DADDYFACE ShortStories
「円卓騎士団の聖槍(第六幕)」
written by 犬神長元坊



第1場

「正義さん!!」
 少女……文車薙文(ふぐるま なふみ)の声に、久々に自分のホームグラウンドと言える『図書館(ライブラリ)』……世界中のあらゆる書物(大半が力あるものであったりする)を収集する組織である……の蔵書を当たり、『聖槍』についての記述を調べていた『神々の司書官』大善正義は振り返った。
「こんなところに、ライヒマンの名前があります!!」
「ほう……?」
 正義は今まで調べていた本を閉じると、薙文の方へと歩いていった。心なしか少女の顔が紅潮している。眼鏡をかけていて、三つ編みのおさげがよく似合う、16歳くらいの可愛らしい少女だ。そして正義の大切な片腕でもある。
「どういう本でしたか?」
「これです!」
 薙文が示した本のタイトルを見た正義は一瞬顔をしかめた。それはヨーロッパのある一地方における、魔女裁判に関する判決集だったのである。

「何にも無いな」
 『堕ちし者』フォルナーが、拍子抜けして呟いた。それに応え、『御神楽』来栖拓斗も呆気に取られたように言う。
「見事にな。本当にここで生活していたのか?」
 二人は、ニューヨークのスペックがオフィスと兼用していたというアパートの一室に侵入していた。もしかすると『聖槍』に関する何か有力な手がかりでも無いかと期待したのだが……。その室内は見事に何も無い。お陰で広々とした室内は白い壁に床が寒々しく感じられてしょうがなかった。
「参ったな。見事に手がかりなしか」
「……いや、そうでも無いぞ」
 来須が嘆息するのをフォルナーが押しとどめる。何だ、と振り返った来須の前で、フォルナーはいいから、と赤外線ランプをつけながら暗視スコープをつけるように促した。いったい何が、と言いながら暗視スコープをそれでもかけた来須、絶句。真っ白な壁に一面……。文字が浮かび上がっているのだ。赤外線を照射し、反射を暗視スコープで拾って初めて見える文字が、びっしりと書き込まれていたのである。
「これはいったい」
「……独白(モノローグ)、のようだな」
 もともとフォルナーはあらゆる波長の光を認識できる目の持ち主である。そのためあらゆる遺跡のトラップや隠し通路、各誌部屋を見つけることに長けているのだ。
 二人は相談し、、来須が辺りの警戒にかかり、フォルナーが解読を開始することに決めた。。

 『図書館』やニューヨークで数人が情報を手にしていたのとほぼ同じ頃、スペックもまた美沙、鷲士をはじめとする人々を前に自分の先祖に降りかかった災厄を語り始めていた。
「それは1560年頃だったと伝えられている。1517年、ドイツでルターが95か条の意見書を発表し、いわゆる『宗教改革』が始まった。これが大航海時代を招くと同時に、これまでも幾度となく行われていた『異端審問』がエスカレートしていき、魔女裁判の時代も始まった……」


 当時のキリスト教を熱心に信ずる人々にとって、教会は絶対であり、神の教えは絶対であった。したがって異教徒は皆理解しがたい存在だった。故に神の教えに反する者を異端として排除することにいささかのためらいもありはしなかった。事実、同じキリスト教でありながら異端として貶められ、悲劇的な最期を遂げた宗派も枚挙に暇がない。キリスト教自体の出発点がユダヤ教の最異端派であったというのに……。
 そのような精神的背景があったからこそ、レオ10世が乏しくなった教会の蓄えを補充するために「買えば罪を無くして地獄に落ちるのは免れる」と称して販売した『免罪符』を、人々がこぞって買ったのも無理はなかったかもしれない。それに対して異を唱えたのがルター達であったのだ。
 信仰の堕落を嘆き、ローマ教皇を相手にプロテスタント──『新教』を打ち立てたルターに、ローマは慌てた。意外とルターに賛同する者が多く、ローマの勢力が大きく後退したからだった。なんとしても勢力の巻き返しを図らねば。そう考えたローマ教会──カソリックは、海の向こうに目を向けた。香辛料を求める商人と手を結んだ彼らが植民地へとキリスト教を持ち込んでいく、という図式が完成したのだ。だが、海外にばかり目を向けていたわけではなかった。
 人々の意識をもう一度キリスト教へ向けなおさなくては。その方便として、異端尋問を強化するという方針がとられることになったのだ。異端者は皆悪であり、これを罰し、取り除くことで良民の暮らしを安堵する。それが大まかな名目である。──それが狂気に変わるのに、時間はさほど要らなかった。
 標的になったのは古い神々を崇めていた少数派の人々や、薬草などの知識が豊かで人々の治療に当たったりしていた者、障害者、その他いわゆる「敬虔な正常なキリスト教徒」ではない者達だった。それ自体既に常軌を逸していたのに、さらに形骸化し、誰でも怪しければ異端者とされ迫害されるようになったのだ。たとえ、敬虔な信者であったとしても……。
 密告が奨励され、気に入らない相手を陥れるために偽の罪状をでっち上げ、虐殺を敢行する……。このいわゆる「異端尋問」を特に『魔女裁判』ともいうのである。有名なガリレオ・ガリレイもこれに引き出され、地動説を撤回させられるなどしている。
 その狂気の嵐が吹き荒れた中世ヨーロッパの片隅で、歴史に記されることのない悲劇が起きたのだった。

