5 〜いつもと違う始まり〜
晴れやかな空、おだやかな風、ふわりと浮かんだ白い雲・・・無理なく全国的にほがらかないい朝である。
「ごちそうさまでした」
そう言うと樫緒は箸をおいた。朝食のメニューはごはんに味噌汁に焼き魚に納豆。実に日本的なメニューであるが、そこはそれ、天下の結城の朝食である。一般人がこれと同じものを食べようとすれば、むこう一週間の食費がなくなってしまうだろう。
「あの・・・ぼっちゃま」
樫緒のそばにひかえていた山岡が樫緒の分ではない、昨日いきなり樫緒のつれてきた客人のために用意された朝食を見ながら何とも言えない表情で言う。ついでに言うと、メニューの内容は樫緒と同じだが、量はゆうにその三倍はある。
「シロさまは・・・まだお目覚めにならないのですか?」
山岡は樫緒が朝食の席につく前に、何度かシロのために用意された部屋へ起こしにいったのだがこれでもかというくらいまったく起きる気配がない。そして朝食の席についた樫緒がシロはどうしたのかと聞いたので、山岡はありのままを告げた。樫緒は深いため息をつくと自分が起こしてくると言って食堂を出ていったのだが・・・戻ってきたのはふてくされた顔の樫緒一人だけった。そしていただきますと言った後、樫緒は一言も喋ろうとせずに、ただもくもくと噛んで飲み込むという作業を繰り返していた。
おずおずと山岡が樫緒に話しかける。
「いいかげん起きてもらわねば・・・せっかくの朝食が冷めてしまいます」
「僕が起こしにいってもおきなかった」
樫緒は相変わらす憮然とした表情で答えた。
「・・・それではもうシロさまの分はお下げしてよろしいのですか?」
「いや」
そこで樫緒はちらりと壁に掛かっている豪奢な大時計を見る。時計の針は7時59分50秒をさしている。
「・・・6・・・5・・・4・・・」
なぜか樫緒は唐突にカウントダウンを始めた。
「ぼ・・・ぼっちゃま?」
「・・・3・・・2・・・1・・・」
そして樫緒がゼロと言おうとしたその時。
「うにゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
この世のものとは思えないような叫び声が、いつも静かな結城の屋敷にこだましたのである。
「ぼ、ぼ、ぼ・・・ぼっちゃま・・・?」
「山岡、コーヒーを」
「は、はい・・・いや、しかし今のはいったい・・・?」
うろたえる山岡をよそに、樫緒は平然とした表情を浮かべている。そしてこれまた豪奢な大ドアのむこうから、ドタドタというけたたましい音が聞こえてくる。そしてそれは樫緒と山岡がいる食堂の大ドアの前で止まった。
一瞬の静寂、そして
「こらあ! カシオ! なんじゃコレは!?」
勢いよく開け放たれた大ドアの向こうにブルーのパジャマに身を包んだシロが、寝グセだらけの頭にツノでも生えるんじゃないかってくらいに顔を真っ赤にしている。ちなみにこのパジャマは美貴が昔使っていたもので、昨夜シロのために山岡が引っ張り出してきてくれたものだ。
「怒ってますね」
「怒ってないように見えるのか!」
「いえ」
樫緒の人をくった態度にさらに顔を赤くしたシロはドスドスと足音をたてて樫緒につめよった。
「なんじゃ、このものすごくやかましい音を立てる箱は?」
そう言うと、手に持っていた物を樫緒に向かって突き出す。
「これは目覚まし時計というものです」
「目覚まし時計? 拷問道具か?」
シロのボケに椅子からずりおちそうになったが・・・なんとかこらえた。
「いえ・・・そうではなくて、朝起きれない人のために作られたものです」
「ほう・・・ってそうではない! なぜこんなものがわしの寝床に置いてあったのだ!」
寝床と言ってはいるが、シロが寝たのはベッドである。
「起こすならもう少しおだやかな起こし方があるじゃろうが」
「仕方ないでしょう、何度声をかけても起きなかったのですから」
「まだ耳がしびれておるぞ」
「自業自得です」
樫緒のそっけない態度にシロはじ〜っと樫緒をにらみつける。だが樫緒のほうはそんなものどこ吹く風といった具合で、しれっと山岡が運んできたコーヒーを飲んでいる。
