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麟太郎は美緒と共に海中にいた。美緒はエラもまた持っているため水中でも呼吸が可能である。それを利用して美緒から空気を受け取り、麟太郎もまた自然に呼吸できた。美緒ちゃんの体を通過した空気だと思うと、今までにかいだどの空気より甘く、かぐわしい気がするから不思議だ。
美緒に誘われるままに彼女の中に分け入って、手を引かれるままに海中に落ちてどれだけ経ったのか。竜宮城の浦島太郎のような気分。それくらい美緒と抱き合っているこの状況は夢幻の様で美しかった。
このまま時が止まってくれれば、とふと思う。美緒が天使の血を引いていることはよく知っている。そしてそれが何を意味するかも。
麟太郎はあくまでも普通のヒトに過ぎない。彼が老い、死んでも美緒はほとんど変わらない姿で生きていかねばならないのだ。その孤独! 考えがそこに至るといつも、そうなった時の美緒の心中を思い、泣きたくてたまらなくなる。でも僕には何も出来ない。せめてこのまま時が止まってくれたら。
そんな麟太郎の心中の思いを知ってか知らずか、美緒がにっこり笑う。
「麟太郎くん、凄かった……」
「美緒ちゃんこそ」
水中でも会話は可能だ。二人は息をやり取りしながら、しっかり抱き合って互いの肉体を感じながら話していた。
「本当に水中でなんて初めてだったけど……。凄くよかったよ」
麟太郎の応えに美緒はくすっと笑った。と、無意識なのか美緒に入っている麟太郎の肉体がより強く圧迫を受けたような気がした。
「ね、もう一回……」
「美緒ちゃんたら……」
2ラウンド開始。二人の息はぴったりだ。とても初体験がついこの間だったなどと信じられないほどだ。
「い、いくよ美緒ちゃん」
「来て、麟太郎くん!」
もう少し! 開放の時目指してラストスパート……その時だ。
「!?」
膨大な、力。圧倒的なエネルギーの流れがあっという間に二人を飲み込んだ。周りの海水が瞬時に荒れ狂う嵐となって、二人を木の葉のように翻弄する。これではとてもいちゃついているどころではない。麟太郎はとっさに美緒をかばうように抱きしめた。実際には美緒がとっさに展開した「力」ノ方が麟太郎を守っていたのだが、やはり男の子だもの、好きな女の子を守りたいと思うのは当然ではなかろうか。
しかしそこまでだった。圧倒的な力のうねりの中、麟太郎が耐え切れる限界などあっという間に超えてしまい、彼は自分の意識が沈んでいくのを感じた。
「み、美緒ちゃ……」
「麟太郎くん!?」
美緒が呼びかけるのが聞こえる。よかった、美緒ちゃんは無事だ。そう思ったときには全てが黒くなっていた。
「な、なんという強さです」
樫緒が絶句した。無理も無い。それくらい九頭竜は無茶苦茶な強さを誇っていた。
まず体が途方もなくでかい。今の尺に直すと全長50キロとかいう話だったが、事実誇張でなしにそれくらいはある。したがっていくら強化されているとはいえ鷲士や虎雄、雪人たちの右竜徹陣でも皮膚を破ったかどうかという程度にしかならない。
樫緒ももちろん戦った。「樫緒の世界」──姉にそう命名された「力」を炸裂させる。九頭竜の体内を探り心臓を破壊しようと図ったが、なんとそれを読んだ九頭竜が「気」を操ってその力そのものを弾き返してしまったのだ。
そこで今度は美月、美花、愁、沙貴、美魚に手伝わせ、鷲士、虎雄、雪人に「力」を送り込み、相乗効果を狙った。言わば美緒がスイッチ切り替えでやってのける「力」と九頭竜の融合を外部から強制的に起こしてみる事にしたのだ。今度は上手くいった。鷲士たちの同時に放った右竜徹陣が、九頭竜の胸のあたりに大きな穴をうがったのである。だが。その大穴もすぐに再生してしまったのだ。
樫緒が絶句するのも無理はなかった……。
「何諦めてんのよ!! 九頭竜つったって所詮はでっかいだけの奴じゃん!! 草薙1、2、3号機全部からの攻撃!! レーザー、紫外線ビーム、荷電粒子砲の一斉攻撃で余裕だニャン!」
「俺も忘れるなよ!! このスイッチを押せば、八尺瓊(悠が打ち上げた衛星。「やさかに」と読む)から中性子ビームの連続照射が行くぜ!!」
美沙と悠、母息子の
「ポチッとな〜〜!!」
という声と同時に上空から凄まじいほどの光の嵐が降り注いだ。あのガタイである、外す方がかえって難しい。九頭竜は光の暴風の中に消えていった。
「やりいいいぃぃっ!!」
「まー、ざっとこんなもんでしょー。所詮はでくの坊、最新の科学には敵わないわよね」
