|
柊夏菜は目の前に広がる光景に凍りついていた。悟の前に立つ、何枚もの羽を広げた黒い天使にも驚いたが、だがそれ以上に、あの悟が喉元に剣を突きつけられて身動きが取れなくなっていること、そして、その表情――。すべてをあきらめたような、それでも何かにすがるような、その、顔。今までに何度か見たことのある表情。彼にはそんな顔をして欲しくなかった。いつでも豪快に笑っていて欲しかった。だって、そんな顔をしている時、彼が考えているのは――。
彼女にはなんの力もないかもしれない。でも、目の前のヒトが、彼女のイチバン大切な人が、苦しんでいるのを見るだけ。そんな事は、もう2度とゴメンだった。そんな自分が嫌だから、変えたいと思ったから、だから今があるのだから。
「さとるぅーーーーーーーーーーっ!!」
だから、彼女は叫んでいた――。
その一言で静寂した時間が動き出す。まず動いたのは悟だ。とりあえず己が身の煩悶は置いておく。なぜなら呪いを受けたのはこの場に彼以外にもいる――。そして相手にはどちらであろうとかまう必要などない。その証拠に――。
(なるほど、古代の大祭司か・・・。役者は揃ったようだな・・。神に逆らいし咎人。対の鎖に囚われた者――。その力、いかほどのものか、見させてもらおうっ!!)
悟とほぼ同時。地を滑るように滑走してルシフェルが夏菜のもとへと向かう。手の内の”魔王”がほの白い光を発し通常の刀剣ほどになる。文字通り地を飛ぶその速さは悟の比ではない。
(間に合わねぇ!!)
そして、”魔王”と、夏菜の体が、交差する。
ゆっくりと、くずおれていく、夏菜の、からだ。
その横で羽を広げたルシフェルが、こちらを振り向く。
そのすべてが、まるでスローモーションでも見るかのように、悟の脳裏にゆっくりと映り――焼きついた。彼にはそれらすべてを、呆然と、見ることしかできなかった。
「・・・か・・・な・・・?」
――夏菜が・・・”アイツ”が・・・死んだ?――
――俺の・・・俺達の呪いが・・・解けた?――
――この痛みや・・苦しみが・・・やっと終わるんだろ?――
――よかったじゃないか・・・。――
(俺は・・アイツの気持ちなんて考えずに・・・・夏菜に殺してもらおうとした。夏菜の日常を壊して・・・夏菜のその後の人生なんてこれっぽっちも考えないで・・・俺を殺して、それで夏菜がどんな気持ちになるかなんて考えずに・・・・・そうまでしてこの呪いから・・・苦しみから開放されたかったのに・・・)
―――わたしにとっては・・・悪くない呪いだ。だって・・・ずっと一緒ってことだろう?―――
(なんで・・・俺は・・・・こんなに・・・・・)
―――だってさ、生まれ変わっても、ずーっと一緒にいられるワケでしょ?―――
(こんなにも・・・・・カナシインダ?)
――悟の中で・・・・”なにか”が音をたててきれた。
「ウォォオォォォォォォオオォッッ!!」
目の前の黒衣の青年が怒声をあげながら拳を振りかざす。避ける必要もないはずだった。”今”の彼女は所詮地球を巡る”気”と”魔王”の能力で体を保っているに過ぎない。彼の攻撃はむなしくすり抜ける・・・はずだった。
(ぐはっ!!)
彼女が吹き飛ばされる。彼の技量なのか、その攻撃は有と無の狭間に過ぎない彼女の体を容赦なく削っていく。しかし・・・それでも、なお彼女は微笑んでいた。
――それでいい・・・・。――
その独白を聞くものはない。
悟は身を切り裂くような怒りによって動いていた。その体がヒトの限界以上の動きに悲鳴をあげ続けている。だがそれでも彼は動き続ける。目の前の”魔王”に対する怒り、そして・・・なにより何もできなかった自分に対する・・・・激しい怒り――
(・・知恵つけて・・・・いくら強くなったって・・・俺はアイツを・・・・一番守りたい奴を守ってやれなかったっ!!くそっ!!なんで神のヤロウはっ!!こんな運命を俺達に押し付けるんだよっ!!俺はっ!!俺はっ!!ただアイツといたかっただけのにっ!!!ちくしょうっ!!このままあのくそったれになにもしねぇまま終わるのかよっ!!)
