DADDYFACE SidetStories
「【花輪計画】〜きまぐれなかみさまのたね〜」(第二章)
written by 東坊主



 鷲士が史上最大の修羅場に直面していた頃……

 カトレア女学館中等部、二棟四階の1年B組の教室――もとい、『仮装喫茶・萌』。
 超絶的にかわいいお嬢様の女の子が「仮装」(世間様ではコスプレという)をして、ウェイトレスをしてくれるという夢のようなお店。
 当然、開店当初から廊下に列がずらっと並ぶ満員御礼状態となった。
 男性客が多いかと思いきや、お客の男女比率は五分五分、といったところ。邪な考えなしに、かわいいものに惹かれる……といった面では、むしろ女性のほうが多いのかもしれない。仮装をして働く友達を見てみよう……という目的のここの生徒の姿も多い。

「はーい! こちら、ミルクティーとフルーツサンドになりまーっす!!」

 元気な声のウエイトレスの女の子によって運ばれてきた料理が、学習机の上にテーブルクロスを掛けた簡素なテーブルの上に並べられていく。
 ちなみにこの子は白地の上着に赤袴といった典型的な巫女さんの衣装である。耳にちょいかかる程度の、短めにカットされたさらりとした黒髪と、光り輝くその笑顔に、テーブルに座るカップルはしばし見とれた。

 店内を見渡すと――いるいる。
 手錠、警棒など小道具もばっちりのちっちゃな婦警さん。
――頭にちょこんとかぶせられた帽子が『萌え』である。

 きりりとした白衣に身をつつみ、おろせば背中にかかる程度の長さの髪を、なかば無理矢理ぽにーにしているちっちゃな女医さん。
――袖口からちょびっと出た指先と、微妙にズレてかけられた黒縁のダテメガネが『萌え』である。

 ぶかぶかの黒Tシャツを一枚着ただけの子。シャツが大きすぎて、まるでワンピースのようになってしまっている。ぴょんっ、とひとふさだけ紅いリボンで結ばれた髪の毛がめちゃ愛らしい。
――デフォルメされた恐竜が「GAOGAO!!」言ってたり、服が微妙にズれて、ほっそりとしてふやんとした肩と首筋が「ほんのちょっとだけ」見えるところがまた『萌え』である。

 カウンターでは、くまさんやきつねさんやうさぎさんの着ぐるみを着た子が料理中。
 向こう側では極薄の白絹の肌襦袢を着た子と、水色の生地に金魚の柄の浴衣を着た子が、それぞれ妖艶な笑みと、元気100%な笑顔を浮かべて仲良く注文を取っている。――お客の方は注文どころではなくなっているようだが。



……作者が暴走しかねんので、描写はこのくらいにしておこう。



「はーい! コーヒー二つおまちどーさま〜」

 教室の左奥。二人のお客が座っている窓際のテーブルに、湯気をたてた紙コップが二つ運ばれてきた。例によって運んできた子はいわゆる「体操服にぶるまぁ」という黄金の組み合わせ。
 健康的な内股が惜しげもなくさらされ、歩みを進める一歩一歩にふるふると揺れて、今にも崩れてしまいそうな柔らかさを強調していた。さすがにそれだけではアレなのか、前だけをほんの少し覆い隠すようにピンクのフリル付きのエプロンドレスを着ているのが、実に惜しい。
 こういった服は、ともすればワザとらしく見えてしまうものだが、この子に関してはそういった嫌みったらしさがカケラもない。
 さらによく見ると、エプロンの背紐とツインテールの長めの髪に隠されているが、背中にゼッケンがくっつけられているようだ。そこに書かれている文字は――「1−B 結城美沙」

「姉様? そんな格好で、はしたないですよ?」

 そう言って、父親が放蕩娘に説教をするような苦々しい顔をしているのは、男装のコスプレをしているウェイトレスさんではないか? と、間違いなく一瞬錯覚してしまうほどの美貌を持った少年である。
 きちんとしたタキシードに蝶ネクタイ。ぶるまぁ少女の弟君。――結城樫緒。

「うっさいわねぇ……ここでの売りはズバリ『萌え』よ! お客様へのサービスを大切にする! そして一番の売りを最大限に活用する!……商売の大原則でしょう? これって経済原理! 問題ナッシンよね? 冴葉ちゃん?」
「はい、間違いありませんわ。ボス」

 そう答えたのは、シックなスーツに身を固め、この萌え空間に一カ所だけお姉様属性フィールドを作り出しているクールな容貌の……今はちょっとだけ唇の端が笑みの形になっている女性。――片桐冴葉である。
 そうでしょうと大きく頷いて、えっへんと胸を張る姉に、樫緒はヤレヤレと肩をすくめ、運ばれてきた紙コップ入りのコーヒーを一口すする。喉に液体を流し込んだところで……驚いたように目が見開かれ、「ほう……!?」と感心したような息を吐く。

「まさか、こんな所でこんな良い豆を使った物が飲めるとは……。採算がとれないのではないですか? 姉様?」
「だーいじょーぶ!! コーヒー豆の輸入商の娘さんが同じクラスにいてねぇ、そこのお父さんが最高級の豆を無料で提供してくれたのよ!」

 食器こそ紙コップや紙皿だが、コーヒー豆だけではなく、ここで使われている食材のすべては、各娘の父親のつてを使って集められた最高級の物のみが使用されている。
 風呂で一日の疲れを癒している時に、目にねじり込んでも痛くない愛娘が、突如タオル一枚で入ってきて背中を流してくれたあげく「おとうさん……。わたしのコト、キライ?」なんぞと背中に「ぴとぉ」っとくっついた状態でささやいてくれた日には、――断る手段などないではないか!
 言うまでもないが、その作戦を授けたのは美沙であるのだけれども。
 「ふむ、挽き方も悪くない……」深く、それでいてさわやかで後口に残らない苦みと、鼻腔をくすぐる香ばしい香りに、樫緒は珍しく感心しきり、といった様子であったが、はたと動きを止め、――またしても美沙の姿をシゲシゲ。

