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「おはようございます」
片桐 冴葉はそう言ってゆっくりと頭を下げた。ちなみにここはFTI会長室ではなく、野球ができるくらいの広さのFTI関連施設の駐車場であり、頭を下げている相手も美沙ではない。どことなく冷たい感じを受ける少年と、金色のくりくりとした瞳が愛らしい白髪の少女。
「カシオ、この女性は誰じゃ? なんとなく頭が悪そうじゃが」
「シロさん、初対面でそういうことを言ってはいけません」
いきなり失礼なことを言われた冴葉はそれでもクールな表情を崩さなかった。
「こちらは姉さまの秘書を務めている人で、片桐 冴葉さんです」
「よろしくお願いします」
そう言って再び頭を下げる。そして冴葉はスーツの内ポケットから封筒を取り出すと、シロに向かって差し出した。
「なんじゃ、これは?」
「ボス・・・ いえ、美沙さまからシロさまへの手紙です」
シロは封筒を受け取ると、中身をとりだして読み始めた。ちなみに冴葉はシロとはどういう人物なのか美沙に聞いたのだが、「会えばすぐにわかるわよ」というのが返答だった。
「う〜む」
シロは眉をよせて手紙とにらめっこしている。
「読めんぞ」
冴葉は思わず膝の力が抜けそうになってしまった。なるほど、たしかにどんな人物なのかは「会えばわかる」わけだ。
樫緒は日本語の読めないシロに読んでやろうと、難しい顔をしたままのシロの隣に立ち、どれどれ、手紙を覗き込んだ。とたんにシロの顔がみるみるうちに赤くなる。
「かっ、カシオ〜っ!」
掛け声(?)と共にシロの脚が樫緒の後頭部にヒットする。樫緒は物理法則に従って前のめりに勢いよく倒れこんだ。
「なっ、何を・・・」
「やかましい! わしのそばによるな!」
理不尽な攻撃である。ちなみにシロの「近寄ると即座に攻撃」はこれが初めてではない。
あの公園での出来事から三日。シロと樫緒は本来の目的である「紅の指輪」を探して東京都内を歩き回った。その途中、例えば樫緒がはぐれるといけないから手をつなぎましょう。と言うと、顔を真っ赤にして、わしは子供ではないから迷子になどならんと大きな声でわめきたてる。仕方がないから一人で歩き出そうとするとぐいっと服を引っ張られ、何かと思って振り返ると顔を真っ赤にしたままのシロが服をつかんでじーっと樫緒の顔をにらんでいる、といった具合である。
「全く、なにがなにやら・・・」
樫緒は後頭部をさすりながら立ち上がった。驚いたのは冴葉である。見かけは少年でも樫緒は結城の御曹司なのだ。その後頭部を蹴り飛ばすなど、この国の首相でもできない。そんなことをすれば首相の首は間違いなく光の速さでどこかに飛んでいくだろう。
「いいから! 手紙は冴葉どのに読んでもらう! 冴場どの、読んでくれるか?」
「ああ、はい。かしこまりました」
というわけで、樫緒は一人離れて二人が手紙を読み終わるのを待つこととなった。だが退屈はしなかった。なぜなら冴葉に手紙を読んでもらっているシロの顔が、百面相のごとく変わるからである。手紙に何が書いてあるのかはわからないが、笑ったり、驚いたり、怒ったり、悲しそうになったり・・・ よくもまああれだけコロコロと表情を変えられるものだ。やがて読み終わったのか、シロは手紙を封筒におさめ、Gジャンのポケットの中につっこんだ。多分中で手紙はくしゃくしゃになっているだろう。
「そうか・・・ わしは姉君どのにしなくてもいい心配をさせてしまったな。冴葉どのがここに来たのもそのためか」
「はい。ボスは私にできる限りサポートしてやってほしいとのことでした」
シロは少しだけ息を吐くと、再びポケットの中に手をつっこんだ。樫緒が少し嫌そうな顔をしたのを冴葉は見逃さなかった。
