三浦和義氏の逮捕と遡及処罰の禁止


 このホームページで公表した私の2月26日付「三浦和義氏の逮捕と一事不再理の原則」では、私なりに三浦氏の逮捕について、当時は未だどこでも指摘されていなかった一事不再理の原則との関係での疑問を述べてみました。幸い、その後のマスメディアの論調には、部分的にではありますが、一事不再理原則の問題点を取り上げるものも見られるようになりました。

 また、その後の報道で、アメリカ・カリフォルニア州法の改正が今回の逮捕につながったという事情も判ってきました。

 そこで今回は、前回の私の意見公表後に明らかとなった点を中心に、今度はこの逮捕がはらむ遡及処罰禁止の問題を私なりに指摘してみたいと思います。

カリフォルニア州法の改正

 いわゆるロス疑惑の舞台はアメリカ・カリフォルニア州ですが、2004年までの同州の刑法では、他州や他国の裁判で確定判決(有罪でも無罪でも)を受けた被告人については、訴追する(裁判にかける)ことが出来ないとされていたそうです。つまり、一事不再理の原則がアメリカ国内の他州だけでなく外国の裁判にも適用されていたのです。

 三浦氏は日本において2003年の最高裁判決で無罪が確定したのですから、その時のカリフォルニア州法によれば、同州法では2度と訴追されることがない(したがって、逮捕されることもない)ことが確定していたのです。

 ところが、この同州刑法が2004年に改正され、「他国」が削除されたのです。つまり、外国の裁判については一事不再理の原則を適用しないことに改めたのです。この法改正によって今回の逮捕が可能となったというのです。

 この法改正の背景には、メキシコなどからの不法移民がカリフォルニア州内で殺人などの犯罪を起こしても国外へ逃亡し、メキシコなど外国の裁判所で軽い刑の判決を受けるだけで、場合によってはまた同州へ舞い戻ってくるということへの反発があったと言われています。

遡及処罰の禁止

それでは、このようなカリフォルニア州刑法の改正によって、三浦氏の逮捕には法的に何の問題も無くなったといえるのでしょうか? どうも違うようです。

前述のとおり、三浦氏の無罪判決が日本で確定した時の同州法では、このような外国の確定判決がある事件については同州法では訴追できないことが決められていました。したがって三浦氏は、この時点では、再逮捕される心配をせずにカリフォルニア州、さらには同州だけでなくアメリカ法が適用されるすべての領域に足を伸ばすことが出来たのです。

その後、同州法が改正されたため、一転して三浦氏は再度の逮捕・訴追の危険にさらされることとなりましたが、ここで問題になるのは遡及処罰の禁止という刑事法の原則です。

この原則は、日本国憲法第39条が、「何人も、実行の時に適法であった行為・・・については、刑事上の責任を問はれない。」と定めているものです。

このような遡及処罰の禁止は、一事不再理の原則や無罪推定の原則と同様に、日本だけでなく世界の民主主義国で必ず採用されている刑事裁判の大原則の一つで、アメリカ合衆国憲法にも定めがあります。また基本的な国際人権条約の一つである「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)も、「何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為または不作為を理由として有罪とされることはない。何人も、犯罪が行われた時に適用されていた刑罰よりも重い刑罰を科されない。」(第15条1項)と、同様の原則を定めています。(この自由権規約には、日本もアメリカも加入しています。)

 この原則は、ある市民を犯罪者として処罰するために、実行の時は犯罪ではなかった行為を後になって新しく犯罪としたり、実行の時に犯罪ではあっても事後的な法改正によって実行当時の法定刑より重く処罰するといったことがないように、国家の処罰権を制限したものです。国家の権力乱用を防止するための制度で、刑事裁判における最も重要な原則の一つです。

何が問題なのか

 それでは、今回の逮捕は、この遡及処罰禁止の原則に照らしてどのように考えたら良いのでしょうか。

 私はアメリカ法についての専門家ではありませんが、2004年のカリフォルニア州刑法の改正は、遡及処罰には当たらないという考えに立っているものでしょう。つまり、ロス疑惑の対象となった銃撃事件は当時も今も同州刑法の殺人罪(あるいはその共謀罪)に当たる犯罪であって、その点では何の変更もなく、ただ手続として外国判決がある場合に処罰出来るかどうかについて改正しただけなのだ、したがって遡及処罰禁止の原則には違反しないという考え方に立っているのでしょう。