「しかし、その……やはりなんというか……」
「……あんたたち、やっぱり親子よねぇ……。鷲士君も同じ心配してたっけ……。――ま、心配してくれるのはありがたいけどね。……でもほら、アレ見てアレ!」

 コーヒーで少々なごんだとはいえ、まだまだ表情が硬い樫緒に示すように、美沙が指さしたその先、――すなわち背面黒板には「ナンパ絶対禁止」という墨字の張り紙があり、さらにその前には、そろいの黒いミラーシェードをかけて、直立不動のまま微動だにしないカト女の制服の子が四人ほど立っていた。
 全員の右腕には「保安部」と書かれた腕章がつけられており、きりりと額にまいたハチマキには「滅殺御免」の朱い字。

「ここの保安部はムチャ強いんだって。そうでもなきゃさすがにここまでやんないわよ」

 苦笑する美沙。
 実際の所、これまでも、この厳戒態勢にもかかわらずに、しょうこりもなくナンパしようとするお金持ちのボンボンが何人かいたのだが、彼らは例外なく瞬時に「滅殺」させられている。
 それが“みせしめ”となって、いまではナンパしようとする命知らずはいなくなっていた。
 しかし、安全性が高いとはいえ、しかしここまでの服装をお嬢様が気前よくしてくれるとは到底思えないのだが、――そこは凡人の思うところであった。
 カト女という一風変わった校風と、「いつも淑やかにさせられているぶん、こんな時ぐらいハジケたい!」というお嬢の気まぐれが、この奇跡の店を生み出したのだった。(ビバ、きまぐれ)


――閑話休題――


「姉様、少し時間をいただけますか?」
「ん? 別にいいけど……。マスター! 美沙休憩入ります〜!!」

 かなりマジな表情の樫緒の言葉に、美沙は奥にいる陸軍の司令官風の女の子(大きすぎるグリーンベレーが萌えである)に向かって叫び、開いていたイスに座って、「で、ナニ?」と聞き返す。
 美沙が姿勢を正したところで、再び樫緒が口を開いた。

「姉様は、“御度島 火斗乃”という女性をご存じですか?」
「……なんだと思ったら、自慢? 遺伝子工学の若き天才女性博士でしょ? FTIのほうで引き抜こうと思ったのに、ナニ考えてんだか彼女は“結城食品”に就職。……まったく、なんであんな冷血企業なんかに!」
「彼女の就職は正当なものですよ。姉様の言葉をお借りするなら“経済原理”です。……お気にさわったなら謝りますが、別に自慢ではありません」
「むー……」
「それはともかく。今回結城で、ある問題が再燃しましてね。しかもその件、――どうやら姉様の副業と関係が深いようなのです」
「冴葉ちゃん、それ本当!?」
「ええ、そのようです。――まずは、樫緒さんからどうぞ」

 冴葉の言葉を受け、樫緒は語り始めた。

「実は件の彼女ですが、一年半ほど前に失踪したまま行方不明になっているのです」
「一年半!? 入社してすぐじゃない!」
「ええ、こちらとしても困惑しました。人間の遺伝子、つまりヒトゲノムの解析は、この業界では既に終了していることは当然のこととなっています。これからはその改良、もしくは改変の技術競争となってくることは明らか。……“結城食品”は表向き大衆食品の開発を行っていますが、どちらかといえば裏側に重点が置かれています。彼女は、その中心となるべき人物でした」
「失踪ねぇ……。案外、結城に愛想尽かしたんじゃないの?」

 茶化す美沙だが、樫緒の表情は変わらない。

「ええ、そうかも知れません。――彼女の失踪直後、結城の方で彼女が来る以前からまとめられていた研究資料が、ごっそり持ち出されていることがわかりました」
「うっわ、よりによって結城でそんなコトしたら……」
「そのとおり。結城のイリーガル、――非合法工作班ではすぐに彼女の捜索、身柄の確保、それが無理なら抹殺が指令されました。しかし、普通ならすぐに拘束されるはずなのですが……」
「見つからなかったんだ」
「そうです。しかし結城の情報網の広さは姉様もご存じの通り。……それでも見つからないということは?」
「背後に何かいるのね?」

 美沙が興味深そうな瞳で弟を見やる。――その視線を樫緒はつい、とそらして、窓の外を眺めやり、再び視線を戻す。

「ときに姉様、“ルナティック・フェアリー”という名をご存じで?」
「“ルナティック・フェアリー”? “キチガイ妖精”? ……あ、思いだした。最近出てきた裏の会社ね? “生体兵器から夜のお供まで”っていう決まり文句は聞いたことがあるわ。――ロクな所じゃなさそうだから現在調査中よ」
「お知りになってるのなら話は早い。そこで“汚すも壊すも貴方の自由♪”というふざけた宣伝文句で売買されている性玩具用の少女に、火斗乃が持ち出した結城の技術のいくつかが使われていることがわかりました。……これが二週間ほど前のことです」
「うっわ、趣味最悪。そんなところにいたんだ?」
「ええ。……しかしそれにしてもやけに発見が遅いと思いませんか?」
「――何が言いたいのよ?」
「“ルナティック・フェアリー”のバックボーンには、どうやら姉様と因縁の深いあの狂人集団がついているらしいのです」
「……それってまさか、ミュージアムのこと?」
「――その通りです、ボス」

