I 1997年8月〜9月 内蒙古・大連T

――カップルたちとの合い旅――



 その年の春、北京で同学たちと何時か旅行したいねェという話をしていた。だけど、そのまま有耶無耶になってたら帰国後少し経ってから急に会おうということになり、これまた急に話が盛り上がって「旅に行こう」ということなった――何かどっかで聞いたような話やなァ――。

 春まだ浅き頃に、同学のヒゲ君(渾名)とその彼女の香住ちゃん(もちろん仮名)たち数人が内蒙古の草原に行き、そこがいたく気に入って「また行きたい〜〜」と熱く語ってくれた――ぼくにとっても初中国時の草原の想い出が蘇ってくる――。加えて大連辺りまで足を伸ばし大連・青島の渤海をぐるっと回ろうと話が膨らみ、行きたい気持ちが簡単に沸騰点に達して「夏休みに行こうよ」と決まったわけ。その時点ではぼくとヒゲ君と香住ちゃんの3人だった。彼ら1カップルとぼくという形だったが、2人とも気心の知れた同学だけによかったんだけど。ところが………。



 俄然具体性を帯びてきたのが、6月頃だろうか。ヒゲ君の知り合い筋が大手旅行社員だったのでそこで片道の船――また船なのです。ぼく以外は船旅未体験だったもので――手配などをしてもらい、ヒゲ君曰く:香住ちゃんの高校時代の友人とその友達も一緒に行きたいと行ってるけどどう思う。一も二もなく賛成したぼく。当日までその2人がよもや2組目のカップルだったとは思いもよらなかった。な〜んも考えず男2人だとずっと思いこんでいた。あまりにも世間知らず?。お人好し?



 夏真っ盛りの8月14日、燕京号で天津――今なら天津郊外天涯に男児当自強さんがいるのになぁ……――に行くために神戸に集合した。ぼく、大学3回生のヒゲ君と香住ちゃん、香住ちゃんの同級のおさるちゃん(モンチッチのように愛らしいので:手紙にもそうあったし本人も気に入っていたから)とその友達おさる君(その彼氏と言うことで)の5人。ヒゲ君は某地方国立大生、香住ちゃんは中国語専攻の外大生、おさるちゃんは高校同級の某大生、おさる君は某大の同級?(あっ忘れてしまっている)。ぼくたち全員、燕京号(今でも週一回神戸・天津間の船)は初めてだった――天津へ船で行くこと自体が初めて――。気心が知れているとはいえカップルはカップルに違いない1組と全くの初顔合わせのもう1組のカップル、それに何故か場違いと言われそうな1人もののぼく。

 昼過ぎに神戸を出発すると船は瀬戸内海(その日の航路?)を西に向かった。過去全て外海だっただけに内海の穏やかさが印象的。まるで長江下流みたい(――色じゃなくて大きさが――)。間もなく明石大橋をくぐり、小豆島の側を走り、他の本四架橋を下から眺め、大小の島々を縫うように進む。中国・四国両岸の手に取る近さに行き交う船の多さ、簡単に使える国内電話と、船内は中国だけどまだまだ外は日本。初日の夜に関門海峡の大橋をくぐると玄海灘から東シナ海へと出ていく。2日目黄海を経て3日目渤海に入ると間もなく天津の塘沽港。2泊3日ぼ〜と海を眺めていたが、曇り空だったせいか上海行きの黒潮の海と違って、なんかど〜んよりとした感じを受けた。だけど船内はそれなりに愉しかった、かな。。。
(カップルって無条件でいいもんだなぁと思えてくる瞬間の数々)



 天津の塘沽港には16日昼過ぎに到着。ここから天津市内へは60km程あるためターミナル前に船からの客待ちで停まっていた小公(ミニバス)で天津駅に行くことにした。上海の国際客運站と違って、偶々か銀行が閉まったままだったので、心細い持ち合わせであったものの交渉の結果20元(香住ちゃんもうちょっと値切れたかも……)で天津駅前に着き、同じ小公に乗り合わせていた他の日本人たち――当然のように彼らは宿泊先が決まっていた――と別れホテル探し。夕方近くになっていたし、荷物背負って歩くのも面倒くさいしと、この時のみんなの気持ちはとにかく初日だし出来るだけ安く上げてあとの旅に当てよう・リッチ(ぼくらのレベルでの話)に泊まる日も作ろうということで一致した。自分たちの斜め前方、偶然目にした夕陽に映える駅前の国営旅社――今でもあるんだろうか?――に取り敢えず泊まることにした。交渉して5人1部屋で1人19元、ドミトリーより安く上がっているだけに、扇風機1台だけの窓のない部屋、やや湿り気気味の1人1ベッド、偶に顔を出す住人ゴキブリ、8時までのシャワー(外のネオン明かりだけのだだっ広い部屋に壊れてないシャワー1つ)等と挙げ出したらきりがないが、まあ初中国のおさる組も安い所とはこういうものと理解している風だったし――香住ちゃんによく言い聞かされたんだろう――、ぼくたち3人も草原を楽しみにしてたからみんな納得済み。とにかく決めた理由は交通の便がよくって安い所だった。このあとも予約せずその都度ホテル探しとなる(それもまた旅の楽しみにしていた学生のみんな)。 
――旅社には外国人は泊まれないって、そう堅いこと言わずに――。


