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序章 『ひーちゃん、御伽噺を聞かせてくれる?』
夜も少し更けたこと、一つの部屋から聞こえてくる、昔話…。
「ひーちゃん、何かお話してくれる?」
お日様の匂いがする、ふかふかのベッドの中で横になった私の傍らにはひーちゃんが立っていた。
眠れないからお話して欲しいって言ったら、ひーちゃんは私の部屋に来てくれたのだ。
「お話かい何がいいかな、シンデレラとか、いばら姫とかのお話でいいかな?」
ひーちゃんは少し考えてそう言った。
「ううん、ひーちゃんの昔の事をお話してくれない?」
私はひーちゃんの顔を見ながらそう言った。
「昔の事…、でも僕はそんなに面白い経験はしていないけどなあ〜」
「どんなことでもいいよ、ただ、ひーちゃんの過去を知りたいだけだから、どんなことでもいいよ、たとえばひーちゃんが『昔の女の人とデート』した事でもいいよ、楽しそうだから」
と私はにこやかにさりげなく問いただした。
けど目の中のかすかな嫉妬が消せたかどうかは自信はないけど…。
ここら辺の入れ知恵はおば様達から教わった。
何でも夫や恋人を問いただすのに必要な『テクニック』と言う物だって。
「ははは、未来ちゃん、僕はそんなにもてないよ」
ひーちゃんはにこやかに笑っていった。
そっか、これがおばさん達の教えてくれた天然っていう物なのね。
おば様達からよく言われる『惚れた弱み』と言うものを差し引いても、いつも笑っているひーちゃんの顔はともかく、真剣になったひーちゃんはかっこいいと思う。
といっても笑顔のひーちゃんが悪いってわけじゃないけど…。
それにひーちゃんは背が高いし、私の背が低いって事もあるけど私がひーちゃんの肩に座らせてもらったときに人がみんなちいさく見えた。
ただいつも黒い服を着ているのが少し欠点と言えば欠点だと思う、あんまりひーちゃんはお洒落というものがよくわからないらしい。
あと優しいし、それに意外にお金持ちだそうだ、何でも『特許』とかというものを自分でとったから、ある程度のお金ははいってくるんだって。
ただひーちゃんはというか、ひーちゃんの家族の人達全員があんまりお金に執着していないらしい…、わたしにはよくわからない。
「大丈夫だよ、ひーちゃん、『昔』の女の事で、私は怒ったりしないもん、ひーちゃんの『今』の女は私だから」
えっと、怒るのと嫉妬するって言葉は違うのよね、うん、だから私はひーちゃんの過去の女の事を聞いてもおこらないんだよね、うん、言葉は間違っていないと思う。
「過去、う〜ん、何かあったかな」
ひーちゃんの笑顔の口元が微妙に引きつっていたけど何か悪いことでも言ったのだろうか?
「何でもいいよ、寝物語として聞きたいだけだから」
私はベッドの横たわってひーちゃんを見ていた。
「未来ちゃん、寝物語じゃなくて、御伽噺だよ」
ひーちゃんはさらに引きつった様な笑顔でそう言った。
「そうだね、僕のお父さんとお母さんのことを覚えている?」
ひーちゃんは静かに私に尋ねていた。
「お父様とお母様のことを忘れるわけが無いじゃないの」
なんでもひーちゃんのお父様は御仕事の為にいつも世界中を飛びまわっておられる忙しい方で、ひーちゃんはこのホテルで親戚の人達と一緒に生活しているって聞いた。
本当にまだ数回だけしかお会いしていないけど、私にとっては大切な、私の『未来』のお父様とお母様だ。
そういえば、ひーちゃんの顔って、二人によく似ている。
真剣になったときは幸貴お父様の鋭いまなざしを、いつもののんびりとした笑顔は舞お母様の優しい表情そっくりでひーちゃんは両親どちらも面影があった。
前に数回だけお会いしたことがあるけど、その時はひーちゃんの未来の花嫁としてふさわしく振舞えたかなって少し考えていた。