悠と美沙が勝利を確信してガッツポーズを取るその背後では出遅れたキェロツーがしくしくと涙していた。実は彼も先○者衛星のスイッチを押そうとしていたところだったのである。
だが。
『ふむ、こんなものか』
「嘘……」
美沙達、絶句。あれだけの攻撃を連続で加えたというのに、九頭竜はまるで堪えた風が無かったのである。瞬時にして損傷した肉体が再生し、元通りになるに及んで美沙もさすがに声を失ってへたり込んだ。
「キェロツー、何かないの!?」
「たった今押そうとして忘れ去られた先○者衛星のブラマダッターなら。しかし、あれだけの攻撃を食らって平然としているような奴に効くかどうか……」
さしものキェロツーも青ざめている。その後も冬花が島も断ち切る天之尾羽張を試したり、梓が八岐大蛇をけしかけたりしたが、いずれも九頭竜でたらめな力と再生力の前に敗れ去った。
「こうなれば、都ちゃん!!」
鷲士の声に焼きそばを頬張ったまま、なぜかスクール水着姿で都が飛び出してきた。
「君の力を貸してくれ!」
「はいっ!!」
焼きそばをごっくんと飲み込みながら応える都の股間に鷲士が手を伸ばし──当然ながら美貴様が爆発。
「こら────っ!! しゅーじ、ナニを始める気だ、こんな時にっ!!」
「あたた、美貴ちゃん、ローリングソバットはやめて! だってこうしないと都ちゃん装着できないんだから」
「そうよ、あなたは引き下がってなさいよ、お・ば・さ・ん?」
よせばいいのに都が初めて会った時と変わらない姿で笑う。一方美貴はまるで美貌が衰えてないとは言えさすがに白髪が出てきていることもあり「きいいぃぃっ!!」と今にも掴みかからんばかりの形相だ。
そんな鷲士達を微笑みながら(タコの頭でどうやって微笑んでいたのかものすごく不明だが)見やっていた九頭竜だったが、顔面に引っかき傷、頭にはマンガのようなでかいタンコブを作りながらも鷲士が片手に経津御霊剣を構えたのを見て身しろぎした。
『ほう、装着者の意志のままに万物を斬る神剣か。そういえばさすがにそれで斬られた記憶はないな。だが、この我を斬れるかな?』
「試してみるか!?」
空中に階段を想定し、一気に駆け上がる鷲士。あっという間に九頭竜の上空へと舞い上がり、光ともまた違う純粋な「刃」を展開した経津御霊剣を大上段に構える! それに対し九頭竜もまた迎撃を加えようと身構えたその時だ。
げしぃっ!!
鷲士が横合いから吹っ飛ばされ、あ〜れ〜と海へと落下する。さすがに呆然として九頭竜は目の前に現れた「それ」に声をかけた。
『今のは……汝の父ではないのか?』
「ええ、そーよ、わたしの父上よ。でもね、今は父上の出る幕じゃないの。何故ならあんたは今すぐにわたしの拳でくたばるからよ!」
右手の親指を立て、首をかき斬るモーションをしてから更に親指を下に向けて『地獄に堕ちな!!』というポーズを取る美緒(ちなみに人の形に戻り、水着も付け直している)に、更に戸惑った風で九頭竜が訊ねる。
『ええと……今凄く不思議なのだが』
「何よ!?」
『汝は今かなり怒っているな? それも怒り心頭といった風だが』
「そうよ。何、理由が知りたいわけ!?」
こくりと頷く九頭竜に、美緒は唇をゆがめて言い放った。それでもその美貌が全く崩れていないのだからかえって恐ろしい。
「麟太郎くんとの2戦目、わたしいけなかったのよ!! しかも麟太郎くん気を失っちゃうし!! 昔から言うでしょ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねって!!」
唖然、呆然。九頭竜だけで無く、ようやく海面に顔を出した鷲士も、海岸で見守っていた家族達も、急に現れた美緒に「麟太郎くんをお願い」と押し付けられた小五郎たちもみんな目が点になって口を馬鹿みたいに開けて呆然自失。
彼らが見守るその目前で美緒の背中に光と共に6対12枚の翼が広がり、そして凄まじいほどのエネルギーと共に美緒を包む透明な気の固まりが目の前の九頭竜とそっくりな大きさ、形になっていった。
「麟太郎っ!!」
「しっかり、麟太郎くん!!」
「早く目を覚まさないと恐ろしいことになるぞ!!」
いくつもの声がする。目を開けた麟太郎の視界いっぱいに、武田やなぎの顔面が迫っていた。
「うわわっ!!??」
思わず手で払いのけながら飛び起きる麟太郎。よかった、別状無いみたいだなとようやくほっとして笑う小五郎に、麟太郎はここはどうやらもといた浜辺のようだと見当をつけたが、それは間違っていなかった。小五郎がバイトしている海の家の中であったのだ。