「カシオ・・・カシオはわしのことが嫌いか?」
「え?」
何の前触れもなく、いきなりシロの口調がトーンダウンした。コーヒーカップから口を離してシロを見てみると、いつの間にか大きな金色の瞳にうるうると涙がにじんでいる。
「カシオはわしのことが嫌いなのか?」
そう言ってシロはずいっと樫緒にせまる。その距離たるや、あと数センチで・・・という実にきわどい距離だったりする。樫緒はその距離を広げようとするのだが、いかんせん椅子に座ったままなのでうまくいかない。
「カシオは・・・わしが嫌いだからこんないぢわるをするのか?」
さらにシロの顔がずずずいっとアップになる。樫緒は自分の顔が赤くなっているのを自覚していた。
「いえ、そんなことは・・・」
「じゃあ、もうこんなことせずに起こしてくれるか?」
「はい・・・善処します」
するとシロは先ほどまで泣きそうだったのがウソのようなにっこりとした微笑を浮かべた。
「うむ、それでよい・・・ところで腹が減っておるのだが、何かないか」
「はい、そちらのほうにご用意させていただいております」
シロが聞いた相手は樫緒だったのだが答えたのは山岡だった。だがシロはテーブルの上のご馳走を見つけると、そんなことは気にもとめずものすごい勢いで食べ始めた。
一方、樫緒はというと、なぜか自分の意志とは関係なしに鼓動の早くなった心臓を落ちつけるのでいっぱいいっぱいだった。
6 〜つなぐ二人と追う二名〜
都会の中心からすこしばかり離れたところにある、人ごみあふれた休日の繁華街。その中で定期的に一定数の人を出し入れする建築物というのはいろいろとあるが、ここもそんな娯楽施設のひとつ、映画館である。その看板やポスターだらけの出口付近、人通りの多い歩道の端に一人の少年と少女が立っていた。
少年はややもすれば少女と見間違うくらいの美少年で、Yシャツに黒の短パン姿をしている。そしてくりくりとした金色の瞳が印象的な少女は薄汚れたGパンとGジャンに履き古したスニーカー。それと白いニットキャップをかぶっている、そのせいで分かりづらいが真っ白な白髪である。少女はなぜか立っている所に水たまりでも出来るんじゃないかってくらいに涙を流しており、少年がそれを必死でなだめている。
「ううう・・・なんと、なんとすばらしき物語じゃ」
「分かりましたから、泣き止んでくださいよ」
「情けない主に仕える健気な青ダヌキの物語・・・うう、なんと感動的な」
「・・・青ダヌキでなくて、ネコなんですけど」
「カシオ、おぬし目がおかしいのか? ネコの耳などついていなかったではないか」
「あれはそういうものなんですよ、ほら早く泣き止んでくださいってば」
言うまでもなく、シロと樫緒の二人である。なぜこんなことになってしまったかと言うと、樫緒がシロに一般常識を身につけてもらおうとしたのが事の始まりだった。
「ほ? ひひははほほうひひほ」
「・・・口の中のものを飲み込んでからにしてください」
「ンックン・・・ 一般常識を学ぶ、とはどういうことじゃ?」
朝食のデザートに出てきたヨウカンを平らげながらシロが聞く。
「あなたはこの国のことを知らなさすぎます」
「そうは言ってもわしはこの国に来てまだ日が浅いのじゃ、いきなり一般常識と言っても・・・」
きっぱりと言う樫緒の台詞にヨウカンの皿を抱え込んだままシロがごねる。ちなみに水ヨウカン、栗ヨウカン、抹茶ヨウカンなどが山と盛られており、皿は小さい子供なら2人乗ることが出来るくらいの大きさだ。
「しかし、喫茶店で襲い掛かってきた連中がいるんです。この街のことをなにも知らないまま行動するのは危険すぎます」
「助けてくれると言うたではないか」
「確かに。しかし僕もあなたも敵が何者かを知りません。助けようにもどう助ければいいのか分からないんですよ」
「うう〜」
シロはめんどくさそうに椅子を前後にガッタンガッタンと揺らしている。ときどき横目でちらりと樫緒のほうを見てはいるが、ついに有無を言わせない樫緒の視線に折れた。
「分かった、カシオの言うとおりじゃ。 ・・・で、学ぶと言ってもどうするのじゃ? 自慢ではないがわしは勉強が大の苦手じゃぞ」
