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―――物心ついた時から、俺は『壁』の中で暮らしていた。
『壁』と言うのは、俺が勝手につけた名前で……本来は何かの研究施設だったらしいのだが、何を研究していたのかは、はっきりしなかった。
親と言う存在も無く、ただ白衣を着た人間達に『力』の実験をされる日々。
脳手術、催眠による暗示、薬物投与。そんな淡々とした繰り返しの日々。
どうやら、俺の能力は、≪彼ら≫の意向には沿わなかったらしいが……
それでも、『能力の強さ』とやらはスバ抜けていたようだ。
しかし、その『壁』はとある二人によって叩き潰されてしまったらしい。
らしいと言うのは、直接そいつらに会った訳でも無いし、俺にはどうでもいい事だからだ。
そして、無一文で外の世界に放り出されてしまった俺は、ただ自分自身が生き延びるために汚い事も色々とやった。
ただ生きるために生きるだけの日々。そんな時だ。
俺は―――『あいつ』に出会ったのだ。あいつはこう言った。
『なかなか面白ぇ能力を持っているな。』
『てめェのその能力は、人を傷つけるための物じゃねえ。人を護るための物だ。だが、お前には、力の使い道が全く解っていねえようだ。』
『ついて来るか?小僧?』
そして俺は。……その男についていく事にしたのだ。
その、黒衣の大剣を持った男に。
薄暗い、ただ広いだけの部屋に、三つの影があった。
一つの影は、豪奢な椅子と机に座った老人の影。
二つ目の影は、その傍に立っている恐らくは彼の秘書らしき若い男性。
そして―――三つ目の影は、彼等と机を面して向かい合っている、この部屋には相応しくないジーンズに黒いジャケットを羽織った……さらに若い、青年とも言える容貌の男だった。
年の頃はおよそ19〜20ほど、短く刈り込まれた髪、若者らしいその服装。
石でも投げれば何処にでもいそうな青年だ。
しかし、彼のその鋭すぎる眼光は、とてもその辺に居る青年とは思えない物であった。
その青年の瞳に耐え切れなくなったのか、椅子に座った中年の男性―――喜多方 吉次である。
「ま、まったくこの『SURT』とか言う奴等は何を考えているのか。
ワシの可愛い息子を半殺しにしおってからに。復讐とか言っておったが、検討違いもいい所じゃ。さらに、ワシに予告状まで送りつけよってからに……。」
そこで、机を面して立っていた黒いジャケットを羽織った青年が口を開く。
老人のそんな狼狽した声を断ち切るような、冷静な声が響き渡る。
「依頼者の事情など関係無い。金さえ払えば俺は護る。誰であろうとな。」
淡々とした、何の感情も持たない『彼』の声が、がらんとした部屋へと響き渡る。
その声音は、青年の物とはとても思えないほど冷め切った声であった。
「わ、わかった。そちらの言い値で払おう。」
「言っておくが、支払いは現金で、それも一括、前払いだ。」
「二時間以内に用意をしよう。」
今まで口を開く事のなかった、恰幅のいい老人の横にいた男性が口を開く。
「後、もう一つ言っておく。」
「……俺のルールに反したら、その時は契約は切らせてもらおう。それだけは覚えておけ。」
「……よろしいのですか?あのように言わせて……。」
「仕方ないだろう。奴は【名無き守護者】と呼ばれるほどの『護り屋』だ。
多少の態度や値段が高いのは大目に見てやるさ。それでワシの事が護れるのならな。」
―――あのすぐ後、俺はあの胸糞の悪い場所から早々に立ち去った俺は、
この薄汚れた路地で気晴らしに煙草を口に加えていた。
あの豪華な場所より、こちらの方が遥かに気が紛れるからだ。
あの男が裏で何かロクでもない事は一目で解った。
何故なら、俺はそんな人間を山ほど見てきたし、
そんな人間には特有の共通の「匂い」と言う物があるからだ。
しかし、俺はそんな「匂い」は好きではなかった。
だが―――そんな腐り切った人間を護る事こそ、この俺の仕事なのだ。
そう、この俺もそんな腐った人間の一人なのかもしれない……。
そんなどうにもならない事を思いながら、彼はやりきれない想いと共に、口にした煙草を地面に投げ捨てると、それを踏みつけ、火を消す。
「いたか!?」
「いや、今度は向こうを探せ!」
……と、俺の耳にそんな焦りの入った声が聞こえてくる。
随分と周囲が騒がしくなった物だ。
またどうせ何処かの組織の抗争か、何処かのバカが組織にちょっかいをかけたに違いない。さっさとここから消えるに限るか……。
と、そのすぐ傍の路地で、この薄汚れた場所には全く持って不釣合いな美少女が、ゴミ箱の影に隠れていた。
「痛ゥ……。」
彼女―――ドーラ・シュライヒャーは困り果てていた。
今回の依頼は、小さな麻薬密輸をしている犯罪組織を彼女一人で叩き潰すと言うささいな仕事のはずだったのであるが、向こうが予想していたより高性能な武器を備えていたために、思わぬ反撃をくらってしまったのである。
お陰で通信機も壊されてしまい、両腕にも怪我を負い(ちょうどこの時は、カーボンナノチューブの服を着ていなかったのである。)追いかけられる羽目になってしまったのである。
おまけに両腕に怪我を負ってしまったために、彼女得意の戦闘用鞭『シュヴァンツ』も上手く扱えない。
草薙の衛星システムでも、発信機もウェアラブルPCも壊されてしまっては、紗慧達が発見するのにしばらく時間がかかるだろう。