背後で武田が「人工呼吸しようと思っていたのに」と砂にのの字を書きながら小さくなっているのは完璧に無視し、麟太郎は小五郎や勇仔に向かって勢い込んで訊ねた。
「それより、美緒ちゃん! 美緒ちゃんは!?」
「ああ、お前のガールフレンドなら……お前をついさっきここに連れて来るなり顔を真っ赤にしてものすごい勢いで出て行って……あそこにいるよ」
小五郎の指差す方向には、対峙する2体の大怪獣がいた。
「手加減無しでいくわよ」
『望むところ』
美緒はすっと身を低くして、脚を大きく踏ん張るようにする九頭竜独特の構えを取った。それに連動し、まったく同じ構えを取る、美緒のまとった気の塊を見、聞き、全身で感じながら九頭竜は油断なく構えて……先制攻撃。手加減は出来ない。少しでも手加減しようものなら、痛い目を見るだろう。それを理屈でなしに本能で感じ、九頭竜は鷲士たちの言うところの右竜徹陣を繰り出した。
だが美緒は更に低く構え、左手をすっと下のほうへと伸ばす。ちょうど美緒の九頭竜の左手が、海面に触れていた。九頭竜が相手の意図に気づいた時にはもう遅し。そこを出発点にして、九頭竜のいる海面一帯が光ったかと思うと、ホワイトアウト────真っ白な光る闇としか言いようの無い光景が生まれ、真下から圧倒的なエネルギーを浴びて九頭竜の巨体が一気に1万メートル以上高空へと吹き飛ばされる。
九頭・地竜覆海(ちりゅうふくかい)
美緒のオリジナル技の一つである。スイッチ二つ同時切り替え状態の美緒は、右竜を「天竜」左竜を「地竜」と呼び、オリジナルのかなり強力な技をいくつか持っているのだが、これもそのうちの一つだ。
本来の九頭竜でいうところの左竜雷掌に相当し、本来は相手の体内に結城の力や天使の力を融合させることで核爆発にも匹敵するエネルギー量にまで高められた高圧電流を流し、原子の塵になるまで分解してしまう技である。それを海面に向けて放つとどうなるか。もちろん数キロメートルにわたる海域の相当深い所に至るまで、瞬時にして気化してしまう。その際に発生する水蒸気爆発は核兵器の炸裂にも比肩しうる規模になる! これこそが「海を覆す一撃」────地竜覆海のネーミングの由縁である。
それだけではない。美緒は意図的に「力」を円筒状に張り巡らすことで気化する海域の周りを保護した。結果、周りに放射されるはずだったエネルギーは逃げ場を失い、唯一の逃げ場である上空へと殺到した。結果的に九頭竜は、地竜覆海で発生した破壊のエネルギーの大半を食らうことになったのである。
『な、何たる力……っ!! 考えを改めねばならぬっ!! 手加減したら痛い目を見るどころではない!! 確実に……死ぬ!』
誕生からこれまで如何なる相手もねじ伏せ斃してきた九頭竜だったが、今生まれて初めて死を感じていた。そこには激しい戦慄があった。恐怖感、畏れ……怖さ……全てが初めて感じる感情であった。────悪くない。何より、歓喜を感じる。ここまで楽しめるとは!
ようやく体勢を整えなおした九頭竜は────圧倒的な質量ゆえに立て直しに少し時間を取られたのだが、それすら普通の人間にすればとてつもなく早く終わったように見えたことだろう────急いであの娘……美緒を探した。だが、ほんの数瞬の隙が既に命取りになるとは。
美緒は既に右手に力を集中して飛んでいた。そのまま転移────ようやく体勢を整えた九頭竜の真下から、その体をぶち破るかというくらいの勢いでぶちかます。
『ごほおぉっ!!??』
生まれて初めて鳩尾に強烈な一撃を食らい、内臓をシェイクされる気分を味わいながら、右拳を先端に矢じりのようになってめり込んだ美緒ともども成層圏も越えて、地上約10万メートル────中間圏にまで達していた。オーロラが発生したりする空域真っ只中だ。
九頭・天竜混天(てんりゅうこんてん)
「天を混乱に陥れる一撃」その名のままに九頭竜を吹き飛ばし、美緒は素早く転移。今度は九頭竜を大地に叩きつけようと彼の背後に出現する。
『甘いっ!!』
突然九頭竜の頭部から何本もの触手が伸びる。美緒の半透明な「気の九頭竜」を易々と破りながら、美緒本体を目指して触手が殺到したのだ。その先端がいずれも気の輝きを持って、掴みざまに気や高圧電流を流すつもりであることを如実に物語っている。ほんの数瞬で事は終わった。美緒の本体は触手の中に埋もれ、常人なら千回は死んでいるような量の暴力的な気と高圧電流を浴びせられていた。
『ふう、楽しませてもらったぞ』
「よかったわ、楽しんでくれて」
九頭竜は何、と目を剥いた。たった今触手で絡め獲り、斃した筈の相手が背中に張り付いているではないか!