と、いうわけで勉強の苦手なシロのために実地教育を行うことにしたわけだ。早い話が街の案内である。その途中でシロが映画館を見つけ、面白そうだからと入ってみたのだが、映画の内容をどこをどう勘ちがいしたのか途中から泣き出す始末。内容としては決して悲しいものではない、むしろワクワクドキドキな低学年向けの冒険アニメだったのだが何をどう観ればここまで泣けるものなのだろうか。
「さてカシオ、次はどこへ連れて行ってくれるのじゃ?」
さんざん泣いて気が済んだのか、シロはにっこりと樫緒に向かって微笑む。泣いたカラスがもう笑う、というのはシロのためにあるような言葉だろう。
「そうですね・・・普通に大きなデパートにでも行きますか、いろいろとそろってますし」
「あ、カシオ、待ってくれ」
さっさと歩き出す樫緒に置いていかれまいとして、シロはとっさに樫緒の右手をつかんだ。
「な、なにを!?」
突然のことにおどろいて、樫緒は反射的にシロの手を振りほどいてしまった。振りほどかれたシロはびっくりとした顔になったあと、樫緒に拒絶されたと思ったのかすぐにしゅんとなってしまった。
「いや・・・ここは人が多いから、手をつないでないとカシオとはぐれてしまいそうで、それで・・・つい・・・」
シロはうつむいた顔で振りほどかれた手を所在なげにふらふらと動かしている。
「すまぬ、まさかそこまで嫌がられるとは思わなかった」
「いや、その・・・」
しゅんとしたシロを見ていると、なんだかよく分からない罪悪感にかられてしまう。樫緒は少しためらっていたが、やがておずおずとシロへ先ほど振りほどいた右手をさしだした。
「カシオ・・・?」
「・・・さっきは突然のことで驚いただけです、確かにこの人ゴミの中では手をつないでいないとはぐれてしまいそうですから・・・その・・・」
そこまでは言えたのだが、なぜか肝心の「手をつないでいてもいいですよ」が言い出せない。シロもこういうことにはうといのか、ぽかんとした顔で樫緒を見ている。
「だから・・・その・・・」
そして、その二人の様子をビルの影から監視している二つの影があった。一人は制服に身を包んだツインテールの少女、もう一人はなんだかみすぼらしい雰囲気のぬぐえない長身の青年である。二人ともグラサンに大きなマスク、そして少女のほうは巨人の野球帽を、青年の方は阪神の野球帽をかぶって顔を隠している。はっきり言って怪しさ120%だ。
「ああっ! じれったいわねえ。いけっ! そこで手をつなげっ、つなぐのよ!」
「ちょ、ちょっとみ」
「せいっ!」
「うぐ!?」
人目もはばからず騒ぐ少女に青年が何か言おうとしたその瞬間、少女の手刀が青年のみぞおちに決まった。
「な・・・なんで?」
「こういうときはコードネームで呼び合うのが鉄則なんだから、名前で呼んじゃだめでしょう?」
「そうなんだ、でもコードネームっていつ決めたっけ?」
ぐっと少女の言葉が詰まる、どうやら少女のほうも考えてなかったらしい。
「そ、そうね・・・えっと・・・あたしが『M』で」
そう言って少女は青年のほうを指差した。
「・・・『S』ってことで」
「うん、分かった・・・って、ああっ! 樫緒くんたち歩き出しちゃってるよ」
「え? あ、いつのまに手をつないじゃったのぉ? 決定的瞬間をカメラにおさめようと用意してたのに・・・」
そう言うと、Mはものすごく悔しそうに手にした学生用のカバンから先ほど購入したインスタントカメラを取り出した。グラサンの奥の目にはもうオイシイ場面は逃さないぞって気迫が満ち満ちている。
「弟の健やかな成長を見守るのは姉である私の重要な任務! 追うわよっ、S!」
「う、うん・・・なんだか人がこっちをジロジロ見てるけど・・・」
そして周囲から完全に浮いている謎の二人組みは樫緒とシロの追跡を再開した―
7 〜普通じゃないデートの末に〜
