゆらり、と後ろに倒れ込んだ。
 意識を失っているのかとも思ったが、赤く光る目は、はっきりと見開いて克樹を見つめている。
「香月! 逃げるぞ!」
 とても素手で太刀打ちできる相手ではない。人混みに紛れればさすがに追っては来るまいと考え、声をかけながら膝の裏と背中に手を回して抱え上げようとした。
 しかし、紗夜はおびえるように、いやいやをする。なにか言おうとした言葉は、声の代わりにこぽり、と血の塊になって吐き出された。
「恥ずかしがってる場合じゃないだろ! ほら!」
 強引に抱え上げる。
 その時、紗夜の瞳には。
 己が身を、砕いてしまいたくなるほどの絶望と。
 他の何にも変えがたい、ふるえるほどの歓喜が。

 つぷり。

「つあっ!?」
 克樹は、いきなり首筋に灼熱の痛みを感じた。
 次の瞬間、それは意識がとろけるほどの陶酔感と、なにもかも投げ出したくなるほどの脱力感に代わる。
「香……月?」
 沈み行く意識の中で克樹が最後に見たものは、見たこともないほど艶やかな色をたたえた紗夜の横顔だった。
「あ………?」
 口を離して、克樹を膝に横たえる。折られた腕は不自由なく動き、傷ついた内蔵もすでに完治している。
 常人ならばその場で死んでもおかしくない傷でも、普段の紗夜ならば数日間。
 そして、
“血は、命なれば”
 血液を補充できるならば、数瞬で治癒する。
「ああ………」
 量や質にも左右されるが、今回は極上のものだろう。
“愛する者の血を”
「ああーーーーーーーーーーーッッッ!!!」
 魂消る、まさにそんな悲鳴が血の気を失った克樹の身体を叩いた。
 しかし、悲嘆と後悔に暮れていられたのはわずかな時間だった。
「フザけやがって、このガキ共……」
 大蒜のエキスに痺れていた身体が回復したのか、大男が紗夜の肩に手をかけた。
「ジャマもんもクタバったみてえだし、今度こそついてきてもらうからな」
「───い」
「ぁあ?」
「五月蝿い、って、言ったの」
 くしゃ。
「の゛お゛お゛お゛お゛お゛ッ!?」
 振り向きもせずに肩に掛かった腕をつかみ、そのまま握り千切った。
 ゆらり、と立ち上がって振り向く。その瞳は、男のそれなど比べ物にならないほど、美しい真紅の光を放っていた。
「ガアッ!!」
 恐怖に駆られて、男が残った腕で紗夜に殴りかかる。つい先ほど二人を跳ね飛ばした一撃よりも、遙かに速く、鋭く、重い。

 ぱん。

 そんな音がした。
 紗夜はその一撃を、無造作に手の甲で払いのけただけ。
 それだけで、かけられた力に耐えきれず、男の腕が吹き飛んだのだ。
「!!!!!!!!!!」
 もはや悲鳴も上げることができずにのたうち回る大男。
 その姿を、紗夜は冷たい微笑みを浮かべて見下ろしていた。
「簡単には、滅ぼしてあげない。わたし達の痛みを全部その身に刻んであげる。
 ほら、まだ両腕の分だけ。次は、こうだったよね」
 足を掴んで、壁に向かって投げつける。子どもがかんしゃくを起こしてぬいぐるみを叩きつけるような仕草だったが、
 バン!
 コンクリートの壁に、マンガのような人型の跡がつく。
「ゲバッ!」
 叩きつけられた圧力で、口や引きちぎられた腕から不気味な色の血液が噴き出し、あたりを赤黒く染める。
「最後には、ミイラになるまで吸い上げてわたしの奴隷にしてあげますからね? 素敵でしょう?」
『吸った者』と『吸われた者』の間には厳格な主従関係が築かれるのだ。
 にこやかな表情で歩み寄る紗夜。
 目尻からこぼれる液体は、想い人の全てを手に入れた喜びだろうか。
 ……それとも、対等な友を失ったことに対する悲しみなのか。

 そのとき。
「香月……」
「氷室くん!?」
 おそらく他の誰にも聞こえなかったろう、呻くような呼びかけ。その声に、刹那、『香月紗夜』に戻った。
 その隙は、本能の全てを闘争に向けた生物にとって、充分なものだった。
 ドカッ!!
「あうっ!?」
 急所に膝蹴りをうけて、たまらず気絶する紗夜。崩れ落ちる彼女を口でくわえ、集まってきた野次馬を跳ね飛ばすようにして、大男はどこかへと逃げ去って行った。
 後には、荒れ果てた店内と、倒れたままの克樹。
 そして、
「『あいつの行く手に、茜と山査子の刺がありますように』、か」
 誰にも気付かれないまま一部始終を見守っていた、冷たい瞳をした少女の呟き。
 それだけが残っていた。