 今まで沈黙を守っていた冴葉が、突如口を開いた。

「今回の件には、どうやらあの“グール”それから【エシュの種】が深く関わっているらしいのです」
「うげぇぇぇぇ……よりにもよって“グール”」
「……念のためもう一度確認しておきますが、“グール”というのは、“グレゴリオ・エドルフ”という人物を指しているということで間違いないですね?」
「ええ、その通りですわ」

 なにやらブツブツ言っている美沙はさておき、問う樫緒に答える冴葉。そして樫緒は、ふむ、と一つうなずくと、

「性玩具から生体兵器まで幅広く扱う裏の企業、ルナティック・フェアリーと火斗乃との関係が確認されたのち、その筋で再調査を行いました。……結果、件の人物はどうやらそこの主格らしい、といった事と、火斗乃が失踪直前にそういった輩と接触を持った、という情報が浮かんできましてね」

 と、そこで一度言葉を切り、

「こちらでも当然情報の収集は継続中ですが、先ほど冴葉女史と少しお話をさせてもらいました時に、その男、姉様方との因縁浅からず、といった事を聞きましたので……。そこで、あらためてきちんとしたお話を伺いたい、と。――今回は結城としても見逃すわけにはいきませんので、お願いできますか?」

 姿勢を正して美沙に向き直る。――が、

「ヤダ」
「はい?」
「イ・ヤ・ダ! って言ったの!! 誰があんなクソ企業に協力なんかするもんですか!!」
「ボス……」

 やっぱし、というかなんというか。美沙は口をへの字に曲げて、断固拒否の体勢だ。
 そのまま二人はしばし、にらめっこを続けていたが、……先に樫緒が折れた。

「……しかたありません。彼らの研究の結果生み出された生体兵器と思われる“もの”のデータ、およびサンプルをお渡ししましょう。姉様達には貴重であろう不可思議な品もあります。……どうですか?」
「う〜ん……」

――さて、どうしよう?
 樫緒が言う不可思議な品、それはおそらく来訪者の遺産関係のものであろう。しかも今回は“グール”が関係しているらしい、ということは、それは【エシュの種】に関連するものである可能性が極めて高い。……結城と手を組むはまっぴらだけど、樫緒の交換条件は魅力的だ。
 腕組みして考える事約三十秒。

「……ま、いっか。協力する、っていっても情報関係だけね。実質的な作戦とかは別々、――それならOKよ?」
「ずいぶんとこちらに不利なような気もしますが? ……まあいいでしょう」
「よし。――じゃ、冴葉ちゃん?」
「了解しました、ボス。それと樫緒さん? 申し訳ありませんが急なことで手元に資料がありません。きちんとした書類は、後日あらためて送らせていただきますが、今日この場では口頭のみの説明になってしまいますがよろしいですか?」

 冴葉の言葉に、樫緒が「かまいません」と再度返答して、話が始まった。

「まずは、我々が“グール”と呼んでいる、“グレゴリオ・エドルフ”という男についての一般的なプロフィールから。祖父にロシア人を持っていますが、本土生まれのアメリカ人。コロンビア大学に入学後、考古学を専攻、特に、アフリカの民俗、神話関係について研究をしていたもようです。卒業の後、考古学博士となって同大学の研究員となりました。また、アフリカでのフィールドワークも多かったようです」
「……でもここからが問題なのよね」
「問題とは? やはり例の事件ですか?」

 樫緒の問いに、冴葉は軽くうなずく。

「ええ。大学にいる間、グレゴリオは、表向きこそ生真面目な人物を装っていたようですが……。彼の本質は病的な少女性愛者、つまり極度のロリータ・コンプレックスで、さらにタチの悪いことに、それに強力な破壊衝動をともなっていました。例の事件後、彼の自宅から押収された大量のビデオテープには、彼本人の手による少女のレイプ殺人の映像が、多数記録されていました。現地調査にかこつけて、海外でその犯行の多くを行っていたと考えられます」
「……本当にクズですね」

 表情を変えぬまま、吐き捨てる樫緒。

「しかし、その事件はこちらでも調べがついています――今から四年前の事。慎重に行動を続けてきたはずの彼は、ついに爆発。近隣の孤児院に侵入し、大人、男児は残さずバラバラに切り裂いて殺害。女児は、そのすべてを無惨に犯した後で首を切り取った。……その後、彼自身の通報によって警官が現場に到着したときには、おびただしい量の血の海の中に、ぐるりと円を書くように並べられた生首の輪があったそうですね……」

 いまや樫緒の顔には、明らかな侮蔑があった。そして、そこで言葉を切った樫緒の後を冴葉が継ぐ。

「そうです。さらにここで問題となってくる点がいくつか存在します。……事件は平日昼間に起こったにもかかわらず、彼の通報以前に他者から通報された記録がありませんでした。さらに、不可思議なことには、被害者にも抵抗した形跡が全くなかったのです。通報後、誰にも姿を見られることなく逃走したことといい……これは推測に過ぎませんが、おそらく彼は、この時点で既に【エシュの種】の力を得ていたものと思われます」
「――ということは、その【エシュの種】というものがミュージアムと彼との接点だということですか?」
「ええ、そう考えるのが自然ですね。……その後彼は半年ほど姿を消し、次に姿を現した時にはミュージアムのハイキュレーターとなっていました。――そして【エシュの種】の入手経路ですが、彼がアフリカで【エシュ】関連の遺跡発掘の際に偶然見つけた、というのが一番ありえる線ではないかと……」
「……なるほど。ところで一つ質問があるのですが?」
「なんでしょう?」
「なぜ、彼を“グール”と呼ぶのです?」
「ああそれはね……」