 1560年ごろの正確ないつだったかはよく分からない。ただ、風が温もりを増したというから春か初夏だったのだろう。本当に田舎の村であった。草原がどこまでも広がり、そのだた中に一人の少女が隠れるようにうずくまっていた。名をエレジア・ライヒマン──スペックの直系の先祖である。
 エレジア・ライヒマンは16歳。誰もがうらやむような美少女であった。ウェーブのかかった腰まである髪は栗色で、瞳はハシバミ色、肌は透き通るように白く滑らかだった。手足は健康的にすっきりと伸びて、家事手伝いのために多少荒れた手ではあったけれどもそれを補って余りある美貌であった。村では誰が彼女のハートを射止めるのか既に話題の的だったくらいであり、近隣の村々、少し離れた街にまで評判が広がっていたという。
「エレジア! どこだえ、エレジア!?」
 老婆の声にエレジアは立ち上がった。とたんにその足元からいくつもの虫たちが逃げていく。
「ほほ、また虫たちと戯れておったかえ」
「おばあ様……」
「ほほ、よいわ。エレジアや、この世にはのう、命が溢れとるんじゃ。みんなみんな生きておる。みんな神様にいただいた命を精一杯生きとるんじゃ。仲良くせねば、のう?」
 老婆は相当歳を経ている様子だった。もしかすると祖母ではなく曾祖母くらいであるのかもしれない。
「今日はエレジアや、薬草を1、2教えてあげようかの」
「はい!」
 エレジアの開いている小さな薬屋は評判が高く、彼女の技術や知識は幾度となく人々を救っていたから村人も笑顔で迎えこそすれ嫌いはしなかった。いったい何人の男が狩の時に負った傷を治してもらい、何人の女が料理をおいしくするスープの作り方を教わっただろう。何人の子供が熱病から救われ、何人の老人が親身な看病を受けたことか。手足を失った人も義手や義足を作ってもらってまた働けるようになったし、子供達もエレジアを慕っていた。
 その日もいつものように過ぎ去るはずだった。新しい薬草について教わって、老婆と別れて自分の家に帰る、その途中で……。その地方を治める領主の若い息子たちと出会うまでは。


第2場

 当時その地方を治めていたのはアルマイン・ラーゲンフリート伯爵という貴族だった。ラーゲンフリート伯には3人の息子がいた。上から当時27歳のルドルフ、25歳のザッツ、21歳のフリッツである。いずれも堂々たる体躯の御曹司だった。
 3人はつるんで行動することが多く、その日も狐狩りに三人して出かけたところであった。従者を5人ばかり従えて、騎馬で駆けていると、道の向こうから美しい少女が歩いてくる。……それがエレジアだったのだ。

 エレジアは騎乗の3人の顔を知らなかった。しかし。
『双頭の鷲に槍……。ラーゲンフリート伯爵様のお家の方だわ』
 馬の前垂れに刺繍された紋章を見てとっさに判断し、彼女は失礼にならないよう道の脇に下がり、土下座した。てっきり、このまま通り過ぎるものと思ったのだが……。
「兄上、このような鄙びた所に、花が一輪ありますぞ」
「うむ、これはまた……雛にもまれな美しい女子よな」
 馬上の三人は好色そうな笑みを浮かべた。ややあって長兄のルドルフが従者たちを呼ぶ。
「そこな女子、捕まえよ……狐の代わりに女子を追うのも面白かろう」
「えっ!?」
 エレジアは背を走る冷たい感触に、慌てて駆け出した。もう、後ろを見ようともしない。あの人たちから離れないと。何が何だかよく分からない……でも、怖い……!!
 だが、エレジアは逃れ得なかった。もともと狐狩りに従事する従者たちのこと、犬をけしかけ操り、エレジアを追い詰めたのだ。あっという間もなかった。森の中、犬に囲まれ進退極まったエレジアを5人の従者が四方から襲い、易々と組み伏せてしまう。
「や……っ!! お、お許しを……っ!!」
 地に背をつける格好で押さえつけられたエレジアに、3兄弟がにやにや笑いを浮かべながら近づいてくる。
 何!? 何をする気なの!? 誰か、助けて!! お父様、お母様……!! 助けて……!!
「ほほう、こうして見るとまた……」
「うむ、匂いたつような」
 ザッツとフリッツが下卑た笑いを浮かべながらエレジアを見下ろし、ルドルフがしゃがみこんで彼女の胸元へと手を伸ばす。その彼らの顔はまさしく悪魔の嘲笑する様にも見えて、エレジアはもはや悲鳴も出ず、がたがた震えながら涙をぽろぽろ流すことしか出来ない。その反応を楽しみながらルドルフが彼女の服を引き裂き、露出した乳房をしばし弄んでからおもむろにベルトを解いてズボンを下ろした。背後の弟二人もベルトを解きにかかっている。自分がこれからどうなるのか……悟ったエレジアは再度、叫んだ。
「神様……!!」

 娘の帰りが遅いのを心配し、たいまつを灯したヒルツ・ライヒマンが、森の方から歩いてくるエレジアを見つけたのは日も沈んでだいぶ経ってからだった。
「エレジアや、どうしたのだ……」
 呼びかけてヒルツは言葉を失った。それくらいエレジアの姿は無残だった。お気に入りだった服はあちこち破られて肌を晒し、抵抗した時についた傷からまだ血がにじんでいる。あちらこちらに葉っぱや泥がこびりついたままで、何より剥き出しになった太ももを赤や白の液体が汚している。
「エレ……」
 ヒルツの声もまるで聞こえていないかのようにエレジアはよろよろとおぼつかない足取りで家に入り、自分の部屋の戸を閉めるやその場に崩れ落ちた。流し尽くしたと思っていた涙がまたこぼれ、喉を嗚咽がつき、小さく縮こまって……ただ、泣き続けた。それしか今のエレジアにできることはなかったのだ。

「最近エレジアさんの様子がおかしくないか?」
 村の噂に上るのに、さして時間は要らなかった。何しろ小さな村で、しかもエレジアは村でも一番の器量よしである。
「家に閉じこもって出てこない日が多いし、男と会うと怯えたように逃げ出すとか」
「まさか……まさかとは思うが……」
 その噂はそれから6ヵ月後には確信めいた物になっていた。
「あたしゃ見たんだよ。あの子、腹が大きくなってる」
「父親は誰なんだかねェ」
 その時点ではまだ、人々はエレジアに対して好意的だったといえよう。なぜならこの時人々が想像した『理由』はおおむね、事実に近かったからだ。この頃になると村の有志達の中にもエレジアを襲った犯人を挙げようといきり立つ者が数多く出るようになっていた。
 それを苦々しく見ていたのは、誰あろうラーゲンフリート伯その人であった。