 宿敵。ライバル。友人。親友。etc、etc。
 認め合う相手のいない道ゆきほど孤独なものはない。
 依存や盲従の関係では結局、寂しさを紛らわせるに過ぎないからだ。
 ことに、歩むのが永遠の道ならば、なおのこと。
 長きに渡る無為な時間に疲れた夜族が、躍動感あふれる定命の者に道連れを求める物語は多い。
『吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼と化し、吸った者の下僕となる』
 しかし、この法則がそれらの物語を悲劇……あるいは喜劇におとしめる。
 吸血の宿命を背負った者にとって、誰かを求める、と言うことはすなわちその血を欲することに他ならないからだ。
 そして、たった一度でもその欲望に負けてしまえばそこで終わり。
 対等であったはずの関係はたちまち主従に成り下がる。
 本当の意味で相手を求めると、その相手を失ってしまう。この運命に嘆いた声が天に届いたか、地で果を成したか。
 伝説。血を吸われても吸血鬼化せず、精神支配も受け付けない人間。
 そんな『例外』。
 彼らは、『吸血鬼の恋人(ama vampire)』と、呼ばれた。

 #06“理由”

 目を覚ました克樹の目に入ったのは、裸電球が吊された天井だった。見慣れない光景に状況をつかめず、思考が混乱する。
(確か、朝、香月から電話があって……それから映画を見に行って……その、後?)
 脳裏に、血にまみれた紗夜の顔がフラッシュバックする。
「そうだ、香月!」
 がばり、と起きあがる。しかし、身体に力が入らず、両腕でなんとか上体を起こすことが出来ただけだった。
「くっそ、なんでこんな……」
「あたりまえよ。さっきまで失血死寸前だったんだから」
「!?」
 慌てて周囲を見渡す。すると、すぐそばに白磁人形のような少女が座っていた。黙って座っていれば一級品の芸術作品として通用しそうな彼女は、しかし、確かな意志のこもった瞳を持って克樹を見つめている。
「だれだ? お前は」
「人に名前を聞くときには自分から──と、言いたいところだけど、あなたのことは知っているしね。わたしはモーラ。吸血鬼(ヴァンパイア)ハンターよ……ヒムロ、カツキくん」
 日本語の名前の発音を、確かめるように口にするモーラ。
「……とりあえず、『くん』づけはやめてくれ」
「じゃあ、カツキ、でいいかしら?」
「なんでもいい。それより、香月はどうした?」
「その前に、ひとつ聞かせて。カツキ、あなた、あれとどういう関係なの?」
「あれってなんだよ」
「コウヅキ、サヤという吸血鬼よ」
「…………友達だよ、とりあえずはな」
 憮然と言い放つ克樹。あまりこの話題に触れられたくないのもあるが、モーラという少女の口調が敵意に満ちていたために、つられて刺々しくなったのだ。
「あれは吸血鬼で、あなたを殺そうとしたのよ?」
「……別に、死んでねぇよ」
 その抗弁に、物わかりの悪い生徒に対するようにまくし立てるモーラ。
「分かっていないみたいね。あなたがこうして生きているのは、偶然のたまものなの。
 偶然、あなたは特殊体質だった。
 偶然、連中にはあなたに構う余裕がなかった。
 偶然、わたし達の仲間がその場にいた。
 偶然、治療が間に合った。
 ただ、それだけのこと。
 あの吸血鬼が、あなたを殺さなかったのじゃない。
 たまたま、あなたが死ななかったのよ。
 いくら何でも、幸運はここまで。これ以上、吸血鬼に関わるのはやめなさい!」
 そこまで一気に言い切ると、忌々しげな表情のまま部屋を出ていこうとする。
「……俺からも、ひとつだけ聞かせてくれ。……香月は、どこだ?」
 その言葉を聞いた瞬間、モーラの白い美貌が般若の如く歪む。
「あなた、何を……!」
 その声を気怠げに手で制し、さらに言葉を紡ぐ克樹。
「香月が何者で、何をしたかなんて問題じゃない。俺は、あいつに返さなきゃならない借りがある。それだけだ」
 しばし、無言で正面から向き合う。
 燃えるような憎悪を秘めたモーラの視線を、動じることなく冷静に受け止める克樹。
 お互いがその瞳の中から読みとった物は何だったのだろう。
 始めに動いたのは、モーラだった。ふ、と溜息を洩らして視線を外して表情を緩め、
「わかったわ。好きにしなさい……と、言いたいところだけど、わたし達にも都合があるの。邪魔をされてはかなわないわ。
 だから……協力してもらうわよ、カツキ」
 そんなことを持ちかける。
「バケモノ相手じゃ、大したことは出来ないぜ?」
「『あなたのことは知っている』と言ったでしょう? 謙遜はいらないわ。昼日中という好条件があったとはいえ、生身、しかも、ろくな装備もなしで吸血鬼四体を滅ぼした日本の学生……こちらの世界では有名よ。“クールダウン”カツキ・ヒムロってね」
「勘弁してくれ……」
 おもわず頭を抱える克樹。そんなことになっているとは夢にも思わなかったのだろう。
「さっきのあなたの談でいくなら、わたし達はあなたの命の恩人。『貸し』があるのよね?」
 そう言って笑ったモーラの表情は、妖しくも艶やかで。
 それでいて、悪戯が上手くいった子どものようでもあった。