「でもまだまだよ。あんたがぶっ倒れるまでね!! もっと……楽しみなよ!! さあ、逝こうじゃないのォ!!」
美緒の右拳が天竜混天に匹敵する輝きを放っている。その時になってようやく九頭竜も自分が捉えたのは美緒がとっさに転移しつつ残した気の固まりに過ぎないことに気づいていたが、時は既に遅し。
九頭・天竜斉天(てんりゅうせいてん)
「天に斉(ひと)しい一撃」を加えられ、九頭竜は10万メートルの高空から地上めがけてまっ逆さまに────自由落下という言葉が甘美に思えるほどの勢いで落ちていった。
空の一点が急にきらりと光ったと思った時には、千葉の沖合い……少なくとも100キロメートルは離れているだろうか……に天から柱が立ったのかと思う程の勢いで何かが叩きつけられた。
「くっ!! 急いで障壁を張らねば!!」
かろうじて『隕石衝突』という言葉を思い浮かべた樫緒が爆発点を中心にとっさに障壁を張り巡らせ、美月、美花たちが慌てて続く。皆額に浮かぶ汗がものすごい量になっている。無理もあるまい。核爆発も問題にならないほどの、天文学的な破壊エネルギーを封じ込めようとしているのだ。消耗が激しくて当然だった。
駄目だ。向こうのエネルギーが圧倒的過ぎる。障壁が、破られる!! 樫緒が言葉を飲み込んだその時、背中に温かい物が押し付けられ、何かが体の中に流れ込んできた。それは力。萎えかけた気力を奮い起こし、再び「力」を発揮できるだけの量の「気」だった。
「樫緒くん!! 僕の気を受け取ってくれ!!」
「お父……さん?」
「今僕たちは九頭竜出現の影響で力が底無しになっている。これを君たちに分ければ、ちょうどいいんじゃないか……?」
言いながら鷲士は今度は美月の背後に回り、その背中に左手を当てて気を流し込む。その次は美花だ。その時にはなるほど! と雪人や虎雄たちも皆樫緒たちに気を分け与えに走り回りだした。
「か、樫緒たちばっかり……!! しゅーじ、わたしにもくれないか……!?」
「おかーさん、今どういう状況か分かってて言ってるの……?」
汗ジトでつっこむ美沙。答は────無論分かってはいるが鷲士がからむと見えなくなる、だった。
草刈一家全員が沿岸防備にあたるのを横目に、海水が元に戻っていこうとする中から空中に一気に飛びだした九頭竜は、再び転移して来た美緒と対峙した。
『やるな!! ここまで心高ぶるは……生まれて初めてよ!!』
「そう、よかったわね。よかったところで……引導を渡してやるッ!! 征くよォッ!!」
九頭・天竜平天(てんりゅうへいてん)
美緒が放った「天をも平らげる一撃」は海を割り、大量の海水を逆巻きあがらせて九頭竜へと襲い掛かった。だが九頭竜もさるもの、その時には既に迎撃体勢を整えている。
九頭・右竜徹陣
右竜徹陣とはいえスケールが恐ろしく違う。何しろ全長500キロはある巨体から放たれるのだ。その総エネルギー量たるやおして知るべし。少なくとも美緒は身をもってその凄まじさを味わう羽目になったようだった。
天竜平天と右竜徹陣が真正面から衝突した。巻き起こった爆音はあまりにも大きく、見守っていた全員、一瞬気が遠くなりかけた。ちなみに人間が耐えられる音の大きさの限界はおよそ130デシベル(飛行機の爆音を至近距離から聞いた程度)ほどとされており、それ以上の音を聞かされると気絶するといわれている。
美緒と九頭竜のちょうど中間で「力」が拮抗し、そして弾けた。その時には既に互いに次の一手に移っている。
『参る!』
「たああっ!!」
今度は九頭竜の方から仕掛けた。九頭・左竜尖刀だ。それを美緒が捌く。九頭・左竜輪剄。スイッチ二つ同時切り替え状態でも、ちゃんと右竜や左竜の技だって使えるのである。だが九頭竜はあさっての方向へと回転させられるのに逆らわずに自ら体をひねり、美緒の死角から強烈な一撃を見舞った。
九頭・右竜翔扇
「きゃああっ!?」
思わぬ一撃に美緒はバランスを崩し、宙に舞った。だが九頭竜の攻撃は止まらない。すばやく天空に坂になった回廊を想定して駆け上がるや、そこから美緒に向かって右竜徹陣を仕掛ける!
『もらった!!』
「きゃああああああっ!!」
素早く転移をかけながらガードしたものの、かなりの量のエネルギーを真正面から浴びて美緒は吹っ飛んだ。そこへ更に九頭竜の追撃が襲い掛かる。
「っ!!」
『むおっ!?』
バランスを崩し、回転しながら吹っ飛んでいるだけと見えた美緒だったが、九頭竜の突進に合わせて両足を交差させた。それに呼応して美緒のまとう「気」の両足が九頭竜をがっきと捉え、すばやく首を極めてひねりながら投げ飛ばす!