 日本のある大学教授もテレビ取材に対しそのような考えを述べていました。遡及処罰禁止の原則は実体法(つまり、何が犯罪であり、どの程度の処罰をするかという刑法の定め)に対しての制限であって、手続法(刑事訴訟法など刑事裁判の手続に関する法律)に対する制限ではない、したがって手続法の改正は過去の事件に遡って適用することも許されるというのです。
しかし、このような考え方に対しても私は違和感を覚えます。
たしかに、手続法の改正は遡及が許される場合があります。たとえば、裁判の管轄ですが、一定の軽微な事件を簡易裁判所の管轄としている法律(裁判所法)を改正し、対象となる事件の範囲を拡大あるいは縮小する場合、改正前に起きた事件についても遡って適用することは許されるでしょう。なぜなら、簡易裁判所で裁かれることと地方裁判所で裁かれることとで被疑者・被告人の権利・利益に大きな差はないと考えられるからです。

手続法の改正だから構わない?

 しかし、手続法の改正であっても被疑者・被告人にとって根本的な地位の不利益変更を伴う場合があります。たとえば時効期間の変更です。ある犯罪について10年の公訴時効を定めている法がある場合、事件から10年以内に被疑者を逮捕あるいは起訴しないとその事件について逮捕・処罰することは許されません。それでは、そのようにして公訴時効が完成した後になって、法を改正して公訴時効の期間を20年に延ばした場合、これをさかのぼって適用し、一旦は公訴時効が完成した事件であっても、未だ時効が完成していないことにしても良いでしょうか?

 悪いことをしたヤツなのだからその程度の報いは受けても構わないだろう、という考えも共感を呼ぶかもしれません。しかし、考えてみれば、一旦は公訴時効完成によって逮捕・処罰しないことが法的に確定した事件や人物に対し、後になって、いやもう一度逮捕・処罰してもいいんだとするのは、いわば国家が居直って詐欺をはたらくようなものではないでしょうか。

「逃亡者」はどうなる

なによりも被告人の立場はどうなるでしょう。もしあなたが、身に覚えの無い罪で逮捕状を出されたとしましょう。必死になって無罪を主張しても、家族も含めて誰も信じてくれない時は、TVドラマ「逃亡者」よろしく逃げるしかありません。長い逃亡生活の末に公訴時効によって救われたあなたは、ようやく安心して生活することが出来るようになります。ところが、数年後にあなたは逮捕されます。容疑は、あの身に覚えのない事件です。公訴時効の完成でもう逮捕されることはないと安心していたあなたに検察官が言います−「法が改正されて公訴時効期間が延びたから、未だ時効完成前だ。」

このような場合は、確かに実体法を改正して遡及処罰する例とは異なります。犯罪実行当時の刑法は改正されてはいないからです。しかし、一旦は処罰されないことが確定した被疑者・被告人が事後における法改正によって処罰されることとなるという意味では、実体法の遡及処罰の場合とほとんど変わらないといえるでしょう。

 こんなふうに考えてくると、手続法の改正だからというだけで、今回のカリフォルニア州刑法の改正(および、改正後の州刑法を適用しての三浦氏の逮捕)に何の問題もないと言い切ることはいささか乱暴に過ぎるといわねばなりません。

アメリカの裁判官の判断に注目

 私のような考え方は、現在の日本では大方の世論の賛成は得られないかもしれません。しかし、刑事手続きにおける人権への慎重な配慮は、国際人権規約などによって今や世界共通の認識とされつつあります。

三浦氏の今回の逮捕が、一事不再理や遡及処罰の禁止などの原則に照らして問題がないかどうか、同種の事件(被告人はメキシコ人)が既に裁判中だそうですから、人権の擁護にかけては定評のあるアメリカの裁判官がどのような判断を下すかに注目したいと思います。

                         (2008年3月11日)

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