「全くお前達、馬鹿なことをしてくれたな!」
 父の怒りにも息子達は平然とした顔だ。ラーゲンフリート伯は、それをいまいましく思いながらも言葉を続けた。
「ルドルフ、ザッツ、お前らには既に妻がおろうが。しかも相手は都の有力貴族の娘だぞ? フリッツにも縁談がまとまりつつあるというに! 先方がこの不祥事を知ったらどうなる!? 我がラーゲンフリート家はおしまいだぞ!!」
「フフ、大丈夫ですよ父上」
 フリッツが冷酷そうな笑みを浮かべた。
「あれは僕らの子を宿したんじゃない。そう……悪魔があの子と姦淫したのですよ。それでいいじゃありませんか」
「なるほどな、フリッツ。頭がいいぞ」
 ぞっとするような笑いを浮かべ、ルドルフが弟を褒めるとザッツも続けて笑った。
「夢魔(インキュバス)と交わった女子は、その味が忘れられずに人間の男を近づけなくなるとか。ちょうどあの小娘も男を近寄らせないらしいし、条件は揃っている」
「お前達……」
 さすがに息子達の冷酷さに言葉を失いかけたラーゲンフリートは唸ったが、すぐに家名を保つにはそれしかないと思い直したようだ。
「わかった。エレジアとやらを異端尋問会にかける」

 事件から9ヶ月経っていた。男を見ると、それがたとえ子供であっても、父や弟であっても、自分を襲い汚した者達と同じ体をしているのだと思うと吐き気をもよおしてしまうため外に一歩も出ず、いや、部屋の中からすら出られずに過ごしていたエレジアは子供を産んでいた。女の子だった。
『この子には、あの悪魔のような男たちの血が流れている。そんな、そんな子供、愛せない……!!』
 そう思いながらも、母親を求め、泣く赤ん坊を見るうちにふと顔が和む。
『この子には……罪はないんだわ。そう……この世界は命で溢れている。この子もその1つ。全てを忘れて愛してあげないと……。この子がこの世に頼れるのは、母親のこのわたしだけなんだから……』
 それはエレジア自身が自分を奮い立たせるための想いだったのかも知れない。かと思うとまた本当に愛せるのだろうかと思い、悩む。精神的に不安定になっていたエレジアは、それでも少しずつ、我が子を受け入れようとしていた。それを父のヒルツも母のフローレンスもなるたけ娘の負担にならないよう見守りそっと支え、一月後にはようやくエレジアにもかすかではあるが笑顔が戻った頃、教会からエレジアに名指しで呼び出しがかかった。しかも数人の騎士を従えて。

 異端尋問が始まろうとしていた。

第3場

 異端とは、基本的にある宗教……特にキリスト教の内部において、正統派とされる一派の教義に対し、別の見解や教義を掲げる者に対して使われる言葉である。したがって異教徒の事を異端とは言わない。
 もともとヨーロッパ、特にゲルマン系の人々は神々同様悪霊や悪魔の存在を信じていた。ゲルマン人たちの多くがキリスト教に改宗してからもこれらは長く信じ続けられ、教会が悪魔の存在を認めるようになるまで彼らはまさしく異端とされたのだ。何故ならそれまでの千数百年間、この世に超常的な存在は主(神)ただ一人であるとされていたからだ。人に仇なす自然災害などをキャラクターとして擬した悪魔や悪霊の存在を認めると、その教義が崩れてしまうという危惧があったのだ。
 だが、教会は悪魔の存在を認め、同時にこれらと戦わねばならないと宣言した。それは教会の正当性を人々に認めさせるための戦略の一端でもあった。
 ちょうどその頃、ある書物が刊行された。魔女について詳細に解説されている、これまで魔女と見なされていた者達の特徴を集大成した物であった。これらキリスト教が一丸となって「悪魔」や「魔女」に対する対決の姿勢を露にした時、後の世に「魔女裁判」の名で特に記憶される『異端審問』も始まったのである。
 「魔女裁判」は歴史上、3回ピークがあったとされる。1590年代、1600年代の半ばと終わりごろである。エレジアが教会に引き立てられたのはまさに、その最初のピークが始まろうとしている矢先の事だった。

