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─────6─────
さまざまな思考が、美沙の頭の中を駆けめぐった。
トラックに轢かれかけたとき、自分を助けてくれた。すっごい大食漢で、みててこっちが呆れた。
私たちを助けようと駆けつけてきてくれたけど、うっかり私たちが着替え中の時に飛び込んできちゃって、
慌てて出ていったこと。そっかあ、そう言えば冴葉は目の前にいたから見られちゃったのよね。
何かというと子供扱いするし、出会って一日も経ってないけど、悪い人じゃあ無いと思っていた。人を見る
目には自身があると思っていた。・・・なのに、それなのに!!
───俺はあんたらの敵だ───
沈黙を破って問いつめる美沙。
「嘘よ! なんで、なんで霧宮さんが私たちの敵にならなくちゃいけないのよ!?」
霧宮は即答する。
「霧宮祐司は偽名、本当の名はとっくの昔に捨てた。今ではこう呼ばれている、『名無しの亡霊』ってな」
「名無しの亡霊・・・? まさか、ネームレス・ファントム!?」
微かにこわばった冴葉の声。
「冴葉さん、何か知っているんですか?」
「知ってるも何も・・・」
その声に鷲士は振り返った。見れば、美沙が強く唇を噛みしめていた。
「ミュージアムのハイキュレーターよ・・・!」
美沙の口から飛びだしたミュージアム、そしてハイキュレーターという言葉に全員が身構える。
「やっぱり、嬢ちゃんの方が知ってやがるか・・・」
「それくらい、当然知ってるわよ! 神出鬼没のハイキュレーター。ミュージアム内部にも本当の名を知る者
はなく、付けられたコードネームは名無しの亡霊、即ち『ネームレス・ファントム』ってね!」
美沙は激昂したまま、FTIのデーターベースに記述されている情報を読み上げる。
「まあ、そう言うこった。なら、俺がここに来た理由は当然わかるよな?」
「それはわかりますけど・・・。じゃあ、なんでさっきは・・・?」
「気になんのか? 訳は色々と有るんだが、まあ一宿一飯の礼があったしな」
霧宮は何歩か後ずさった。一歩一歩足が退かれるたびに、今まで一緒にいた霧宮祐司という存在が遠くなっ
ていくような、そんな感じがした。間合いを取り、腰を深く落として半身の構えを取る。
「あんたらだって、丙子椒林剣を手に入れたいんだろ? だったらどちらかが退くか闘うか、二つに一つ。俺
としちゃあ、できれば闘いは避けたいが、少なくとも俺の方に退くつもりはねえ」
かつて霧宮と名乗った男はきっぱりと言い放つ。それを受け、鷲士も答える。
「僕だって、できれば争いはしたくない。だけど貴方がミュージアムの人間である以上、丙子椒林剣を渡すわ
けには行かない!」
「交渉決裂、だな。だが、ミュージアムには渡せないってのは心外だぜ」
「目的のためには人の命とかなんかちっとも省みない人達が何を言ってるんですか!?」
「あえて否定はしねえよ。だが、野放しになっているよりは遥かにましなんだぜ。世間からは存在すら認めら
れねえハイアート。少なくともそれが心の弱い、誤った奴の手に収まっちまうよりはな」
何かあるのか言葉を切り、深い悲しみに満ちた瞳を見せる霧宮。
「なあ・・・そろそろ始めねえか?」
鷲士と霧宮が同時に床を蹴る。
「九頭・右竜徹陣!!」
必殺の右ストレートを放つ、気を込められた一撃は鎧はおろか敵陣そのものを貫くという。だが・・・!
「うぉおおお!!」
霧宮もまたそれに呼応するがごとく固めた右の拳を繰り出す!!
鉄の塊同士を打ち付けあったような激しい音、大気が震える。一瞬遅れて生じた衝撃が辺りの空気をはじき
飛ばし、巻き起こる旋風。
両者は拳の反発力で吹き飛ばされ、再び距離が開く。
受け身を取り、一回転して起きあがる鷲士。
「驚きました、まさか右竜徹陣を相殺するなんて・・・」
激突した壁から瓦礫をはねのけて立ち上がる霧宮、その顔には驚愕と称賛があった。
「相殺だと? 馬鹿言え、俺の腕は痺れやがった。あんなの何回も受け止めてられっか! ・・・へへへ、さ
すがはダーティフェイス、易々と勝たせてはくれねえな」
「だったら、退いてもらえませんか?」
「却下だ。それになあ、俺は易々とは、って言ったんだぜ。むしろ、勝率は俺の方が上だな、つうわけで退く
理由がねえ」
不敵な笑みを浮かべる霧宮。その顔に、どこかばつの悪さを同居させて。
「ヒントだ。いくら生ける伝説とはいえ、その正体があんた」
そう言って霧宮が柄だけの剣を振るうと、朱い光が刃の形へと収束する。
「正解は! CMの後だああ!!」
よくわからないセリフを言い放ちながら、朱い刃の剣を中段に構え、突撃する。標的は鷲士ではなく・・・
その後ろで闘いを見つめ、そして霧宮の言葉で呆気にとられていた美沙。
「へっ、私!?」
突然現れ、自分の身へと迫ってくる「死」。
既視感。
霧宮と出会ったときの情景がまた、走馬燈のごとく美沙の脳裏に浮かぶ。
ただし、迫ってくるのは大型トラックではなく、その時自分を助けてくれた霧宮。鷲士もまたあの時と同じ
ように床を蹴り、美沙を救おうとして突き飛ばす。
「それが・・・答えさ・・・」
鷲士の全身から力が抜けていく、ぼそりとした声が聞こえた。
光の刃が、美沙を突き飛ばし、体勢の崩れた鷲士の体を深々と貫いていた。
─────7─────
腹部から刃を生やしたまま、右腕で相手の肩を掴むことによりかろうじて倒れることを拒む鷲士。
だが、突き立てられた大剣が横に薙がれるとその腕の力もゆるみ、肉体は力無く床へと倒れ伏す。
周りで見ていた者には、その事態を認識するのに数瞬の時間を要した。
「鷲士君、鷲士君!?」
「鷲士さん!?」
硬直から解き放たれた美沙と冴葉、二人の叫びが唱和する。
鷲士の側へ駆けつけようとした二人の前に人影が立ちふさがった。
美沙達の前に立ちふさがった男は他でもない、鷲士を斬った張本人。
霧宮祐司。それとも、名も無き亡霊と呼ぶべきか。
「予想通りか・・・やっぱり兄ちゃんだなあ」
そう、霧宮はあの時美沙へと突撃したために、鷲士に対して明らかな隙を見せていた。
もしあの時霧宮に対して攻撃をしかけていれば、床に倒れ伏していたのは美沙ではなく、鷲士でもなく、霧
宮自身だった可能性の方が遥かに高い。
だが鷲士は、霧宮への倒せるかどうかわからない攻撃ではなく、自分を犠牲にすることで確実に美沙を助け
る道を選んだ。
結果、鷲士は逆に霧宮へと隙を見せてしまい、それ故に霧宮の一撃をまともに受けてしまったのだ。
そして、それは霧宮の予測通りでもあった。
「ホント兄ちゃんは甘いと言うかなんというか・・・だけど俺はこういうの好きだがな」
「好きだぁ!? 鷲士君を斬っといてなにを馬鹿げたこと言ってるのよ!? 鷲士君の仇。あんたなんか、あ
んたなんか・・・死んじゃえぇ〜〜!!」
絶叫する美沙は手にしていたOICWを霧宮にロックオンし、連射する。
放たれたエアバーン・ブリットは、鷲士の体にダメージを与えない位置へと移動し爆発、衝撃波を発生させ
て霧宮を貫く。
「ぐはっ・・・」
「ボス、落ち着いてください。ここであの男とやり合っても、被害が大きくなるだけです!」
軽くたたらを踏む霧宮、なおもOICWをうち続けようとした美沙を冴葉が制止する。
彼女自身動揺が無かったわけではないが、完全に取り乱した美沙を見て逆に平静さを取り戻したのだ。
「なによぉ、冴葉。止めないでよ。あいつ、鷲士君斬ったんだよ? 殺したんだよ? なんで、何で止めるの
よ・・・」
『パシィィィン!!』
乾いた音。
美沙の頬に冴葉の平手が打たれる。片手で頬を押さえ、呆然とする美沙を冴葉が叱咤する。
「失礼。ですがボス、これだけは言わせてもらいます。決めつけてはいけません。まだ鷲士さんが死んだとは
決まっていないのですよ? しっかりしてくださいボス。今は鷲士さんを救うことが、何より一番大事なので
はないのですか!?」
『死んだとは決まっていない』このフレーズで美沙は我を取り戻した。
「そうよ・・・そうよそうよそうよ!! ごめん、私どうかしてた。鷲士君を助けることが一番大事、冴葉そ
うよね!?」
「もちろんです。それに、我々『ダーティフェイス』は絶対あきらめないとは、いつもボスが言っていた言葉
ではありませんか」
うなずき会う二人。
相手は鷲士君に匹敵する身体能力の持ち主、だが何としても出し抜いてみせる。
そんな決意を二人が固めたとき・・・
「いやあの、盛り上がっている所本当に悪いんだが・・・」
どこか間の抜けた声を上げたのは霧宮祐司だった。
「なによ、今あんた出し抜くための作戦いろいろと考えているんだから」
「嬢ちゃん達の話聞いてると俺があの兄ちゃん殺したように聞こえるんだが?」
すさまじい剣幕で睨み付ける美沙。
「殺した!? ひどいこと言わないでよ、鷲士君が簡単に死ぬはずないんだからぁ!」
そう言われて霧宮はわしゃわしゃと髪の毛をかきむしり、ぽりぽりと頬を掻きながら、やっぱり勘違いして
らぁと呟いた。
「言っとくが、俺は兄ちゃん殺してねえぞ。つうかむしろ、充分な休息と食事だけで完全回復する」
あっさりとそう告げる霧宮。
「はへっ!?」
「今、兄ちゃんは肉体的にも精神的にも極限まで衰弱しているだけなんだよ。この俺が持つハイアート『降魔
の利剣』の真の刃の方で斬ったし、何より死なねえ程度に手加減しといたからな」
手にした大剣を見せる。その刃の色は、美沙を狙ったときに見えた朱ではなく、蒼であった。
「かつて不動明王が人々の煩悩を断ち、仇成す魔物どもを調伏するために使用した剣。手にしたとき作られる
は赤き物理の刃、こいつは使い手を選ばねぇ。どんな馬鹿にでも赤い刃なら振るえる。もっとも切れ味が多少
良い程度で折れねえ事だけが取り柄、ハイアートの中でも最弱のランクに分類されるがな」
蒼から朱へと刃の色が変わる。軽く振るうと、風呂場の壁が削り取られる。
「されど選ばれし者に見せる真の姿は蒼き刃。汚れし精神を切り裂き、魔物が使う術・あらゆる力そのものを
霧散させる」
再び、朱から蒼へと刃の色が変わる。同じく壁に向かって剣を振るうが、今度は壁を通過しただけで傷つけ
ることはなかった。
美沙はふと鷲士の方を見る。確かに、あれだけ派手に斬られたくせに血が一滴たりとも流れていない。
「肉体を動かそうとする精神力、肉体そのものに宿る活力、そして体中の気の流れを断ち切った。死んでねえ
から何日かすれば元通りだ、それまではまともにうごけはしねえだろうがな」
「別に殺すのが目的じゃねえ、俺が丙子椒林剣を手に入れるまでの時間が稼げれば良いわけだからな。あんた
らは気に入ってるんだ、特に兄ちゃんは他人のように思えねえし。ただな・・・」