 露骨にいやそーな顔で、美沙が答える。

「ロリコン快楽殺人者な性格とか、ミュージアムに入った後のやりくちとか……。外道な奴らばっかしのミュージアムの中でも、アイツは外道中の外道。他人の命を軽んじてるどころか、空気ほどにしか思ってないの。何も感じることなく、なんのためらいもなく、ただ利用する。地中海で沈んだ島浮き上がらせるのに、街一個の人間丸ごと生け贄に捧げたりとかね」

もちろん、女の子だけは、特別に彼に犯られてから殺られたらしいんだけどね。と続ける美沙の顔には、いまにも吐きそうなほどの嫌悪感がにじみ出ていた。

「あいつのサルが腸捻転起こしたよーな『きははははははははははは!!!』って笑い声思い出すだけで……。うう〜……サムケが……」

決して大げさではなく、美沙は自分の体を抱く。マジで嫌そうだ。

「……そういった彼の行動が、まるで人を命を喰っているようだと言われはじめ、『食人鬼』“グール”という名で呼ばれ始めることとなったのです」
「なるほど、確かに外道にはふさわしい二つ名ですね」

 樫緒は「ふぅ……」と息をついて目を閉じた。

「僕が姉様達に聞きたいのはここから先。“彼に深く関わっている【エシュの種】とはいったい何なのか?”と“ミュージアムにおいて、また彼において、ルナティック・フェアリーというのはどういった存在なのか?”――といった点についてなのですよ。まあ、後者については姉様達もいまだ調査中のようですが……。前者は期待してもよろしいのでしょう?」
「それについては、OKよ!」

 不信げな樫緒の言葉に、美沙は「どんっ」と無い胸……もとい、微妙な胸を叩いて答えた。

「まず初めに、【エシュ】っていうのはね、アフリカのナイジェリアに伝わるヨルバ神話の中に出てくる神様の一人なの」
「……ヨルバ神話?」
「そ、ナイジェリアに伝わるふるーい神話。しいて言うなら日本でいうところの“古事記”みたいなものね。まあ、正確には全く違うものなんだけど、よく似た部分がたくさんあるのよ。――たとえば、ヨルバ神話は、多神教なの。日本みたいに八百万の神様がいたりするしね。その中でも主神といわれる『オロルン』がドロドロの水たまりに使者を使わして大地を創世するあたりのくだりは、古事記の冒頭でイザナギ、イザナミの神様夫婦が日本を創ったところとよく似てるし……」

 まあ、話すと長くなるし、今回の件にあんま関係ないから詳しいところは割愛するけど、いい? と美沙。樫緒は、黙ってうなずく。

「その中でもね、【エシュ】っていうのはずいぶん変わった神様なの。ヨルバの神々は、普通は特定の祭祀集団に祭られてて、他の神々を崇拝する人々からは信仰を受けないもんなんだけど、【エシュ】は例外的に全ての人々から信仰を受けているのよ」
「ほう?」
「その理由は、【エシュ】の特殊な性格にあるようですわ」

 美沙の後を引き継いで、冴葉が続ける。

「ヨルバ神話の主神――オロルンの、長子、あるいは末子とまでいわれ、ヨルバの神の中でも第二位にあるほどの強力な神【エシュ】は、本来、人間の崇拝と犠牲の正しさを検討して、神々と人間の行為について主神オロルンに報告するという、重要な役割を担っているのですが……。彼は、――天界一の気まぐれで、さらにイタズラ好き、といったエピソードを持っているのです」

 そーいうこと。と、今度は美沙。

「たとえば……。仲のすっごい良かった二人の男の前に、かわるがわる違った姿で出てきて、意見の食い違っちゃう二人を大ゲンカにさせたりとか。それを国王様に知られて、ごまかすために町に火を付けて大騒ぎを起こしたりとか。あ、人じゃないけど、太陽の神様と月の神様にデマ流して、日食と月食をつくっちゃったりとか……」
「……ずいぶんとタチが悪いですね」
「で。……ここからが重要なんだけど、【エシュ】は他にも、人間に混乱と不和の種をばら撒くエピソードが多いの」
「それが【エシュの種】というわけですか?」
「厳密な意味ではちがうんだけどね。――神話で言われてるヤツは、元凶、原因、の意味で使われてる比喩なの。でも、それとは別に、本当に“人間に混乱と不和をもたらす力を与える”【種】の形をしたモノは存在したのよ。ナイジェリアの遺跡で“グール”と一戦やらかした時にこの目で確認済み!」

 メノウ色の瞳を「ぴっ」と指さす美沙。樫緒はそんな姉の行動をサラリと流し、「先ほどから思うのですが……」と、再び疑問を投げかける。

「【エシュ】というのは邪神か何かなのですか? さきほどからの姉様達の話からでは、とても民衆に信仰されるような神とは思えませんが?」
「たしかに。キリスト教では、『エシュ、またはエレグバラ…サタン、邪悪なる者、諸悪の根源なり』と解釈していますし、その他の面から見ましても、邪神といわれる事が多いようです。ですが、【エシュ】は同時に、究極の善の神でもあるのです」
「そーそー。人間が神様に供え物を捧げるのを忘れて、神様達が飢えに苦しんだ時、【エシュ】は一匹の猿からヤシの実を世界中から集めるように勧められて、世界中を旅してヤシと、ついでに人間の信仰に必要な占いと供儀の知識を神様達と人間に持ちかえった……。っていうような話もあるの」
「ずいぶんと矛盾したことをする神ですね?」
「……【エシュ】の最大の特徴、それは“極端な両義性”にあるの。――秩序の守護者にして、破壊者。究極の善であり、同時に悪でもある。凶悪だけど優しく、美貌の持ち主であるかと思えば、とんでもないブ男。男かと思えば女。つまるところ、主体性がないのよ」

