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「もう一つの解呪」
written by hydra
生まれたとき、私は人ではなかった。
男達の欲求を満たす物であり、また、それを利用して命じられた者を殺す、物。
私は、道具でしかなかった。
祈ることはなかった。
何も信じてはいなかったから。
泣くことはなかった。
生き抜くのにそんな暇などなかったから。
笑うことはなかった。
顔を引きつらせることに意味があるさえ、知らなかったから。
幸福を知らず、故に不幸も知らない。
その意味では、その頃の私は『幸せ』だと言えたのかも知れない。
命じられて愚かな男を殺し…そして、その最後の一撃で殺させる間際まで。
ロクな思い出などなく、暗闇に沈んでいく中、私は呪いの言葉を初めて口にした。
誰に?
暗殺を命じた男か?
私を斬り捨てたこの男を?
それとも、運命か?
神?
あるいは、それは自分に対してだったのかも知れない。
分からないが、今までの人生を思えば、今際の際に誰かを呪うくらいの権利は許されてもいいだろうと思った。
だが…『神』は私のそんな、ささやかな贅沢さえ許してはくれなかったのだ。
◇◆◇◆◇◆
私は見も知らぬ赤子となって目を覚ました私に、天使が降臨して言った。
これは呪いだ。敵を殺せ。さもなくば、永遠に転生し続けることになる、と。
殺す?
闇討ち専門の暗殺者でしかない私が、あの馬鹿みたいに強い男を真っ正面から?
冗談ではなかった。
笑えない。
そんな事は出来はしない。
だが…それでも良いだろう。
どのみち、私が殺されれば…この『呪い』は解けるのだから。
もういい。
こんな世界で生きていくのは、もうウンザリだ。
◇◆◇◆◇◆
甘かった。
私は殺されなかった。
あの男は知っていたのだ。
この『呪い』を。
私に殺されなければ、永遠に生きられるこの『呪い』を!
私は光を奪われた。
音を奪われた。
声を奪われた。
全く何もない暗黒で、私は奴のことだけを考えていた。
そうしなければ、私はとうに狂っていただろう。
いや、もう既に狂っているか?
どうでもいい。
あの男を殺したい。八つ裂きにして踏みにじりこねくり回し解体しグチャグチャにして嬲り括り殺したい
…そうか。
これが、殺意か。
これが、憎悪か。
殺意は私の呼吸。
憎しみは私の鼓動。
何もない闇の中で、私はただ、叫び続ける。
誰にも届かぬ声を。
怨嗟の言葉を。
呪詛の唸りを。
◇◆◇◆◇◆
私は、幾度、この瞬間を迎えたのだろう?
生まれる瞬間の苦痛は想像を絶するほどのモノだが、私にとっては、それは苦痛ではない。
それは、闇から解き放たれる証。
聖なる福音だ。
普通に生きようと思ったこともある。
何もかも忘れて、何の変哲もないただの娘となって生きようと。
その度に、奴が現れた。
そして、私は奪われる。
光を。
音を。
声を。
夢を。
人生を。
あるいは、掴みかけていたかも知れない、何かを。
剣を習った。
槍を習った。
弓を習った。
最強の暗殺術と言われる鋼線術も。
そのすべてが、無駄に終わった。
根本的に、何かが違う。
奴は、人じゃない。
悪魔だ。
私から全てを奪う、悪魔。
そして。
多分、また、私は全てを奪われるのだろう。
◇◆◇◆◇◆
今度の母は、大企業の秘書であるらしい。
父親はいないらしい。
そんな事は、どうでもいい。
失うと分かっているモノに、興味を覚える必要があるだろうか?
有りはしない。
だが、地位があるのは有り難い。
あの男も、すぐには手を出してはこれないだろう。
今のうちに算段を立てておく必要があるだろう。
奴から身を守り…そして、括り殺すための、算段を。
◇◆◇◆◇◆
今日、変な子供と出会った。
私も子供だが。
母親同士が知り合いらしい。
迷惑な話だ。
何より、迷惑なのはヤケに馴れ馴れしい事だ。
事あるごとに私に話しかけ、笑い、怒り、泣く。
ウザい。殺してやろうと思ったが、まだ、それはマズいだろう。
それにもウザい。忌々しい。鬱陶しい。
……何故、私はこんなにも苛つくのか?