この言葉を口にする時、霧宮はいつも瞳に悲しみを満たす。
「金輪際、ハイアートには関わるな。あれに関わるのは、俺達だけで良い」
「なんでよ? 私にだって、いろんな理由や目的があって来訪者の遺産を探しているの。理由もなくハイそう
ですかって止めるんだったら、ここまでやらないわ!」
美沙にそういわれてしばらく考え込む。そして、何かを決意したかのようにゆっくりと顔を上げる。
「理由か・・・そうだな、ちょっとした昔話はどうだ?」
「昔話? そんな物で私が納得すると思うの!?」
だが、霧宮は美沙の声をあえて無視して話を始めた。
「昔々あるところにお兄さんと、それはそれは美しいお姉さんがいました。二人は、貧乏だけども幸せに暮ら
していました。ですが、その幸せも長くは続かなかったのです・・・」
─────8─────
「帰ったぜ」
夜遅く、ガチャリと音を立てて家の中に体中に若さと活力をみなぎらせた男が入ってくる。年は20歳。
「お帰りなさいあなた」
艶のある黒髪を長く伸ばした美しい女性が出迎えた。名前は遥香、年は18歳。男の妻である。
男は嘉神とか言う武術道場での仕事と、重労働系のバイトで生計を立てている。
詳しくは省くが、二人は大恋愛の末に貧しくとも幸せな新婚生活を過ごしていた。
「今日の稼ぎだ。・・・わりいな、いつもこんな暮らしで。辛いだろ」
「そんなこと無いわ、貴方の方がよっぽど大変なんだし、私、一緒にいられることが幸せなの」
「そっか・・・そういや街で聞いたんだが、例の連続殺人事件、また新しい被害者が出たんだとよ」
「まあ、物騒ね」
そう言う遥香、だが表情からはちっとも物騒と思っているとは思えない。
「手口はまた同じ、若い女性、それも一人でいた所を何かでざっくり。刃物っぽいんだが、やっぱり既存の凶
器には該当する物が見あたらねぇんだと。目撃者が赤い光の剣がそうだとか言ったらしいが精神状態もあった
し、警察は相手にして無ぇって」
ま、俺も信じられねえしなと付け加える。
「だからよ、昼間はお前の側にいてやれねえし、くれぐれも用心しとけよ」
「わかったわ。ねえ貴方、私何だか怖くなって来ちゃった。一緒に寝てくれない?」
くすりと微笑む遥香を心から愛しく思い、男は優しく遥香を抱きしめた。
「じゃあ行ってくる。多分今日は早く帰れると思うぜ」
仕事へと向かう男。その後ろ姿を見送ってから、掃除や今日の内職を頑張って早めに終わらせ、日がやや傾
き始めた頃、料理の支度へと取りかかる。
今日は二人が出会った記念日。ちょっと贅沢して、大家さんも絶品だとほめてくれた筑前煮を作ろう。
「るるる〜♪」
軽く歌を口ずさみながら下ごしらえを済ませる。後はしっかりと煮て味を調えるだけだ。
その時、ガタリという音が聞こえた。夫が帰ってきた・・・とは違う。扉に鍵はかけていないし、そんな音
は立つはずがない。
(大家さんかしら? 開かなくなった窓の修理でもしてくれてるのかな)
またガタリと音がする、ガタ、ガタと何回か音が続いた後、今度はガシャンとガラスの砕かれる音がした。
男は上機嫌だった。道場の人が気を利かせてくれて、思ったよりも早く帰れたからだ。
途中で商店街の花屋に寄り、遥香の好きな花束を買うことも忘れない。ちょっと懐が痛いが、遥香が喜ぶと
思えば、それも大した問題でなくなる。
その後は寄り道せず家路を急いだ。階段を上り、角部屋の扉を開ける。鍵がかかっている、たぶん買い物に
でも出かけているのだろう。
「よう、思ったよりも早く帰れたぜ・・・」
誰もいないはずの部屋にそう言いながら入る。
凍りつく。
血で汚された玄関、平和な日常は今終わりを告げようとしていた。
「遥香、無事か!?どこにいるんだ!?」
荷物を放り投げ、鉄錆の臭いが強く鼻を突く中を急ぐ。そして目にしたのは無惨な姿となった最愛の人。
血は、もう流れていなかった・・・
「遥香、遥香!? しっかりしろ。こんなところで寝るんじゃねえ、起きろよ、起きてくれよぉ。おい!!」
いくら呼びかけても返事しない骸。だが、抱きしめた両腕の中で薄れつつある温もりが、彼女が殺されて間
もない事を教えてくれた。
殺したやつは多分まだこの近くにいる。男は慎重に辺りの様子をうかがう。
男の視線が、別の人間のそれと合った。
「ばれちまったか。迂闊だったぜ、顔も見られちまったしよぉ」
中肉中背のどこにでもいそうな男。返り血を浴びた服を替えている間に男が戻ってきたらしく、下半身に血
染めのズボンを掃いたままであった。
「貴様が、貴様が遥香を殺したのか!!」
「遥香ぁ? ああ、それのことか。ずいぶん抵抗してくれたぜ。全く、斬りごたえのある女だったなあ」
そこまで言って下卑た笑いをあげる。顔に浮かんでいるのは狂気。生き物を解体することにのみ、見いださ
れる狂った快楽。
「前から犬や猫じゃ物足りなくてよ。いつも人間を斬ってみたいと思ってたんだ。そんな時、偶然にもこいつ
を骨董屋で見つけたんだ。いいぜぇ、警察もこいつのことはわからないようだしよぉ」
そいつが手にしていたのはゆうに1mを超す太刀。警察もこんな物が凶器だとは信じたくないだろう。
血が全く付いていないにも関わらず、刃は禍々しい血の色を見せていた。
「そう言えば、死ぬ前まで誰かの名前言ってたなあ。あんたのことかなぁ? 心配するなって。知られた以上
は一緒に斬ってやるからよ」
「貴様ぁ!! 貴様だけは絶対にゆるさねぇ!!」
相手は慣性を無視したように、滅茶苦茶な軌道で剣を振り回してきたが、実際の腕はとんだ素人だった。
対する男の方は基礎と初歩の技を多少程度だが、雇われ先の道場で稽古をつけさせてもらっている。
奴も最初は、自分の弱さ故に得物を吟味していたのだろう。だが、人を斬ることに狂った男にもう正常な判
断力は無かったのかもしれない。
単調な太刀筋を見切り、剣を振り下ろしたところを狙った掌底を腕に叩き込んで剣を落とさせ、相手が拾う
前に転がった剣を拾い上げる。剣は、驚くほど重さを感じなかった。
「ひぃっ!!」
あっさりと、狩る側から狩られる側へと代わった男は、情けない悲鳴を上げた。
最愛の人を殺された男の怒りと悲しみは頂点に達し、理性の火は吹き荒れる殺意の前に吹き消されようとし
ていた。
だが、剣を振り上げた男は、その時自分自身の手に気づいた。
遥香の血で染まった自分の両手は哀しいほどに鮮烈な色。
それが、殺意に消えそうな理性を呼び覚ました。
心にはまだ、怒りと悲しみが入り混じったどうしようもないやるせなさが残っている。
しかし二度と自分を見失うことはない。
そして変化は唐突に訪れた。
手にした剣から一度刃が消え、再び現れる。ただしは血の色ではなく、底知れぬ深い蒼色。
柄から伸びた綱が逃げようとしていた相手を絡め取る。この許されざる男に何をすべきかは決めていた。
蒼い刃を振るう。
一刀両断、断罪の刃は狂った心と記憶を切り裂いた。裁きは、生きて罪を償うこと。
この事件は犯人の自首と言う形で終了する。ただし、犯人には自分が罪を犯したという記憶と罪悪の念しか
残されておらず、真相が明らかになることはなかった・・・
町はずれの小さな共同墓地。既に枯れてしまった花束を供える影が一つ。
「用事は全て終わったな? では、この前の問いの答えを聞かせてもらおう」
どこからともなく別の人影が現れ、男にそう告げる。あの時・・・
振り下ろされた断罪の刃が狂った心と記憶を切り裂いた。
全てが終わったことを悟り、溜まっていた物が一気にあふれ出す。涙の代わりに心を流しきった男の心は空
虚となっていた。
だが蒼い刃を手にした男は、既に平穏を許される身ではなくなっていた。
「これは面白い物を見させてもらった」
突如として聞こえた何者かの声が、男の自我を覚醒させる。
「誰だ!? お前もあいつの共犯か?」
「くくく、共犯者とはずいぶんな呼び方だな。私の目的はそんな事ではない、貴様の持っているその剣だ」
値踏みするような視線で男を見据え、意識次第でどんな表情にもとれる顔をしながら次の言葉を続ける。
「その剣、我々がハイアートと呼んでいる物の一つだ」
「何だと!?」
遥香の命が失われる原因となった剣、それと同類に分類される品が他にもあるというのか。
「いずれも古代の超科学が作り上げた世間に認められる事なき品だが、我々はそれらを回収し管理することを
その旨としている」
驚愕する男の表情を観察し、満足げな表情を浮かべる。
「貴様の持っているその降魔の利剣は、誰にでも使いこなせる品と言うわけではないのだよ。そこでだ・・・
貴様、我々の組織に入らないか?」
しばし解答に悩んだ男の答はこうだった。
「しばらく、時間がほしい。俺があいつのことを全てし終えるまで、待ってもらえねえか?」
住んでいたアパートを引き払い───大家は本当に申し訳ないとずっと謝っていた。私が残っていれば良か
った。もう二度とこんな事は起こさせません、と。
彼女に何ができたかはわからないが───彼女の亡骸ををここに葬り、そして今、男の出した答えは・・・
「これと同じ物を回収し管理する集団だと言ってたよな? 俺は遥香と同じ目に遭う人が出るのを防ぎたい。
是非、あんたの言う組織に入れさせてくれ」
恐るべき力を秘めた品が他にあるというのなら、遥香のような悲劇を起こすことが必ずあるに違いない。
全てはその可能性を少しでも減らすため。世界中に点在するという物を探すには、この組織の手を借りる必
要があった。
「良かろう。我々の組織の名はミュージアムという・・・」
「・・・昔話はここらで終わりだ。考えて見りゃ俺以外にはどうでも良い話だろうけどな。だが、これだけは
言えるぜ。アレは今の人間にとって過ぎた代物だ、使えば使うほど不幸を告げる」
13年前、偶然にもそれは鷲士が九頭竜を学ぼうとし、美沙と樫尾が息づき始めた運命の年でもあった。
同じ年に全てを失った男の話は、美沙と冴葉から言葉を奪うのには充分な重さであった。
「ハイアートは、俺達が厳重に管理する。だから嬢ちゃんらが手に入れているハイアートを全部引き渡しな。
そんでもってハイアートには二度と関わるな。あれは子供のお遊びで済む様なもんじゃねえ」
「・・・・・・・・・」
美沙はうつむいたまま何も言わない。
「兄ちゃんにも伝えときな。そして、それでも退かないと言うのなら、子供をしつけるのは大人の役目だ」
ようやく何か言おうと、美沙が顔を上げた。その時には既に、霧宮は忽然と姿を消していた。
─────9─────
どこまでも続く闇、どこか霧のかかった意識だけが体を抜け出して漂っている感じがする。
(・・・・・君・・・)
誰かに呼ばれている気がした。霧が少しずつ晴れていく。
(・・・鷲士君・・・)
鷲士、僕の名前だ。確か僕は美沙ちゃんをかばって・・・美沙ちゃん!?