あの時は私が作った料理を出したけども、幸貴お父様はおいしいって言って食べて下さったけども、お母様の評定までは分からない。
もっとも、私に料理を教えてくれたのはひーちゃんだけど…。
なんでもひーちゃんは子供のときはお母様のお手伝いをしていろいろな家事を覚えたんだそうだ。
幸貴お父様の『仕事の関係』で、舞お母様のお二人でいろいろと移り住むような生活をされるようになったので、ひーちゃんだけがここに残った際に本格的に家事を覚えたって聞いている。
ただその事を聞いた時にひーちゃんに『苦労したんだね』って言ったら…、
「ほら、あの、その、おば… 、年上のお姉さん様達もいろいろと教えてくれたし、みんなお世話してくれたし…」
ひーちゃんはなんだかすごくあわててそう言った。
ひーちゃんの額からはほんの少し汗をかいていた。
「大変、だったんだね」
私はひーちゃんの目を見ながら再度そう言った。
「はは、いや、そんなに、たいへんじゃなかったよ、はっはっは」
ひーちゃんはうつろな瞳の笑顔のまま、私から視線をはずしてあさってのほうを向いてそう言っていた。
なんだかそう言った時のひーちゃんの背中が妙に疲れて見えた。
「ひーちゃん、本当に大変だったんだね」
「…まあ、少しだけ…」
ひーちゃんはきっとかなり苦労したんだと思う。
「これは今から10年くらい前のお話し、僕がまだ未来ちゃんに出会う前の話で、僕とお父さんとお母さんの話だよ」
あっ、ひーちゃんがお話を始めてくれた、聞かなくちゃ…。
第一章 『親父の記念館、あそこに行かなくてはいけないのか… 』
幸せそうな一組の家族がそこにいた。
やや鋭すぎるまなざしを持った父親と控え目でやさしそうな母親、そして元気の良さそうな子供、その三人が仲良さそうに歩いていた。
「ほら、あと少しで草刈鷲士記念館だぞ」
俺は、草刈幸貴は久しぶりの取れた休みを家族との外出に使っていた。
久しぶりだが悪くは無いなと思い、久しぶりの和やかな家族との外出というのを楽しんではいるのだが… 。
「お父さんあと少しだね」
俺の言葉を聞いて、息子は元気よく返事したがどこか気が重い…。
「あの記念館に行くのか…」
目の前のまだ新しいが、何故かみすぼらしい雰囲気漂う草刈鷲士記念館を見て俺は眉をひそめた。
草刈鷲士記念会館、そこは、『ダーティフェイス』こと草刈鷲士が愛用したといわれている、ウェアラブPCやアーマーグローブ、そして銃器や果ては愛車、戦闘機、そして鷲士が発掘してきたハイアートを含めかなり物騒なものや、天地驚愕する様な写真がいくつも飾ってあるのだが、なぜか妙にみすぼらしい…。
どんなに記憶力にいい人間でも中に入って注意深く観察しても、出る頃にはなにを展示してあったのかをすっかり忘れるという摩訶不思議な事態を生み出しているほどみすぼらしい。
もちろん美貴や美沙も何とかみすぼらしさを拭色しようと自分達を含めた家族の写真の展示や、改装や改築を行っても一向に改善されず、かえって鷲士の写真や業績、展示物等のみすぼらしさが増したという事態を引き起こした。
この事態の打開を図るため会長の命令により原因解明に乗り出した、FTIの優秀な研究スタッフは連日にわたり頭を悩ませ、そして結論が『みすぼらしいから』という答えを出し、会長を唖然とさせ、後に激怒させたという逸話を持つ伝説の記念館、それが草刈鷲士記念館である。
「あなた、どうされたのですか」
淡い栗色の髪をした優しい俺の最愛の妻の、舞…、が。
俺が妙に疲れたような表情で目の前の記念館を見ているのに気がついて心配そうに尋ねてきた。
いや、息子の手前、いまさら舞ちゃんとは呼べないからな…。
俺にも父親のプライドというものはあるわけだからな… 。
「…いや、あそこはちょっとな、いやな思い出があるからな」
俺は舞の心配げな声を聞いて自分の思いを振り切って答えた。
「どんな事なの、お父さん?」
俺の息子、響が明るく尋ねてきた。