(「いわゆる……ピンチって奴かナ?これハ?」)
そんな事を考えていると、ふと傍の路地から、普通の人間とはとても思えない鋭い瞳が印象的な青年が、暗がりから姿を表す。
思わず、ドーラは、自分を追ってきた敵が来たのかと思い、『シュヴァンツ』を構えなおす。
しかし、彼女の様子を少し見た彼の口から出た言葉は、彼女の予想を越えた物だった。
「……怪我をしているのか?」
「エ?」
彼の口から出た予想外の言葉に、ドーラは思わず声を上げた。
それはそうだ。『普通』の人間ならば、学生服を着た美少女が鞭らしき武器を持っていれば映画の撮影か何かだと思い込んで、まともに取り合ったりしないはずだ。
かと言って、よくよく見てみると、確かに目つきは鋭く、纏っている感じは只者ではないが、彼女を追いかけている人間達とは雰囲気が何処か異質である。
第一、彼は、武器はナイフ一本すら身につけていないではないか。
「怪我を、しているのか?」
彼は、そんな彼女を動揺して聞いていなかったと思ったのか、
再び彼女に、向かって同じ問いを繰り返す。
「え、えエ。」
彼は淡々とした口調だったが、ドーラはその中にある何か……そう、ほんの僅かにある暖かさを確かに感じ取っていた。
それが、この青年の言う事を素直に聞く気になった理由かもしれない。
「そうか。」
その男性は、ドーラの答えに一言そう呟くと、彼女の右腕の傷口を確認する。
どうやら銃弾は貫通しているらしい。不幸中の幸いだ。
これから、血を止める程度なら何とかできるな。
そう思いながら、ふと『彼』は心の中で苦笑する。
……全く、こんな事をしても一文の得にもなりはしないと言うのに、
何故俺はこんな事をしているのだろう。泣ける話だ。
そんな事を考えながらも、彼はドーラの傷口にそっと手をかざすと、
彼女の傷から流れる血が、何故かぴたりと止まる。
傷は塞がってはいないから治癒能力では無い様であるが、
それでも不思議な事に血は全く流れる事は無かった。
まるで、その感覚は傷口に透明な板をその場に張り付けたような感じであった。
「何を……したノ?」
「まあ、……魔法のような物、かな?」
「これでも無いよりはマシだろう。あくまで血を止めただけだからムリはするな。」
と、その時、彼の目に今まで気にも止めていなかったドーラのメリハリのあるプロポーションが目に入る。
おまけに、彼女の着ているカトレア女学館中等部の制服は、弾丸によって所々引き裂かれて―――彼女の白い肌がちらちらと見えるのである。
それを見た彼は、何故か顔を少し紅くしながら、ぷいっと顔を逸らす。
「どうしたノ?」
「な、何でもない。気にするな。」
不思議そうに彼の顔を覗き込んでくるドーラに対して、まだ微かに顔の赤みが残っているその
「……お前が何をしているのかは知らない。俺にはどうでもいい事だ。
だが、この世界には遊び気分で入ってはいけない領域もある。
……ここから逃げ出したら、さっさと病院と警察に行くんだな。」
右腕の方は銃創だったため、彼の『力』で何とか出来たが、彼女の左腕はどうやら骨折のため、応急処置程度しかできないのである。
それも、ここを脱出して、安全な場所に避難できればの話だが。
「でも……私にハ……。」
「いたぞ!こっちだ!!」
どうやら、話声を聞きつけたらしく、サブマシンガンを構える。
MP5―――ドイツが生んだSMGの最高傑作とも言える銃である。
「!!」
彼女は軽く舌打ちをすると、地面に置いていた鞭を手に取り―――そして、落とす。
「っつウ……。」
これが彼女の武術『Dragoner』の欠点だ。
一時的には、自分自身の肉体の能力を120%発揮したり、
痛覚や血を止めたりする事もできるが、それはあくまで短期間の事でしかない。
怪我を治すか、何らかの処置を受けない限り、いつかは血が流れすぎて、
出血多量で死亡してしまうのである。
この欠点は九頭竜も共通なのであるが、『Dragoner』でもその欠点が解消されている訳ではないのである。
彼に血を止めてもらったとは言え、ここまで結構な時間、血を止めて痛覚を麻痺させてきた彼女には、もはや再びそれをする余力は無かったのである。
そんな彼女等に向かって、男達はもはや問答無用で引き金を引き絞る。
彼等に向かって放たれた鉛の牙は、一切の躊躇の無い音速を超える速度で、ドーラやその青年の肉体を引き裂く―――はずであった。
しかし、フルオートで発射された弾丸は、彼等の目の前で、まるで何か不可視の壁にでも当たったかのように甲高い金属音を発しながら、ことごとく叩き落される。
「!?」
思わぬ現象を見た彼らは気が動転しているらしく、撃ち尽くした銃の弾薬を再装填する事も無く、呆然とする。
その隙に、彼は、ドーラを無理矢理立たせると、男達とは逆の方の路地へと走らせる。
走りながら、ドーラは彼に向かって問い掛ける。
「貴方、今何ヲ?」
「……何の話だ?俺は知らないな。」
そのしばらく後、ようやく敵から逃げだした彼らは、
「助けてくれて礼を言うワ。私の名前はドーラ・シュライヒャー。貴方の名前ハ?」
「俺か。俺の名は……」
ふと、苦笑のような表情を作ると、言葉を紡ぐ。
「『ネームレス』だ。」
―――彼等は知らない。お互いがいずれ戦い合う運命にある事を。
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