「これより、ケレト村の住人、エレジア・ライヒマンに関する審問会を開始する」
 厳かに宣言したのは、都から出張してきたという4人の異端審問官の筆頭、ギュンター・ゼリングであった。
「同村の住人、彼の名誉のために名は伏せるが、彼の訴えによれば、この者エレジアは魔術をよくし、夢魔と姦淫し、その子を産んだとある。その証拠にここ10ヶ月、村の男を近づけないとか。相違ないか?」
「そんな、まさか」
 後ろ手に縛り上げられて無理やり騎士に引き立てられ、教会の中央に立たされたエレジアは思わずそう応えていた。
「審問官!!」
 見ていられなかったのだろう。教会の神父が挙手した。
「彼女は敬虔な神のしもべです。一日たりとて日曜のミサに欠席した事はございません!!」
「調べによれば、」
 審問官でも若手の……審問官としての使命に燃えているミーシャ・クレイドンが調書を手に取った。
「彼女は10ヶ月ほど前からミサに出席しなくなっている。相違ありませんね?」
「う、それは」
 事実であったので神父も口ごもった。
「ミサに出席しなくなった頃、この女は悪魔と契約したに相違ありません。断罪すべきでしょう」
 ミーシャは本気で言っている。彼は確かに敬虔なキリスト教徒で、神を一心に信じている。だが思い込みが激しく、神に反するモノはすなわち全て悪だと決めてかかっていた。それに対し、ギュンターがまあまあとなだめるように声をかける。ギュンターは60過ぎの老獪な男で、実は審問官の地位を利用して袖の下を要求するタイプだった。今回も実はラーゲンフリート伯爵から相当な額の『寄付金』を頂戴している。
「まだまだ断言するのは危険だろう。証人はいるのだから、それらを吟味せねば」
「証人をこれへ!!」
 ギュンターの補佐官であるエリック・ペイシュタインがよく通る声で叫んだ。こちらもまたギュンターに負けず劣らずの古狸だった。連れて来られたのはエレジアに薬を調合してもらったこともある村の青年だった。
「ええと、質問します」
 4番目の異端審問官、カートン・クレイスンが声をかけると、青年は背筋を反射的に伸ばした。
「あなたはこの女に風邪薬を調合してもらいましたね?」
「は、はい」
「その薬は、どのようにして作られた物でしたか?」
「あの、草を何種類か混ぜてすり潰した物を煎じた物でした」
 その答で充分だったのだろう。カートンはぎろりとエレジアをにらんだ。
「やはりこの女は魔女である疑いが強い。ただの草を混ぜ合わせ、薬に変えるなど魔女のよく使う手だ」
 無茶苦茶な。そう思ったエレジアは思わず叫んでいた。
「待ってください!! わたしが使った植物はどれも薬効のあるものなんです!! おばあ様に教えていただいたもので──」
「やはりだ!!」
 叫ぶミーシャ。その顔が本気の怒りで真っ赤である。
「この女はまさしく魔女の家系だったのだ!」
「そんな」
 エレジアは絶句した。なおも言い募ろうとするミーシャをまたギュンターが制し、声に出す。
「待ちたまえ。基本的に告白が無ければ魔女とは認められないのだから。……訊こう。お前は魔女か? 否か?」
「わたし、魔女なんかじゃありません!!」
 そこで異端審問官たちは顔を寄せ合った。何事か相談すると、すぐに席に戻り、今度はエリックがエレジアにとって残酷な言葉を告げた。
「どうやらあくまでも自分が魔女ではないと言い張る気らしい。かくなる上は口を割るまで責めを加える他あるまい」

 エレジアへの拷問が始まった。魔女裁判においては基本的に被疑者を魔女と断定するのは、被疑者自身の自白を必要とする事になっていたのだ。そのためなんとしても自分が魔女であるということを認めさせようとする異端審問官たちの拷問は凄惨を極めた。
「わたしは……魔女では、ありません……」
 全身を痛めつけられながらもエレジアは言い張った。
 手足の爪を全て剥がれ、体のあちこちに熱く熱した焼きごてを当てられ、手足を釘で貫かれ、全裸で鞭で打たれてもエレジアは自分は魔女ではないと言い張った。
 水牢に入れられ、何度も窒息しかけ、かと思えば熱した鉄の十字架の上に寝かされた。局部の体毛に松やにを塗り込められ、固まった所で引き剥がされた時は、毛が全て抜け落ちたどころかその部分の皮膚まで剥がれて、エレジアは悶絶した。
 しかもこの責めは、わざわざ人口の多い街に身柄を移送して行なわれ、その全てが衆人環視の中だった。この拷問の時、涙を流さなかった者は魔女だとその場で認められたという。エレジアは泣いた。当然だ。全裸の上にこれだけ痛めつけられ、しかもその全てを見も知らぬ人々に見られているのだから。
「涙を流してるぞ」
「いや、悪魔があの女を助けるために偽の涙を流させているのに違いない!」
 涙も結局のところ身の潔白の証とはならないのだ。
 その拷問が2ヶ月も続けられ、頑としてエレジアが自分は魔女だと認めないのに業を煮やしたギュンターは、一人の男を呼んだ。
「彼は魔女か否かを判定できる人物だ。彼がこの女に針を突き刺す。おのおの方、この女が痛がらねば、そして刺された所から血を流さねば、この女は魔女なのだ!」
 ギュンターの声に応えるように、恐ろしく長い……親指と小指をめいっぱい広げたくらいの長さだろうか……針を取り出して掲げる男の姿に、エレジアは傷つき疲れ果てた体を抱きかかえるように縮こまったまま、恐怖に歪んだ目で見ることしか出来なかった。
 何て鋭くて長い針なの! あんな物で刺されたら誰だって痛いと言うに違いないわ。血だって凄く流れるに違いない……!
 けれども恐ろしく思うと同時にほっと安堵もしていた。これで終わりになるに違いないと。自分が魔女で無いと証明されれば、この拷問からも解放されるのだ……。
 男が針を手に、エレジアの肩を引き寄せた。いよいよだ。激痛を覚悟して目をぎゅっとつむったエレジアだったが……。傷みはいつまでたっても訪れない。
「えっ!?」
 振り返ったエレジアの目に、彼女の肩の深いところまで沈みこんでいるように見える針が飛び込んだ。馬鹿な。なんで痛くないの!? 血が流れないのはどうして!?
 東洋系の医術を知る者ならば、針を刺しても痛くないどころか体にいい部分があることを知っているし、血を流さない方法もあることを知っている。ましてやこの時に使われた針はインチキ用のもので、突き刺さったように見えるだけの代物であった。だが、連日の拷問で心身ともに疲弊しきっていたエレジアにそれが判断できるはずもなく、ましてや周りで野次馬同然に見ていた者達にそのからくりが分かるはずも無かった。
「これで決まったな」
 ギュンターが宣言する。
「この女、エレジア・ライヒマンを明日火あぶりにする!!」