シロに街の案内をする、というのがここまで疲れる行為だと誰が予想したであろうか。映画館の低学年向けアニメで大泣きし、デパートでは騒ぎすぎて店員に怒られ、レストランでカラの皿を山のように積み重ね、ちょっとした野外イベントに乱入して追い出され・・・そして今、平均よりも少し大きめの公園でシロと樫緒は休んでいた。ちなみにこの一連の騒ぎは全てずっとつけてきている謎の二人組みの手によってカメラに収められていたのだが。
「なんだか怒られてばっかりじゃったのう・・・」
怒られる9割以上の原因であるシロはそう言いながら、公園のベンチに座ってソフトクリームを食べている。隣の樫緒はというと、ハチャメチャな行動をとりまくるシロのおかげで肉体的にも精神的にも疲れてしまい、ぐったりと前かがみになって肩で息をしている。
「カシオ、疲れたのか?」
「ええ・・・ おかげさまで」
「なんじゃ、ヤワじゃのう」
シロに嫌味が通じないことくらい分かってはいたのだが、こう見事に通じないと逆に清々しいものさえ感じてくるから不思議だ。だがシロの言う通り、自分には体力がないのかもしれない。以前姉にも「体力がない」と言われたことがある、これは今後の課題だろうか。と、疲れているせいなのか訳のわからない考えをめぐらせていると、いきなり横から肩をつかまれた。そしてそのまま横に引き倒されて、ベンチの上であお向けの状態にされる。
「うわ?」
すぐにはなにが起こったのか分からなかったのだが、そのままの状態で空を見上げるとそこに青空はなく、代わりににこにこと微笑んでいるあどけないシロの笑顔があった。そして頭の後ろのほうにはなにやら柔らかい感触が・・・。
「ま、もう少し休んでおれ。まだ日は高いでな、そう慌てて案内してくれる事もない」
シロは半ば強引に樫緒を膝まくらすると、優しく樫緒の頭をなでた。
「・・・はい・・・ありがとうございます」
なぜだろう、いつもならこんなことされれば振り払うのに、いつになく疲れているせいだろうか、なんだか自分でも驚くほど素直だ。意図的ではないのだろうがシロの体がちょうど日の光をさえぎってくれている、それにとても柔らかくて気持ちがいい・・・。
そんなつもりはなかったのだが、樫緒は思わず寝入ってしまった。そう、辺りでちょっとした騒ぎがあっても起きないくらいに。
そして樫緒とシロが座っているベンチから60メートルほど離れた茂みで何か動いていた。映画館の前から二人をずっとつけてきた謎の二人組みである・・・もうバレバレであるが。
「く〜っ、見せ付けてくれるじゃない」
「やっぱりコレってノゾキって言うんじゃ・・・」
「違うわっ! しゅ・・・じゃない、Sくんは樫緒のことが心配じゃないの?」
「それはもちろんそうだけど・・・」
「でしょ? だからこうやって見つからないように見守ってるんじゃないの、どこもやましいことなんてないわ」
それをノゾキというのだが、これは世界の常識とばかりに言い切る少女Mに「そうかなあ?」と思いつつもうなずいてしまう青年Sだった。
もともとなぜこの二人がこんなことをしているのかと言えば、休日であるこの日に少女Mの最も苦手とする数学の補習が行われたのが原因だ。補修が終わって帰宅するその途中でちょっと寄り道をしてみたところ、なんと樫緒と少女Mの知らない白髪のかわいい女の子が仲の良さそうに映画館の中へ入っていくではないか。樫緒の人となりをよく知っている少女Mは、目の前の出来事に天地がひっくり返るんじゃないかってくらいにおどろき、これは一大事とばかりにバイト中の青年Sをムリヤリ呼び出してそのまま尾行を開始、そして今にいたるというわけだ。
「さて、今のうちにフイルムを交換しとかないと・・・」
「ええっ? もうこれで三つ目だよ?」
「いいのいいの、アルバムに残す写真は多いほうがいいんだから」
少女Mは嬉々とした表情でいつのまにか買い込んでいたフイルムを交換している。その様子を見て、青年Sは半分あきらめた顔で樫緒と樫緒を膝まくらしている少女のほうへと視線を戻す。が、樫緒と少女の姿を見ることは出来なかった。なぜならば、いつのまにか二人が座っていたベンチを6人ほどの体格のいい黒服の男たちが取り囲んでいたからである。
「休日にデートとは微笑ましいかぎりですな、結城の御曹司」
「なんじゃおぬしらは、いきなり現れおって。静かにせい、カシオが目を覚ますではないか」