 どこにでもあるファーストフード店。しかし、この現状が『どこにでもある』ようになってしまったら世も末だろう。
 椅子とテーブルは無秩序に転がり、ガラスの仕切りは粉々、コンクリートの壁には何かがめり込んだような跡。
 とどめは床一面にぶちまけられた、どす黒く変色した血液だ。一人のものだとするなら、間違いなく死んでいる。
 しかし、死体はなかった。複数の人間が流した血であるとか、死体は持ち去られたとかいくつか考えられるが、しかし、現場にいた人間の証言は通常考えられる可能性を全て否定した。
 曰わく、『バケモノが女の子を襲って返り討ちにあって逃げた』とか。
『極度の緊張による錯乱』書類の上では、そう片が付いたが、一人の刑事はそれがあながち間違っていないのだろう、と確信していた。
 床に落ちていた手帳を拾い上げる。S高の生徒手帳だ。証明写真の欄には、世の全てに対して興味はない、とでも言わんばかりの表情をした少年が映っている。
「ったく、よくよくトラブルに好かれるヤツだな」
 台風が通り抜けた後のような店内の惨状をながめ、刑事は一人呟いた。
『──派の右翼団体によるゲリラ活動と思われ──』
 久しぶりの派手な事件に、大手柄とばかりに張り上げられたレポーターの声を聞き流し。
(これが、人間の仕業かよ……また、やっかいなモンに関わったみてえだな……)
 そんな思いに耽る。
『S高2年、氷室克樹』
 持ち主は、そう明記されていた。

 #07“同舟”