まあ親を困らせたりしない良い子だが、少し良い子過ぎるというのが父親としては少し不満ではあるのだが、まあいい子だとは思う。
「いや、この記念館設立自体、まあ最初の話は誰かが言い出した『有名な人には記念館があるよね、お父さんには無いの』って言葉がきっかけでな…。
それを聞いたお袋が親父の記念館を作るって暴走をしてな、しかも完成まで親父には一言も話しをしなかったそうだ… 、理由が『しゅー君をびっくりさせたかった』だそうだ…」
俺はあの当時の事を思い出して頭のどこかが痛むような気がした。
「そうなんですか」
「ああ、もちろんお袋だけじゃなく、姉貴たちも何人かが賛成したみたいだけどな、ただ中に展示してあるものは親父がトレジャーハントした時に回収したハイアートやそのとき使っていた装備品一式とかで、学者とかトレジャーハンターなら興味を抱く物がいくつも有ったそうだがまったく一般受けしなくて客が入らなくて採算が取れなくてな… 。
美緒姉と燐太郎さんが『家族の肖像』というテーマで絵画で幾つも展示するまで、結城グループ、フォーチューンテラー始まって以来の大赤字作成部門だったそうだ…」
「そうですか…」
「で、客が入らないことに怒った美沙姉貴とおふくろが、一生に一度か一日に一度か忘れてけど、ここに訪れなければいけないみたいな法律を国会に圧力かけて作成しようとしてな…、
そのことを聞いて俺達は止めたよ、たとえ勝ち目が皆無で、どんなに無謀のことだと分かっていたけれど、それでも全力で…」
「………そうですか………」
「草刈家の兄弟と姉妹が完全にふたつに別れて争った、第一次草刈家男女兄弟姉妹大戦の始まりだったよ…」
俺はあの時の事を思い出してそう言った。
ひょっとしたら背中には哀愁が漂っていたかもしれないが…。
「………」
「戦況はあまりに絶望的だった、最大戦力の樫緒兄貴は、美沙姉と美花姉によって一瞬で撃破され、雪人兄貴は美月姉とにらみ合いで動けず、鷲矢と美魚が一進一退を繰り返し愁と沙貴も千日手の様相だし、美沙姉、美花姉、美緒姉、に対しては俺と翔が相手してな…、完全に押し切られる一歩手前の膠着状態の上にお袋からの不条理攻撃だったからな、それに途中から戦う目的が何か微妙に違ってきた組み合わせもあったからな…」
俺は封印していた記憶がよみがえってくるのを感じ口に出せずにはいられなかった。
「あの、他の方々はどうされたのですか、虎雄さんとか、麟太郎さんとか美琴さんとかドーラさんとか紗慧さんとか悠さんは何か言われませんでした?」
舞は、まったくそんな事は知らなかった事とばかりだと目を見開いて尋ねてきた。
そうかそういえば舞はあのとき…。
「虎雄さんはそのとき日本を離れて留守だったからな…、麟太郎さんは『美緒ちゃんがそういうなら』って言って女性陣へ、その他の人は自分達が被害を受けること恐れて完全に中立だったな、美琴さんはいつものように泰然と何か楽しんでいたみたいだったけど…、あの人は大物だな、悠君は最終兵器を呼びに行ってもらったからな」
「あの、そのとき私は?」
「妊娠中だったよ、お前を変に心配をさせたくなかったからな… 黙っていてすまなかった」
俺は軽く頭を下げた、あんなつまらないことで新たな命を宿した舞を心配させたくなかった。
俺にはただそれだけだった、父親としてまだ見ぬ子を、夫として身重の妻を守りたかった、ただそれだけだった…。
「男性陣の全員は覚悟したよ、このまま女性陣の暴走を止められない、そんな時、悠に準備してもらった、『最終兵器』の親父がようやく到着したからな…。『僕の一番の宝物で、僕が一番大切で僕が一番、他の人に誇れるのは君達だよ、だから喧嘩はしないで家族仲良くやっていこうよ』 そうやって言って、笑顔一つ浮かべただけで女性陣を完全に骨抜きにして止めたよ…。