いきなりベンチを取り囲むようにして現れた黒服の男たちに向かってシロは敵対心丸出しでにらみつける。だがそれは樫緒のように相手に畏怖の念を抱かせるようなものではなく、どちらかといえばチャンネル争いに負けてすねている子供といった感じでちっとも怖くない。
「ええ、こちらとしましてもお休みになったままのほうが何かと都合がいいですからね」
黒服の男は先ほどより小声で話すと懐からわざとらしいくらい黒光りする物体を取り出した。
「・・・なんじゃそれは?」
「拳銃ですよ」
「ああ・・・ 鉛の玉を火薬の力で飛ばす武器じゃな。ふうん、これがそうか」
と、シロは興味津々に銃口をのぞきこむ。危ない行為に黒服の男は慌てて銃を引っ込めた、もしかしたらいい人なのかもしれない。
「コホン・・・ご理解いただけたのでしたら、我々と共にきていただきましょうか」
口調は丁寧だが有無を言わせない態度に、シロは沈黙した。それはただこの非常事態に自分の膝で気持ちよさそうに寝ている樫緒を起こすべきかどうか迷っただけだったのだが、それを了承の意と勘違いした黒服の男は強引にシロの左手をつかんだ。
シロの金色の瞳に怒りの色が浮かんだ。
謎の二人組みは茂みの影からどうしようか思案中だった。
「なんだかマズイ雰囲気ね」
「助けにいったほうがいいんじゃないかな?」
「それはそうなんだけど・・・なんかヤバイ匂いがプンプンしない?」
もともとこの二人はシロの事を知らない。てっきりオクテな樫緒の初デートとばかりに思っていたのだが、どうやら何か裏があるようだ。
「よくわからないけど・・・やっぱりあのままにしておけないよ」
「・・・そうね、せっかくのデートなんだもん。邪魔するやつは追い払わないとね」
樫緒が聞いたら真っ赤になって否定するような事を言うと、少女Mは制服の胸元から愛銃であるグロッグを引き抜いた。弾倉に入っているのは弱めたゴムスタン弾だ。
「じゃ、あたしがここから援護す・・・」
唐突に少女Mの言葉が止まる。
「・・・どうしたの?」
「うん・・・なにか聞こえない?」
少女Mの言葉に青年Sも耳をすませた。
歌だ、歌が聞こえる。ゆったりとしたリズム、それでいて力強い旋律。ゆるやかで、よどみのない歌声。それはゆっくりと、しかし確実に公園内に響きわたってゆく。
風もないのに、二人の隠れている茂みの葉がカサカサとゆれた―。
8 〜歌〜
驚いたのは黒服の男たちだった、無理やり捕まえようとして抵抗されたことはこれまで数え切れないほどあるが、いきなり歌いだすヤツは初めてだったのである。銃口を向けられているにもかかわらず、全くよどみの無い透き通った声。思わず我を忘れてしまいそうなくらいの旋律。
「・・・歌ならあとでいくらでも歌わせてやる、おとなしくついて来い」
シロの歌声にしばらくぼうっとしていたが、自分の任務を思い出したのか黒服の男は先ほどとは違うドスの聞いた声で言うと、シロの右腕をつかんでいる手に力をこめた。その瞬間、なにやらムチのようにしなる細長いものがいきなり黒服の男の顔をしたたかに打ちつけた。思わずシロをつかんでいた手を離す。
「つ・・・な、なんだ? うわ!?」
驚く間もなく、自分の両足首に何かが巻きつき、そのまま逆さに吊り上げられてしまう。そこにすかさず右手、左手にも何かが巻きついて締め上げてきたため、拳銃を手放してしまった。
「なんだ? なにが起こったんだ?」
逆さのまま辺りを見回すと、他の仲間も同じように逆さ吊りにされていた。さらに胴体に太くて硬いものが巻きついてきた、そして胴体を容赦なくギリギリと締め上げる。
「ぐ・・・ぐええ・・・」
逆さにされた状態で胴体を締め上げられているため、呼吸もままならない。胃の中身が逆流し、こみ上げてきた汚物を地面にぶちまける。
シロは何を見るともなく、歌いつづけていた。
「ちょ、ちょっと何? なんなの?」
「な、何がどうなってるんだ? 特に危害を加えようってわけじゃないみたいだけど」
