| 「伝える」ということ
〜生きることが怖いあなたへ〜 |
| みなさんには、好きな人がいますか…?(*^-^*)
その人のことを、…どのくらい好きですか? そして、そのことを相手の人は、どのくらい知っていますか? 私は「伝える」ということに、とてもとても、こだわりを持っています。 愛は、想うだけでは伝わらない…、そして 「愛は相手に伝えた時、初めて生まれるのです」 ((C)Lemon) どんなに深く愛していても、想っていても… 言葉にして相手に伝えなければ …それは「何もない」のと同じことなのです。(…辛口で、ごめんなさい(-_-;)) 美しく深い想いがあれば、言わなくても愛情が伝わると思うのは、 寂しいけれど…幻想なのです。 私達は、思考の世界に生きているのではありませんよね? 現実という音や形のある世界に生きていることを、忘れてはいけないのです。 素敵な想いを、次々と言葉にして誕生させましょう。 そのたびに愛が、この世に生まれ、 「あなた、私、愛」という、それぞれの喜びが輝くのです (*^-^*) 私は、「察してほしい」という態度や言葉が…ちょっぴり苦手です。 「察する」という言葉自体は、相手の気持ちを 思いやろうとする、 とても美しい言葉です。 けれど立場が変わると、その意味合いは違ってくるのです。 「察してほしい」には、現在自分が置かれている状況や気持ちを 説明する義務を怠り、相手の責任にする姿勢がみられます。 …それがどうも苦手なのです。 実際、正確に「察する」ことができるのは、 気が遠くなるほど会話を重ねた後に、 理解しあった者どうしだけに、できることです。 しばらく仲良くしているからといって、 その人が長年経験してきたあらゆる事や、それに基づく考え方を、 説明もなしに、…どうして理解できるというのでしょう…。 最近、熟年離婚が驚くほど増えているのは、長年生活を共にしても 「察する」ことがいかに難しいかということを、表していますよね。 (なお、先ほども書いたように共感を示す場合の「お察しします」は、 似たような経験を持つ場合や、思いやりの意味で使われる言葉なので この限りではありませんので…) 私は、昔から言葉の世界や精神世界が好きだったので 「テレパシー」(笑)が、あることも信じています。 けれどそれは…深く繋がった者どうしでのみ可能なことなのです。 会話をあまり交わしていない二人が、想いやテレパシーのようなもの、 相手の理解力だけに頼るのは、とても無謀なことです。 思っている事を、自己完結させてはいけないのです。 ただしネガティブな感情の場合は… 感情のおもむくままに伝えてはいけませんよね。 感情をぶつけることが目的ではなく、自分を理解してもらうこと、 コミュニケーションすることが目的なのです。 それには、相手の立場と気持ちを充分に理解し、 それをきちんと告げることが必要になります。 「余裕が出来たら、こうしてくれると嬉しい」と 「依頼」に変える方法がベストなようです。 自分側が相手の希望を叶えてあげられているかどうかも 反省しないといけません。 ただし、自分のことを理解してほしいと思うあまり 暴走しないように、充分気をつけてくださいね。 (実は私…これで失敗しました…(-_-;)) どんなに伝えたいことがあっても、 相手の人の善意や、性格を否定する形にならないように 充分配慮しなければいけないのです。 また伝えるタイミング、相手の人の精神状態も確認しておく必要があります。 「伝える」こと、「自分を理解してもらう」ことは、とても大切ですが それに必死になりすぎると、最終的には相手に嫌われて 大切な関係自体が無くなってしまうことがあります…。
では、お話を少し戻しましょうね。 「察してほしい」という気持ちを持っている人は、 人間関係でのトラブルが多く、 気がつくと、孤独の中にいるということが、よく起こります。 それは、相手に情報を与えないため 相手を頻繁に怖がらせたり、不安にさせるためなのです。 昔読んだ心理学の本によると 「人は、相手の情報が無い場合、悪いほうに解釈する」 のだそうです。 特にリアクションしなかった場合は、悪く解釈されるのが普通なのです。 例えばこちらが、何度目かのメールのお返事を 「今回は、別に内容に対して反論が無いから、出さなくてもいいよね…」と省略するとします。 すると相手の人は「その内容を肯定されたからではなく 否定されたから、お返事がもらえなかった」と解釈するのです。 お返事を省略していいのは、お互いの性格を充分に理解しているか 双方がメールのパターンを了解している場合だけなのです。 