分からないが、もう関係ない。
もう二度と会うこともないだろう。
◇◆◇◆◇◆
収穫だ。
母の友人という連中に、私が探し続けた技法を持つ者達がいた。
人を越えた力を引き出す技法。
あの男の身のこなしによく似ている。
元が同じなのか、人の体でそれを越える能力を引き出す技法は最終的に似通ってくるのか、それは分からなかったが。
これを修得すれば…奴に勝てる。
今度こそ…奴をッ!!
◇◆◇◆◇◆
変な女だ。
余程私のことを気に入ったらしい。
暇さえあれば、私に会いに来る。
分からない。
私の何が気に入ったというのだろう?
もっと分からないのは、私だ。
いつしか、アイツと付き合うのが苦でなくなっていた。
いや、今ではむしろ、待ち遠しい。
何故だ?
分からない。
ただ…この感覚は…悪くない。
◇◆◇◆◇◆
アイツは、あの技法の師へと修行に行くらしい。
何故?
そう聞くと、笑って答えた。
守られていたくない。守っていきたい。
そう言えば、良く虐められている子の盾になってよく喧嘩していた事も出す。
相手が年上で、大きくとも。
それに…『お兄ちゃん』のそばにいられるシ…
そう言って頬を赤らめるそのアイツに、私は呆れて言葉も出なかった。
あの技法は、尋常ではない。
筋肉の使い方が全く違う。
内臓を含めた筋肉の。
呼吸、鼓動、あるいは内分泌器官。
その全ての使い方を根本から変えるその修行は、恐ろしい苦痛を伴う。
はっきり言って、『死んだ方がマシ』だ。
それを、そんな理由で?
アイツの事だ、『お兄ちゃん』とやらの傍にいられるというのが、大きな理由なのだろう。
馬鹿だ。
手の施しようがない。
……何故、私はアイツの事が気になるのだろう?
私は心配しているのか?
何故だ?
分からない…分からない。
◇◆◇◆◇◆
最近分かってきたことがある。
アイツと一緒にいると、私は無くしたと思った何かを取り戻したような気になる。
届かないと思ったモノに、手が届きそうな気がする。
何でもないことで、よく怒り、泣き、笑うアイツの隣にいると、私は憎むことを忘れる。
恨むことを忘れる。
悪くない。
むしろ…心地いい。
そう言えば、『母』の胸に抱かれたとき、こんな想いを味わった気もする。
これが、愛とか友情とかいう物なのだろうか?
◇◆◇◆◇◆
見つけた。
彼女との待ち合わせ。
どうせまた迷ったのだろうとあたりを付けて裏道を探していると、一人の浮浪者に出会った。
ボサボサの頭。
ボロボロの服。
鼻を突く臭い。
それでも、私には分かった。
奴だ。
見つけた!
まだ『あの技法』を完全には使いこなせないが、鋼線を使えばその差は埋められるはず。
奴は、戦闘態勢に入った私を見て―――――…いきなり、土下座した。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
その瞳は、私を見ていなかった。
―――…
……これが、結末か。
私が抱き続けた憎悪と怨嗟が行き着いた先が、これか。
滑稽だった。
私は笑った。
泣けるほど、笑った。
そして…怒りが込み上がる。
許さない。
まずは目だ。
その次は耳。
鼻。
手。
足。
いっそのこと、脳だけにしてやるか?
ダメだ。
それでは、声が出せない。
悲鳴が。
泣き声が。
命乞いの声が。
少しずつ刻み、最後は首だけにしてやる。
絶対に殺さない。
殺してなどやるものか…
次は、貴様の番だ。
私は手を振り上げて
……肉が肉を打つ音が響いた。
何が起こったのか、一瞬分からなかった。
私の脇をすり抜けた彼女が、奴を殴りつけている。
何故?