 そこで美沙は言葉を切って、樫緒の飲みかけのコーヒーをひとくち。しゃべりっぱなしで乾いたのどを潤す。

「……これはあまり知られていないんだけど、【エシュの種】は単に混乱と破壊をばらまくだけじゃなくて、同時に秩序と奇跡をもたらすとも言われてるの。その力が善となるか悪となるかは、使用するものにかかってるっていうわけ。――つまり、【エシュの種】そのものが邪悪なんじゃなくって、それを得たヤツが力に魅せられて、破壊と混乱をばらまいた、っていうのが真相なんじゃないかと私は思うワケよ!」

 『私は思うワケよ!』に強めのアクセントをおいて力説。

「きまぐれしだいで、究極の善にも、究極の悪にもなりうる、イタズラ好きでひねくれていて、けれどもちょっと小粋なところのある神。――それこそが、【エシュ】なのです」
「そういうこと! 【エシュ】ってーのは、そーとー“イイ”性格してたから、『人間に力与えてみよー♪ どうなるのかなー♪ わくわく♪』なんて言いながら、面白がってたんだと思うのね!!」

 つとめて冷静な冴葉の横で、美沙は立ち上がって握り拳ぷるぷる。

「姉様、少し落ち着いてください。皆さんがこちらを見てますよ?」
「……はっ!?」

 汗ジトの樫緒の言葉に、我にかえる美沙嬢。

「いやー、ごめんごめん♪ つい熱くなっちゃって♪」

 あはは……と苦笑。そんでもって頭をポリポリ。樫緒はヤレヤレ、と肩をすくめて、

「なるほど、“使用者しだいで、善にも悪にも”ですか。それがよりによってグレゴリオとは、まさしくタチの悪い神のイタズラといったところですね。――それで、【エシュの種】とやらの具体的な能力というものはなんなのですか?」
「不明です」

 間髪入れずに冴葉が放ったセリフに、樫緒の目が点になる。

「不明!? それは全くわかってないという事ですか?」
「“グール”のクソヤローのおかげでね! 発見するとこまではできるんだけど、そのあといっつもジャマされて、いままでのところ収穫ナシなのよ。サンプルがなくちゃ、分析も研究もなにもできやしないってーの!」
「【エシュの種】は、複数存在します。しかし、そのいずれも、“グール”に奪われてしまいました。そのため、【エシュの種】の具体的な能力は、おそらくその力をを使用しているであろう“グール”の断片的な情報から推察するぐらいのことしかできていません」
「まあね。300発のミサイルの直撃受けても死ななかったり、ステルス五機撃墜したり、M1エイブラムス戦車十両ぶっとばしたり。――かなりヤバイ力だってことはわかるんだけど、どうやってるのかはさっぱりわかんないの」
「彼は、特別な武装はしていません。しかし、どちらかといえばESP、超能力といったものや、オカルティックに言うなら、“魔法”、といったものに近い、特殊な現象を起こすといったことは確認されています。――が、そのどちらだとしても、現状では判断しかねます」
「……やれやれ、まんまとハメられたようですね。これでは、わざわざ交換条件を出して聞くほどの話ではないではないですか?」

 あきれ顔の樫緒とは対照的に、美沙はしてやったりのニマリ笑い。

「ま、約束は約束! 今度はそっちのばん!!」
「しかたありませんね。――では、まずはこれからご覧下さい」

 そういうと樫緒は、足元にあった黒のアタッシュケースを机の上に引き上げる。その金具をカチリとはずし、パカリとふたを開け……、その中には、厳重に詰められた衝撃吸収剤と、中心に位置した小さめなお茶缶ぐらいの大きさの、銀色の円筒。

「なに? それ?」
「まあ、焦らずに」

 いぶかしげな表情の美沙の前で、樫緒が円筒の封印を解く。もわりと白い煙が一瞬立ちのぼるが、手袋をはめた樫緒は、かまわず手を突っ込む。――そして、“それ”を取り出した。

「うっそ……」

 今度は美沙と冴葉の目が点になる。――樫緒の指先につままれているのは、クルミ大ほどの大きさの、銀虹色の物体。人の脳を小型化したような奇妙な形状で、しわくちゃの表面構造が、ぬらりとした光沢を放っていた。

「マジ?」

 美沙達は、これを以前見たことがある。“見たことだけ”は。以前から、彼女たちは“それ”を何度も手にしかけ、けれどもそのたびに失敗して“それ”を奪われているから。

「……確信は持てませんが……、まず、本物です」 こんな状況でも、あいかわらずクールなのはさすが樫緒君だ。

 美沙はぼ〜ぜんとしながらも、それから視線をはずすことができないでいた。……この件が“グール”が関係しているらしい、ということは聞いていたし、だから、樫緒の言っていた“不可思議な品”が、【エシュの種】に関連するものである可能性が極めて高い、とも思ってた。――でも、でも! でも!!

――まさか、モノホンの【エシュの種】がこんなトコで出てこようとは!!