「樫緒さま、いかがなされました?」
「ひとごとみたいに言わないほうがいいですよ・・・ 多分、三つ出てきますから」
「は? 三つ、とは?」
「二人で何をしゃべっておる、早くこれをつけぬか」
そう言ってシロは二人にポケットから取り出した「あるもの」を差し出した。それを見て思わず冴葉の顔が引きつる。
「シロさま・・・ これは?」
「『ニャンニャンきこえるくん』と言うものでな、これで紅の指輪から出る『鼓動』を探ってきたのだ」
シロがポケットから取り出したもの・・・ それはどこからどう見ても「ネコミミ」にしか見えなかった。シロはさっさと自分の頭に取り付ける。フワフワした白髪に白い毛で出来たネコミミをつけると、はっきり言って似合いすぎだ。思わず本当に頭から生えているのかと思うくらいだ。
「樫緒さま・・・」
「・・・言わないでください」
そう言って樫緒もしぶしぶネコミミを頭につける。こちらはプライドの高い野良猫といったところか。
「この姿で都内を三日間歩き回ったんですから・・・ 恥もどこかに置いてきたのかもしれません」
悟ったような顔の樫緒に、思わず冴葉はよろめいてしまった。
ちなみにネコミミを、いや「ニャンニャンきこえるくん」(どーにかならんかこの名前)をつけても樫緒にはシロの言う『鼓動』など聞こえなかった。冴葉もあきらめた顔で猫ミミを頭につける。それを見たシロは満足そうにうなずくと、びしっと施設を指差した。
「わしとカシオが探し回った結果、『鼓動』はここから聞こえてくる。何が起こるか分からぬが・・・ え〜っと」
どうやら施設の入り口にかかっている看板が読めないようだ。
「ニャンニャンランド。と読むんです」
それはFTIが出資している世界でも指折りの巨大テーマパークである。それは冴葉がここに来た理由の一つでもあるのだが。
「と、とにかく行くぞ!」
皆の衆! とばかりにシロが先頭を切って歩き出した。その背後で樫緒と冴場は深い深い、深すぎて底も見えないようなため息をついた。
平日のテーマパークというのはえてして人がほとんどいなかったりするのだが、そこは天下のFTIが経営する「ニャンニャンランド」。どのアトラクションも、最低30分待ちである。平日にテーマパークにくる人間というのは、まだ幼稚園にも入れない小さな子供を連れた家族か、人がいないのを見越してきたヒマ人か、あるいは学校をサボって来た中学生、高校生か。なんにせよ、みんな走り回ったり、着ぐるみのマスコットと記念撮影をしたり、次は何に乗ろうか? とか少し疲れたから園内レストランで休もうか? などと楽しそうにしている。
だがそんな事とはおかまいなしに、真剣な顔をしてあたりに気を配りながら歩いている3人がいた。いや、正確には気を配っているのはよれたGジャンとGパンに、園内の売店で売られているようなネコミミをつけた中学生ほどの白髪の少女。そして少女の後をつかず離れず歩く、やはりネコミミをつけた無表情な少年、そして残る一人は二人の保護者だろうか、やはりネコミミをつけているスーツ姿のクールな美女。注意してみれば、ハテ? と思うような取り合わせだが、ここでそんなことに気を配る人はいなかった。
「おかしいのう・・・」
ネコミミ少女、いやシロが不思議そうにつぶやく。
「何がですか?」
ネコミミ少年、もとい樫緒がたずねる。
「いや、確かに『鼓動』は聞こえる、聞こえるのじゃが」
シロは耳に(ネコミミの方に)手を当て、キョロキョロとあたりの音を探る。その様子はまさにネコそのもので、その可愛らしさに思わず足を止めた者もいたぐらいだ。もっともそんな輩は樫緒のひとにらみで退散していったが。
「なんというか・・・ 雑音がまじるというか、言うなれば使った覚えのない調味料の味がするというか」
わかりにくい例えだが、樫緒には分かった。