分からなかったが、ふと我に返って、彼女を止めにはいる。
もみ合っている内に、奴は失禁しながら走り去ってしまった。
何故こんな事を?
そう問うと、アンタ、殺そうとしたでしょと、彼女は言った。
そうだ。 何故? 憎いからだ。何度殺しても飽き足らない。 なら…
どうして、止めたノ?
そうだ。何故私は止めた?
私の手で…いや、違う。
分かっていた…本当は。
あんな姿に落ちぶれた奴を見た瞬間に。
私が知らない内に、復讐のためにと駆けずり回っていたうちに。
とうの昔に全てが終わっていたことを。
復讐など…何も生まない。今となっては空しいだけだ。
それでも、憎み続けないと、壊れてしまいそうだったから。
もう…それに意味がないと分かってしまった後でも。
いや、だからこそ、恨み続けないと、今までの私が抱き続けた想い、痛み、憎悪―――あるいは人生全て―――が無駄になってしまう気がしたから。
感情…いや、妄執のままに振り下ろされようとした拳は、結局、振り下ろされることはなく。
かわりに、彼女の拳が奴を打った。
奴を打ったのが自分のものではなく、他人の拳だからこそ、私は…正気に返ることが出来たのだ。
そこまで考えてやったのかと問うと、首を振って、彼女は答えた。
ううン。
ただ…貴女が人を殺すところは見たくなかったかラ。
その結果、自分の手が汚れることは考えなかったのか? と問うと、彼女は、そんな事は全然考えなかったと答えた。
やっぱり。
この女は、馬鹿だ。
こんな私のために、後先考えずに突っ走る大馬鹿だ。
馬鹿らしい…深刻ぶっておいて、私の妄執などこんな大馬鹿の大馬鹿な行為で吹っ飛んでしまう、ちっぽけなものでしかなかったのだ!
私は込み上げる衝動のままに、声をあげて笑った。
いきなり笑い出した私に、彼女は怪訝そうな表情を浮かべた後、つられたように笑い始める。
私達は、ただ、大声を上げて笑った。
ともに笑い転げながら、ふと、私は思う。
ひょっとしたら。
彼女と出会い、そして私に微笑みかけたその時に。
私の呪いは解けていたのかも知れない、と。
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中国西南部に位置する青海省は、青海湖なる湖があるものの省内に海はなく、その大部分は峻険な高峰と渺茫たる大草原で占められている。
―――…それが、彼女の名前だった。
ここは、広大な版図を有する中国のなかでも、ひときわスケールの大きさを誇示する未開の省であった。
どちらかと言えば、中国と言うよりチベットをイメージして貰った方が良いかも知れない。
最も、チベットをチベット自治区のみとするのは中国政府が言っているだけの話で、チベット人に言わせればここも『チベット圏』に含まれるのだが。
片桐紗慧は、ジャケットにジーンズというラフだが登山をするには余りに軽装な格好で、不毛な急斜面を昇っていた。
見上げる先に聳えるのは、頂に万年雪を冠した阿尼卿雪山だ。
文明の微香すら感じさせない見る者を圧倒するこの絶景は、チベットの神々がこの地に生きる人々を慰撫するために与えた唯一の恩典と言えるかも知れない。
…と、不意に紗慧は足を止めた。
いつの間に現れたのか、目の前に人影が出現していた。
黒いジャケットと、深いスリットが入った黒のロングスカートという余りに場違いな格好。
何故か、黒い手袋を身につけていて、その艶やかな黒髪はまるで尻尾のように一つに編み込まれていた。
大陸系のシャープな顔立ちと切れ目の紅い双眸は、異色の組み合わせだがそれが彼女によく似合っている。
確か草刈鷲士と同じくらいの年の筈だが…まだ、20〜30代にしか見えなかった。
「久しぶりだな、紗慧」
「ご無沙汰しております…老師。しかし、流石です。連絡はしてなかったのですが…」