九頭・天地竜移山(てんちりゅういざん)
『山を移す一撃』。練習中に文字通り巨大な山そのものを投げ飛ばしてしまったことから命名された技で、九頭双竜・顎に相当する。
『大したものよ……。ここらで勝負を決めぬか』
「望むところよ!」
すぐに起き上がり、提案する九頭竜に美緒も即答する。互いに構えを取り、麟太郎たちが見守る中、圧倒的なエネルギーとエネルギーが激突する────
文字通り海が逆巻き、大気が怒号を上げる。麟太郎の眼前で起きているのは天変地異以外の何物でもなかった。
美緒の、九頭竜の拳が唸るたびに空気の悲鳴を感じ、海の絶叫が耳に突き刺さる。その中で熱に浮かされたように立ちつくし魅入られたように見守る麟太郎に、思わず地に伏せて激震に耐えていた小五郎が声を張り上げた。
「な、何やってるんだよ麟太郎!! 危ないぞ!!」
「美緒ちゃんが、あそこで戦っているから、僕は、ここで待ってるんだよ。美緒ちゃんは必ず僕の所に帰ってくるんだから」
こ、こんな状態で惚気るかよとげんなりとなる小五郎に、隣で似たような姿勢になって苦笑する勇仔である。
立っていたのは麟太郎だけではなかった。草刈一家ともども平然と立って見守っていた総美がふと呟く。
「……九頭竜が……全てを喰らう姿に……」
九頭竜・魂喰
九頭竜の色合いが反転し、危険を感じたか美緒が素早く後方に転移した。
「そんな技、伝えられていない……!」
鷲士の悲鳴に近い声があがる。何しろ九頭竜の説明によれば、物質非物質問わず触れた相手を全て喰らい尽くして己がエネルギーに変えてしまう技なのだから。
雪人の「今のアンタに触れたが最後、美緒は消えちまうのか!?」という叫びを九頭竜も肯定した。さすがに可愛い妹をこのまま死なせたくないという思いがあるのか、雪人が麟太郎に向かって叫んだ。
「麟太郎!! 美緒に戦いを止めろって言えよ!! お前の言うことなら聞くんだから!」
けれども麟太郎の決意はいささかの揺らぎも無い。美緒を信じているから。何があろうと彼女は生還するのだから。
「いいえ。美緒ちゃんはまだ敗北を感じていません。僕にできることは、彼女の帰還を信じてここで見守ることだけです」
「麟太郎くん、ありがとう。わたしはちゃんと帰るから」
美緒にも声が届いたようだ。それからどれだけの時間が経ったのか。麟太郎にとって、美緒を待つこの時間は、デートの待ち合わせ場所で待つあの時のような甘美な幸せすら感じるのだった。
『して、どう返す、美緒よ? 今の我は杞憂や入滅、黙示とやらも喰らい尽くすぞ』
「そうね。まずは基本に立ち返るわ」
不敵に笑う美緒。その姿によろしい、と九頭竜も構えなおす。しばらくの静寂の後、不意に風が吹いた。九頭竜が「魂喰」発動の状態で右竜徹陣をかけたのだ。とたんに消滅する美緒。
「美緒!?」
「いやあああっ!!」
虎雄と美月の悲鳴が上がった。他の皆も似たり寄ったりの……険しい表情だ。麟太郎以外……。だが。しかし彼ら以上に目を剥いていたのは実は九頭竜だった。
『何と……その手があったか』
「まあね、蓮華歩舟から発展させたにしてはとんでもない技になったと自分でも思ってるわよ」
不意に美緒の声が響き渡り、同時に九頭竜の口から鮮血が散る。
九頭竜・蓮華通風(れんげつうふう)────
九頭竜の攻撃がヒットする寸前に、美緒はこの技を発動させ……自分自身の存在を『虚数』に構成しなおしたのだ。虚数とはすなわち「存在しない」数字。あくまでも存在しないのだから、食われることも無い。そのまま美緒は九頭竜が攻撃した事で出来たエネルギーの流れに、風に乗る鳥のように乗って相手の体内へと渡り、そこで実数へと構成し直したのだ。
「存在することは多量のエネルギーを持つ」事である。突然「無い」所に美緒の存在が「在る」事になったのだ。解放されたエネルギーの総量がいかばかりであった事か。
しかも、もし体内まで「魂喰」をかけていたら自分自身を延々と喰らいつづけるという地獄に落ちることになるためにさしもの九頭竜もそこまではやっていない。美緒はそこに付け込んだのだ。
「さて、あとは出るだけね」
美緒は左手を構えた。
九頭・地竜駆神(ちりゅうくしん)
左手で空間を薙ぎ払い、九頭竜の背中を切り裂いて飛び出す美緒。『神を駆逐(ころ)す一撃』その名のままに、美緒の一撃に九頭竜は海へとその巨体を横たえていく────。だが同時に美緒も力の限界がきたのだろう、外に飛び出した時点でふらふらとなり、どうにか浜の方へと飛んでいく。
全てが動き、終わった。麟太郎には風に乗って九頭竜へと向かっていく美緒の姿が、九頭竜の背をぶち抜いて飛び出す美緒の姿が見えていた。……愛の力だろうか?