「何か『紅の指輪』以外の反応がある、ということですか?」
「うむ・・・ だがこんなことが起こるわけはないのじゃが、しかしもしあるとすれば・・・」
顎に手を当てて考え込む。
「よく分かりませんが・・・ 疲れているせいではありませんか? かれこれ2時間近く歩き回っていたわけですし」
「それでしたら何か・・・ ジュースか軽食でも買ってきましょうか?」
ずっと黙ったままだったネコミミ美女・・・ 冴葉が口を開く。その言葉にいち早く反応したのは他でもない、シロだった。もしネコミミの他にシッポがあったならブンブンと振り回していただろう。もっともその場合、イヌだが。そのあまりにも嬉しそうな様子に思わず冴葉も口元をほころばせた。
「では、何か適当に買ってきますので、そちらのベンチでお待ちください」
そう言って手近な売店へと歩いていく。それを見ながらシロはう〜んと伸びをする。
「しかしおかしいのう、たしかに『鼓動』はこの辺から聞こえるのに」
「でも指輪というからには小さいのでしょう? 地道に探せばよいのでは?」
「いくら小さいとはいえ、これだけ大きな『鼓動』が聞こえてくるのじゃ。間違えるはずがあるまいに」
『鼓動』が聞こえない樫緒はそんなものだろうか? と黙り込んでしまった。
「それに雑音も気になる。まるで誰かが指輪を使っているような・・・」
「え・・・?」
シロのあっさりとした問題発言に、樫緒は思わず目をむいた。
「使っている? 使っているってどういうことです?」
「どういうことって・・・ そのまんまじゃよ、『紅の指輪』を誰かが使い、『竜具』を発動させているとしか考えられ・・・ あ!」
自分のセリフにはっとなるシロ。ボケもここまでいくともはや才能である。
「いかん! この人ゴミの中で『竜具』を使われようものなら大変なことになるぞ!」
思わずその場でシロは頭を抱えて座り込む。
「シロさん、『竜具』ってなんなんです?」
「詳しいところは端折るが・・・ 父君どのの部屋で話したであろう、昔、わしらの先祖が九頭竜に襲われたその時作られた、いわばもっとも新しい道具じゃよ」
「襲われたとき作られたって、まさか・・・」
樫緒の額に冷や汗が浮かぶ。
「そう・・・ 『対九頭竜用兵器 竜具』。その起動するための道具が『紅の指輪』じゃよ」
「そんな大事なことを、何故今まで言わなかったんですか!」
「ありえぬからじゃ。『紅の指輪』を使うものがこの世にいるわけは・・・ ないからのう・・・」
シロの表情が少し曇る。それはあの公園でみせた、寂しげな顔だった。
「シロさん・・・」
思わず手を差し伸べようとした、が、それより先にシロがすっくと立ち上がる。おかげで樫緒はもう少しで転びそうになってしまった。
「な! いきなり立たないでくださ・・・」
「カシオ・・・ 用心せいよ・・・」
「え?」
先ほどまでとは打って変わった静かな声に、樫緒はとまどった。それは美沙とやりあった時に見せた、いわゆる戦闘モードに入ったときのものだった。
「用心って、何が・・・」
「どアホ、辺りを見てみぬか」
シロにアホといわれるのはものすごく理不尽な気がするが、樫緒は言われた通りに辺りを見回してみた。そして気づいた。
人がいない、ただの一人も。
「なっ!」
信じられないとばかりにもう一度、辺りを見回す。が、やはり誰もいない、客ばかりでなく、アトラクションの管理員や売店の売り子にいたるまで、まるで煙にでもなったかのように掻き消えていた。喫茶店の時とはわけが違う。何千、何万もの人間を、話し込んでいたわずかな時間に全員「退場」させられるわけがない。
「これは・・・ 一体・・・」
人のいないテーマパークというのはこれほどまで静かなものなのか、気のせいか耳鳴りまでしてくるようだ。