ああそうだ、美沙ちゃん大丈夫かな? なんたって美沙ちゃんは僕とゆうちゃんの大事な・・・・・・
闇の中に一筋の光、そして僕はゆっくりと目を開いた。
「ふあぁぁぁ、美沙ちゃんおはよう。ところで、何だか凄く体がだるいんだけど・・・」
寝ぼけた声を上げる鷲士だったが、次の瞬間頭を驚きが支配した。
腕につながった点滴の管、脳や左胸には電極が張り付けてある。その先はいろいろな機械につながっていた。
そして何より実の娘の、自分を見つめる張りつめていた顔に浮かんだ、心配と安堵の表情。
「良かった、鷲士君起きてくれて本当に良かったよぉ!!」
メノウ色の瞳に涙をうっすらと浮かべる美沙に向かって鷲士は気弱な笑みを浮かべ、頭の中を整理しながら
うまく力の入らない上半身をゆっくりと起こした。
(そうだ、僕は美沙ちゃんを霧宮さんから助けようとして・・・)
「美沙ちゃんゴメン、心配かけちゃったね?」
「本当よぉ。死んでないって言ってたけどぉ、凄く心配だったんだからぁ!!」
室内の変化を察したのか、ふすまを開けて冴葉も入ってくる。
「鷲士さん、よくぞご無事で」
「あはは・・・あんまり無事ってわけでもないみたいです」
痛み等は全くないが、頭は重いし体はまだ少しふらふらする。体中の気の巡りも完全ではない。
「当然でしょう、まだあれから半日しか経っていないのですから。むしろ、たった半日で目覚められた事の方
が驚きですわ」
美沙と冴葉は鷲士が倒れた後のことをゆっくり語り始めた。
「そう、そんなことがあったんだ‥‥‥」
霧宮の去った後、美沙と冴葉は鷲士を運び、治療を行った。鷲士は深い昏睡状態にあり、肉体がだいぶ衰弱
していたが命に別状はなかった。だが、そもそも鷲士は常人と比べて体の使い方が違う。よって、万が一の事
を考えかなりの機材が投入されていたのである。
しかし、鷲士の治療が行われている間に、いつの間にか銃器を中心として装備の大半が使用不能にされてし
まっていた。おそらくは霧宮の仕業である。
「食べ物も結構被害にあったの。今朝の分のご飯、みーんなもってかれたんだからぁ」
おかげでお腹ぺこぺこよぉと愚痴をこぼす子猫様。
「ええ、これで相手に補給を許すことになってしまいました。おそらく、エネルギー摂取の仕方は一般人と変
わらないと思われますので・・・」
朝食を奪われたという一見たわいのない話、その裏に秘められた事態の重さに少し緊張を帯びた声の冴葉。
鷲士はあることに気づいた。
「ということは、まだトレジャーハントを続けるつもりですか?」
「はい、これはボスが決断しました」
先ほどとは打って変わって、おずおずと口を開く美沙。
「鷲士君が眠ってる間ずっと考えてたの。霧宮さんが言った言葉のこととかいろいろ。やっぱり私、自分のル
ーツを探すことだけは絶対諦めたくない。・・・鷲士君は駄目かな? 私、諦めなくちゃいけないかなあ?」
今まで心を張りつめていたのだろう。震える声でどこか脅えたように鷲士を見つめる美沙に向かって、鷲士
は優しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと首を振った。
「まあ、確かに僕もやり過ぎかなって時々は思うよ。でも、そんなに気にしなくて良い。僕は、君がやりたい
って思ったことをとめようなんてちっとも思ってない」
「グス、ありがとう鷲士君。・・・だからだーいすきぃ!!」
鷲士に飛びつき、感極まってそのまま泣きじゃくる美沙。抱きつかれた鷲士はどこか照れくさそうに、へへ
へと笑った。
その隣で冴葉は、ちょっと照れくさそうな二人の様子を、ほほえましく見つめていた。
「でね、僕からもお願いがあるんだ」
美沙が泣きやみ、首から手を離したところで鷲士は言った。
「ん、なあに?」
「・・・もう一度、霧宮さんと戦わせてほしい」
「───!?───」
予想外の鷲士の願いに美沙は少し考え、
「・・・なんで?」
疑問を投げかける美沙に鷲士は、
「もう一度会って説得したいんだ。それに、無理だった時は、この手で止めるしかないからね・・・」
どことなく哀しげな表情の鷲士の言葉を聞いた後、冴葉は切り出した。
「確かに彼が言う事は間違っていません。ですが我々はプロであり、そのことは彼に言われるまでもなく心得
ております。・・・どのみち、彼との闘いは避けられないでしょうし」
「では・・・」
鷲士と冴葉の視線が美沙の方を向く。二人の視線を受け、腕を組んだポーズで美沙はこくりと頷いた。
「わかったわ、私だって言ってやりたいことがあるしね。でも、まずはしっかり休んで。霧宮さんを止めるん
だったらどのみち、体調ばっちしにしておかなくちゃだめよ」
「ボスの言うことはもっとも。現在、叢雲を使って剣の正確な所在を調べている最中です。場所がわかるまで
の間ゆっくりとおやすみ下さい」
「ありがとう。じゃあ、もうひと眠りさせてもらうね」
そう言うと、安心した鷲士はまた深い眠りの中に落ちていった。
3日後。装備を整え直した実行部隊を引き連れ、美沙は山中奥深くにある絶壁の下にやってきた。
そこに大きく口を開けた地下空洞、平たく言えば洞窟が叢雲によるスキャンニングの結果今回の目的地だと判
明していた。
「さあて、ここの奥に丙子椒林剣があるはずなのよねぇ。んじゃみんな、頑張って行ってみよー♪」
完全に調子を取り戻した美沙の声。
丙子椒林剣を求め、一行は洞窟の中へ足を踏み入れた。
(美沙ちゃん達、大丈夫かな?)
美沙達が洞窟へたどり着いたのとほぼ同刻。鷲士は漆屋で昨日から始めた瞑想の最中だった。
不安だ。
美沙ちゃん達だけを先に行かせて良かったのかな。
トレジャーハントにかけては、自分よりもよっぽど得意なのだし、今回はFTI実行部隊の人もついている
から、滅多なことでは大丈夫だとはわかってるけど・・・
それでももし、霧宮さんと戦う事になったとしたら?