同様に自分の意見を述べない、「何を考えているのか解らない人」に対して、 人は無意識のうちに、「この人は私のことが嫌いなんだ」、 「理由は解らないけれど、私に対して怒っているのだ」と解釈するのです。 また、情報があれば、経験に基づいて次の対策を 練ることができますが、それすらもできないため 相手を一層不安にさせるのです。 もしも誰かがあなたに、たびたび冷たい態度をとることがあるとしたら、 それは、あなたが相手に充分な「自分の情報」を与えていないからなのです。 「自分を知ってもらう」努力をしないで、 「何も解ってくれない、冷たい人だ」と 決めつけるのは、 …相手の人に対しても失礼ですし、責任を押し付けていることには ならないでしょうか…? もしも情報を充分に与えて、それでも冷たくされるなら、 その時は…悲しいけれど 「あなたが想うほどには、相手はあなたを好きではない」という 現実を受け入れることになります…。 人を傷つけることを怖れるあまり、 自分が再び傷つけられることを怖れるあまり、 つい、私達は口をつぐんでしまう…。 けれど実際は…黙りこんでしまうから問題が悪化し、 より深く傷つく結果になるのです。 伝えることで、傷つけられることも確かにあるけれど… それは、ほんとうに、ほんとうに少しでしかないのです。 これから先も、全く傷つかずに生きていくことは可能でしょうか? 答えは、NOですね。 では、自分の気持ちを伝えた上で傷つく方が、ずっといいと思いませんか? ただ…私の場合は、上にも書いたように伝えすぎてしまって、 ごくごく稀に嫌われることもあります。(50人に1人くらいかな?(^-^;)) (えっと…これから書く問いかけは、多少厳しい意味合いを含むため、 きつく聞こえることがあるかもしれませんが、 決してあなたを責めているのではないことを解ってくださいね…。 もしも、つらくなったら読むのをやめてください) ******************* 何故あなたは、再び傷つけられることを…そこまで怖れるの? 怖れるあまり、これから先の何十年も、 まるで「あなた」が存在しないかのように、 閉じて生き続けるのです…か? あなたが傷つけられたことを…3年後、5年後まで持ち続け、 ずっと泣き続けても、もちろん構いません。 うん‥。だって、それだけ悲しかったのですから…。 様々なプレッシャーの中で、死ぬまで怒り続けることも…。 きっと誰もあなたを責めないし、それを止めはしないでしょう。 だけどあなたの人生は、命は、それを喜んでいるのでしょうか? 人生は苦痛に満ちた、試練だけの場所ではありません。 自分で最後まで責任を取れるなら、何をして生きてもいいという 信じられないくらい、自由で楽しい場所なのですよ…? 制限を与えているのは、誰かではなく、あなたの「かたくなさ」なのです。 人が決めたルール、モラル、自分で背負ったプライド… それは命よりも大切なものなのでしょうか? 死にたいほどつらいのに、命よりもルールの方が 優先されるのですか…? そんなナンセンスなこと…(-_-;) 人に、いい人だと言われるために、人生があるのなら それはあなたの人生ではなく…他人の人生なのですね…。 心を閉ざし、思っている事を飲み込んで、 人生を台無しにしていく…。 それで…あなたの命は、心は、泣いていませんか? この世界にあるのは試練ではなく、 (基本的には)何をしてもいいという 「チャンス」なのです。 あなたの個性と才能を表現し、 自分がどこまでやれる人間なのかを試し、 あらゆる楽しみを経験できる、「チャンス」の場なのです。 信じられませんか? でも今あなたが、天災に遭って、ここ(地球)を去れば …それがすぐに解るでしょう。 (だからといって試さないでくださいね…(^-^;) この人生は一回きりなのです。もう二度と無いのです) もしもあなたが現在重病で、ベッドに臥しているというのなら、お話は別です。 だけど、このHPを見られるだけの健康があるなら、 これから先の長い時間を、悲しみや怒りと共に無駄にすることに、 いったい何の意味があるのでしょうか? 人は無意識に、あるいは意識的に、傷つけることもあるし、傷つくこともある。 それはつらくても…避けようのない現実なのです。 そしてあなたは深く傷つけられたからこそ! その分、 これから楽しい人生を生きなければいけないのです。 やさしいあなた、どうぞ心の囁きに耳を澄ませてあげてね。 あなたは今、誰に何を…伝えたいですか? |
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