 翌早朝、駅前小吃で朝食を済ませて、北京行き長距離バス(20元)で昼前には趙公口長途站に着いた。小公(4元)で北京駅に移動し、今回は現地旅行社で切符の手配をしようということで、まず多くの人たちが訪れる建国門外にある例の有名処にした。切符の予約の後はまたまたホテル探し。大学は夏期留学の真っ最中だから部屋が空いていないし、ヒゲ君が泊まったことのある王府井の霞公府旅館(?)を始め灯市口西街の芳園濱館・東華飯店に向かったものの何れも満杯(もうちっとクラスを上げれば王府井界隈でも十分泊まれたんだろうが旅の始めだったので敢えてしなかった)。東華から電話で2〜3ヶ所当たってみて、ようやく交道口南大街の后円恩寺胡同にある伝統的な四合院建築様式の友好濱館に泊まれた(1人217元:今は無理)。これが思いの外なかなかにいい所だった。胡同を5分程入った所にあるため外の雑踏は全く聞こえず、幾つかの棟に分かれているうちのとある2階建ての木造建築風のところに泊まった、実に落ち着いた雰囲気だった。

 翌18日、同じホテルに泊まる帰国間際の日本人と一緒に胡同を出た交道口南街で朝食(豆腐○○○)を済ませ、退房時間までその人と一緒にみなで北海公園に行った。ここじゃカップルはとてもエエ雰囲気になれるんだろうな――ぼくの前ではいちゃついたところ見せないけど――。昼前に宿を出、件の切符を受け取りに行くものの何とまだ。。。。。
こういうこともままあるもの(ぎょえ〜取れると言うとったはずやろ、おい、どないなってんねん。オンシーズン中に翌日に取れると思う方が甘ちゃんやったんか〜)。既に退房した後だったので、ついでに(仕方なく)ここで宿屋を紹介(紹介料10元)してもらうことにした。前門に近い(と言っていた)遠東飯店。前門と言っても実際は虎坊橋に近い鉄樹斜街(そのまま大柵欄西街・大柵欄街に続き前門街に出るから近いといや近いが)。そこの3人部屋に2泊(1人134元換算)取った。まあまあの部屋だし、周りは下町情緒が色濃く残っている地域。こういう所での食事はいろいろと食べられるもの。北京前門付近のような下町は好きな方で、あたりをぶらつき時間を過ごすにもよかった。この当時はまだ“いかチレ”(タビーさんのHP見て)もの――“いかチレ”は日本語とか図案とかが正規(orパクリ)の日本のものと微妙にズレていて可笑しさを誘うもの――に開眼していなかって、ヒゲ君・香住ちゃん共々写真家徐勇の作品に凝っていて、それを探し回っていたっけ。
 初めて徐勇を知ったのがその年の春の絵葉書、中国各地を撮ったシリーズもので、他の写真家の絵葉書とは明らかに構図も、表情も、色合いも異なっていて見る者に訴えかけてくるものがある。たかが絵葉書と言われればそうだが、感動してしまったいたぼくたちだった。それからと言うものその人の絵葉書や写真集を求めている。

 翌19日は偶然、何冊か出版されている徐勇の写真集のうち一冊(『胡同集』)を買え、大柵欄や天壇市場等々あちこちあちこちめぐっていた。
 20日に切符を手に入れようやく呼和浩特へ列車で移動。車内泊(硬臥:3段ベッド)、誰も「フフホト疲れた」なんていうおやじギャグも出ず、「檸檬食う」という駄洒落〔内蒙古neimengguとレモンくう→中国語と日本語の発音似とります〕も出なかった――当たり前か――。列車内では内蒙古大学留学の大学院生と知り合いになった。彼は北京から呼和浩特に帰る途中だったようで、呼和浩特の美味しいお店なんかを教えてもらったり、草原ツアーから帰ったら会おうとか話していたと思う。