 氷室克樹は、居心地の悪い想いをしていた。
 その場にいる全員が、値踏みをするような視線をぶつけてくるためだ。
 モーラはともかく、その相棒であるという大柄な白人の男、フリッツ。表面的にはへらへらと笑っているように見えて、克樹を見る目には明らかな敵意……というか、悪意を感じる。
 さらに、物静かな男女の二人組。アメリカから来た、紗夜をさらった連中と敵対している組織の人間だと言うことだが、どうみても克樹より若い。女性の方など、「女の子」と言った方が似合いそうだ。
 二人ともアジア系の顔立ちで、男の方は日本人っぽく、学生服を着れば克樹の同級生でも通るだろう。女の子の方はどちらかというと中国系だろうか。
 名前はを聞くと、女の子の方は「アイン」、男の方は「ツヴァイ」と呼べと言うことだった。
 それは、ドイツ語で単に「1」「2」の意味で、名前とは言えない、ただの識別記号のようなものだったが、克樹がそんなことを知るわけもなく。
 ただ、黒い戦闘服にくくりつけられた多数の銃器に、日本人としてはあたりまえの違和感を覚えただけだった。
(これから戦争でもしに行くのか?)
「なにぼーっと見てるんだ? オマエもなんか選べよ」
「選べ、って言われても……」
 フリッツに声をかけられて見回すと、大量の銃器や槍、刀といった武器が所狭しと並べられている。はっきり言って、使用方法が不明な物がほとんどだ。
(どうやって持つんだ? コレ?)
 ごてごてと、そこかしこに刃の取り付けられたナイフをつまんで悩んでいる克樹にフリッツが一丁の銃を差し出した。
 巨大なリボルバーで、銃身の下に銃剣が取り付けられている。
「これなんかどうだ? レイジングブル・マキシカスタムだ。.454カスール弾の威力はシビれるぜ?」
 妙に上機嫌な様子で説明を始める。どうやらこの怪しげな武器群は、彼のコレクションらしい。しかし、どう考えても人間に使える物ではない。
「フリッツ。いい加減にして。あまり時間はないのよ」
 ……早い話が、不気味な武器に戸惑う克樹を見て楽しんでいたらしい。モーラにたしなめられて、おとなしく引っ込んだ。
 そんなやりとりの間に、アインとツヴァイが適当な物を見繕ってくれていたらしい。
「このへんがいいんじゃないか。S&WM5906。9mmパラベラムをマガジンに15発。薬室に1発で合計16発撃てる。やり方は、こう」
 弾がセットされたマガジンをグリップに差し込み、慣れた手つきでスライドを引っぱる。カション、と言う音がして、初弾が薬室に送り込まれた。それを確認した後、マガジンを引き抜いて1発分装填し、また元に戻す。
「今回、弾は銀。高いから外さないように……というか、よく狙って撃て。9mmだと、1発ではまず相手が倒れないから必ず2発以上撃ち込むこと。あとは……銃口を向けたら、ためらうな」
 他にも、ごく基本的なことを含めてツヴァイが説明してくれる。意外に面倒見がいいらしい。
「マシンガンとかは無いのか?」
 予備に渡された拳銃の握り具合を確かめながら、克樹がたずねる。確かに拳銃は強力な武器だが、あのバケモノを相手取るには少々頼りない。
「バカ言うな。銀の弾は高いんだ。オマエみたいなシロウトにばらまかれてたまるか」
 皮肉混じりにフリッツが吐いた言葉にふと、違和感を感じた。言われてみると、銀は貴金属だ。けして安い物じゃない。そんなものを揃える金はどこから出ているのだろうか。
 疑問が顔に出ていたのだろう。アインが口を開いた。
「スポンサーがいるのよ」
「スポンサー?」
 モーラがそのあとを継ぐ。彼女は巨大なハンマーに白木の杭を仕込んでいる所だ。
「スポンサーと言うよりは、クライアントね。吸血鬼のために家族を失った人や、宗教上の理由から存在を容認できない人、なんらかの利害の不一致……」
 言葉を遮るように、勢いよく扉が開かれた。その向こうには、
「あなた達、いつまでのんびりしているのかしら?」
 紗夜と同じ、長い黒髪の少女がいた。古風なセーラー服に包まれている均整のとれた身体は若干女性的な魅力に欠けているようだが、充分に美しい。

 もっとも胸囲で魅力を計るならアインといいモーラといい……閑話休題。

 誰だ? という克樹の視線の問い掛けに、意図せずしてフリッツが答える形になった。
「これは、遠野(とおの)のオジョーサマ。スポンサー様がこんなところまでいらっしゃるとは、いかがしましたァ?」
 言葉の上では丁寧そうだが、あからさまに小馬鹿にしたような口調で訊ねるフリッツに、いらだちを隠そうともせずに少女が答える。
「わたしは、『早急にイノヴェルチ残党勢力の壊滅を』と頼んだはずです。そのために必要な資金も出しましたし、他の協力も惜しみませんでした。それが、どうしてまだこんなところでうろちょろしてるんですか!?」
 その剣幕を意にも介さず、落ち着き払ってモーラが答える。
「心配には及ばないわ、秋葉(あきは)。今夜の内には片が付くはずよ」
 遠野、秋葉。それがこの少女の名前らしいが、いったいどんな理由があって吸血鬼ハンターなどを雇ったのか。
「なあ、どうしてあんな娘(こ)がハンターを雇うんだ?」
 ひと通り面子を見回して、やはり年も近く、わりあい話しやすいツヴァイに声をかけた。
「俺も、詳しいことは知らないんだけどな……どうも、イノヴェルチはやりすぎたらしい。裏の組織としては目立ちすぎたんだろう。それが必要以上に世間の目を引きつける前に潰してしまおうってところじゃないか? 彼女は日本のどっかの組織の代表なんだろうな」
「……彼女も旧い血が混じっているみたいだから、埋葬機関に目を付けられるのは避けたいのよ」
 支度をする手を休めずに、モーラが口を挟んでくる。
「埋葬機関?」
「ローマ・カソリック系の対化物組織の事。十三課とも呼ばれるわね。桁外れの戦力を保有する上、敵対者に一片の慈悲もかけない辺りから同業にも恐れられているわ。普段は教区外に干渉しないのだけど、彼らが『目に余る』と判断したら地の果てまでもやってくるのよ」
「その時に、『ついで』とばかりに狩りまくってくれるから、おちおち寝てもいられない、と言うわけ。……わかったら、とっとと片づけて来てもらえないかしら?」
 いつの間にか会話に混じっていた秋葉。なんとなくその迫力に押されて、そそくさと一同が準備を進める。
「さァて。そろそろ行くかァ!」
 独特な改造を施したアサルトライフルを担ぎ上げてフリッツが声をかけると、応じるように他の面々も立ち上がった。
 身体のあちこちにホルスターをくくりつけていたアインとツヴァイは上からコートを纏ったので比較的普通に見える。
 克樹も、ボロボロになって血で汚れた普段着の上にホルスターを巻き、さらにその上に貸してもらったコートを羽織った。
 フリッツは、やはり多くの武器を携帯しているが隠密性とはほど遠い。
 そして、モーラ。喪服のような黒いドレスに、自分の身長よりも大きな長櫃。たしか、あの中には巨大なハンマーが入っていたはずだが、肩に担ぎ上げてよろめきもしない。さすがに克樹も驚いたが、他の者は取り立てて騒がない。
(やっぱり、こいつら普通じゃない)
 あらためて、その認識を深める克樹だった。