あの瞬間、俺達は理屈ぬきで悟ったよ、たとえ結城の力が使えなかろうがたとえみすぼらしく見えようが女性陣を微笑み一つで止められる親父が間違いなく草刈家の『最強』だと理解したよ」
戦わないで微笑み一つですべてを終わらせる、その強さが親父の一番の強さなのだろうな、俺の微笑ではな…。
「そうですね、さすが御父様ですね…」
俺達は二人とも口が重くなったこのように静かにだまっていた。
「おとうさん、おかあさん、僕は先に行くね、僕の分のお弁当はもらっていくからね」
俺達が深刻な話をしていた間に響、息子はすでに走り出していた。
「あっ、おい待て、一人で分かるのか」
俺は走り去る息子の背に怒鳴っていた。
「うん、わかるよ、だって、僕は何度もここに来ているから」
俺の声をよそに響はこの時点で遙か遠くまで走り去っていた。
「まったく、あいつは自分で『お父さんたちと一緒に来たい』とか言っていたのにさっさと一人で行ってしまったな…、薄情な子だな、それに何度もここに来たなら、ここにくる必要なんて無かったぞ…、ほかにもっと良いところなんて腐るほどあるからな」
俺は憮然とした目で走り去る息子の背中を見送っていた。
こんなところに面白いところなんて何も無いからな…。
「あの子は私たちに気を使ってくれて二人きりにしてくれたのよ」
舞は俺と同じように息子を見守っていてから俺に微笑んだ。
「あいつが? まだ子供だぞ、ったく、そんな気を使って…」
息子の気の使い方にあきれるのと少しだけ怒りがこみ上げてきた。
「あの子もあなたと一緒にいたいのよ、でもあの子が言っていたわ『お父さんを幸せにしてあげたい、お父さんの一番の幸せはお母さんと二人きりにしてあげる事だって』、あの子が送れなかった、父の日と母の日、両方の分のプレゼントだそうよ」
「自分の子供に心配されなきゃいけないのか俺は? そんなに不幸に見えるのか」
よく名前のわりに幸が薄いなんて言われるが、息子にそんな気の使い方をされると言うのは… 。
「それとも私と二人きりではいやですか?」
そう言って舞は俺の腕にそっと腕を絡めた。
「そんなこと、絶対にあるわけ無いだろう」
俺は強く言ってそっと絡められた腕に力を入れる。それが俺の答。
「それにさっきの話ではないですけど、お父様がお母様を虜にしたように、わたしも貴方の笑顔に魅了されましたから…」
そう言って舞は自分の頭をそっと俺の胸に寄せた。
「それは俺もおんなじだよ、君の微笑みに魅了されたから…」
俺は幸せの重みを感じながら、髪を一房取りそっと口づけした。
そしてゆっくりと舞の目を静かに見つめていた。
「なあ、あいつは、響には少し苦労させたほうが良いと思わないか」
「あなた」
「なに、あいつに弟か妹でも作って、兄の苦労と言うのをさせてやろうと思いついたからな、うん、あいつはきっと面倒見の良い、良いお兄ちゃんになると思うのだけどな、どうだろう」
俺はわずかにほほを赤らめて、そっと最愛の妻の耳元に囁いた。
「もう、あなたってば」
りんごのように頬を赤らめた舞も静かにうなずいていた。
「せっかく、あいつのくれたプレゼントだ、少しだけ新婚気分に戻らないか舞ちゃん、いつもあんまりのんびりできなかったからな」
「そうですね、あの子の話だと、この先に景色のいいところがあるのですって、行ってみませんか」
「やれやれ、息子にデートコースまで世話をされなきゃいかんのか、なんだか父親の面目丸つぶれだな」
俺は素直に苦笑を浮かべていた、まったくここまで息子にしてやられるとは思いながらも、それが息子の成長のように思えた。
「でも、あの子のプレゼントですよ、少し楽しみましょう」
「そうだな、とりあえず、息子のお勧めに行ってみようか」
俺達二人は静かに笑みを交わしながら歩いていた。
ただ俺達二人とも、自分達の携帯や発信機が抜き取られていることに気がつかなかった。
もちろん犯人が誰かということもだ…。
第二章 『退屈だな、何か変わったことでも起きないかな』