 エレジアの運命は決した。


第4場

「来い! 処刑の時間だ!」
 そう叫んだ若者を、エレジアは無表情に見上げた。あまりにも悲しすぎて、逃れ得ぬ絶望の沼に体の自由を囚われて、それしかできなかったのだ。若者はかつて、エレジアに求婚した一人だったのだ。それが今や、侮蔑と憎悪に満ちた目で、自分を見下ろしている。
 ──穢らわしい魔女。俺はこんな女に熱を上げていたというのか。
 彼が考えている事が手にとるようにわかる。瞳が全てを語っていたから。乱暴に腕を取られ、エレジアは手足の自由を縛める鎖を鳴らしながらよろよろと立ち上がった。
「さっさとしろ! それとも命が惜しくなったか」
 命の惜しくない人間が果たして何人いるかしら……そんな事を漠然と思いながら、連日の拷問で痛めつけられて思うように動かない、焼け付くような傷みの続く体をどうにか前へ前へと持って行く。牢から出ると細長い石造りの通路、彼方に見える光の中に出ればそこから先は……。
「まったく、魔女め。往生際の悪い」
 エレジアを背後から突き飛ばしたのは老人だった。彼は胸を患った時にエレジアの薬と献身的な看病で回復している。その思い出すら、魔女という言葉の前では色褪せてしまうのだろうか。
 歩みはのろかった。何しろ拷問のために足にも釘を刺され、太ももに焼きごてを当てられている。他にも陰惨な痕跡がまだ生々しく傷痕を残し、本当なら立っているのがやっとなのだ。だが彼女を引っ立てる二人の村人は全く斟酌する事無く背を突き飛ばし、足で蹴りつけ、無理矢理歩かせる。
 通路が途切れた時、エレジアは眩しさに目を一瞬ひそめた。薄暗い牢獄に目が慣れきっていたせいだ。それすら、光を忌み嫌う魔女の証拠と見られたようだ。
「この魔女!」
「よくも今までだましてくれたね!」
「このあばずれが!」
「地獄に落ちろ!!」
 出口で待ち構えていた、街まで処刑を見に来ていた村人達が口々にエレジアをののしる。ほんの、10ヶ月前……事件の起きる前はあれだけエレジアを愛してくれた人々が。いずれも罵詈雑言を浴びせ、さっさと彼女が死ねばよいと願っていた。『魔女』の名前はそれほどにも、重かったのだ。
「し、神父様……」
 かつてエレジアを弁護した神父はしかし、
「わたしが間違っておりました。神よ、お許しを。この魔女に正義のお裁きを──」
 エレジアは肩を落とし、兵士に鎖を引っ張られ、歩くほか無かった。

 まずは街の道々を練り歩く。首からは『魔女、エレジア・ライヒマン。ケレト村に在し、村人を惑わす。夢魔と姦淫し子をもうけた咎により焚刑に処す』と書かれたプラカードのような物をぶら下げて、兵士達に囲まれ、はだしのまま歩くのだ。道々で腐った卵や家畜の糞、その他あらゆる汚物や石が飛び、エレジアの体を打った。
『何故』
 エレジアはうつむいたまま、黙々と歩いた。投げつけられた物の異臭に惨めになりながら、石をぶつけられた所から垂れる血の熱さが消えていくのを味わいながら、拷問で痛めつけられ、歩くたびに崩れ落ちそうになる体に耐えながら……。
『こうなってしまったの……?』
 わからない。わたしがいったい何をしたというのだろう。わたしは、あの3人の男に襲われて……
 その時だ。エレジアは確かに見た。処刑場の入り口で、にやにや笑いながら自分を見ているあの3人の顔を。
「こ、この男たちです!! わたしが産んだ子供の父親は、夢魔なんかじゃありません!! この3人が、わたしを森で襲って……っ!」
 左の頬に熱い衝撃が走り、エレジアは転倒した。殴ったのは兵士の一人だった。
「この魔女が……ふざけるのも大概にしろ。この方々は卑しくも領主ラーゲンフリート伯爵閣下の御子息ぞ!! その方々がお前などと……そのような事あるはずも無かろうが!!」
「さすがは魔女。高貴な方々を陥れるのも仕事のうちか」
 嘲笑が渦巻き、罵倒が飛ぶ。最後の力を振り絞ったエレジアの叫びは全く無視されたのだった。悔しさに3人をにらむと、また殴られた。