 サァ────…………
 天井から降り注ぐ水滴が奏でるホワイトノイズ。
 部屋の中心にいる『彼女』は、それを聞くともなしに聞いていた。
(わたし、どうしてこんなところにいるんだろう……)
 強化アクリルで被われた壁と、鋼のワイヤーが『彼女』をこの部屋に封じている。『彼女』がたとえ人外の力を奮ったとしても容易には突破できないだろう。
(さむい、な……)
 そして、それらの設備以上に、この擬似的な『雨』が『彼女』の身体から力を奪っていた。
(のどが、かわいたな……)
 時折意識をかすめるのは、焼けつくような、渇き。
 あたりは冷たい水で満たされている。
 しかし。

 渇く。

 唇に伝う水滴をなめ取る。

 舌が潤い、ただ、それだけ。

(……足りない)

 喉が。胃が。内蔵の全てが渇きを訴える。

 触覚が、ぬらつく手触りを求める。

 嗅覚が、錆びた鉄の匂いを求める。

 視覚が、深紅色の世界を幻視する。

 精神が……愛おしいモノを求める。

 血が。血液が。血潮が。

 ヘモグロビンの舌触りが。

 リンパ球の、マクロファージの刺激が。

 血小板のとろみが。アミノ酸のほのかな甘みが。

 欲しい。

 欲しい。

 欲しい。

 欲しい。

 欲しい。

 ほしい。

 ほしい。

 ホシイ。

 ホ・シ・イ・ィィィィ!!!

 ぎり、と、「彼女」を戒めるワイヤーが軋む。

 犬歯が、求めるように伸びた。

 しかしすぐに、降り注ぐ水に激情を洗い流される。

 その繰り返し。

(いつから、こうして……)

 おぼろな記憶を掘り起こす。

 いったい、いつから。

 どうして、これほど。

 渇く。

 前に血を飲んだのは……

『わたし』の躰を、隈無く癒してくれたあの味は……

 ひとつの『名前』が浮かび上がる。

 呼び起こされる柔らかな感情。

 暖かかった時間の記憶が甦る。

 つれない優しさに憧れたヒト。

 となりに居させてくれたヒト。

 ともだちになってくれたヒト。

 とてもだいすきな、ヒト。

 だいすきだった、ヒト。

 もういない、ヒト。

(…………)

 サァ────…………

 涙と慟哭が、流れる水とその音に消されても。
『彼女』は泣いた。血の渇きすら忘れて。
 香月紗夜は、氷室克樹を想って泣いた。

 #08“衝動”

 ハマー・トラック。米軍でも使われている悪路走破性・堅牢性が売りの大型ジープである。少々の衝撃ではびくともしない。
 それが激しくひしゃげるのはどんなときか。
 答え。
「ヒャッホウ!」
 グワシャッ!
 鋼鉄製の門に高速でぶつかったとき。
 郊外にある燦月製薬の工場。そここそ、日本におけるイノヴェルチ残党の最後の隠れ蓑であり、紗夜が連れ去られた場所である。
 真っ正面から突っ込む。「最後だから派手にいこうぜ!」とは運転していたフリッツの弁。
 パパパパパッ!
 ぞろぞろと出てきた警備員らしき人間を、フリッツとファントム達が撃ち倒す。
「さァて! Open combat ! (開戦)」

[後編]
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