一刻も早く行きたい。でも、霧宮さんを相手にする為にはまだ時間がいる。
───美沙ちゃん、もう少ししたら行くから、それまでどうか、どうか無事で。
「あっちゃあ〜、こいつは厳しいわねぇ」
当の美沙達は立ち往生していた。
「現状の装備での突破は困難ですわ」
岩壁に口を開けた地下空洞、何を隠そうその実体は色布温泉の源泉なのである。
その規模は、ただの洞窟を通り越して天然の迷宮の域にまで達していた。
進めば進むほど増える分岐路。あたりは白い霧・・・湯気で満たされ、壁といわず床といわず高温高圧の蒸
気が噴き出す。
地下水脈を流れる水が、地下数十メートルを越す深さのこの洞窟を通る事で熱せられ、それからしみ出した
湯や湧き出した水が、色布温泉で使用されているのである。
「参ったわねぇ、あの話からこういう展開は予想しとくんだったわ・・・」
「ボス、どうなさいますか? ここは、一時撤退をおすすめしますが」
冴葉が視線をやった先は、落盤によって道がふさがれていた。
美沙の言う「あの話」とは、この色布温泉に伝わる話。
遥か昔戦乱の時代、村を突然の干ばつが襲った。
井戸の水は涸れ果て、多くの恩恵を与えていた湯はぴたりと止まった。
湯治場としてそれなりに栄えていた村はたちまち寂れた。
この土地を捨てて移り住む事も許されず、雨水を溜めることでかろうじて生き延びる。
その日の食料にも事欠く日々が幾年も続いた。
救いは、意外なところから現れた。稲妻鳴り響く夜に拾われた、行き倒れの異装の剣士。
丙子椒林と刻まれた異国の長剣を腰に帯び、薄絹のような衣服は弾力に富んで体を覆っていた。
村人は、このどことなく風格漂う謎の男を介抱した。
貧困にあえぐ村ゆえにろくな処置はできなかったが、ともかく男は体を回復させた。
調子を取り戻した男は感謝の情を表し、村人に世話になった礼に何か願い事は無いかと尋ねた。
私たちの願いはただ一つ、この涸れ果てた村に再び潤いを、湧き出る水の恵みが戻ること。
無理だと知りつつ口からこぼれた望みを、男は簡単な事だと受け入れた。
男はそれから、奇妙な道具を取り出してはあちらこちらを歩き回った。
話の内容はわからなかったが、崩れた「ジバン」が、水源の水をせき止めたのが原因との事。
この地が揺れるから大変危険だと、困惑する人々に言い残し、男は山へと向かっていった。
後を追いかけた勇敢な若者は、男を山奥の洞窟に入っていったきり見失ったと戻ってきた。
しばらくして、大地が大きく揺れ動いた。そして、あれほど涸れきっていた井戸に水が満ちたのだった。
それから男は戻ってきた。剣を失い鞘だけを腰につり下げ、改めて礼を言いに。
村人は皆、去ろうとする男を引き留めようとしたが、男の姿は霞のように忽然と消え去ったのだった。
一見眉唾物に見えるこの話、だが色々なデータと照合して見たところ、どうやら事実らしいという結論に達
したというわけである。
洞窟から村に戻ってきた時には鞘だけであったいうことから、洞窟に剣がある可能性が高い。しかし、話に
出てくる地震によって、洞窟そのものが崩れているということを考慮し忘れたのは、明らかに美沙のミスだっ
たのだ。
「だーいじょうぶ! こんな事もあろうかと助っ人を用意しておいたんだからぁ!!」
どうやら解決策を思いたらしく、美沙は懐からスチャっと銀の懐中時計を取り出した。
「いでよヴァン・カーター。いよいよあんたの出番よ! なーんてね♪」
美沙が懐中時計を天に掲げると、地面に黒いシミがあらわれ、一人の男が浮き上がってくる。
長身痩躯、長い銀髪と鮮血のように紅い瞳を持ち、漆黒のマントに身を包む男。名前はヴァン・カーター。ミ
ーミルの水を啜ったことにより、吸血鬼として数々の力を手に入れ、その代償に人間としての死を失ってしま
った男。
ただ一人愛した女性、ユーリの遺品や肉体の一部を埋め込まれた道具によってしか傷つかず、ある事情によ
り現在は美沙を護り助ける存在なのだが・・・
「こんなところまで呼び出して、今回は一体どのような用なのだ?」
どことなく不機嫌な口調のヴァン。どうやら、ようやく一仕事終えたところのようであった。
「えーっと、ここから先落盤で進めないみたいだから、私たちの変わりにこの洞窟の最奥部まで行ってぇ、刃
に丙子椒林って刻まれてる剣を取ってくんの。私たちは外で待ってるからぁ。んじゃま、よろしくね♪」
ポンポンとヴァンの肩を叩いてにっこりと微笑む。
「ずいぶんと気安く言ってくれるな。お前の父親に一言言ってやりたい気分だが・・・」
「鷲士君は、今拠点でなんかやってんの。そんなことよりヴァン、『ミサ』からお願い、とーぜん聞いてくれるわよね?」
『ミサ』の名前を出されると、ヴァンは承諾するしかなかった。
「・・・わかった、しばらく待っていろ」
そう言い残すとヴァンは霧となり、積み重なった岩石の隙間から洞窟のさらに奥へと消えていった。
「じゃ、その間にみんな外に出るのよ〜」
残された美沙は、お気楽口調で社員に命令を下していた。
数刻後、軽い揺れが美沙達の足元で起こった。それからまたしばらくしてから、ようやくヴァンが美沙の下
へ戻ってきた。
「おっそーい! もう待ちくたびれたわよ」
「思ったよりも深い洞窟でな、探すのに多少手間取った。地面に突き刺さっていたが・・・これが美沙の探し
ていた物か?」
そう言ってヴァンがさしだした長剣には紛れもない『丙子椒林』の文字が刻まれ、幾年月を経ても錆も曇りも
見あたらないその刃からは、普通の剣ではないと感じさせる何かが漂っていた。
「おー、これよこれ。こいつは紛れも無き丙子椒林剣。みんな無事ゲットしたわよ!!」
剣を手に取りガッツポーズの美沙を中心に、喜びの歓声を上げる実行部隊の面々。
「取ってきたのは私だがな・・・」
ヴァンは苦笑いを浮かべていた。気を取り直して美沙に声をかける。
「それはそうとして、抜いたときにずいぶんと揺れたのは何故だ?」
「揺れた? 伝承でもそうだったけど、ヤッパリその剣が地震に関わってるの・・・?」
そう言ってヴァンの方を向こうとする美沙の動きは、唐突に生まれた背後の影によって途中で凍りついた。
「後ろだ美沙!!」
焦りを含んだヴァンの叫びが上げられる。
だが、その時には既に影の正体───霧宮祐司───は、美沙から丙子椒林剣を奪い取っていた。
「悪いが、こいつは俺が横取りさせてもらうぜ!!」
神出鬼没の亡霊が、ついにその姿を現したのである。
「結局、俺が言った程度じゃ考え直させることは無理だったようだからな。今度は嬢ちゃん達を尾行・・・利
用させてもらったてぇわけだ」
距離を取る霧宮。不敵な笑みは相変わらずだが、身に纏う気配が、明らかに旅館の時のそれと違っていた。
「さあて、俺はこいつを持ち帰らせて貰おうか・・・物騒だな、みんなして銃を構えてよ」
「それは私たちが先に見つけたの! さっさと返しなさい!」
自身もOICWの照準を霧宮に向けたまま、警告の声を上げる美沙。
幾人もの精鋭に銃を突きつけられて、手にしているのは今手に入れたばかりの丙子椒林剣ただ一つ。だが霧
宮は、微塵も余裕を失わずいけしゃあしゃあと答えた。
「やなこった」
言うと同時に丙子椒林剣の柄を握り、刃を地に打ち付ける。刃は地面を砕き、石や土を舞い上がらせ・・・
そして、大地が大きく脈打った。
聖徳太子が使っていたとされる二振りの剣。
そのうち、星々を降らす剣である七星剣は天の剣、そして対を成す丙子椒林剣は地の剣であった。
即ち、地面に打ち付けることで局地的な地震を発生させる力を秘めた剣。
霧宮の元から発生した揺れが、指向性を持って美沙達の足元を襲った。
「うわわわわ!?」
いきなりの揺れに、その場にいた全員が体勢を崩し、手にした得物を取り落とす。すぐ揺れは収まったが、
まともに立っていのは揺れの影響を受けていない霧宮だけだった。
「なるほど。確かに、アーカイブから仕入れた情報通りの性能だわ」
振り下ろしていた剣を肩に担いで一人ごちる。美沙はその声を聞き逃さず、霧宮を問いつめようとした。
「その剣がどんな剣なのか知ってるの?」
「ああ知ってるさ、こいつがどれだけ特A級のヤバイ代物なのかもな。もう一度見せてやるぜ」
霧宮がもう一度剣を打ち付ける、一度目よりもやや強く。
さきほどよりも強く長い地震が、立ち上がろうとしていた面々を再び襲い、全員がまた倒れ伏す。
否。
揺れのただ中にあって、平然と立っている男が一人いた。男───ヴァン・カーターは「空」を蹴り、霧宮
に肉迫する。
「なにぃっ!?」
肉体は反射的に手にした丙子椒林剣で受け止めようとするが、頭の方はそれを躊躇する。そして霧宮に生ま
れた一瞬の隙、そこをヴァンは見逃さない!