「ちょっとぉ!! なんでアンタが【エシュの種】持ってんのよ!! 話が違うじゃない!!」

 本日何度目かの大注目をモノともせず、イスを派手に蹴立てて立ち上がった美沙は、「ぐわしぃッ」と樫緒のえりくびをつかんで――縦横斜めにブンブカ振り回す。

「うぐっ!!……ねえ……さ……くるし……!!」
「ボス、それ以上は窒息死のおそれがあります。……ここは冷静に」

 こんな事には慣れっこの冴葉が、死人がでる前にさらりと割って入ったため、「う〜………」とうなりながらもしぶしぶ手を引っ込める美沙。
――その途端、頭を派手にシェイキンされてふらふらの樫尾君はイスにぺたんとお尻をついて、ぜーぜー大きな息。



m(__)m     ――しばらくお待ち下さい――     m(__)m




「………まったく!! 殺す気ですか!?」
「しょーがないじゃん! 『情報が欲しい』とか言ってたくせに、いきなし【エシュの種】なんか出してくるなんて……私をだましたアンタが悪いのよ!」
「……僕は、“【エシュの種】とはどういったものか?”と聞いただけです。持っていない、などと言った覚えはありませんよ? ――それに、今の今までこの妙な物体が、【エシュの種】といった名称のシロモノだというコトも知らなかったのは事実ですし……」

 ズレたイスを元の位置に戻して腰掛けし直す。さらに乱れた襟元をただし……、そうしているうちに徐々に樫緒も平静を取り戻してきたようで、

「では、……そろそろ本題にもどりたいのですが?」

 再び話を再開。

「ええ、お願いします」
「とっとと話す!!」
「やれやれ……」

 カケラも反省の色ナシで、相も変わらず「むーっ!」とふくれっツラの姉の視線に、樫緒はまたも肩を落として深いため息をついて――テーブルの上に置かれていた銀色の円筒をもう一度手に取る。

「……実は、こちらが入手したモノはこれ一つではないのです」

 言いながら、手袋をした右手をおもむろに中につっこみ引き出す。取り出したその指先につままれているのは、――もう二つの【エシュの種】
 それをテーブルの上に無造作に置き、さらに美沙に振り回されたときに取り落とした一つを床下から拾い上げて同じ場所に移動。

「これで、全部です」

 三つの【エシュの種】を横一線に並べかえ、それから二人を見やると……、――またもや彼女らの目は点になっていた。

「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ! 今度こそいったいどーいうことよォ!! 一個ならまだわかるわよ!! ――でもなんで“三つも”持ってンのよアンタはぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
「うぐっ!!……ねえっ……さっ……くるしっ……!! いっ…………きっ…………っっ!!」
「ボス、それ以上は本当に窒息死のおそれがあります。……ここは冷静に」



m(__)m     ――再びしばらくお待ち下さい――     m(__)m



「………今、本当に殺す気でしたね? 姉様?」
「えへっ♪ 美沙ぁ、なんのことかワカンナイなっ♪」
「まったく……」

 さっきよりもずいぶん時間を必要としたが、なんとかかんとかチビ魔王の地獄の触手から解放された哀れな弟君は、――こめかみを押さえて、もうため息も出ずにぐったり。

「ともかく、最後まで話を聞いてからにしてください……」
「――それでは、お願いします」
「とっとと話す!!」
「……姉様。……いえ、なんでもありません」

 子供とは、こんなにも疲れた顔ができるものなんだろうか?――なにはともあれ、二度に渡って中断された話は再開することになった。

「……では、まずは、これの入手経路からお話ししますね?」
「そう! まずはそれが一番聞きたいの! ……いったいどーやって? どこの遺跡よ! なんで“グール”に邪魔されなかったの?」

 早口でまくし立てる美沙だが、樫緒はゆっくり首を横に振った。

「これは、姉様達のように宝探しで発見したものではありません。――とある少女の遺体から摘出したものです」
「……? ますますワケわかんないんだけど?」
「では、順を追って説明しましょう」

 そこで、樫緒はおもむろにアタッシュケースの外付きのポケットから一つの封筒を取り出す。――次いで、その中から一枚の写真を取り出してテーブル中央に置き、封筒は端へ避けておく。
 冴葉と美沙が覗き込んだその写真は、手術台に横たえられた、黄色の長衣を身にまとった長い銀髪の女の子の全身像を写したものだった。

「この写真の少女、見覚えがありますわ、ボス」

 唐突に言ったのは冴葉。

「グールの関わる裏企業、『ルナティック・フェアリー』で取り扱うクローン体の商品のジャンルは、性玩具、臓器摘出用などを始め多岐にわたっていますが、そのジャンルに関わらず、すべてがこの少女と同じ外見をしていると記憶しています」
「――正解です、冴葉女史。この少女は、『ルナティック・フェアリー』の目玉新商品、“量産型ESP”といわれる生体兵器です。そして、ほんの一週間ほど前のことですが、アフリカ某国のとあるゲリラ組織の中枢部がこの少女一人の手によって壊滅しています」
「マジ?」
「生存者の話では『ヤツは、突然現れた。そんで、俺達が応戦する前にあたりが揺れて……。気づいたら、みんなみんな壊れていた』ということですから、おそらく【転移】【念力】程度の力は使えると思って良いでしょうね……。ただ、彼女らは、どうやら使い捨てのようですが」
「…………」
「破壊が終わった後、力を使い切ったらしく瓦礫の真ん中で息絶えていたとのこと。――その後、たまたまその近くに別件で来ていた結城製薬の人間がこの事態に気づき、焼却処分になりそうだった遺体を買い受けて、秘密裏に日本に輸送したのです。……では、次に少女の身体のデータについて、興味深いところをお見せしましょう」

 言葉を切った樫緒は、おもむろに手を伸ばし、端に避けていた封筒の中から新たに二枚の写真を取り出し、美沙と冴葉のまえに並べる。

「――さて。この写真はこの少女と、正常者の脳の細胞を撮影したモノですが、見比べてみてください。右が少女、左が正常者です」
「……これはまた、ずいぶん違いますね?」

 冴葉の言葉通り、二つの写真は極端に違っていた。
 通常、脳細胞というのは六角形状のような形で、その各頂点からニューロンという名前の、ほかの細胞とつながっているヒゲのようなモノを生やしている。そうやってすべての細胞が結びつき、脳を形作っているのである。
 が、少女のほうのは、脳細胞がもはや完全に変形してしまっていた。表面からは、まるで栗のイガや、ウニの殻のように恐ろしい数の突起がはえ、その先端からさらにもの凄い数のヒゲがはえている。脳組織そのものが、人間とは全く違うものに変化してしまっているのだ。
 食い入るように写真を眺める二人に対し、「さらに不可思議なことに……」と、樫緒は再び話し出す。