草刈鷲士記念館の受付室には草刈家の六男の草刈鷲矢が座っていたが、受付が必要ないと思えるくらいに草刈鷲士記念館には誰ひとりとして客と呼べる人間はいなかった。
「しかし、暇だな… もうちょっと何か変わったことがあればいいんだけど…」
僕は読みかけの参考書を机に置きつぶやいた。
僕が受付をしている本来の理由は一番上の姉から『記念館の中には危険で貴重な品物が展示してあるし、あんたが一番鷲士君に似ているからお客さんも楽しんでくれるから、ここに居なさい』と言われたのだが…。
『今では経費削減以外の理由の何物でもなくなっているからな』
というのが僕の正直な感想である。
『まあ、勉強時間が取れるのはいいし、まあバイトとしては楽なんだけどこう暇だと、少しつらいな、少しだけ隣がうらやましい… 』
隣の美術館は麟太郎兄さんと美緒姉さんの二人が描いた絵を見に土・日・祝日には長蛇の列が並んでいるし、『家族の肖像』と言うテーマで描き続けている、草刈家の美男美女を描いた絵画を見に来る為にかなりの数の客が訪れるのだが… 。
『本館であるはずの記念館のこっちにお客さんが来るのがかなり珍しいからな、そのうちこっちが縮小されてあっちが本館を使用するかもしれない、そうなったら新しいバイト探さないとな』
と僕はそんなことをぼんやりと考えていた。
「こんにちは、鷲矢さん」
あんまり楽しくない考え事をしていた僕に声がかけられた。
「おや、響君、またここに来たのかい、君だけだよ、何度もここに来る人は、ほかの人は一度来ると誰も来ないからねえ」
僕は苦笑して目の前の少年にそう答えた。
幸貴兄さんの子供の響君はこの草刈鷲士記念館の珍しい数少ない常連でよく僕と話をする関係だった。
たまにだけどいくつか差し入れを持ってきてもらったこともある、気の利く子なのだ… 。
響君はきちんとお釣りが無いように受付の上に子供料金をおき、僕もそれを数えてから受け取って料金入れの缶に納める。
「おや、響くんかい、それはなんだい」
僕は響君の手に持ったものが気になって尋ねた。
「お弁当です、愛妻弁当じゃないけど、愛情は入っている手作り弁当だよ、鷲矢おじさん、一緒に食事とりませんか?」
響はそう言って包みに入った大きな弁当箱を僕に見せた。
「そうか、じゃあ一緒に食事を取ろうか、僕は職員用の弁当を食べるしかないけどね」
そろそろ昼時だし、いつも一人で食事を取っていたから、この子と食べるのも良いかもしれない、そう思って僕はうなずいた。
ただ僕は味気ない職員弁当だから、少しだけ響君がうらやましい、と思っていたら、
「鷲矢さん、すみませんけどお弁当を取り替えてくれませんか、嫌いなおかずが入っているから、お願いします」
響君がそう頼むので、つい「そうかい、でも好き嫌いはだめだよ」って言ってお弁当を受け取って響君を受付室に招いていた。
「いやあ、こんなおいしい食事は久しぶりだよ、まったく、これだけでも幸貴兄さんがうらやましいな…、料理のうまい奥さんか、これが理想だからな…」
響君から金属製の弁当箱を受け取った僕は弁当を平らげていた。
まったく響君は贅沢だな、こんなおいしいお弁当で好き嫌いをいうなんて、まったく贅沢だよ。
しかし幸貴兄貴がうらやましいな、いつもこんなにおいしい飯を食べているなんて、まったくそれだけは幸貴兄さんは幸せだぞ…。
「あれ、いつも食事はどうなされているんですか」
響君は僕用に用意された職員用の弁当を食べていた。
ただ食事を取っている最中にもお茶を入れてくれたり、よく気がつくことをしてくれていた。
「いやあ、いつもはあんまりおいしい食事を取っていないからな」
僕は『あいつがおいしい飯を作ってくれたら』なんて思っていた。
「ふうん、鷲矢さんの彼女って料理が得意ではないんですね」
食事を終えて響君はにこやかな笑顔のままとんでもないことを言ってくれた。