翻ったヴァンのマントが意志を持って霧宮の右腕を締め付け、一瞬剣を掴む力がゆるんだ隙に丙子椒林剣を奪い取る。
「ちぃぃっ!!」
霧宮はマントを引き剥がして大きく飛び退き、ヴァンは姿勢を立て直した美沙の側に戻った。
「美沙、どうやら知り合いのようだが・・・この男は一体何者だ?」
「霧宮さん。私の命の恩人で、ミュージアムのハイキュレーターな人よ」
「今ひとつ説明が不十分だが・・・まあ良い」
そう言うなり、ヴァンは美沙に丙子椒林剣を押しつけた。
「な、何?」
「良いか美沙、我は今から奴をくい止める。その間にお前達は、この剣を持ってできる限り遠くまで逃げるん
だ。わかったな?」
剣幕に押されて、美沙は思わず頷いてしまう。それを確認した後、ヴァンは微笑を浮かべて美沙の背中を強
く押した。
「さあ行け。それもできる限り遠くまでだ!!」
「わかった、わかったけど・・・ヴァンったら絶対死んじゃ駄目よ!!」
「当然だ、我は不死身だからな!」
走り出した美沙達の背中が、たちまち小さくなっていく。霧宮はそれを追おうとするが、その前にヴァンが
立ちふさがった。
「先ぃ、行かせてくれねえか?」
「ならんな。ここから先へ進むのは、我を倒してからにしてもらおう」
「ちっ、そう言うつもりか。だが格好いい兄ちゃんよ、大層なこと言ってから死んじまっても後悔するんじゃ
ねえぞ。俺の名前は霧宮祐司。だが、別に覚えなくても良いぜ。本名のねえ俺にとっちゃあ、どうせこの場限
りの名乗りだからな!!!!」
降魔の剣に朱い刃を発生させる。
名乗をあげた霧宮に、ヴァンもまた名乗り返す。
「ククク・・・我が名はヴァン・カーター。貴様の言う後悔とやらが果たして実現するかどうか、その身を持
って確かめるが良い!」
二人は対峙する。元人間同士、文字通り人外の戦いが今始まろうとしていた。
─────10─────
「うぉぉぉぁぁぁ!!」
霧宮が走る。ヴァンとの間合いを詰め、朱い刃が幾重にも閃く。
フェイントを織り交ぜて幾重にも繰り出される斬撃を、ヴァンは回避せずその身で受け止める。
刃が振るわれるそのたびにヴァンの肉体はいくつもの「部品」へと変わっていきそして───
───その全てが蝙蝠へと変化して霧宮に襲いかかる。
「なにぃっ!?」
振りはらおうとするが、蝙蝠はしつこくまとわりついて離れない。そのうち何匹かが牙を肌に突き立て、霧
宮の血を吸い上げ始める。
「このっ!!」
潰せば潰すだけ、斬れば斬るだけ吸血蝙蝠は数を増す。やがて蝙蝠が集い、再びヴァンが人の姿をとった。
「ふむ、常人とはずいぶんと血の味が違うのだな」
「俺の体は特別製なんだよ。まあいい、俺の血を吸ったんだから、代金代わりにここ通しやがれ!」
にやりと笑いながら霧宮は言う。彼自身わかっているのだ。この男を倒しておかなければ、ここを出し抜い
たとしても後々面倒になるということは。後ろの憂いは、断っておく必要があるのだと。
「ここから先は通さんと言ったはずだ」
ヴァンの紅い瞳がさらに色を濃くし、淡く光を放つ。二人の視線が交錯した途端、突如として霧宮が膝をつ
く・・・肉体が言うことを聞かない。
「そのまま固まっていろ」
イービルアイ。
視線を媒介に、強力な暗示を相手にかける。まともに受けると、自ら命を絶たせることすら可能な程に強力
な暗示を。
全身の筋肉が急につったように痙攣を起こして動かない。
だが、霧宮は奥歯を噛みしめると、『動く』という一点に精神力を集中させ、その指令を神経を通して全身へ
送り込む。
「こんな程度の事で・・・」
肉体の主導権をめぐって、ヴァンの強制力と霧宮の意志がぶつかりあい、そして───
「俺を止めようと思うんじゃねぇぇ!!」
邪眼の束縛をうち破り、ゆっくりと立ち上がる霧宮。
「思い出したぜ。ヴァン・カーター、ミーミルの水によって生まれた弱点無き吸血鬼か・・・」
剣の刃を消し、髪の毛を掻きながら改めてヴァンの顔を見やる。
「簡単には通してくれねえ、倒そうにも相手は不死身の肉体・・・まいったねえ、物理的ダメージを与えれる
武器があるとしたら、無茶苦茶強え剣使いの嬢ちゃんが持ってるアレか・・・」
そこまで言うと霧宮はおもむろに手を懐に入れ、繊細な装飾の施された髪飾りを取り出した。
「このユーリシリーズを使うしかねえ、か。まったく、髪飾りで何をするんだか・・・」
ユーリの髪飾り、その登場で二人の間に新たな緊張が走ったかに思われた。と、
「受けとっときな。俺の目的はハイアートだけ、それは兄ちゃんのもんだ」
そういうなり霧宮はヴァンへ向かって髪飾りを放り投げる。空を漂うそれをつかみ取り、ヴァンは疑問の声
を投げかける。
「お前にとって益はないはずだ、何故これを私に渡す?」
「愛するものの遺品だから。それだけで充分だろ?」
「面白いことを言ってくれる・・・だが、これでお前に勝つ術はなくなったな」
「果たしてそれは───どうかな?」
降魔の利剣の柄から、今度は蒼い刃が発生する。
「こいつは元来、人にあらざるものを滅ぼすための剣。おそらく、人間としての死がないあんたにも死を与え
られるはずだぜ」
(『狂戦士』第一制限解除。能力最大発揮、長期維持開始)
全身の肉体に活力がみなぎる。もう、死ぬ時まで霧宮に疲労は訪れない。
「さあ、第2ラウンドだ。あんたは強えからな、『普通の』本気でいかせてもらうぜ・・・」
その頃の美沙達・・・
「冴葉、緊急通信して、早く!」
「了解しました」
丙子椒林剣を抱え、道無き道をかけながら鷲士達に連絡を取る。
ヴァンがそう簡単に負けない事はわかっている。しかし、霧宮が持っているのは精神すらも切り裂く降魔の利
剣。精神を断たれたら、ヴァンといえども不死身の肉体だけ残して廃人となってしまう。
(鷲士君、早く来て)
ラプターとの合流地点までの残りは約250m。山道といえ、数分もあればたどり着ける距離だ。
「連絡がとれました。ラプターの到達までおよそ2分、鷲士さんは・・・現在こちらへ接近中です!」
「わかった! みんな、このまま一気に逃げ切るわよ!」
前方に森の端が見えてくる。だが、残り100mほどの所までさしかかった辺りで、美沙達は藪からでてき
た3つの影に行く手を阻まれてしまった。
甲高い笑い声を上げながら、男が美沙の前に姿を現す。体中にまかれた包帯や湿布が痛々しい、両眼はギラ
ギラと異常な光を宿している。
「ふはははははは! よくも、よくもこの私にあのような生き地獄を味わせてくれましたねぇ。このままその
ハイアートを渡すなら、命だけは見逃してあげましょう」
「あんたはクォレル!? まさかこんな時にでてくるなんて・・・」
美沙は歯がみした。今は一刻を争っている、こんな所で足止めを食らっている場合じゃないのだ。
「おやおや、ダーティフェイスはいないのですか? ミュージアムの異端分子であるあの男もろとも、こいつ
らを使って血祭りに上げてやろうと思っていたのですがね」
美沙達を取り囲ロボット達は風呂場で闘ったときのモノではなかった。漆黒のボディは相変わらずだが、各
部パーツの形状が微妙に違う。
「そうだちょうど良い、この前のデータを元に改造したこの機体。あなた達相手に性能を確かめさせてもらいましょう」
林の中を、縦横無尽に跳び回りながら襲いかかってくる。
丙子椒林剣を持つ美沙を中心に守りながら、手にした得物で攻撃をする社員達。
だが、三体による幻惑的な動きになかなか有効な一撃を与えられないまま一人、また一人と倒れていく。
「嘘、こいつらこんなに強かった!?」
「狙いはあの小娘です、一気にやってしまいなさい!」
微妙にタイミングをずらして三体が跳躍する。空中からの三連撃、最初の一撃はバックジャンプで回避、そ
のまま地面を横に転がって二撃目も何とか避けきる。だがそこに、三体目が降ってくる。
『避けきれない』
そう直感的に判断した美沙は咄嗟に、手にした丙子椒林剣で攻撃を受ける。
重い一撃に手が痺れる美沙だが、意識は目の前で起こった現象に向けられていた。相手のドリルを受け止め
た瞬間、丙子椒林剣に幾何学的な模様が浮かび上がる。
地震とは、強力な衝撃の波が伝わることで生じる大地の揺れである。
何かとの衝突で生まれた波を、とてつもなく増幅して放つのが丙子椒林剣による地震発生のメカニズム。
衝撃が大きければ大きいほど強力なエネルギーへと増幅される。
異邦人の男はそれを応用し、剣を突き刺すことで局所的な地殻変動を起こし、地下水脈を復活させた。
ならば、地震を生むほど強力なエネルギーが地面以外の何かにぶつけられたとしたらどうなるか?
いきなり丙子椒林剣から生まれたとてつもない剣圧が、攻撃を放ってきた方のボディをぐしゃぐしゃにひしゃげさせ、回転させながら天高く跳ね上げる。
地面に叩き付けられる機体、そして轟音。足元を走る強烈な震動と、もうもうと上がる土煙。落下地点は陥
没し、小さなクレーターを形成する。三号機は、とてつもない衝撃で木っ端微塵となっていた。
「これが・・・丙子椒林剣の力なの!?」
起きあがる美沙の顔に、冷や汗が浮かぶ。
と、一時的に握力を失った美沙の手から、丙子椒林剣が地面に落ちる。剣は地面にぶつかったが、今度はな
にも起こらない。どうやら、使用者がグリップを握っていなければ力は起動しないようだった。
「素晴らしい・・・」
クォレルのつぶやきに、美沙は戦闘の途中ということを思い出す。慌てて身構える美沙だが、等のクォレル
は視線を丙子椒林剣に注いでいる。
「その剣・・・おそらくは何らかの方法で破壊力を増幅する性質を秘めているのでしょう。その剣の仕組みを解明して武器に組み込んだとしたら───素晴らしい、想像するだけで胸が高鳴ります」
指を鳴らすパチンという音に反応して、二体の機体がクォレルの下に戻る。
「どうあっても欲しくなりました・・・今度は今みたいな手が通用すると思わないことですね。行きなさい!
そしてあの小娘から剣を奪うのです!!」
再び始まる猛攻に、美沙を守ろうとする社員達の援護射撃。撃ち込まれる銃弾をものともせず、時々グレネ
ードに吹き飛ばされてもへこたれないで起きあがり、美沙に迫り来る!!!