「……写真撮影後、すぐのことでした。摘出した少女の脳が溶け始め、見る間に組織が透明な液体に変わっていったのです。そして、その後に残ったのが、【エシュの種】だった、とそういうわけです。――しかも、よく見てください」

 樫緒は、トントン、とテーブルに置かれた三つの【エシュの種】の中の一つを指し示す。

「これだけ、一回り大きいでしょう? 溶け崩れた脳組織の中からあらわれたのは、最初はこれ一つだったのです。……しかし、その後しばらくした後、この【種】の組織の一部分が分裂し、そこからこちらの小さな二つがでてきたのですよ。つまり――」

 語気を強める樫緒。

「――これは人間の脳を糧にして増殖するのですよ。付け足しておくと、こちらの分析での現段階での結論は、【エシュの種】は“莫大な数の未知のウイルスが内蔵された、これまた未知の塩基配列を持ったタンパク質の塊”のようだと考えられるとのことです」
「……なるほどね。“人の脳細胞を変化させてESP能力を植え付け、さらに移植者が死んだときには増殖するウイルスの集合体”か。思った以上に厄介なシロモノみたいね……」
「まあ、このウイルスがもたらすものが、ESP能力だけだと限定するには時期尚早ですが。――それにしても、これを利用した生体兵器が本格的に量産されるようになったとしたら?」

 ESP能力――いわゆる“超能力”というものは、迷信だというのが一般社会での認識である。しかし、この業界では既にその存在は正式に確認され、また、認知されている。樫緒も厳密な意味では違うが、ESP能力者である。
 大規模戦闘には向かないが、テロや要人暗殺などに応用すれば間違いなくESP能力は驚異となるであろう。
 が、しかし、これが兵器化された例は極めて少ない。――能力の個体差が極めて大きく、また、兵器になりえるほどの強力な能力者の絶対数が圧倒的に少ないからである。
 でも、もしも、平均してそのすべてが強力なESP能力を持ち、しかも忠実に任務をこなす生体兵器を安価に量産する事ができるのならば――?

「結城の技術がこのような形で利用されることは全くの不本意。これは速やかな対処が必要だと考え、ここに来た、と、そういうわけです、姉様。――では、こちらの研究成果のコピーおよびこの【エシュの種】の一つをFTIに譲渡しますので、分析の方での技術協力、よろしくお願いしますよ?」
「まっかせ〜なさ〜い! こちらとしても、“来訪者の遺産”らしいものがこんな風に使われるの、黙って見てるワケにいかないかんね!――冴葉ちゃん?」
「はい。……研究班の方にはすぐに連絡を入れておきます」
「……では、僕はこれで失礼しますね」
「――ちょいまち」

 テーブルの上を片付け、アタッシュケースを持って立ち上がった樫緒の右手をつかんだのは美沙。

「……樫緒、これから、ヒマ?」
「いえ? 僕はこれから仕事に戻りますが?」
「――あっヒマ? そうなんだヒマなんだ、よかった〜♪」

 聞いちゃいねぇ。

「実はねぇ、人手が足りなくて大変なの、このお店。――手伝って♪」
「いえ、だから姉様、僕はこれから仕事ですと言っているでしょうに…………? ってなんですか、その手に持った衣装は?」
「んふふっ♪ だいじょーぶ、かわいくしてあげるから♪」
「ちょ、ちょっと待ってください姉様ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 姉弟の微笑ましいコミュニケーションを横目でとらえつつ、新しいコーヒーを近くのミツバチさんの女の子に注文し、ゆっくりと店内をなめるように見渡した冴葉は、……ポツリと一言呟いた。

「………ここは、天国ですわね」



 

 さて、ここで話の舞台を鷲士が遭遇している修羅場へと戻すその前に、登場させておかねばならない重要人物がいる。

 香那、佑也が脱出した“研究所”。
 そこの所長のプライベートルームとなっている浴場で、マッチ棒に長い手足をくっつけたようなやせぎすの男が一人、のんびりと入浴していた。

「くきひひひひひ、いいお湯ですねェ……」

 ちょっとした旅館の大浴場程度のスペースに、悪趣味の極みとも言える純金の浴槽。その水面には、湯船の底がまったく見えないほど、バラの花びらが大量に浮いている。
 天井には美的センスのカケラもないキンキラキンのシャンデリア。
 全体的な内装は、純白のタイル張りであるが、その壁には年端もいかない少女の絵画が描かれ、壁画のようになっている。
 ただし、そのデッサンは、“切り落とされた少女の首が、逆さに吊られた自分の身体を眺めている”という極めて退廃的かつサイコチックな構図であり、まさに悪趣味の極みであった。
 あまりの恐怖に引きつったまま固まっている表情。何が起こったのかもわからず茫洋とした表情。涙と鼻水に濡れ崩れた表情。
 同じ顔は一つとして無い。
――恐らくすべては、実際の光景を描いたものなのであろう。 
 
「ジャップは“HURO”で一日の疲れを癒すと言いますが……」

 こんな部屋にも関わらず、タオルなど頭にのっけてゴキゲンのその男は、何が入っているのかわからないが“朱い”色をした湯を両手ですくった。
 朱く透きとおった水面に、ごっそりと両頬がやせこけて、けれども両目だけは異常にランランと輝いた気味の悪い顔が映る。
 「ニヤリ」と唇の端を歪めて一人笑いをし、バシャリと叩きつけるようにして顔を洗う。