「麟太郎くん、ただいま〜」
翼をふわりと広げたまま降りてくる美緒。その温かな翼に抱きしめられるかのように包まれた麟太郎は、おのれの肉体全部を使って彼女の体重全てを引き受けた。
「お帰りなさい、美緒ちゃん」
優しさを含んだ笑顔で声にし、麟太郎は美緒を抱きしめ、情熱的に口付けた。傍若無人(傍らに人無きが如し)────今や美緒と麟太郎の側に、人は無いかのようであった。
雪人は複雑そうな顔をして酒をあおり、美月は何も考えまいと黙々と焼きホタテを咀嚼し、美花は総美と仲良く牛丼を食べている。
「あははー、おいしいね〜♪」
「牛丼は……嫌いじゃない……」
その美花の膝の上には牛丼をもらって食べる神威。こちらはなんだか「諦めたよ俺ァ」といった感じの自暴自棄なオーラが漂っていた。
悠が嘆息と共に鉄板の上の椎茸をひっくり返して念入りに焼き、その隣で美沙と虎雄、それにルナリムが苦笑しながら肉やら野菜やら焼き上がった物から口へ運んでいる。幸貴がまだ呆然とした風で首が痛くなるんじゃないかと心配になるほど上を見上げている傍らでは、翔が美琴と全てを忘れたかのようにいちゃいちゃしていた。
「美琴さん、頬になんかついてるよ……。あ、お肉だ」
ぺろっと美琴の頬についた肉片を舐め取ってしまう翔に、彼女の頬がかっと紅く染まった。
「こ、こら、遊んでおるな!?」
「えへへ、分かるゥ?」
二人のハートマークが横っ面を叩くのが痛いのかちょっと離れて愁と沙貴の二人。不思議なことにどちらかがどちらかの影でもあるかのように一挙手一投足ぴったり息が合った状態で、鉄板の上の焼きそばを食べていた。その更に隣では鷲矢と美魚がお子様らしい喧嘩の真っ最中。
「こら、そのイワシのテンプラよこしなさいって!!」
「やだよ、美魚が食べたら共食いじゃんか……」
ぺしっと音がして鷲矢の泣き声があがった所を見ると、美魚が鷲矢をぶってイワシのテンプラをゲットしたようだ。それに気づいて慌てて鷲士が走っていく。
美貴は美緒ともども麟太郎の隣だった。こうして彼を近くから見る機会の無かった美貴はじっくりと麟太郎を観察し、ふとイカゲソを頬張る美緒ににっこり笑いかけた。
「美緒、なかなかいい男の子捕まえたじゃないの……で、さっきのくずりゅーとの喧嘩から察するに美緒、最後まで行ってるのね?」
まあ薄々気づいてはいたけどね、と美貴。さすが小学生で双子を製造した人は違うなと思いながらも頬を染めて頷く美緒だった。その双子の片割れである樫緒はというと愛妻の冬花、愛娘の梓ともども花火に興じている。
総美以外にも麟太郎の元級友たちが多数列席していた。小五郎と勇仔はさっきから麟太郎と美緒の前に座ってタコやらエビやら食べながら二人の馴れ初めを聞きたがっていたし、何人かがスプレイとキェロツーに興味を持ったのか二人の体を興味深そうに観察している。
そう、ちょっと規模が大きいのを除けばどこにでも見られるようなバーベキューパーティーだった。ただ……。隣にでんと鎮座する九頭竜がいなければという条件がつくが。
「……まさか九頭竜と宴会することになるとは思わなかった」
「わたしもよ。……みんなあまり気にしてないみたいだけど」
かく言う雪人と美月もだいぶ慣れてきた。それにこんな機会、地球が消滅するまでもう2度とあるまい。なら楽しまなかったら損だ。
『さて、夜も更けた。そろそろ我も暇(いとま)しよう』
食べる物も飲む物も底を尽き(もちろん未成年者は全員オレンジジュース)、美花が総美の膝を枕にすーすー気持ちよさそうに寝息を上げる頃、九頭竜がそうっと立ち上がった。ほとんど震動がしなかったあたり、眠る者を起こさないようにという配慮でもあったのか。案外いい奴だ。
『草刈美緒よ。汝を忘れぬ。我をここまで傷つけ、打ち倒した者は誕生してよりただの一人もおらなんだ』
「結構痛めつけたと思ったんだけどね……。さすが九頭竜ね。もうぴんぴんしているんだから」
『ふふ、我は命を20持っておるからな。時が経てば欠損した命もすぐに戻る』
笑う美緒と九頭竜の話の内容のデンジャラスさに鷲士、雪人、美月、虎雄あたりは汗ジトだったが当人達は全く気にしていない様子だ。
『香津麟太郎といったな。汝は只のヒトの子と見るが……如何?』
「ええ。絵を描く事と美緒ちゃんを愛する事以外とりえの無い普通の人間ですが」