美沙への攻撃は、その身に当たる直前で阻まれた。一瞬のうちに、両の機体が原形をとどめることなく、金
属の残骸へとなりはてる。
突風があたかも竜の咆吼のごとく、木々を激しく揺り動かす。
冴葉のウェアラブルPCに叢雲から新しいデータが転送される。画面にはこう表示されていた。
草刈鷲士───到着。
「な、な、な・・・」
「遅くなってゴメン。美沙ちゃん、無事だった?」
「大丈夫。それより鷲士君、ヴァンが霧宮さんと戦ってるの。大体2kmくらい先」
「わかった。じゃ、行って来るね」
走り出す鷲士の姿がたちまち遠ざかる。美沙達は鷲士の姿が見えなくなったことを確認してからクォレルへ
と向き直った。
「さあて、あんな目にあっても性懲りもなくやってきて・・・覚悟はできてるわよねぇ?」
形勢逆転、頼みの綱は全て断たれている。目の前に、明らかに不自然な笑いを浮かべた美沙達が近づいてく
る。
───その後この男がどうなったかは、誰も知らない───
ヴァン・カーターと霧宮の闘いにも、終わりの時が近づいていた。
ヴァンの精神には、見ることのできない傷がいくつも刻まれ、精神力はだいぶ消耗している。
霧宮の方も、いくつか手傷を負っていた。だが、動きは全く衰えを見せない。小さな傷はもう治癒し始めている。
「く、ここまでの力があるとは・・・油断していた」
「ち、やっぱり単なる吸血鬼じゃねえか。あいつの体内に、素粒子間のラインで形成されたエネルギー体が内
包されてやがるのか? おかげで切れ味が・・・鈍いぜ」
対峙・・・
双方同時に地面を蹴る。ヴァンが手刀を放ちながら発火能力を発動、霧宮に火をつける。霧宮は降魔の利剣で己を斬り、炎をうち消す。
その間に手刀が胸部へと迫る。剣一振りの分、霧宮の動作が遅れた。肉体に指先が触れる、だが剣の柄から
のびた綱によって腕が絡め取られ、貫くまでは至らない。
強い力で引っ張られ、わずかに体がきしぐヴァン。その頭上へ刃が振り下ろされるが、当たる寸前で止めら
れていた。
「さて、まだ続けるつもりか?」
「残念だがやめておく。闘いの決着は、我でなく主役に任せるとしよう」
拘束がとかれる。すると霧宮の前からヴァンの姿がかき消え、次の瞬間には木の上に佇んでいた。
「まさかこんなにあっさり回復するなんてな・・・それが九頭竜の力かよ?」
顔を向けず、横手から現れた気配に向かって話しかける。
「剣を退いてくれって言っても、無理ですよね?」
歩み寄りながら、気弱な笑みの中に決意を秘めた表情で霧宮に話しかける鷲士。首を振る霧宮。
「ああ、無理だな。そいつはお互い無理な相談だって言っただろ? ここまで来たら、俺が兄ちゃんを倒して丙子椒林剣を奪うか、兄ちゃんが俺を殺して守りきるか。二つに一つだ」
ゆっくりと向き合う二人。それぞれの胸に強い思いを秘めて、
「ダーティ・フェイス」草刈鷲士
「ネームレス・ファントム」霧宮祐司
決着を付けるべく最後の『決闘』の火蓋が今、二人の間で切って落とされようとしていた。
─────11─────
二人の間に流れる張りつめた空気が、徐々に周囲へと広がっていく。
木々の間から一羽の鳥が飛び立つ。それが戦いの始まりを告げる鏑矢となった。
「兄ちゃんが嬢ちゃんを止めねえなんてよ!」
地を蹴り、自分の間合いへ踏み込む。
「ひゅうっ!」
軽く息を吐きながら怒涛の連続攻撃。マシンガンの連射速度にも匹敵する速度で繰り出される拳の弾幕。
「わかるけど、ミュージアムのやり方には任せられない!」
鷲士はそれを受け止め、うち払い、わずかな間隙に反撃を行う。
「やり方だあ? 手段を選んでられる余裕があるのかよ!」
拳を振り上げる。体重を乗せた至近距離からの、手加減無しの一撃。
「だからといって!!」
だが、霧宮の予想を遥かに上回る動きで、鷲士の左腕が霧宮の攻撃を受け止める。
「なんにも関係のない人を巻き込んでいいんですか!? 目的を犠牲にする手段を取って良いんですか!?」
『九頭・左竜輪剄』(くず・さりゅうりんけい)
「こいつは!?」
自分の力が自分の体をねじらる為に働くのを感じる。咄嗟に地面を蹴って技が完全に極まるのを防いだが、
追撃を防ぐために鷲士との距離を取らぜるをえない。
「・・・っ!!」
言いよどむ。
「より多くの奴らを守るためだ。少々の犠牲はあきらめろ!」
無理に言い返そうとしたものの、苦々しい表情と苛烈な語気が、彼自身の葛藤を如実に物語っていた。
「あなたは本当にそう思ってるんですか、霧宮さん!?」
「それ以上言うんじゃねえ! 戦いに集中しやがれ!!」
振り向きざまの左手刀で後ろにあった杉の木を途中からへし折り、右手に持った降魔の利剣で縦に四分割。
鷲士と距離をとり、立て続けに切り出した木材を投げつける。
木材は空気との摩擦で炎を纏い、衝撃波を伴った音速の投げ槍となって鷲士に迫る。
「この分からず屋ぁ!!」
鷲士が、今まで掛けていた眼鏡を外す。眼鏡は、鷲士の手の中で握りしめられ砕け散った。
走る、不自然なくらいにまで体を深く沈ませた状態で。背中の上を樹の槍が連続して通り過ぎる、鷲士が見
据えているのはその先、槍を放つと同時に地を蹴り追撃をかける霧宮。極限まで腰を落とした鷲士が、霧宮よ
りも先に技を放った。
『九頭・右竜掌扇』(くず・うりゅうしょうせん)
目にも留まらぬ速さで繰り出された掌底が、ガードした霧宮をそのまま10m近く跳ね上げた。
翔扇はコンボを発動させる最初の一撃。落下してくる霧宮を迎え撃つように跳躍する鷲士。落ちてくる霧宮
に向かって立て続けに繰り出される攻撃が、何発かはガードを弾いて叩き込まれる。
「ぐはっ・・・」
背中から叩き付けられ、霧宮の口から声が漏れる。仰向けとなったままの霧宮へ向かって鷲士が言った。
「なんで認めようとしないんですか? どんなに少数でも、切り捨てたら残された人が悲しむと言うことを!
本心ではそんなことやってはいけないとわかっていることを! 霧宮さん、あなたは間違っている・・・」
鷲士の言葉に反応し、霧宮がゆらりと立ち上がる。軽く肘を引き地面に掌をついて上体を起こし、両膝を曲
げて地面を踏みしめ膝を伸ばして地面に対して垂直に体を立てる。
「動きが変わったな。それが兄ちゃんの本当の実力か?」
覆っていた手をどけた霧宮の問いに、
「本当だと長続きしないんですけどね」
苦笑を浮かべて鷲士が答える。
『宿竜の儀』
心技体を極限まで高め、竜をその身に宿らせる術。
数日間の瞑想により、人では使わないところまで酷使する九頭竜の、さらに無意識では使っていなかった部
分を意識的に活性化させる。それこそ筋繊維の一本に至るまでを。同時に、日常において消費している分の気
さえも蓄えて戦闘に供える。いわばタンクの増設、いつも以上に水を蓄えておけば、蛇口を全開にしたとして
も、いつもより長持ちするという理屈である。
「そりゃあ、果たし合い向けの技だな・・・」
「ええ、師匠もそう言っていました。どうしても退くことができない思いを持って相手と戦う事がわかってい
るときだけ、これを使えと」
「なるほどな」
懐に手を入れ、何かを取り出す霧宮。その手には、サッカーボールほどもある飯の塊が握られていた。どこ
にしまわれていたのか。見当も付かないそれを一口でほおばり、飲み込む。
鷲士の目の前で、霧宮はさらに二つの飯塊をたいらげ、今度はバナナの房を取り出す。
しばらく大量の食物を胃袋へと放り込み続け、最後に水袋を取り出し一気に飲み干す。補給を終えた霧宮はふ
う、と一息ついた。
「俺の場合、エネルギー切れになったら即死だからな・・・」
懐に水袋をしまい込みつつ鷲士に向き直る霧宮。
「あれは、本気なのか? 兄ちゃん」
「本気?」
「俺のやっていることが間違っていると、本気で言っているのか?」
「・・・本気です。どんな事があっても、人を犠牲にしてはいけない。それは、遥香さんのような人を生む事
になるから。僕はそう思っています、そうします」
そう答える鷲士の言葉には、心の底からの響きがあった。
「そうか・・・くっくっく・・・はあっはっはっはっははは・・・!!」
突然狂ったような笑いを上げ、霧宮は左手で顔を覆う。鷲士はその隙間から覗く光が何なのかを見た。
涙。
仁王立ちしたまま笑ったように泣く。涙は誰にも見せないよう、顔を覆って。
(これで確信が持てた、間違いねえ・・・)
今まで鷲士の側にいた霧宮が後ろに向かって大跳躍。夕暮れの風が森を吹き抜け、男の短い髪を揺らす。
涙の訳は、鷲士には分からない。
だが、
「まだやるべき事がある。俺の肉体・・・制限している狂戦士の力を解き放ち、兄ちゃんとやり合うという事
がな!!」
確かにそう、霧宮は言った。
狂戦士、北欧神話では、本来神々に祝福を受けた戦士。何者をも恐れず、死ぬその瞬間まで、狂ったように
戦い続けたが故に、狂戦士という名前で呼ばれ恐れられた存在。
だが、男の体をつき動かすのは闘争ではなく想い。死しても折れぬ信念が故に、男は呼ばれる。狂戦士では
なく、亡霊の二つ名で。
「実際の所は、来訪者が改造した使い捨て前提の人間兵器。今から俺は、そいつに立ち戻る・・・」
(『狂戦士』第三制限まで解除。身体能力発揮、限界超過)
「ウオオオオォォォ・・・グガアアアァァァ・・・」
霧宮が、野獣のものによく似た雄叫びを上げる。筋肉が耐久力を超えて、極限まで力を生み出そうとする。
全身の神経が、常人では耐えられない量の情報伝達を始める。