「ぷふ〜」

 右手で水滴を拭いながら恍惚の表情。そして、完全に人格の破綻した危険な視線を、天井からつり下げられた二つの物体に向ける。
 ――それは、周りの絵画のごとく全裸で縛り上げられ、逆さにつるされた状態で、首を切り落とされた少女の亡骸の数々であった。
 鋭利な刃物で斬られたような首の斬り痕。まだ乾いていないそこからまた一滴、朱い滴がしたたり落ちて、小さな音と波紋を残し、また少し湯の色合いを濃くする。 

「きひひひひひ……。いつものことながら、さすがは苦心の末に完成した我が娘! 一山いくらのそこら辺のガキ共とは血の艶も香りも比べものにならないですねェ……、まったく実に素晴らしい!! ローズマリーの気品ある香りと、我が最愛の娘の血潮が生み出す絶妙なるハーモニー!! まさに染み渡りますねェ……」

 ご満悦である。――と、

 バタン!!
 狂える男の陰惨な宴が繰り広げられている浴場に、壊れそうな勢いで脱衣場の扉を開けて、血相を変えた白衣姿の男が飛び込んできた。

「グレゴリオ様、緊急事態です! 【1st】香那が脱走しました! ……うぷっ」
 
 一刻も早く、と息も絶え絶えで報告に来たこの男にとって、少女の鮮血と濃厚なバラの香りが、湯気によってドロリと混ぜ合わされたここの部屋の空気は、少々きつかったようである。
 だが、報告を受けたロリコン殺人狂、“グール”ことグレゴリオ・エドルフは、微塵も動じず、のんびりと自分の肩など揉んでいる。

「グレゴリオ様!? そんな悠長でいいのですか!? 【花輪】の核が逃走したのですよ!?」
「……少し静かになさい」

 タイルに反響してうるさい白衣の男の大声を、さほど大きくもない声がそれをうち消した。
 ニコチン付きのナイフで傷口をゆっくりとえぐるような粘着質の声。
 それが、取り乱していた男を凍りつかせた。

「ミス・御度島がつい先日も説得に来たばかりですからねェ……、そんなことはとうに予想の範囲内です、たいした問題ではありませんねェ……。逃げ出したものは連れ戻せばいいだけのことですし、今は泳がせるがいいでしょう。場合によっては、おみやげがあるかもしれませんしねェ……」
「し、しかし!」
「――そんなことより。……【植木鉢】への【苗】の搬入作業はどうなっています?」
「え!? あ、はい……【4th】までは搬入を終了いたしました。残すところは【3rd】と【2nd】のみです」
「よろしい。では【3rd】までは搬入しておきなさい。【2nd】はどうやら使うことになりそうですからら、調整を済ませておきなさい」
「了解しました――それから、もう一つ報告が……」
「なんです?」
「火斗乃女史を射殺しました」
「彼女は充分に役立ってくれました。もはや用済みですからねェ、問題ありません。むしろ、手間がはぶけましたよ。……ああ、そうですねェ、死体は水酸化ナトリウム溶液のプールにでも投げ込んでおきなさい。ちゃんと骨までとろとろに、ねェ……」
「了解しました」
「では、下がりなさい」
「はっ!」

 一礼をした白衣の男が浴室から出ていこうとしたその時、

「グレゴリオ様!!」

 また一人の白衣の男が飛び込んできた。

「なんです? 騒々しいですねェ……」

 さすがにムっとしたような声色だ。この手の手合いは、自分が悦に入っている時に邪魔される事を極端に嫌うのである。

「“西坊主”と“海魔”が香那の後を追っていきました!! 香那の後を追って、【3rd】三体を使って転移したようです!!」
「――なんですと!?」

 二人目の男の報告に、今まで余裕綽々のグレゴリオに初めて驚愕の色が浮かぶ。

「あの無駄メシぐらいの怠け者達が積極的に行動するなど初めてのことではないですか!? ……一体全体どういう風の吹き回しというのでしょうねェ……?」

 あごに手をあててジョリジョリしながら、しばらく思案する。――が、

「……まあいいでしょう。『館長』から直々に送られてきたわりには、今まで何の役にも立たなかった無能者の彼らがどんな動きをするのか、お手並み拝見とさせてもらうとしますかねェ……」
「しかし、グレゴリオ様は先ほど、『泳がせておけ』と?」
「――【エシュの種】の力は世代が若くなるに反比例して強力になるという事、忘れたわけではないでしょうねェ……? そして、【1st】香那に植えられし【第一世代】の力は、我が【第二世代】の力などとは比べものにすらならぬもの。連れ戻すまでにはそれなりの手順といったものが必要。よって、それまでは泳がせておけ、という意味で言ったのですがねェ……? あの二人では、まず間違いなく手も足も出ないでしょうし、ねェ……?」

 ギロリ、と邪悪な視線を送る。

「低能ですねェ……。出て行きなさい」
「「は、はいっ!! 失礼しました!!」」

 大慌てで、命からがら逃げ出して行く白衣の二人。
 その姿が消えたあとで、グレゴリオは湯の中からあるものを引き上げた。
 右手で上部を鷲掴みにしたそれは、銀色の髪に濃緑の瞳をした、香那とまったく同じ顔をした少女の生首。
 おそらく、天井からつり下げられた中の一人なのであろう。――べったりと濡れた髪が頬に張り付き、その瞳は、ドロリと濁っていた。
  
「まったく、騒がしいことですねェ……」

 そして、グレゴリオはあろうことか、小さな唇に自分のそれを重ね合わせたのである。――何度も、むさぼるように。

 「くくくきききききききひひひひははははははははひやぁっひやぁっひやぁっひやぁっ………!!!!!」

――狂気の宴、再開。


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