さりげなく惚気る麟太郎に頬を紅くする美緒と苦笑する九頭竜。だが九頭竜の苦笑はすぐにやみ、真剣な口調があたりを支配した。不意に、遥か深い、光も届かぬ海の底の、どこまでも蒼い闇の中に引きずり込まれたような気がして思わず顔を見合わせる麟太郎と美緒。
『汝は、美緒が我にも匹敵する寿命の持ち主と知って、愛するのか?』
「はい」
九頭竜の問いかけは半ば予想通り。固い決意を込めて麟太郎は即答した。
「美緒ちゃんは……僕が年老いて死んでも生き続けなくてはならない。僕が死んだあと美緒ちゃんがどうなってしまうのか、それを思うと凄く……ここが締め上げられるような気がする……」
胸を押さえる麟太郎。それは少年の、率直な想いだった。
「出来るなら美緒ちゃんを普通の体にしてあげたい。それが適わないならせめて、彼女と同じ寿命が欲しい。彼女と同じ時を生きて、彼女の孤独を少しでも一緒に背負いたい。……無理でしょうか」
『まあ、普通なら無理よな』
九頭竜の応えは素っ気無い。
『第一、天使を常人に変えようなど、「絶対神」でもなければ不可能な事よ。だが、我にもできる事はある。汝の覚悟、本物と見た。我からの贈り物を受け取るがいい』
九頭竜の言葉と共に彼の胸のあたりが赫い光を放った。その光は一直線に麟太郎の胸に当たり……すぐに消えた。美緒が驚いて振り返る間すらない、一瞬の出来事だった。その光を受けた麟太郎は、急に体が軽くなったような気がした。体の奥から、ものすごい力が湧きあがってくる……!!
『余計なお節介かとも思うたが、麟太郎に我の命を一つくれてやった。これで麟太郎は我と同じだけの寿命を持つことになる。不老の特性が現れるのは何歳のことになるかは分からぬが、まあよぼよぼの老人になる前に完全に不老に至るであろうよ』
「ううん……お節介なんてとんでもないわ……。ありがとう麟太郎くん、ありがとう九頭竜!!」
笑顔で抱き合う麟太郎と美緒。それを優しそうな目で眺めやる九頭竜だったが、ふと美緒を注視して────
『ふむ、もう一つ贈り物が必要よな』
美緒を包む光線。えっと振り返った時には既に九頭竜はきびすを返している。
「もう帰るの、九頭竜? さようなら! 次はいつ会えるの?」
『そうよな……5000年経ったらまた会おう。そうそう、それこそお節介かとも思うたが、汝の体、健康にしておいたぞ』
「は?」
美緒の目が点になった。
『薬品に汚染されておったぞ。薬品によって弱っていた機能もあわせて回復させておいた。たとえ不老不死に近い肉体とはいえ、薬品の影響はやはり受ける。気をつけよ』
しばらく思考がついていかないらしく硬直していた美緒だったが、九頭竜の体がかなり海面下に消えてあとは頭部のみという時になってようやく意味を悟ったらしく叫んでいた。
「ち、ちょっと、くずりゅー!?」
『礼ならいらぬぞ、はっはっは。では5000年後、また会おう!』
どぼん。
頭部まで完全に海中に没し、九頭竜の姿は消えた。しかし美緒の叫びは止まらない。
「待ちなさいよ、クズ────! それこそ余計なお世話だっての────っ!!」
頭をかきむしり絶叫する美緒だったが、しかし九頭竜が戻ってくる気配はまるで無く、空のお星様がにこやかに瞬くだけだった。
それから2週間後。ちょうど美緒と海に行った時の出来事をテーマに絵を描いているところへいきなり美緒が駆け込んできた。
「美緒ちゃん!?」
「麟太郎くん……。どおしよぉ〜」
いつもの溌剌として元気な美緒とまるで違う様子に麟太郎が面食らっていると、彼女の背後に美沙の姿があった。
「麟太郎くん、ちょっと顔貸してくれる?」
「は、はい」
草刈家は異様に静まり返っていた。しかも家を取り巻くように何やらスパークが走っているような気がする。麟太郎が通されたのは座敷だった。既に主の鷲士以下、主だった面々が顔を揃えていた。
「麟太郎くん……座りなさい」
美沙が座布団を用意してくれたので、その上にちょこんと正座する麟太郎。それから改めて鷲士を見ると、彼は手をプルプル震わせていた。いったい何事だろう、と内心首を傾げたその時。
「美緒ちゃんが、身ごもったよ」
一瞬何を言われたのか分からなかった麟太郎だったが、しばらくして……その意味を悟って思わずええっと叫んでいた。
「だ、だってちゃんと避妊して」
そこでようやく2週間前の事をはっきりと思い出す麟太郎。あの時九頭竜はなんと言った?