───解き放たれた肉体に呼応して、霧宮の頭の中を破壊衝動が埋め尽くそうとする。それを無理矢理押さえ
込んで、霧宮は無表情となった。
(肉体変異完了。続けて最終制限───)
「こっから先は、俺が死ぬか相手を殺すまでとまれねえ。兄ちゃん、俺の弱さを恨んでくれて良いから──」
(──死ぬなよ)
押さえ込んだ破壊衝動を、敵への闘争心に置き換える。思考の大半を戦闘へと向け、妨げとなる意識をそぎ
落とす。
死を恐れず、他者からいのちの炎を奪うことも当然のごとく行う戦闘兵器としての心を解放する。
それが・・・最後の制限。
そうすることによって、亡霊は完全に、猛り狂う戦士として蘇る。
「気の巡り方が・・・変わった!?」
しばらくして、下を向いたまま動きを止めていた霧宮が、顔を上げて鷲士を見やる。
突如その場から霧宮の姿が消え去ると、次の瞬間には鷲士の目の前に現れた。常人には認識不能の速度で地
を蹴り、一気に間合いを詰めたのだ。
「しまった!」
虚をつかれた鷲士に、霧宮の攻撃が迫る。回避する余裕はない。かろうじてブロックする鷲士だが、霧宮の
一撃はそのまま鷲士を林の奥まで吹き飛ばした。
何本もの木をへし折り、巨木に叩き付けられてようやく止まる鷲士。後ろに跳んで力を和らげ、受け身を取
ってもこの破壊力。
九頭竜を使う鷲士には、霧宮の体中を流れる気が異常なまでに激しくうねっているのがわかった。
こちらを見据える視線に何も宿っていないことが、身の毛のよだつような異質さを醸し出している。
「でもなんで・・・そこまでして・・・」
鷲を思わせる鋭い視線が見つめる先には、右腕から血を流す霧宮の姿があった。人間以上の強度を持つ改造
された肉体、それでも耐えられぬほどの力を使った反動が、彼自身に跳ね返ってきているのだ。
首にかけたネックレスをむしり取り、実体化させた降魔の利剣を左手に携える。鷲士もまた、九頭竜独自の
構えを取る。
「戦うか・・・ならば私はそれを見届けよう」
そういったのはヴァン・カーター。その声の先で、二人は3度目の対峙を終わらせ、そして激突した。
竜を宿した鷲士と完全に狂戦士化した霧宮の戦闘力は、ほぼ互角だった。
『九頭双竜・顎』(くずそうりゅう・あぎと)
両足首の間に相手の首を挟もうとしたところに、霧宮は両腕を入れて頸骨の破壊を避ける。
そのまま地面に叩き付けるが、いくらダメージを受けても霧宮の動きには全く衰えがない。
「ガアアアァァァァ!!」
「ガフ・・・」
立ち上がった霧宮の猛攻。右腕を主体に繰り出される体術を何発も受けながら、鋼鉄に穴を穿つ強烈な貫手
を、霧宮の脇腹めがけて打ち込む。
『九頭・右竜穿鋼』(くず・うりゅうせんこう)
そして、そのまま右足を軸にして反時計回りに回転、後ろ回し蹴りを頭部へ叩き込んだ。しかし・・・
「グオオオォァァ!!」
右手を盾にし、わざと貫かせる事で腹部への狙いを外す。続けて襲う頭への激しい衝撃にも全く怯まず、朱
い刃を一閃。
「うぐ・・・」
鷲士は左肩を薙がれるが、カウンターで左の掌を押し当てた。
「これならどうだ!?」
『九頭・左竜雷掌』(くず・さりゅうらいしょう)
「グオッ!!」
ビクンと大きくのけぞって霧宮は跳ねとばされる。加圧された生体電流は、例えダメージの概念が無い霧宮
だとしても、生物である以上スタンさせるはずだった。
だが、あっさり霧宮は立ち上がる。電流に対する肉体の強度が元から自然の生命とは違っていた。
体中から血を流し、どんなに打撃を受けても立ち上がって全力で戦い続ける。・・・ゾンビのように。
(肉体が物理的に損壊するまで闘い続けるなんて、まるで九頭竜だ)
「霧宮さん!!」
しかし、鷲士の声は届かない。人としての思考力はあっても、相手を殺すこと以外にはつながらないのだ。
鷲士の思考はそこで遮られた。剣の柄からのびた綱が、鷲士を絡め取ろうとする。意志を持つように襲いか
かる綱を限界まで引きつけてから避ける。綱は鷲士の後ろにあった木の幹に絡みついた。
「なめるなぁ!」
綱での攻撃はおとりだった。鷲士の動きを封じ込めれればそれで良し、もし無理でもわずかな隙が鷲士に生
まれることを見越しての二段構えの攻撃である。
後ろ足で地面を蹴り、その勢いを体重移動で上乗せする。渾身の力が込められた右ストレート。まともに食
らえば鷲士でもただでは済まない。
「くそっ!!」
腰を普段よりやや高めに、左腕を顔の前に構える。
亜音速のスピードで放たれた一撃を、紙一重でかわす。左頬が裂け、摩擦で流れる血液が蒸発する。
鷲士はそのまま、地面を陥没させるほどの勢いで踏み込む。伸びきった霧宮の右腕に左の掌をあてると、その
まま下向きの掌底。
『九頭・左竜落崩』(くず・さりゅうらくほう)
───メキャリ!
切断までには行かなかったが、骨が砕ける音がした。その感触に顔をしかめつつもそのまま前進、右の掌底
を腹に当てる。
『九頭・右竜砕楼』(くず・うりゅうさいろう)
楼閣を砕く衝撃の波が、霧宮の全身を激しく揺さぶり、内部からダメージを与える。
血を吐くほどの損傷を内臓に受けても、霧宮は倒れない。しかし、左腕に受けた傷と、筋肉に守られまだつ
ながっているが、右腕はもう使い物にならない。
互いに満身創痍。
「もうこれで、お終いにしましょう・・・」
心まで完全に狂戦士なった霧宮には届かないはずの鷲士の声に、霧宮が答える。
「そうだな、もう終わりにしようぜ・・・」
霧宮の残った左腕に、尋常じゃない力が込められる。握られた降魔の利剣が蒼い輝きを放ち、左腕だけの構
えを取る。
そして、霧宮が大きく跳躍した。防御を考えない、その分何よりも鋭い捨て身の攻撃。
「鷲士君、避けてぇぇぇ!」
ようやくたどり着いた美沙が叫ぶ。
しかし、鷲士はその場を動かない。
蒼い刃が、鷲士の命そのものを両断しようと迫る。
交錯する二つの影・・・
ガラスがきしむような激しい音がした。
「ヌオォォォオ!?」
驚愕の声を上げる霧宮。
『九頭・左竜閃刀』(くず・さりゅうせんとう)
鷲士の体内に残されていた気の大半を集中・圧縮させて作り出された気の刃。
それが降魔の利剣の蒼い刃と打ち消しあい、一時的に斬撃を防いでいた。
そして、鷲士に残されている全ての力を込めた必殺の一撃を解き放つ。
『九頭・右竜徹陣』(くず・うりゅうてつじん)
繰り出された拳は、無防備な霧宮の肉体に深々とめり込んだ・・・・
─────12─────
俺は閉じていた目を開いた。
兄ちゃんに殴り飛ばされたところまでの記憶は残っているが、それから先があやふやだ。
「なぜ・・・俺は生きている?・・・」
うわずった声が大きくなっているのが自分でもわかった。あの状態になったら、俺が死ぬか相手──つまり
兄ちゃんが死ぬまでは自分の意識が戻ることは無いはずだった。だが・・・
「なぜ・・・俺は生きている?・・・」
霧宮はもう一度つぶやいた。
「一か八か、あなたの剣に賭けました」
自問する霧宮に答えたのは、鷲士だった。
「・・・まさか!」
「ええ、あなたの精神を斬らせてもらいました」
巨漢の肉体が、一直線に大気を貫き、空を舞う。鷲士の右手にまだ、鈍い感触が残っている。
轟音を上げて岩壁に激突、霧宮は崩れ落ちる岩石と土煙に埋もれた。
「はあ、はあ、はあ」
鷲士の息が自然と荒くなる。さすがに、気力も体力ももう限界に来ていた。
「鷲士君、大丈夫だったぁ? ・・・うわー、体中傷だらけじゃない」
OICWを携えて、美沙が鷲士に近づく。と、美沙は視線の奥で、岩を押しのけ立ち上がる影を見つけた。
霧宮祐司。
右腕は力無く垂れ下がり、体中を血で紅く染めながらも足だけは大地をしっかりと踏みしめ、鷲士に向かっ
て一歩一歩近づいてくる。
霧宮の気は、視線は、依然として正常なものには戻っていない。
「鷲士君、霧宮さんまだ動けるようよ!?」
「美沙ちゃんは下がっていて」
視線を落とす。足元には、先ほどの右竜徹陣を受けて取り落とされた降魔の利剣。
それを拾い上げる。柄の先には、霧宮が生み出した蒼い刃がまだ残されていた。
柄を両手でしっかりと握りしめ、腰だめに構える。刃は鷲士が手にしたと同時に薄れ始めている。
時間がない。
強く大地を蹴ると、生まれた反発力が鷲士の体を前へと送りだした。引き延ばされた一瞬の感覚の中で、霧
宮が左腕を大きく振りかぶるのがわかった。
交錯。
拳をかわして懐に入り込んだ鷲士が、いつぞやの出来事を逆に再現したように刃を突き立てていた。
そして、剣を横へ薙ぎ払うと同時に蒼い刃は完全に消え去った。
「まいったな・・・また、死にぞこなっちまったか・・・」
霧宮は鷲士の横に座ったまま、左手で血まみれの頭を掻きながら、そのまま空を見上げる。
そのつぶやきは風に溶け、誰にも聞かれることなく散っていった。
「そーいえばぁ」
その声がする方向を見やると、いつの間にか、すぐ側に美沙がいた。
「今までの態度どーにも不自然なのよねぇ。らしくないって言うかなんか試されてる感じで」
美沙のセリフに霧宮は少し驚き、すぐに自嘲気味な笑いを浮かべて言った。
「──ああ、その通りだ。兄ちゃん、俺だってわかってたさ、間違っていることはずっと前からな・・・」
霧宮は鷲士と美沙の二人に向かい、ゆっくりと語る。
「トレジャーハンターの中には、自分の利益になれば後のことは考えない馬鹿がいる。ミュージアムもその一