「『写し世の術』・・・ 早い話がわしとカシオだけが、術者のつくった別の空間に閉じ込められたというわけじゃ」
「別の空間・・・ ですか」
決して『敵』をあなどっていたわけではない。しかしここまで出来るヤツとは・・・。そんな樫緒の心中を知ってか知らずかシロは言葉を続ける。
「ここまで大きな、そして精密な写し世の術を使えるヤツはそうおらん。 ・・・まさかお主か指輪を奪った盗人だとは・・・ いや、指輪が盗まれたことから予想せねばならなかったな」
そしてシロは、近くにあるメリーゴーランドの屋根の上に視線を向ける。樫緒もつられて視線を向けた。
「お久しぶりです・・・ 師匠」
そこには漆黒の髪に黒のレザースーツ、それに白いコートを身にまとった、鷲士と同じくらいの長身の男が立っていた。男の表情は穏やかだが、シロはその男を金色の瞳で睨みつけている。
「お前に師匠と呼ばれる筋はないわ・・・ ようもおめおめとわしの前に現れたものよのう、シキ!」
そのセリフに樫緒は驚いた顔でシロを見た。「師匠」ってなんです? と聞きたかったが今まで見たことのないシロの張り詰めた表情にさえぎられた。
シキというその男は嘘っぽい笑顔を浮かべてシロに語りかける。
「ええ・・・ 私も一応の羞恥心はありますからね、師匠の前に姿を見せるのは恥ずかしいので早く用事を終わらせたいのですが・・・」
そういいながら、屋根の上からすうっと地面へ舞い降りる。
「それには師匠の協力が必要なんですよ」
物腰は丁寧だがどこか得体の知れない空気をまとっている。樫緒は首のウラがピリピリするのを感じていた。本能が告げるのだ、こいつはヤバイ、危険だ、と。本能のまま、思わず『力』で攻撃しそうになった、その瞬間。
「っ・・・?」
不意に右手に感じる暖かい感触。それは、自分の手を握るシロの左手だった。
「シロさん・・・?」
樫緒のほうをシロは見ようともしない、だが握ったその手を離そうとはしない。そして不思議なことに、樫緒の「あせり」も静まっていった。まるでシロの左手の温もりに追い出されるかのように。そしてあらためてシキを見やる。怖くなかった、なぜか。
「シキ・・・ 今さらわしに協力を求めようとは、200年も会わぬうちにボケたようじゃのう」
樫緒の手を握ったまま、シロが言う。
「求めていませんよ、これは「脅迫」です。忘れましたか? ここは私の作った空間の中・・・ 師匠がどんな手を使おうがムダです」
クックックッといやらしい笑い声を浮かべてシキは言葉を続ける。
「ですから・・・ 渡していただけませんか? 師匠の持つ『竜具』を」
「イヤじゃ」
間髪いれずに答えるシロに、シキの笑みが凍りつく。
「・・・少し考えませんか? かつて師とよんだ人を殺したくはない。それに」
そう言って樫緒を見る。
「そちらの少年・・・ なにやら只者ではないようですが、まきぞえにしたくはないでしょう?」
樫緒はフン、と鼻を鳴らした。
「あなたのような人に只者ではない、と言われてもぜんぜん嬉しくありません。それに僕を取引材料にしようというならお門違いですよ」
「・・・なんだと?」
その言葉と同時に、シキは勢いよく後ろへと吹っ飛んだ。そのまま背後にあったメリーゴーランドへと突っ込み、ガラガラと崩れる作り物の馬や馬車の下敷きになりかけた。だがその瞬間、メリーゴーランドはまるで消しゴムでもかけられたかのように音もなく消滅し、シキは空中で巧みに姿勢を整えると先ほどまでメリーゴーランドがあった場所に着地した。
「なるほど、自分の空間とはそういうことですか」
「貴様・・・」
ゆっくりとシキは樫緒をにらみつける。
「そうか・・・ お前、結城の血統だな? それでシロといっしょにいるわけだ」
「それが正しいかどうかを答える義務も責任も僕にはありません、ただあなたが『敵』なら」