『薬品によって弱っていた機能もあわせて回復させておいた』
そしてその直前、僕は美緒ちゃんとえっちしてて……。しかも思い切り中に……。全てを悟って愕然とした風の麟太郎に、美沙が嘆息しながら声をかけた。
「突然の事でパニックだろうけど、オトコノコでしょ、麟太郎くん。だから敢えて訊かせてもらうわ。麟太郎くんは、どう責任とるつもりでいるの?」
その声に思わず美沙の顔を見て、次に美緒に視線を移した麟太郎は何時の間にか落ち着いていた。美緒は不安に押しつぶされそうな、今にも泣き出しそうな顔だ。いや、既に泣いたのだろう。目のあたりが真っ赤だ。
「申し訳ありません」
麟太郎は両手をついて、深々と頭を下げた。
「あまりにも考え無しで……。美緒ちゃんも傷つけてしまいました……。僕は、全部引き受けるつもりです。美緒ちゃんも、生まれてくる子供も」
「簡単に言うがな、麟太郎」
口を挟んだのは雪人だ。
「美緒は今12歳だ。どんなにお前が美緒を愛していて、その結果子供ができたんだとしても……世間はそう見ない。好奇の視線に晒されるだろう。それだけじゃないぞ? お前は美緒と一緒にちゃんと……子供の将来にも責任持てるのか?」
子供の将来、と麟太郎は呟いた。
「美緒は産むと言っている。それはいい。自分の時間を奪われる事になったとしてもだ。もちろんそのときにはみんな協力することができる。幸い草刈の家は金に余裕があるしな。だが問題は生まれてくる子供だ。この子達は永遠に……幼い母親の火遊びで生まれた子として、色眼鏡で見られつづけるぞ」
「僕の責任でもありますから、僕が守ります」
雪人の鋭い視線をそのまま受け止めて応え切る麟太郎。
「全てを投げ打ってもか?」
「はい。……雪人さんが望むなら、この左手を折って下さい」
それは麟太郎の覚悟だった。確かに誘惑したのは美緒ちゃんである。けれども麟太郎は年上(例えほんの数歳でも)として、少しは自重すべき立場だった……今、それを思い知らされて、腹をくくっていた。麟太郎の利き腕は左だ。これを折るということは、即ち絵が描けなくなる事を意味する。絵を描く事を止め、何らかの仕事について子供を育てる事になってもいいという意思表示であった。
「……バカ野郎。お前から絵を取ったら何が残る。第一美緒がそれを悲しむ……バカな事を言うのは止せ」
バカ野郎がと連呼しながら、雪人はどこか微笑んでいた。
「だったらこう言いやがれ。世界に認められる絵描きになって、美緒と子供を守れるだけの男になってやるってよ!」
「そうですね。……僕は出産には反対だったんですが……覚悟があるならまあ、いいでしょう。結城の方もバックアップ体制を整えると約束しましょう」
雪人に続いて樫緒も微笑んだ。美沙はというと、端っからわたしは美緒の味方だからね、と笑っている。
「お父さん……いかがですか?」
振り返り、樫緒が鷲士に問う。それまで静かに子供たちの話し合う声に耳を傾けていた鷲士は、麟太郎の目を見据え……
「麟太郎くん」
感情を殺すようにして静かに声にした。
「美緒をよろしく頼んでいいですか?」
それに対する麟太郎の応えはもう決まっている。
「……もちろんです、鷲士さん。僕は美緒ちゃんと時を共有する覚悟を決めています」
「本当に……本当に頼みますよ」
その時鷲士が流した涙を、麟太郎はきっと生涯忘れないだろう。たとえ数千年数万年、いや数億年経とうとも。
「まったく、わたしの時以上だったわね」
正式に婚約を交わすことを確認して、とりあえず帰宅することになった麟太郎に美沙がそんな事を言った。
「何しろわたしが悠を身ごもった時は高校生で、しかも虎雄が3つ年下だったものね。やはり爆発しかけたのよ、おとーさん」
そうだったんですか、と目を丸くする麟太郎に「そーだったのよ〜」と苦笑しながら美沙が続ける。
「……本当に自分の子供を大事にする人だから。大事にし過ぎて判断を時々誤って、その度に見てるこっちが心配するくらい嘆き悲しんで。……わたしが言えた義理じゃないけどさ、鷲士くんこれ以上悲しませないでね♪」
はい、とうなずく麟太郎に美沙はじゃ、これ忘れないうちに渡しておくわと封筒を取り出した。
「本当なら美緒から渡されるのが筋なんでしょーけど、あの子今精密検査やら何やらで大変だから。後で渡しといたよって言っておくからね」
それじゃ、と立ち去る美沙の、とても17歳の息子がいるとは思えない衰えの欠片も無い美しい後姿を見送ってから、一つ丁寧にお辞儀して麟太郎は改めて封筒に目を移した。
触った感触で容易に上質な紙を使っているとわかる。左上と右下、二箇所の隅にさりげなく小さな葉模様(どうやら桐の葉のようだ)を散らし、丁寧な字……紛れも無い美緒の筆跡で、香津麟太郎様へと書かれている。
わざわざ蜜蝋で閉じられた封を切り、中の手紙を取る麟太郎。それは美緒の13歳の誕生日を祝うパーティーの招待状だった。
終劇。あるいは『二つの誕生日』に続く。
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