「これより魔女の火あぶりを開始する!! 魔女エレジアよ、この服に着替えよ」
「こんな……ところで?」
 ヨーロッパの町の中心には、ほぼ例外なく広場が存在する。古来よりここで罪人の処刑が行なわれ、それは人々の数少ない娯楽の一つとして定着していた。エレジアの処刑にも相当な数の人々が詰め掛けていた。
 中には見知った村人達の姿もある。そのような所で肌を晒せというのか。しかし異端審問官ギュンターは情けの欠片も無い声を浴びせる。
「何を今更恥ずかしがる振りをする? 貴様は悪魔と乱交し、子を成すような淫売ではないか。おいっ」
 背後に控える兵士たちがギュンターの意図を受けてエレジアに手を伸ばす。避けようとしたのも束の間、すぐに服に手がかかり、下着まで全て破り取られてしまった。
「いやぁっ!!」
 エレジアは体をなるたけ隠そうと身を縮めた。しかしギュンターは容赦ない。兵士に命じてエレジアを無理矢理立たせると、その体がすべて衆目のもとに晒されるようにしてしまったのだ。わなわなと震えるエレジアに、服を着せていくギュンター。服からは何かが腐ったような嫌な匂いが立ち上って鼻をついてしょうがない。エレジアはこの匂いの正体を知っていた。
『硫黄……!!』
 ということは。エレジアはギュンターたちの狙いを悟り、慄然とした。硫黄は容易く発火する。本来火あぶりとは文字通り「火であぶり、煙によって酸欠を誘って殺す」方法だが、ギュンターたちはエレジアを酸欠ではなく本当に焼き殺そうというのだ。これは実に、ジャンヌ・ダルクの処刑にも使われた手法である。
 周りに彼女の味方は無く、エレジアは太い杭に鎖で縛り付けられた。いよいよわたしは、死ぬ。エレジアが目を閉じたそのとき、赤ん坊の泣き声が不意に耳に飛び込んできた。
「お願いでございます!! 処刑を取りやめてくださいませ! 娘は悪魔などと交わるような子ではありません!! この子だってほれ、人の子です!!」
「お、お父様……」
 父のヒルツが、エレジアの産んだ赤ん坊を手にギュンターに訴えかけている。父だけではない。母も涙を流しながら必死で訴えていた。だがギュンターの返答は冷酷そのものだった。
「なるほど、魔女の一家か。本来なら全員諸共に火あぶりに処する所だが、格別の厚情をもって……」
 そのときのギュンターの目を、ヒルツ達は死ぬまで忘れられなかった。人を苦しめ、殺す事に喜びを見出す、それこそ悪魔としか言い様の無い目の輝きを。
「全員、魔女であるという印をつけてやろう」
 ギュンターの命令のもと、兵士たちが焼きごてを用意した。十字架の形をした、真っ赤な焼きごて。思わずエレジアが「やめてっ!」と叫んだが、しかしギュンターはそれを十字架を恐れる魔女の血のなせる技ともったいぶって説明までする。そのまま兵士たちが取り押さえているヒルツ達の傍らへ向かうと、おもむろに焼きごてをあてがっていく。父の、母の苦悶の声、そして焼きごてを腕に当てられた赤ん坊の悲痛な叫びに、エレジアは涙を流す事しか出来なかった。
「以後、ライヒマン家の人間は皆この焼きごてをもって印をつけよう。さすれば彼らが魔女の家系であるとはっきりと分かるだろう」
 ギュンターの宣言も遠い世界のよう。泣き叫びつづける我が子の姿が涙で曇り、やがてエレジアの視界は全て闇に変わった。薪を組み上げた壁をピラミッド状にした物で周りの全てを塞がれたのだ。外でギュンターが命令を下したのだろう。ぱち、ぱち、と小枝が爆ぜる音がする。火がつけられたのだ。
 ややあってエレジアの周りに煙が充満してきた。涙が出て、そしてむせ返って何度もくしゃみをするエレジア。そのうちに、周りが明るくなってきた。火が回ったのだ。見る見るうちにエレジアを取り巻く壁の全てが火の固まりと化し、焦熱地獄とはこの事か、凄まじい熱さに彼女は身をよじった。だがそれで終わりではない。さっき着せられた硫黄を染み込ませた服が盛大に火を吹き上げ、彼女の体そのものを焼き始めたのだ。
 悲鳴が喉をついて出たが、それが果たして外に届いたかどうか。自分の体が焼ける嫌な匂いと、熱さと痛覚がない交ぜになった苦痛に、エレジアの意識は遠くなりかけて……。不意に、解放された。

 気づくと彼女は地面に寝かされていた。体がぬらっとしているのは自分の体液だろうか、それとも水をかけられたから? いずれにせよ、肌のほとんどが焼け落ちて神経が剥き出しになったエレジアにとって、風のひと吹きすら身をさいなむ激痛となる。
「あ……う……」
 思わずうめき声を上げると、遠くで誰かが叫んだ。
「まだ生きてるぞ! しぶとい奴だ!」
「魔女にとどめを!!」
 エレジアは唐突に理解した。わざとだ。わざと、わたしがまだ死なないうちに引っ張り出したのだ……。こうしてさらし者にして、ゆっくりとどめを刺すために。エレジアは、ギュンターなる男に巣食う、神の名を借りた悪魔に感心すらした。よくぞ、人を苦しめ、辱め、貶める術を次々思いつくものね、と。
 大柄な男が二人、地に横たわるエレジアの傍らに控えている。一人は大きな鉈を持ち、もう一人は鋭い短剣状の物を持っていた。
「やれ」
 ギュンターの命令に忠実に従い、鉈が、短剣が振るわれた。エレジアは悲鳴を上げた……つもりだったが、既に喉をやられていたのだろう、ちゃんとした声にならず、空気がどうにか出ただけだった。彼女の右腕が切り落とされ、腹を裂かれて内臓が露出している。まず鉈の男が右腕を川に放り投げ捨てた。続いて短剣の男が内臓を一つ切り落としてこれまた川へと放り投げる。
 古来よりヨーロッパでは、汚物は全て川に棄てる物であった。家庭内のゴミはそのまま道路に棄て、棄てきれない物は全て川に流したのだ。だからそこから病害が巻き起こり、多くの人間が死んだのだが、それらも全て魔女や悪魔の仕業とされたのだ。エレジアは今や、汚物扱いだった。これもジャンヌ・ダルクと同じである。彼女もまた解体されてセーヌ川に投げ棄てられているのである。
 男たちはエレジアを解体し、全て川へと棄てていった。短剣の男が彼女の心臓をつかみ出す前に、既に彼女は事切れていた。だが解体はそれからも容赦なく続けられ、最後にあらゆるパーツを失った無残な頭部が投げ棄てられて処刑は終わった。川は彼女の体の全てを飲み込み、夕日の赤さがあたかも彼女の流した血のようだった。


「……こうして我が先祖エレジア・ライヒマンは死んだ。だが、ライヒマン家にとってそれは終わりではなかった。むしろ、始まりだったのだ」
 スペックの目に、涙が光っていた。


