番外 2002年7月
――漢城――
雨ですか〜
ある経緯から珍しく海外で、ある会議が開かれることとなったが、最初は参加するかどうかだいぶ迷いに迷った。準備期間を考えるとかなりきつい。だけどこういう機会は滅多にないと思い直し、まあダメもとで参加締め切り寸前にエントリーした―(内心は締め切りに間に合わなくてもいいかな〜という気持もあった)―。数ヶ月を経て、結果、エントリー人数が少なかったのか参加できることとなったものの同分野の人間は誰もいなかった―(寂し〜い〜)―。
何年ぶりの漢城だろう。誘われ続けながら縁和せず、長い時間が経ち不義理を重ねてきてしまった。
関空に着くと大家と思しき方々がお弟子風の若手を連れて既に集まっておられる。みなさん漢城行きの方々、でも残念ながら一面識も無い方々ばかりだった。知人たちは別ルートで観光を兼ねて前乗り渡航するため、このルートで行くのは自分1人―(まあ気兼ねしないのでいい面もあるとは強がりか)―。それにしてもこれだけ知らない人々に囲まれていると、きっと懇親会等への出不精や社交下手が禍しているのだろうと自戒反省しながら日本をあとにした。
仁川に定刻通り着くと、天気予報通りやはり大雨が降っている。根拠の無い確信だけど「雨男」「雨女」の集まりと違うやろかと思うくらいよく降っている。まだ梅雨明けやらぬ文月、どっかと梅雨前線が腰を下ろしている。
ついこの間までワールドカップが開催されていたはずなのに、少なくとも玄関口の仁川にはその節は全然見られなかった―もともと見られないものなのかも知れない―。そのまま空港からバスでホテルへと直行した。ホテルは奨忠洞にある南山公園の麓に位置し、眺めは抜群という話だった。でも残念なことに2階、全然眺めなんてない状態! 部屋はスタンダードで普通の感じ、同じ単位の見知らぬ―この時が初対面―後輩A君と相部屋。彼らは4人で来ていたが、部屋割りで2名・1名・1名となり、1名がわたしと、もう1名が見知らぬ人と相部屋となったそうだ。その日の晩は、オプションで梨泰院で名物料理を食べられると言うので、1人で食べに行くのも何なので参加することとした。マッコリは美味しかったなぁ〜。その晩はおのおの明日からの準備のため大人しくしていたみたい………。ただ自分は現地のテレビ番組を点けながら微睡みの時間を過ごしていた。
海外での討論会
朝起きたら、えらい―ひどい―雨だ。半端な雨量じゃなくほとんど「傾盆大雨」に近い状態。眠い眼をこすりこすり専用バスで会場入り。この雨の中を地下鉄等で行くことに比べたら大いに助かり、受付開始時間に合わせてか「余裕のよっちゃん」(死語?)で到着した―(だからかねぇ、翌日はかなり遅くなる―)が、中は既に人でゴッタ返している。慣れていない受付―(初めての当番会場だから当たり前ですね)―に苛々せずさくさくと手続きを済ませ、急いでコピー準備―コピー機1台なもので―に奔走した。会場は全部で10部会に分かれていて、ほぼ地域ごとになっている。今日は自分の番はないので、あちこち聞きに行っていた。すると、ある部会では、今夜の定時ニュースにでも流すのだろうか、はたまた当番会場の記念の意味を込めてか、知人の発表を一部撮影していた―(実際、ニュースに使われたどうか何て分からないけど)―。たくさんある部会の中でも本国の人が一番いる部会だっただけに撮影されたのであろう。昼食時に会ったときに、その話を持ち出すと本人も撮られた理由が分からないだけに恥ずかしがっていたようだ。
午後の部会は途中まで出て、その足で特別講演会・総会に出た。中途でジュース休憩が1回だけしかなく、ず〜と坐りっぱなしというのも本当に疲れる。終わる頃にはすっかりあのひどい雨も止んでおり、程なく野外で記念写真撮影を済ませ、懇親会に雪崩れ込む―(これで夕食の心配をせずに済んだって、会費は払っているものね)―。パンソリを聴き、実に美味しくいただきました。。。
その日の晩もいつものようにテレビを点けると、香港のあの鳳凰台が映っていた。久しぶりに見る鳳凰台だ。シルクロードの特番を演っている。20年前、NHKが放映して話題となった番組『シルクロード』時の日本人ディレクターが出ていてその頃に出会った何人かを再び尋ねていく番組で、当時と同じコースを辿っている。どうやら新しい番組の宣伝を兼ねたようなドキュメンタリー風構成になっている。ついこの間、シルクロードの空気を吸ってきただけに、明日の準備をしつつもしばしテレビに釘付けだった。
そんなこんなで、翌日の2日目(最終日)を迎えた。晴れている、ただそれだけで何か得をした気がする。午前部会をあちこち聞き回り、もちろんこの2日間、知人や今回知り合った人々のところへは聞きに行ったりしていたのは言うまでもないことです、一応念のため。午後自分の番が回ってきた。前の人までは、そこそこ聴衆がいたのに、自分の番となるとぐっっと人が減る相変わらずの傾向。なかなかマイナーを脱却できないもんですね。司会進行が書くべき発表要旨を自分で書かされるおまけ付きではあったけど、自己採点は「還可以」と言ったところか。この晩は、またもや名物料理を食べに行った。
仁寺洞等々
明けて、翌日も快晴、わたしたちのところでは自由日となっていて、板門店ツアーに行く人、街を散策する人と分かれた。それ以外のルートで来ていた人の中には、漢城を後に各地へ旅行に出かけた人たちもいた―(日程上どこにも行けないわたしにとっては、非常に〔←財津一郎風で〕羨ましい)―。曹渓寺等を参観したり昼までちょっとした買い物をし、件の4人組と一緒に昼食をとる。何せハングルは読めないもので、ガイドブック片手に何とかみんなで定食を頼み、ありつくことができた―(ここだけの話、美味しくは……なかった。まだ会場の昼食の方がはるかに美味しかったなぁ……)―。ただ諸般の事情で―(そう、諸般の事情なのです)―板門店ツアーに参加できなかった点は、痛い。あとで話を聞くとやはり行ってよかったということだった。傍晩、再度仁川から関空へと飛び立った。行きと帰り仁川を見ていると関空はまったく太刀打ちできないと感じる。滑走路・建物どれを取ってもアジアのハブ空港化を目指す意気込みが違う。長距離航空運賃一つとっても成田や関空から出るより、仁川から出る方が安いんとちゃうやろか? なんて素朴な感想を持ってしまった。
それにしても短期間滞在のためだけどビザが要らないのは、本当に便利なもんですね。
もっと韓国の友人と連絡を取らんといかんですね〜。知人たちはちゃんと連絡を取って、会議後、即扶余辺りへ通訳兼ガイド役をしてもらって旅立っていったり、会議前に北から南へ旅行をして漢城に乗り込んで来たりと、今回の会議を有効に使っていた……。知人の旅三昧を見るにつけ、こりゃ、本腰を入れてもう一遍ちゃんと旅をせねば、と思いを新たにした。もし次回どっかであればって、あるのかなぁ〜?
28.Jul.2003