「お前の氣ならば、数百km先からでも分かる。脅かそうとしても無駄だ」
「堅苦しいのは少々苦手なもので…気軽に行きたかったのですが」
「一族の者は皆、お前に感謝している。もう出迎えの準備も出来ているはずだ。今さら帰るとか言うなよ?」
そう言って彼女は笑った。
牙・九龍
◇◆◇◆◇◆
「あれ? 紗慧は?」
美緒は、一人で部屋に入ってきたドーラにそう聞いた。
「ああ、まだ帰ってきてないヨ」
ドーラは、ルナとリムとトランプ―――ババ抜きらしい―――をしている美緒に答えた。
「まだ? 中国だっけ? 例の旅行癖にしちゃ長くない?」
意外に思われるかも知れないが、彼女が旅行好きというのは親しい人ならば誰でも知っていた。
暇になると荷物も持たずにフラリといなくなる。
頼まれればお土産を買ってくることもあったが、基本的に彼女は何も買わない。
一枚の写真さえ、持って帰ることはない。
持って帰るのは思い出だけで充分……と言うことらしい。
ただ、5日も空けて連絡もないというのは初めてだった。
美緒に何か言おうとしたドーラの後ろで再びドアが開き、一人の男が入ってきた。
身長160センチ、母親譲りのメノウの瞳に整った顔立ちで、少し長めの黒髪を後ろでまとめている。
この部屋の主、草刈悠であった。
「をい…だから、何で俺の部屋に溜まる? お前らは。折角の夏休みなんだから、他に行くトコあるだろ? 海へ海水浴に行くとか、山にキャンプに行くとか、どっか遠い国で大暴れして地形を変えるとか」
「……私を何だと思ってるわけ?」
「自分の胸に聞いてみろ」
そんな美緒と悠の会話を聞き流しつつ、ドーラはゲーム機に接続されたテレビの画面を見て歓声をあげた。
「わオ! これって『ソウルソード3』じゃなイ!」
伝説の魔剣『ソウルソード』を打ち砕くべく集った戦士が戦う…武器を使った対戦格闘ゲーム・シリーズの最新版である。
いち早く3Dモニタに対応し、リアルかつエンターテイメントなグラフィックと動きにファンも多い。
確か、3はまだ発売前だったが…
「ラッキー♪」
「あ、こら、俺もまだやってないのに!」
そんな騒ぎを無視して、美緒はリムのワザとらしく寄ったカードを引いた。
「あ」
美緒の手の中で、道化師が怪しく笑っていた。
◇◆◇◆◇◆
かつて。
周の時代、中国は大上老君という邪仙に支配されていた。
地は荒れ果て、人々は圧政により死に絶える中、ある日、上陸した『竜』に氣脈の使い方を教わった者達がいた…それが、後の九頭竜の祖となる拳士達である。
彼らは、竜の教えに創意工夫をこらしつつ、技を高め、ついには大上老君を討ち果たした。
だが…その後の彼らの運命は、残酷なものだった。
権力者達は、自分の地位を脅かすものとして彼らを忌み嫌った。
そして……民衆にとっては、『九頭竜』は今まで彼らを抑圧していた者共と同じ化け物以外の何ものでもなかったのだ。
結局、人々を救った英雄達の多くはその人々の手によって殺されていく。
最早、拳士達にとってそこは安住の地ではなく、ある者は新天地を求め日本海を渡り、ある者は秘境とも言える山奥へと逃げ込み、俗世との交流を断つ事となる。
そして…日本に渡った者達の一つは、『九頭竜』となり、山奥に住んだもの達の一つは『九龍』と名乗った。
牙・九龍はその『九龍』の子孫である。
牙一族は『九龍』を錬磨し、改良しながら脈々と受け継いでいった。
その『九龍』という技法こそ、家族の絆であり、彼らが彼らである証だったからだ。
そして、その一方で、人を恐れ拒絶し続け、親類同士で血を交え続けた。
その結果、代を重ねるごとに九頭竜を使うのに適した肉体に淘汰されたのと同時に、子供達には奇形児が多く見られるようになってしまった。
遺伝子にはある程度の自己修復能力があるとはいえ、それにも限界がある。