「なっ、何でそれを」
僕はあせってそう言っていた。
響君に知られているって事はもちろん他の家族にも知られているって事で…。
いけない、このままでは家に帰ったら、家族にからかわれると思っていたら、
「かまかけです、でもやっぱりそうでしたね」
響君はにっこりと笑って響は携帯を操作していた。
『いつもはあんまりうまい食事を取ってはいないからな』
と先ほどの僕の言葉が携帯から言葉が流れてきた。
「響くん… 、それは」
僕は一筋、背中に汗が流れるのを感じていた。
「音声録音機能付の携帯だそうですよ… いくら鷲矢さんがフェイスレススナイパーと呼ばれていても電波までは打ち落とせないでしょう? あっ、ちょっと待ってください」
僕と話している最中に響君がいくつか持っていた携帯の一つが鳴ったので響君は慌てて携帯に出ていた。
「もしもし、幸貴さんですか、ぜひお願いしたいことがありまして、今回の報酬は…」
僕の耳に携帯の向こうから冷静な、ビジネスライクな口調が聞こえてきた。
この声は紗慧さんの声と認識している最中に… 。
「もしもし、ボク、響、お父さんもお母さんもいないし、ボクちいさいからよくわかりません、じゃあ失礼します」
話の途中で響君は妙に幼い声で割り込んで、
「あっ、ちょっと…」
紗慧さんの制止の声に耳を傾けずに響君は携帯を切っていた。
「鷲矢さん取引の続きですけどよろしいですか」
笑顔のままで響君は静かに僕に取引を持ちかけた。
僕の目にはこの子供の笑顔が悪魔の笑顔に見えていた…。
「ここで君から携帯を奪うって選択肢は?」
僕は落ち着いて響君の言葉に応じようとしたが… 。
「ああ、そうですね、でももう既に転送は終了していますから」
「なにぃ!」
単に携帯だけ奪えば良いと考えていた僕は響の言葉で顔色と余裕をうしなっていた。
「ひょっとして鷲矢さんは電波をも打ち落とすかもしれないって思ったので、念のためにさっきの紗慧さんの電話をしながら僕のパソコンに転送は終わりました、後は時間になったら鷲矢さんの『彼女』に勝手に音声メールで送られますから」
笑顔のままでとんでもないことを言ってくれる子だと思っていた。
「彼女のアドレスはどうやって分かったんだい、響君」
僕は落ち着いて冷静に考えろと自分に言い聞かせてそう言った。
「鷲矢さんの部屋で、妙なアドレスがあったので、なんとなく」
僕は響の返事を聞いて焦りを隠せなかった。
妙に気が利くし、妙に鋭いのだ、目の前の子は…。
…まるで心を読んでいるかのように… 。
「もし僕が君を力ずくで言うこと聞かせようとしたら?」
僕はやや凄みのある顔をして響君をにらみつけた。
「おば…、おねえさんたちの前で鷲矢さんにいじめられたって泣いて訴えるだけです…、もし協力が発覚しても僕に脅されたと言うことにしておけばいいですよ」
けどそんな表情も響君にさらりと流された。
「あっ、そうそうこれは鷲矢さんにお願いするためのお礼です、いくつかのデートスポットをまとめた物です、カップルで行くと大変いいムードになれるそうですよ」
僕がどうしようかと考えていたら響君はいくつかのメモをポケットから取り出していた。
「響君、これは?」
「『年上のお姉さまたち』にお勧めのデートスポットを聞いておきました、僕が『好きな女の子をデートに連れて行きたいから教えてくれませんか』って言ったら、みなさん喜んで教えてくれましたから、とりあえずこれは必要ですか?」
響君はにっこりと笑いながら取り出したメモを僕の前に見えるように置いた。
ほんの少し見えるだけでも、お勧めのコースやお勧め料理などがいくつも書いてあり、しかも予算計算まで行ってあり、実に実用的なものに見える…。
「…参考までにもらっておくよ…、ちなみのこの事は…」
僕はメモを受け取り、探るように響に問いかけた。