パニクっているのは謎の二人組みも同じだった。突然隠れていた茂みが大きくガサガサとゆれたかと思うとグングン大きくなっていったのだ。少女Mの腕くらいしかなかった枝はその五倍の太さに成長し、葉は青年Sを包んでしまえるほどに大きくなり、根は地面や歩道に敷き詰められているブロックを押し上げている。
こうなっているのは二人が隠れている茂みだけではない、この公園内の植物という植物が異常な急成長とそれに伴って巨大化しているのだ。
「き、危害を加えようってわけじゃないのは分かるんだけど、でもこのままじゃヤバくない?」
少女Mの言う通りだった。地面は根っこのせいで激しく波打っており、立っていることもままならない。ツタはところかまわず絡みつき、枝はあちらこちらに伸び、葉はそれ一枚でパラシュートが作れるんじゃないかってくらいに大きくなり、そしてそれらはさらに成長し続けている。このままいけばこの公園から出ることすらかなわないだろう。すでにあちらこちらから泣き声や悲鳴が上がっている。
「とにかく樫緒くんの所に行かないと・・・さっきの黒服たちのこともやっぱり気になるし」
「それはいいけど・・・どうやって行くの?」
すでに公園内は即席のジャングルと化している。樫緒の所へたどり着くのは至難のワザだ。
「あ! くずりゅーで一気に蹴散らしちゃうってのは?」
「そ、そんなことして大丈夫かな?」
「へーきへーき、それじゃ一気にやっちゃいましょー」
名案とばかりに少女Mがせかす、青年Sはためらいながらもニョキニョキと生えている植物に向かって技をくりだした。
九頭・左竜落崩
かつて人魚の脚を切断したその技によって、道をふさいでいた植物は一気に切断された。だがそれもつかの間のことで、成長を続けている他の植物のツタや枝、根っこがみるみるうちにそこをふさいでしまう。
「一発じゃダメみたいね・・・よし! 一気に10連発でいってみよー」
「10連発って・・・さすがにそんなことできないよ」
「なによ! 樫緒のことが心配じゃないの?」
「いやそうじゃなくて・・・うわ!」
「え・・・きゃああああ!」
攻撃してきた二人を敵と判断したのか、いつの間にか二人の足にツタがからみつき、黒服たちと同様、手足を縛られ逆さ吊りにされてしまった。
「くっ・・・大丈夫? み・・・」
「きゃああ! エロぉ! こっち見るなあ!」
「へ? あわわわわ、ご、ゴメン!」
今、少女Sは制服姿である。つまりスカート姿なワケで、両手両足を縛られて逆さ吊りにされれば当然・・・そうなるワケで。
「わ〜ん、両手が自由になったらここらへん草薙でなぎはらってやるんだからあ!」
まどろみの中にいた樫緒は辺りの騒がしさに目をさました。そしてすぐに自分の目を疑った。
「・・・なんですか、コレは」
いつからここは熱帯雨林になったのか、まさか自分の知らぬ間に寝ぼけて瞬間移動したのだろうか? 寝起きではっきりしない頭を振って半ば強引に意識を覚醒させると改めて辺りを見回した。やはり景色は変わらない。
「お、カシオ起きたのか」
「シロ・・・さん・・・これは一体」
「ああ、おぬしの眠りを妨げようとする阿呆がおったのでな、追い払ってやったのだ」
と、いうことはこれはシロがやったことなのだろうか? 樫緒がまたも考えこもうとしたその時、少し離れた場所から聞きなれた声が聞こえてきた。
「あ〜ん、いつまでこんなハズカシイ格好してなきゃなんないのよお!」
「ちょっと、少し落ち着いて」
「落ち着けるわけないじゃない! なんとかしてよう!」
ツタや枝、葉にさえぎられて姿までは確認できなかったがその声は間違いなく、樫緒のよく知っている声だった。
「・・・姉さまと、父さま? なんでこんなところに?」
まさかシロと二人でいるところをカメラに収められていたとは考えもしない樫緒だった。
そして、その様子を少し離れた高層ビルから見ている男がいた。
「クク・・・『緑藻ヲ用イテ守ル歌』か、さすが紅の指輪の守護者といったところか・・・」
黒のレザースーツに身を包んだ男―シキはそうつぶやくと、まるで煙のようにかき消えた―。
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