そう言って樫緒は冷酷な視線を向ける。何者をも凍らせる眼で睨みつける。
「殺す・・・ とまではいきませんが、再起不能になってもらいます」
そう言って、再びシキを吹き飛ばすため、『力』を『伸ばす』。が、
「図に乗るな! ガキがぁ!」
怒声とともにシキが左腕を伸ばす、とその腕は見る見るうちに巨大化していった。それを見てシロが叫ぶ。
「なっ・・・! いかん、カシオ! 『力』を使うな!」
「もう遅い・・・ 『捕まえた』からな・・・」
「なんですって・・・? ぐっ!?」
そこで初めて樫緒は違和感に気づいた。『力』を『捕まれて』いる。信じられないが、感覚的に分かるのだ。
「く・・・ な・・・?」
それは樫緒にとってはじめての事だった。人魚の力を持つ歌姫に催眠術をかけられ、『力』が使えなくなったことがあるが、これはそれと正反対、半ば物理的に自分の『力』を押さえつけられているのだ。シロが悔しげにつぶやく。
「おのれ・・・ 『竜具』を瞬時に起動できるほどだったとは」
「ククク・・・ どうしていいか分からねえってツラしてるな・・・ ええ? ガキ?」
そう言って薄く笑うシキには、もう先ほどまでの丁寧な物腰は微塵もなかった。
「まっておれ! いま助けるからな!」
「させるかよ! ババア!!」
『歌』おうとしたシロの顔に、何やらひも状のものが巻きついてきた。それは地面に敷き詰められた化粧ブロックが形を変えたものだった。そしてそのまま全身へと絡みつき、シロはいびつな繭のようになって、そのまま前のめりに倒れた。
「オレを見くびったな。『歌』さえなけりゃテメェは400歳の小娘よ」
「ぐ・・・ くそ、よくも・・・」
樫緒はなんとかシキの『左腕』から逃れようとするが、それもままならない。いつのまにか、その『左腕』は元の2倍ほどの大きさになり、その表面は岩石のようにゴツゴツしている。
「フン、思ったより手間取ったが・・・ まあいい、ここでお前を殺して『竜具』をいただけば目的達成だ」
そしてシキは『力』を『捕まれた』せいで動けない樫緒のほうへとゆっくり歩み寄る。
「そういや、テメエには一発くらった借りがあったな・・・」
言うが早いか、樫緒の腹に右手の重い一撃を叩き込む。まるでハンマーで殴られたかのような衝撃に、思わず気を失いそうになる。
「なんだァ? えらく打たれ弱い小僧だな・・・」
さらに顎へむけたハイキック。
「ぶ! ふ・・・っ・・・」
唇が切れ、鼻血が流れ出す。そしてさらに平手がとんだ。脳が揺さぶられ、目が回る。
「お・・・ あ・・・」
苦しむ樫緒の血にまみれた顔を覗き込んで、シキは舌打ちする。
「ケッ・・・ ここまで弱いと逆に張り合いがねえや。このあとババアの処置もあることだし・・・」
シキは右手を手刀の形にして振り上げる。
「死にな、結城の血統サマ」
そして頚動脈の辺りに振り下ろして、またも後ろに吹き飛ばされた。
「おわああああああああああああああああああ!?」
そしてその拍子に『左腕』をはなしてしまう。
「うッ・・・ ゲホゲホ」
自由を取り戻した樫緒は思わずその場に座り込み、血が気管支に入ったのか激しくむせてしまう。そしてその背中を優しくさする者がいた。
「大丈夫か? 『起動』するのに手間がかかってのう」
そこにいたのは、光り輝く四枚の翼を背に生やした白髪の少女。
「え・・・ シロ、さん?」
「てめえ・・・ このクソババアが」
流石に今度は受身を取るヒマが無かったのか、シキが地面からゆっくりと起き上がる。
「フン、地面をやわらかくして衝撃を防いだか。さっきといい、やることがセコイのう」
「このババアが、よくもやりやがったな・・・」
シキはまるで親の敵でも見るような目でシロをにらむ。
「『紅の指輪』なしに竜具を起動できるとはな・・・ 一応誉めてやる」