「何のことです、僕は鷲矢さんの彼女なんて知りませんから、ただ鷲矢さんはお弁当で僕の言うことを聞いてくれただけですから」
そう言って何の含みもないような笑顔で響君はにっこりと笑う。
「響くん、君は将来、大物になるよ…」
「いえ、これは紗慧さんの手口を勉強させていただいただけですから、お世辞はご本家にどうぞ、僕の手並みはありませんので」
僕の放った皮肉すら響は静かに受け流した。
「鷲矢さん、僕の望みは唯一つ『お父さんとお母さんが幸せな一日をのんびりと過ごすこと』です、協力していただけますね」
響君は笑顔のまま目だけ真剣に僕に問いかけていた。
「鷲矢さん僕はお父さんやお母さんに楽しい時を過ごしてほしいだけです…、お母さんはいつも何にも言いません、だけどお父さんが忙しくて側にいないのでいつも寂しそうな顔をしていますから…、
だからこんなことをしました。ごめんなさい」
響君は静かな表情を浮かべて僕に頭を下げていた。
母親を父親に取られた子供の悲しさといった表情でなく、母親の哀しみを理解してその上で哀しんでいるかのような表情だった。
さっきまでの良い子の顔でなく、哀しさ知っている大人の顔。
「僕はお父さんやお母さんに幸せになってほしいだけです、お父さん、お母さんだけでなく鷲矢さんも含めたみんなの人が幸せに…」
「僕もかい?」
僕は響君の言葉に、おやっと思って問い返していた。
「ええ、ですから鷲矢さんが知られたくない事があるならば、ぼくはなにも知りません、ただそれだけです、それが僕の答えです」
静かに淡々と言う響君を僕は黙って見つめた。
それは一度した約束は守るという男の顔をしていた。
「わかったよ、僕はお弁当で買収されたんだったね」
やれやれ、高いお弁当だったなと僕は苦笑を浮かべていた。
それが僕の出した答え、響君はそれを理解していた。
「すみません、おねがいします」
響君はすまなそうに静かに頭を下げていた。
「とりあえず、僕はどうすれば良いのかな」
「二人に気がつかなかった事にしておいてください、後は当人達同士でうまくやるでしょう、下手な手助けはしないほうが良いですよ」
僕は響がいつものような笑みを再び浮かべるのを見ていた。
「わかったよ、じゃあ、幸貴兄さんや舞姉さんがきた事に気がつかなかった、これでいいのかい」
「ありがとうございます、ではこれを洗ってきますから」
そう言って汚れた食器を持って僕が止めるまもなく響君は立ち上がって部屋の流し場まで持って行った。
響君が手馴れた様に流し場で食器類を洗っている背中を僕は見ていた。
「響君、僕や紗慧さんはいいとしても他の人はどうするんだい?」
僕は疑問に思ってそう言った、僕は幸貴兄さんに手伝ってもらいたがっているのは紗慧さんだけじゃないことを知っている。
「大丈夫です、もうすでに手配は済んでいます」
「手配って、なにをしたのかな、響君」
「聞きたいですか?」
僕に背を向け洗い物を片付けながら、響君はそう答えた。
「いや、いいよ、何かいやな予感がするから」
僕は背中に止まっていた冷たい汗が勢いよく流れるのを感じた。
「…賢明ですね、大丈夫ですよ、苦痛は味わっていないはずですから、肉体的苦痛は何も無いはずですから… 」
「精神的には?」
響君は無言のまま何一つも答えなかった。
だから僕は余計に怖かった、僕の半分も生きていないこの子を…。
「じゃあ僕は館内を回ってこようと思っていますから」
洗い物が終わった後、響君は一礼して受付室を出て行った。
「一つ聞きたいけど、響君の楽しいって感じる時どんな時だい?」
僕は響君の背に問いかけていた。
「みんなが幸せである時ですね、それが僕の幸せです、後ここにいるときですね」
僕は金属製の弁当箱を持ったまま振り返って答えた、響君の笑顔の返事に苦笑して、立ち去る響君を見送っていた。
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