第5場

「そうだ。ライヒマン家に子が生まれたら、必ず十字架の焼きごてで印をつける……そういう下らん風習が残ったのだ!!」
 スペックは着ていたスーツの下のワイシャツのボタンを引きちぎる勢いで胸を晒した。そこには無数の十字架の形をした焼きごての跡が残されている。鷲士達は慄然としていた。人間はどこまで残酷になれるか、その見本の一つを見せつけられたような思いだった。
「ライヒマン家は監視され、村から出ることを一切許されなかった。家のすぐ近くに監視用の小屋が建てられ、逃げようとすれば見せしめに拷問された。エレジアの娘はカミュと名づけられ美しい娘に育ったが、誕生日のたびに村人に押さえつけられて焼きごてを当てられた。13歳で何人もの村の若者に襲われて子を身ごもったが、その時も村の連中は……監視小屋で全てを知っていたはずなのにぬけぬけとまた悪魔の子が産まれたなどとほざき、生涯カミュを差別し、虐待した。結局カミュは心労や身に受けた暴力が重なった末に20を越える事なく亡くなった」
 そこでスペックは傍らに控える女性秘書を見やり、頷いてみせると秘書は恭しく一礼し、大型ヘリの奥へと引き下がった。
「その後もライヒマン家の子供は全員、誕生日ごとに焼きごてを当てられつづけた。魔女狩りが盛んになった時には真っ先に目をつけられ、かなりの数のライヒマンが殺された。1673年には四人姉妹のうち一人を残して全員が惨殺されている。そのような迫害のもとではまともな恋愛は決して望めず、結果として近親婚を繰り返すようになった。それを見て連中はまた囁き交わすわけさ。あのおぞましい一族が近親相姦しているよ──ふざけるな!! 肩を寄せ合い、愛し、信じられるのは親子、兄弟だけだったのだ」
 そこまで一気に言い切り、一息入れて……秘書の方を振り返ったスペックは不意に愛しい物を見る目になった。今までに一度も見せた事の無い目。いったい何だろう、と鷲士も思わず身を乗り出す。
「車椅子……?」
 思わず呟いたのはテルーだ。秘書が押して来たのは、一人の少女を座らせた車椅子だったのである。
 美しい少女だった。歳はおよそ14歳くらいだろうか。どこかスペックと似ているあたりを見ると血縁者なのだろう。プラチナブロンドの髪、口紅をつけた赤い唇、ハシバミ色の瞳。整った顔。先ほどまで話に出ていたエレジアがそのまま抜け出てきたのではないかと鷲士が思ったのも無理はなかっただろう。
 だが彼女は人形を思わせた。人形のように可愛らしいのはもちろんだが、まるで生気が無かったのである。その瞳は何も映していないらしく焦点が定まらず、少し半開きになった口は一切の声を拒絶しているかのよう。ぴくりとも変化しない顔は化粧で誤魔化しているようだったが、無表情なのを隠しきれていない。黒を基調としたワンピースドレスの袖からこぼれた手にはまるで力が入っておらず、ほっそりとしているというより骨と皮と言った方がいいほどやせ細り、足もまた赤いよそ行きの靴がもの悲しく思えるほど生きた人間の物とは到底思えなかった。
「紹介しよう」
 さすがに声も無く息を飲んだ鷲士や美沙達に、スペックの声が突き刺さる。
「我が妹、アルトだ。……こう見えても今年で26になる」
 淡々と言うスペックだったが、妹への愛情に溢れた声であるように鷲士には思えた。と同時に、身を引き裂かれるほどの悲しみも秘められている……。
「今この子の世界は失われている。目が見えないわけではない。耳が聞こえないわけではない。スプーンですくった食べ物を口元へ持っていけばちゃんと食べはするし、人の助けを借りねばならないが排泄もちゃんとする。それでもこの子は半分以上、死んでいるも同然だ」
「な、何故」
 思わずうめいた美沙に、スペックは憎悪に燃え上がる瞳で吼えた。
「まともな恋愛も結婚も望めないライヒマン家に生まれたが故に、友は一人もおらず、ましてや恋人ができるはずも無かった……」

 スペックとアルト、二人は村の全てが敵であり、信じられるのが家族だけでしかも両親は二人がまだ幼いうちに病死してしまったという状態の中、互いに慰めあい、それが愛情に変わるのにさして時間は要らなかった。スペックもアルトも聡明な子で、村の学校に入学を拒否されても図書館に行き、図書館へ入るのも拒否された時は図書館からゴミに出された古い本を拾って持ち帰ってそれで勉強したりもした。
 こうして育った兄と妹、二人は18歳と14歳になった。焼きごての儀式にも黙々と耐え、互いに薬を塗りあって慰めあううちに肉体関係にまで行ったのは、二人にとっては至極当然の事だった。だが監視所で二人を見張っていた男たちはそう受け取らなかった。またしても呪わしい事をしている。制裁しなくてはなどと考えたようだ。ややあって男たちは大挙してスペックの家を包囲した。
「……やれ!!」
 村長の息子カスターの声に、若者達が雪崩を打ってスペックたちの部屋へ飛び込んだ。戸が乱暴に蹴り開けられ、窓ガラスが微塵に砕け、わらわらと……月光の影になって黒い男達が飛び込んできたのである。
「兄さん!!」
 怯えたアルトがスペックにしがみついた。そこへ男達がにやにや笑いながら手を伸ばしてくる。
「やめろ!! アルトに手を出すな!!」
 男たちの雰囲気からアルトが目的だと悟ったスペックはアルトを背後にかばったが、すぐ後ろは壁、もはや逃げられなかった。先頭の男たち数人がスペックに向かって一斉に棍棒を振りかぶる。にぶい衝撃の中、アルトの悲鳴を聞きながらスペックは気を失った。
 スペックが目を覚ましたとき、彼はベッドの足に縛りつけられて動けなくなっていた。
「やっ! いやあっ!!」
 断続的な悲鳴にスペックが顔を上げると、アルトが何人もの男にのしかかられている。彼女も手を荒縄で縛められ、体中を押さえつけられて動けなくされていた。
「やめろおっ!!」
 叫んだスペックの顎をカスターが工事現場の人間が履くような頑丈な作業靴で蹴飛ばした。
「あ? てめェ自分が何様だと思ってるワケ? 魔女の家系だろうが。これは天罰なンだよ。てめェら穢れた魔女の家系にゃまっとうに生きてる人間様のような暮らしは認められねェんだよ! それに……てめェ妹と乳繰り合ってただろゥが。穢らわしい……!」
 その穢れた人間を襲うお前らは何だ、と叫ぶスペックをカスターはにやにや笑いながら何発も殴り、その股間を踏みにじって彼の悲鳴を楽しんだ。その悲鳴に、アルトの悲鳴も重なっている。
「おい、カスター! これ面白いぜ!!」
 アルトにのしかかっていた男の声に振り返ったかスターと思わずそっちを見たスペックの目の前で、例の十字架の焼きごてがアルトの……形よく膨らんだ胸を焼いた。
「あぐぅ……っ!!」
 アルトがのけぞり、逃れようともがく。そのたびに男が愉悦の笑みを漏らした。
「焼きごて当てるとよ、一層締まるんだ。気持ちいいぜ」
「ほう、面白いな」
 カスターもアルトにのしかかっていく。スペックのやめろという声ももはや彼らを止める事は出来ない。最後には兄妹二人縛られたままつがわされた。アルトの肌を焼きごてが焼く異臭を嗅ぎながら、スペックは表情を失ったアルトを見上げていることしかできなかったのだった。