致命的でない潜在的な遺伝的欠損は、ありふれたものと言っても良いかも知れない。
通常、それらの欠損は異なる遺伝子との掛け合わせにより薄まり、あるいは補正されて行くが…狭いコミュニティによる血の交わりを続けてきた結果、彼らは、その欠陥的部分をも増幅してしまったのだ。
素手で岩を砕く猛者が病弱で、風邪をひいてあっさり死んでしまう…これは笑い話ではなく、彼らにとって切実な問題だった。
そして、一時期は一族の中で正常な子を産め得るのは長、『九龍』の名を継ぐ牙・九龍一人といった所まで事態は危機的なものになっていたのだ。
そのため、牙・九龍は自らになるべく近い体質を持つ男―――『九龍』と同じ技…かつて、迫害を逃れ日本へと逃れた同胞『九頭竜』の男を求めて日本に渡り、草刈鷲士と騒動を起こしたことがある。
紗慧と九龍の二人の関係は、そこに端を発する。
紗慧は、かつて『九頭竜』を修得しようとして、草刈家の使い手達に修行を断られた事があった。
頼んでも無駄と判断した紗慧は、鷲士からそれとなく彼らのことを聞き出し、その場所を執念で突き止めると、自分に彼女たちの業を教えるように要求したのだ。
一族を救う手段…遺伝子治療法を持って。
「お前のお陰で一族は救われた。感謝しているよ」
「……私は、ただ、利用しただけです。どうしても九頭竜を覚えたかったから、取引をしただけ…言うなれば、ビジネスです。感謝される言われはありません」
「そんな事は知っていたさ。お前が『復讐』の為にそれを求めたことも」
「…?!」
紗慧の歩みが止まった。
驚愕を顔に浮かべたまま、紗慧は何とか口を開く。
「…何故?」
「目を見れば分かるさ。そんな事は」
「………何故、私に九頭竜を教えたのですか? そこまで知っておきながら」
「……悪いことか? 復讐が?」
「……………。」
「お前がどれほど悩み、苦しみ、決断したかは知らん。知らないまま止めろと言えるほど私は傲慢ではないし、御節介をやくというのもガラじゃではないし……」
そう言った後、九龍は自分の手を見て、自嘲気味に笑った。
「それに『力の使い方』に関して、偉そうなことを言えた義理ではないしな」
九龍は自らの拳から、紗慧に視線を戻して言った。
「…ただ」
「ただ?」
「ただ…もっと辺りを見回す余裕くらいは、持っていた方がいいと思ったのは確かだな。今のお前のような」
「……今の…私?」
「ああ。自分で気づいているがどうかは知らんが…あの頃からは信じられないほど、今のお前は優しい目をしている」
「………優しい…ですか」
「出会ってしまったんだな?」
「……はい。馬鹿で、単純で、時に傲慢でお節介で五月蠅いこともありますが…」
紗慧は目を閉じ、その顔をじっと思い浮かべた。
「私は、彼女と出逢えて…本当に良かったと思います」
「…そうか」
九龍は嬉しそうに目を細めた。
「大切にしろよ」
「…はい」
紗慧はそう応えて、歩き出した師の背中を見ながら一歩を踏み出した。
笑みを浮かべて。
◇◆◇◆◇◆
「ああああああああああああああ!!」
自分のキャラであるガンマンを容赦なくハメるドーラの鞭使いに、悠は悲鳴を上げた。
「なんて卑劣な! ゲーマーとして…いや、人として最低だ! そう思うだろ、みんな!!」
「ううん〜」
「別に〜」
ルナと美緒が同時に言った。
視線は互いのカードに釘付けだったが。
「……言い訳?」
一抜けでドーラと悠の対戦を観戦していたリムがポツリと言う。
「正義はないのか、ここには! 認めん…俺は認めんぞ! こんなセンスも気品もない闘い方! 小技でハメるのは邪道だ! 闘いというのは、このように! わざと攻撃を喰らったりして盛り上げつつ! 難解なコンボや大技を極めて、大逆転! ギャラリーにも受ける! 魅せる闘いというものを…!」
「えイ」