つさ。略奪とも言える回収手段、やたらとでかい組織だから、下手にぶつかれば被害は広がる。気づいた当時
の俺にできることと言えば、ハイキュレーターとして、できる限り音便にハイアートを回収する事だけだった
んだ。それから狂戦士に強化されて、まあいろいろあったんだが・・・功名心で暴走する奴らを押さえ込みな
がらちんたらやって───この業界に彗星のごとく現れたダーティフェイスの話を聞いたのさ」
最後の部分を聞いて、美沙はえへんと軽く胸を張り、
「凄いでしょ、私たちにかかればミュージアムなんてへのかっぱよ!」
と宣うた。が、その態度も徐々にかげりを見せた。
「俺は驚いた。立場こそ新参者だが、数々の兵器を使いこなす顔のない男。そのうち、その男はミュージアム
と張り合う所にまで達していた。活動規模も、成果も、『損害』もだ。入る情報から推測される人物像は、ほ
められるものじゃなかった。わかるか、ミュージアムと同じ様な奴が増えたんだぞ? だから、最初は本気で
殺すつもりだった・・・けどよ、偶然とはいえ実際に会ってだな、これはなんか違うぞって思ったんだよ」
「だからですか? 試そうとしたのは・・・」
「ああ、ダーティフェイスが本当に噂通りの奴なのかどうかをな。それにな、ミュージアムには、俺より強い
奴がごまんといる・・・嬢ちゃんと同じくらいの年で、兄ちゃんくらいの強さの奴だっている。兄ちゃん自身
の強さも見極めて置きたかった」
「でも、それなら何であそこまでしたんですか!?」
「死ぬため──けじめを取りたかったのさ。10年以上も遥香を殺した奴と同じ事をやり続けてきたんだ、こ
の手は汚れきっちまってる。ああすれば、まず俺を殺すしかないだろうからな・・・」
「馬鹿なことを言わないでください!!」
突然の激しい鷲士の叫びに、霧宮は思わずたじろぐ。激昂した鷲士は、そのまま言葉を続けた。
「本気で、死ねば全て終わると思っているんですか? 違う! 死んだってハイアートは残るし、なんにも解
決しやしないんだ! このまま死んだら、亡くなられた奥さんだってきっと悲しむ。それに・・・僕は貴方が
死ななければなら無いだなんて微塵も思っていやしません!!」
「・・・・・・」
「私も、言いたかった言葉があるのよ!」
何も言わない霧宮に、鷲士の後を継いで美沙が言い放つ。
「ハイアートは人を不幸にするですって? そんなの言い訳よ、私たちは、来訪者の遺産を利用して、世界中
の人達に、『幸せを伝えている』わ。 大事なのはハイアートを使う人の心次第。現に霧宮さんは、お風呂場
の時に、降魔の利剣で、鷲士君を助けてくれたじゃない」
「本当にけじめを取るつもりなら生きて、それからです。僕は、人々の為に生きる道を選んだ人を、少なくと
も一人知っています」
鷲士の脳裏に、ミュージアムを抜けた一人のチューンマンの姿が浮かんだ。
今まで黙っていた霧宮が大きく深呼吸する。立ち上がり、深く息を吐いた後、霧宮の顔には、いつもの不敵
な笑みが浮かんでいた。
「完全に死にぞこなったな。・・・悪いな遥香、どうやら、俺は罪を償いきるまでお前の所へ行くことが許さ
れてねえみたいだ」
「病院とか行かなくて本当に大丈夫なの?」
「気にするな、死なない限り、この程度の怪我はしばらくすりゃあ完治する」
その言葉に違わず、小さな傷はもう治癒を始めていた。
「ああ、それと兄ちゃん、ちと耳かしてくれ」
「なんですか?」
霧宮は近づいて来た鷲士に向かって囁く。その言葉に、鷲士の乾いた笑いを浮かべた。
「本当のフェイスは、嬢ちゃん達だろ? 手口はプロだが、そのくせ後始末にミサイルを撃ち込んだり・・・
行動が子供っぽいと思っていたんだよ」
「あはははは・・・」
「しっかり嬢ちゃんをコントロールしてやってくれ、まだまだ危険なお子様だからな。話はそれだけだ」
鷲士の背中を左手でドンと押す。二、三歩たたらを踏んだ後鷲士は振り返り、
「はい、わかりました」
と、気弱な笑みを浮かべて返事をした。
「どんな話だったの鷲士君?」
「あはははは・・・内緒」
「───まあ、いいけど。 んじゃま、これから頑張ってねぇ〜♪」
手を振りながら、美沙と鷲士が離れていく。その姿を見送った後、霧宮はドスリと地面に腰をおろした。
「しっかし、腹減ったし、体中傷だらけだし───こりゃあ、しばらくは絶対安静だな・・・」
そのまま霧宮は、吹き付ける風に身をさらしていた。だが、しばらくしてその表情が幾分真剣味を帯びたも
のになった。
「出てこい、そこにいることはわかっている」
「あら、わかっていたのね?」
木の陰から一人の少女が出てくる。その髪は鉄(くろがね)、照り輝く瞳は黒龍の鱗を思わせる美しさ。
「四年ぶりね、ネームレス・ファントム。丙子椒林剣を追ってきて、まさか貴方にであうなんて思ってもいな
かったわ」
「丙子椒林剣は、もうここにはねえぞ・・・」
自身を落ち着かせるように、ゆっくりとしゃべりながら霧宮は立ち上がる。
「話を聞いてたところ、どうやらそのようね。だから気が変わったわ、今度こそ貴方の持つ降魔の利剣をいた
だくことにする」
12歳という若い顔に、妖艶な笑みを浮かべて言葉を紡ぐ黒髪の少女。気が付くと、両の手にはそれぞれ光
り輝く刃が握られていた。
「あんたの血の力でも、既に契約が結ばれた剣には効果がねえ。四年前と同じ様に、俺を殺して奪うつもりだ
な? ・・・劉紅鳳(りぅ・ほんふぁん)!!」
劉紅鳳、ミュージアムのハイキュレーターである。四年前にかろうじて退けた相手が、驚異を増して目の前
に佇んでいる。霧宮は、悲鳴を上げる全身を必死で奮い立たせ、戦闘の構えをとった。
「ハイキュレーター同士の争いは禁じられているはずだぞ!?」
「あの時は、この体を傷つけられる可能性があったから、見逃してあげたのよ。それに、あなたもうミュージ
アムやめるつもりじゃない・・・おしゃべりはここまでよ。観念しなさい、満身創痍の貴方には、万に一つの
勝ち目も残されてないわ!」
死の宣告とも言える少女の言葉に、しかし霧宮はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、
「闘ったら、まず勝ち目はねえわな。けどよ、前提からして間違ってるぜ、お嬢ちゃん!」
そう言い放ってきびすを返す。
「エネルギー切れで俺が死ぬのが先か、嬢ちゃんを振りきるのが先か・・・あばよ! それと嬢ちゃんの言う
通りだ。上の奴らに、ミュージアムを抜けるっていっといてくれや」
そのままうっそうと茂る木々の中へその身を躍らせた。
分が悪い賭け。逃げ切れる確率の方がよっぽど少ない。だが、まだ死ぬわけには行かなかった。
「逃がすつもりはないわよ!!」
進行を妨げる木を片っ端から切り倒しながら、劉紅鳳は霧宮を追いかけた。
「もう、学校なんて大っ嫌い!」
新学期最初の登校。ぶーたれながら、美沙はカト女への道をひたすら走る。
トレジャーハント世界行脚を初めとして夏休みをエンジョイしてきた美沙様であったが、彼女を待ち受けて
いたのは、たまりに溜まった宿題の山。それから必死になって取りかかり、時には鷲士にち手伝って貰って何
とか終わったのが、今日の真夜中。おまけに新学期そうそう寝過ごしてしまったのであった。
ドン
ここを過ぎれば学校が見えるという角をダッシュで曲がったところで、美沙は反対側から来ていた人とぶつ
かった。
「あっ、ごめんなさい」
「気にすんな。そんなことより、遅刻するんじゃないぜ、嬢ちゃん」
そう言って、男は美沙が来た方向へ角を曲がる。聞き覚えのある声に反射的に後を追う美沙だが、男の姿は
もう見えなくなっていた。
キーンコーンカーンコーン
美沙の時計にセットしておいたタイマーが、チャイムに似た音を立てる。始業5分前の合図だ。
「あ〜〜〜、遅刻しちゃう!!」
慌てて美沙は、学校への道を急いだ。
放課後、美沙は一通の手紙を読んでいた。
登校時、靴箱の中に入っていた封筒なのだが、あいにくの所、今まで読む暇がなかったのだ。
手紙は、荒っぽいが形の整った文字でしたためられていた。
『二人とも元気か? 俺の方はまあ、何とか生きている。・・・色々と考えたんだが、ハイアートを悪用する
奴らは結構多い。だから嬢ちゃん達には悪いが、これからは、下手な奴の手に渡る前に片っ端からハイアート
をぶっ潰していくつもりだ。
もっとも、そういうことをやっているのは俺一人だけじゃねえからな。会社の話を聞いたことはあるだろ?
とりあえずは、そこを探してみるつもりだ。
またいつか、再び会うときもあるかもしれねえが、その時はライバルだ。兄ちゃんに言っといてくれ、今度
やり合うときには負けねえってな。
それじゃあ、二人とも元気に暮らせよ。それから、兄ちゃんに甘えるのも程々にな』
「名無し返上 霧宮祐司より・・・か」
家に帰ったら鷲士君にも見せてあげよう。最後の所はこっそり消しておくけれど・・・
窓越しに、夕焼けに染まった空を見つめる。夏の色は薄くなり、街には秋が満ち始めている。
美沙は誰もいなくなった教室を後にした。やりたいことはたくさんあるけれど、それは、明日から始まる大
変な毎日の間を縫ってだ。
二学期が始まる、長いようで短かった美沙の夏休みは、たった今、完全に幕を閉じたのだ。
サマーショートバケーション 「完」
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