「アルトはそれでも立ち直ろうとしたよ。ますます私たち二人は離れがたくなっていた。奴らが私たちを迫害すればするほどな。だがその年の夏も終わる頃、大きな地震があった。村の家々はみな頑強に建て直してあったから一つも倒壊しなかったが、私たちの家はよい材料を手に入れようにも村の人間がそれをさせてくれなかったから古いままだった。その前の夜、二人で食べていくために開墾した畑を荒らされたので、それを直そうと作業していた時、不意に揺れて……それっきり。家はあっという間も無くアルトを飲み込んで、跡形も無く崩壊した。わたしは手を血だらけにして彼女を助け出したが、アルトは息も絶え絶えだった。もちろん村の病院に連れて行ったよ! だがな、魔女の家系ならそれくらい自分でどうにかできるだろう、だとさ。そうこうしている間にもアルトの容態は悪化したから、わたしは決意した。この村を飛び出してやるとな」

 スペックは慎重に計画を練った。下手な動きをすればすぐに監視小屋にばれる。そうすれば手に手に銃を持った男達がやって来て、村から出るのは禁ずるとか言って立ち上がれないほど二人を痛めつけるだろう。今までそうだったように。そんな事をされたらアルトが本当に死んでしまう。どうする?
 ふと彼の脳裏に一つのアイデアが閃いた。普通の人なら神が啓示を下さったとでも言ってありがたがるだろう。だが幼い頃から十字架に苦しめられてきたスペックにとって神などクソくらえだった。なら悪魔の囁きか。悪くない。どうせライヒマン家は悪魔と通ずる魔女の家系なのだろう? だったら悪魔の計画を実行に移して何が悪い。
 彼は急いで家の残骸を集め、簡単な背負い袋を作った。もちろんアルトを運ぶための物だ。時間がかかってはいけない。今頃村の方に警報が行っているはずだ。すると村人はすぐに村から出るルートの全てを固めてしまい、それから若く精悍な連中がこっちに向かってくるのだ。オーケー。まだ、来ない。他にもいくつか準備して、今までとは逆に、村の中へ入っていった。
「きゃああっ!!」
 村の中で悲鳴が上がった。スペックが5歳くらいの少女を捕まえて、ちょうどキッチンにあったナイフを突きつけたのだ。アルトを背負ったまま左手に少女を抱え、右手のナイフを少女の首筋に当てながら慎重に車を探すスペック。車の動かし方は村人が使っているのを見て覚えていた。
「ス、スペック!! 何をする!!」
「ふん、こうでもしなけりゃお前らは村から一歩も出してくれないからな。しばらくの間こいつは人質だ!!」
 上手い具合に鍵を差し込んだままのオープンカーが一台あった。そこでその車の後部座席にアルトを乗せ、少女を抱えたまま乗り込み、素早く発進する。慌てて村人が車を出して追跡しようとしたが、そこでスペックが背負い袋の他に急いで作った糞爆弾……今まで家に投げつけられたものをかき集め、わらで包んだだけの物だ……を振り返りざまに投げつけ、フロントを糞だらけにしてやると村人達は慌ててハンドルを切ったりして互いに衝突しあい……スペックたちは無事に国道に出て、そして大きな町を目指すことができたのだった。
「おい、お前の役目はもう終わりだ。ここからとっとと帰れ」
 人質にした少女に声をかけると、少女はアルトの方を見て……
「お兄ちゃん、ライヒマンの人でしょ?」
「ああ、そうだ。魔女の家系のライヒマンだよ。え? お前も聞いたことくらいあんだろ。とっとと帰らねえとお前も呪われるかもよ」
 本当はこれ以上連れまわしても荷物になるだけだと思っての事だったが、しかし少女の返答は意外な物だった。
「お兄ちゃん、優しいんだ」
「は!?」
 どこが優しい、俺はお前を人質にしたんだぞ、ここから先は荷物になるだけだから降ろすと言ってるんだと声を荒げて説明したが、少女は首を振った。
「妹さん助けるためにやったんでしょ? それにあたしが荷物なら、あたしを殺して棄てて行けば済む事じゃない?」
 うにゅ、違う? と小さく首をかしげる少女に、初めてスペックは泣いた。今まで流した涙とは違う涙を。
 少女はあたしだって役に立つと言い張り、強引についてきた。そして実際に役に立った。彼女は迷子を装って裕福そうな老人に近づき、老人が処置に困っている所でスペックが老人の鞄から財布を掏り取ったのである。その夜、スペックたちはどうにかアルトをベルリンの大きな病院に入れることに成功していた。だが……。

[NEXT FILE]

犬神長元坊さんへの感想は掲示板へ