「ああああああああ!またしても小技連打?!」
「…………普通にやればいいのに」
ぼそっと言うリムの台詞は、余りも正論であった。
「えへヘ…パーフェクトだネ!」
「うぬぬぬぬぬ…おのれ! こうなったら、紗慧! この外道に目にもの…あれ?」
そう言った悠がキョロキョロと辺りを見回しながら言った。
「あれ? 紗慧はまだ帰ってきてないのか?」
「ん〜〜? そうね、まだ帰ってきてなあああああああああ?!」
悲鳴を上げる美緒の手から、2枚の内の片方のカードが引き抜かれ…ルナが勝利の笑みを浮かべつつ、最後のカードを捨てた。
「あああああ!! 悠! 声かけないでよ! 負けちゃったじゃない!」
「俺に当たるなよ」
「そうだぞ、八つ当たりは良くないぜ?」
「くうう! も、もう一度勝負よ!」
「望むところだ! リム! もう一勝負だ!」
「………分かった」
そう言ってリムが、トコトコと美緒とルナの方に歩いていく。
「そーか、まだ紗慧は帰ってきてないか…そろそろ帰ってきてると思ったんだが…困ったな。アイツがいない分、仕事が溜まってるんだよなあ…お前らじゃものの役に立たんし…」
悠は、いつもの軽口のつもりで言ったのだが・・・その台詞に、ルナリムの耳がピクリと動いたことに、彼は気付いていなかった。
「ん? それは、どーゆー意味だ、悠? 俺達が役立たずだというのか? ん?」
ニコニコ笑いながら悠にそう言うルナだが・・・勿論、目はちっとも笑ってはいない。
「・・・・・・・・・・・・・。」
一方、リムは無表情に悠を凝視している。
「・・・いや、まて。誤解だ。あの、その、なんだ。さっきのは、本気じゃないぞ、全然。口が滑ったとかじゃ、ないぞ?」
ゆっくりと接近してくる二人から後ずさりながら、悠は汗だくで捲し立てた。
「忙しいときくらい家事を手伝ってくれても罰は当らんだろケチとか、せめて、パソコンくらいは使えるようになってくれ、現代人として恥ずかしいぞとか、お前ら最近は食っちゃ寝ばっかりで、少しは仕事手伝えよ、太るぞとか、全然思ってないし・・・」
「ほほぅ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
もはやクッキリと青筋の浮かんだ笑顔のルナと、無表情なままシザーハンズを装着したリムが、獲物に襲いかかる豹のようにジリジリと悠との間合いを詰めていく。
「待て!殺気が出てるぞ!本気か!マジか?!話せば分かるッぎゃあああああああ!!」
悠の悲鳴と、なにやら生々しい物音がしている場所から目を逸らしつつ、美緒はドーラに話しかけた。
その頬には一筋の汗が流れていたが。
「それにしても、紗慧、遅いね。いつもの旅行ならとっくに帰ってきてるか、そうじゃなくても最低、連絡くらい寄こすのに」
何とか空気を変えようとする美緒の問いに、ドーラは首を捻りつつ答えた。
「う〜〜ン…私は違うと思うナ…旅行じゃなくてお世話になった人とかに顔を出してるんじゃないかと思うんだけド?」
「え? 何で? それに、紗慧って中国の方に知り合いいたっけ?」
「知らなイ。でも…何となく…そんな気がするノ」
「え〜〜何よ、それ?」
「あ、何かムカつク、その言い方」
「何よ? 何なら賭けてみる?」
「いいわヨ。受けて立つワ!」
「じゃあ、負けた方がラマダンでご飯を奢る…」
「………人の行動を無断で賭博の対象にしないで下さい」
「きゃああああ!」
「さ、紗慧!?」
音もなく、気配もなく。
いつの間にやら件の少女、片桐紗慧が背後に立っていた。
「い、いつ帰ってきたの?」
「つい今し方です…」
そう言って、紗慧はドーラの方に向いた。
紗慧は何を言おうかと迷い…そして、結局、言うべき言葉が一つしかないことに気がついた。
「…ただいま」
「お帰りなさイ」
ドーラは紗慧にそう言って、微笑んだ。