彼は気付いていなかった。自分の中の変化に。自分が抱いていた望み、彼を駆り立てていたモノが自分の中から消え去っていたのを。ソレは彼女が、柊夏菜がいたから。もう彼は自らの滅びを望んでなどいなかった。本当に欲しかったのは――夏菜との、”彼女”との――日常。
夢を見ていた。”彼女”の夢。”彼女”は戦っていた。世界を統べる者を相手に。ヒトの心を踏みにじるものを相手に。”彼女”達は神と戦っていた。大勢の仲間が戦のなかで倒れていった。そして”彼女”もまた、神を退けることと引き換えに己が身を失い・・・。代わりに”彼女”は”牙”となった。いつか戻ってくるかもしれぬ神を滅ぼすために。自分達と同じ悲しみを背負うものをなくすために。”彼女”は待つ。永遠の暗闇のなかで。”神を滅ぼす者”を――。
”彼女”の気持ちが流れ込んでくるのがわかる。”彼女”は喜んでいた。長い時を経て、気の狂いそうなほどの闇で待ちつづけて、やっと、自らの”後継者”を見つけたから。神に弓引くものを。”魔王”を――。だから”彼女”は受け止めようとしていた。自らの滅びを。既に自分は神に立ち向かえるほど強くはなくなっていたから。本当に滅びを待っていたのは、自分――。
ダメだと思った。止めなきゃいけないと思った。”彼女”は悟と一緒だ。長い時の中で心がボロボロになって、死にたがってる。だから、止めなければならない。”彼女”のためにも、そして、悟のためにも―――。だから、夏菜は叫んだ。
「ダメェェェェェェーーーーーッ!!」
消えかけたルシフェルの身を滅ぼすべく振りかざされた悟の拳が、その鼻先で止まる。憑き物がとれたかのような表情で悟が振り返る。
「ダメだよ・・悟・・・。彼女も・・悟と・・・同じなんだよ?色々つらいことあって・・死ぬことを望んで・・・そんな人殺しちゃダメなんだから・・・・生きてればいいことだって・・・きっとあるんだから・・・だから・・・だから・・。」
夏菜の声に嗚咽が入る。その後の言葉は意味にならなかった。ゆっくりと、悟が夏菜に近づく。そして、まるで触ったら彼女が消えてしまうかのように、恐る恐ると、そして段々と力強く、彼女を抱きしめる。
「・・かな・・・かな・・・・。ほんとに・・・」
抱きしめる悟の言葉も意味にならない。それでも夏菜は目の前の青年の気持ちがわかった。理解できた。だから彼女は・・微笑った。
「痛いよ・・・・悟。力・・・・入れ過ぎだって・・・・。でも・・・・・嬉しいよ・・・・・。」
目の前に映る風景に、ルシフェルは苦笑するしかなかった。彼らは神の定めた運命に屈しない。呪いは彼らのすべてを縛ることはできない。それが彼らの”強さ”。神にも、それに抗しようとした自分達にもできなかった、”ニンゲン”だけの、強さ――。それを確かめようとして――その結果がこれだ。笑うしかなかった。こんなに笑うのは久しぶりだった。本当に・・久しぶり。目の前の少女の言う事は正しいのかもしれない。こんな身でも、生きていれば楽しいことがあるのかもしれない。なにより、目の前の二人の行く末を見てみたいと――。そんなことを思った。
こうして・・・光さえ射さぬ深海での、彼らを大きく変えた出来事は、一応の終末を迎えることになる――
―――――――――――後日談
悟と夏菜は街を歩いていた。この前のデートの続きである。そのくせ夏菜の表情が険しい。有り体に言えば怒っている。それもかなり。その原因というのが――――。
(――”魔王”は神を切るためだけに特化した剣だからな。逆に言えば神しか切れない、ということだ。あの時は貴様の力を見るために彼女を気絶させただけだった。というわけだ。まさかあれほどはやく目覚めるとは思わなかったがな。)
なぜかルシフェルがいる。元々”気”でできたホログラフのような彼女は常人には見えないので周りの人は気付いていない。なぜか彼女はあろうことか悟と腕を組んでいる。彼女の量感のある胸が悟にくっついていてそれにひきかえ自分のは――。などとかなりネガティブに陥っていて、そのたびに加速度的に夏菜の怒りゲージが上がっていく。
「あの・・・。夏菜・・・さん?腕が痛いんだけどな〜〜(汗)」
非常に困った顔を作って悟が夏菜に問う。その腕を夏菜がつねっている。なにやら情け容赦なくつねっている。かなり本気である。そしてその声に夏菜は――
「ん?なにかなぁ?さ・と・る?」
かなり満面の笑みで答える。――時に女性の笑みとは怒った顔よりも恐ろしい――陳腐な言葉だが悟は確かに確信した。いまなんかあったら・・・・俺は消される(汗)
そして、その、なにか、は唐突に起こった。
ムニュ。悟の背にまた感触。これまた夏菜と比べると(ギラッ)←夏菜による殺意の波動(笑)――いや、それは置いておくとして・・・。悟の背にのったのは白い美貌、水蓮である。
「お父さん・・・・最近・・・冷たい。」
事情を知らないものなら勘違いしそうな台詞である。
・・・悟の数千年にも渡って築き上げてきた生存本能という奴が危険信号をあげる。――今逃げなければ・・・ヤバイ。
「ふふふっ・・・?さぁ〜とぉ〜るぅ〜?」
振り向かなくてもわかる。この気配は昔、嫌と言うほど味あわされた覚えがある。そう、決まって女性関連の際に彼女から――。
「いや・・・まて夏菜・・・これはだな・・・」
「ええ〜いっ!!問答無用っ!!」
スパ〜ン!!いつの間にやら握られたハリセン(提供:戦争ボケをクラスメイトに持つ某女子高生)が悟の頭部にジャストヒットする。ハッキリ言って痛い。猛烈に痛い。だがそれでも悟は笑っていた。こんな日常も悪くはない。彼女と過ごす日常――。本当に自分が望んでいた事――。気づいたのはきっと目の前の少女のおかげだ。
「・・・なに笑ってんの?」
訝しげな夏菜に悟は
「ずっと一緒にいような?」
と夏菜にだけ聞こえるように呟く。それを聞いた夏菜の顔が真っ赤に染まる。さらにそれをみて悟がいつものように豪快に笑う。そうして一日が――楽しい日常が、過ぎていく。
彼らの日常は、もう、呪いなどで崩れるようなものではない――――。
|