 21日朝、呼和浩特に到着し、その足で今春香住ちゃんたちがお世話になった現地旅行社に向かった。予め草原・砂漠ツアーを手配してもらえるように日本から彼女が連絡していてくれたので、全てスムーズに事が運び、大きな荷物を旅行社に置いて昼過ぎには草原に向けて出発した。2泊3日の同じツアー(1人650元:2度目利用なのでまけてくれている)には中国人グループとぼくたち5人、それにガイド役として赤ら顔の人の良さそうなモンゴル人なーだむ君(仮名)がついてきた。行き先は、前回ヒゲ君たちやぼくも行ったことがある有名な希拉穆仁草原じゃなく輝騰錫勒(格根塔拉やったっけ?)草原へ2〜3時間かけて行き、到着後早速、陽がとっぷり沈むまでみんなで騎馬(2日間200元)。360度大草原、その雄大さと言ったら…………。
馬上にそよぐ風が次第にひんやりとしてくると陽が傾き始めていて、いつのまにか地平線から雲が湧いていて茜雲から黒雲へと表情を変え、既に月は白く輝き出していた。夕陽が沈むが早いかパオに着くが早いか、もう肌寒く風は秋を歌っているようだ。
その晩は、防寒具に身を包み遅くまで草原に寝っころがってぼ〜と夜空を眺めていた。ちょっとした小湖の前、糞の上に寝ないように注意していい場所を選び「大」の字になったり、逆立ちしたりダイブしたりでんぐりしたり(誇張し過ぎました)酒盛りじゃなくってちびちび飲みながら何時までいただろうか。満月じゃないけど月見としゃれ込み、夜空が美しい。

翌日、ヒゲ君と香住ちゃんはパオに残り(2人の時間じゃ〜)、ぼくとおさる組との3人でまた騎馬。この日は、少し遠出をし、草原を駆け回った。草原のちょとしたところでは畑も作られており黙々と作業をしている姿を見つめ、小高い丘からは360度地平線を見つめ、その地平線上にはもくもく、もくもくとした塊の雲たち。何時間馬上の人となったであろうか、とある丘の上チベット仏教の石造塔とタルチョが旗めく場所でしばし休憩。風の匂いがとっても美味い。
この夜は韓国から観光に来ていた学生たちと酒を飲んだ。


 23日パオを後にしたぼくらは現地旅行社へ顔を出すため一旦呼和浩特へ戻りそこから包頭へ向かい、一路砂漠を目指した。その呼和浩特では五塔寺(金剛座舎利宝塔)も見た。もともとは慈灯寺内の宝塔だったけど他はみんな倒壊しこれだけが残ったそうだ。土台の金剛座には各種仏像が彫られアーチ状の門には四天王像があり、門上にはモンゴル文字・チベット文字・漢字の額がある。その上には仏・菩薩等が彫られた五つの小塔が立っていて、外から全体像を眺めると壮観だった。前回見逃していただけにようやく見られ感激した。
 数時間車に揺られ包頭から東勝に進むと、次第に川向こうの台地上にある砂漠が見えてきた。内蒙古で見る砂漠だ。東へ向かえば寧夏自治区・西夏王陵、南に向かえば陝西省北辺・長城へと続いていると言う。前回の砂漠で見なかった駱駝に揺られる観光客、ゴミ等々。観光地化されている場所だからだろう多くの観光客――外国人は見ず――がいたが、砂漠そのものは王朝の過去を思い浮かべながら見て回ったりしていたっけ(なんで王朝かって? そりゃこの砂漠が西夏王陵等に繋がっているかと思うと王朝の興亡に思いを致したり致さなかったりと……)。

 陽が傾き始め辺りが暗くなり始めると砂漠を後にした。砂漠から呼和浩特に戻り荷物を受け取って3日間一緒にいたなーだむ君と別れた。彼はあまり前に出過ぎずかと言って後ろに引っ込み過ぎず、ほんにうまい具合にぼくらに寄り添ったガイド役というよりも付き添い役だった気がする。中国人らしくない中国人という印象だった。このあと数日前の呼和浩特行き列車で出会った大学院生と落ち合い、晩御飯を食べに行った。みんなで呼和浩特の生活等いろいろと質問攻めにした感があった――今は内容すっかり忘れているみたい――。彼の誘った食事なかなかよかった。夜、呼和浩特駅で彼に見送られながら北京行きの列車に乗り込んだ。次の目的地は大連だが、呼和浩特からの直通列車がなく、たとえ乗り換えて行くとしても一度北京に戻ってから大連に行く方が結果的に早くて便利ということだった。何故呼和浩特からやや離れた大連かと言えば、日本と関係の浅からぬ場所なのに一度も行ったことがなかったから行きたいと。ぼくたちみんな一致していたから。
行きは車窓から長城は暗くて見えなかったが、帰りはちょうど早朝だったのでかつて行った長城を眺め北京に入る。24日朝、北京着。



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