「おぬしに誉められるほど落ちぶれておらん」
そう冷たく言い放つと、シロは再び樫緒の背をさする。
「大丈夫か? 痛いところは無いか?」
そう言いながら、ポケットからハンカチを出して樫緒の顔についた血をぬぐう。
「っつ! そこは痛いです・・・」
「であろうな、アザがくっきり残っておる」
「・・・でしたらもう少し優しくしてくださいよ」
「男であろうが、これくらい我慢せい」
抗議はあっさり却下して、それでも心配そうに樫緒のほほをなでる。
「おい・・・ てめえら今がどういう状況か分かってんだろうな・・・」
二人に無視された形のシキがいまいましげにはき捨てる。だがそんなことはおかまいなしに、シロは樫緒の手当てをしている。
「おい! このババアが! オレを無視してんじゃねえ!」
「さっきからやかましいのう、こっちは立てこんでおるのじゃ、用があるなら後にせい」
やれやれといった様子で立ち上がる。
「フン・・・ 用はあるさ、その背中の『翼』、そして『脚』と『牙』・・・ お前の持つ竜具を渡せ、そうすればここから出してやるし、命も助けてやる」
「断る、別にお前に出してもらわずとも出て行くからな。カシオ、立てるか?」
「ええ・・・ なんとか」
吐き気をこらえながらも、シロの手を借りてなんとか立ちあがる。
「おいおい・・・ オレを倒そうってのか? オシショウサマ?」
やれやれといわんばかりにシキは大げさに頭を振る。
「言ったはずだぜ、ここは『オレの空間』だってな」
いうが早いか、またも二人の立つ周囲の化粧ブロックが形を変えていく。今度は紐ではなく、剣や弓を構え、背中にコウモリの羽を生やしたおぞましい数のガイコツだ。数え切れないほどの不気味な空洞の眼が、じっと二人を見つめている。
「いかに竜具といえどこれだけの数は相手にできねえだろ? オレの勝ちは最初から決まってたのさ、てめえらをここに入れた時からな」
クックックッとシキが低い声で笑い、ガイコツたちの組んでいる円陣が、樫緒とシロを中心にして狭くなってくる。
「分かったらおとなしく・・・ 何?」
勝ち誇った顔から一変し、シキは思わず自分の眼を疑った。シロと樫緒の姿がうすれていく、まるで砂漠の蜃気楼のようにゆらゆらとゆらめいているではないか。
「くそっ! てめえら! 二人を攻撃しろォ!!」
その声を合図に、ガイコツたちは二人のいる場所に多数の斬撃や矢を放つ。だがそれらは全て空振りしていった。地面に空しく矢が刺さる
「シキ・・・ わしとてこの空間で戦うほど愚かではないよ」
シロの静かな声が響く。
「くそっ! ありえねえ! オレの空間から抜け出すなんてありえねえのに!」
「アホウが、お前にこの術を教えたのは誰じゃと思うておる?」
その言葉を最後に、シロと樫緒はこの空間から完全に『出て行った』
「ち・・・ ちきしょおおおおおおおおおおおーーー!!」
シキの絶叫だけが、誰もいない空間にむなしく響いた。
「樫緒さま、その怪我はどうなされたのですか? それにシロさま、その翼は? 一体なにが起こったのですか?」
シキの空間から抜け出した二人を待っていたのは、両手に山ほどハンバーガーを抱えた冴葉だった。そしてそのとたんに樫緒は気を失い、シロに抱きかかえられることとなってしまった。周囲の人間も、急にその場に現れた二人を興味津々に見ている。無責任に、「なんかのアトラクションか?」と何かを期待しているような声も聞こえてくる。
「わしなら心配ない、それよりもカシオを・・・」
そう言う間にシロの翼は背中へと消えていく。まるで掃除機に吸い取られるティッシュペーパーのように。それに驚きながらも、冴葉は手早く携帯で医療班に連絡した。
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