1) 崇 聖 寺 (雲南省大理)


 雲南の省都昆明から西北西490kmほどにある大理白族自治州の街・下関(大理市:ここから少し北に南詔国・大理国の都跡がある)から出る〔さんずい編+耳〕海の観光船――船内の白族観光ガイドの小姐たちが綺麗だった――に乗っていると、しばらくすると西の蒼山の麓、大理古城(旧市街:県城)から1kmほどのところに微かに三基の塔が見えてくる。それが崇聖寺の仏塔。別に三塔寺と言われるように、残念ながら今では塔のみしか残っていない。湖面から美しく見られればいいのだが、実際は三塔倒影公園から見える仏塔が、蒼山をバックにして池の倒影と共にこの地に忽然と現れたように立っている姿が実に美しい。ただあまりにも絵葉書的・ガイドブック掲載写真的で、しかも左に二小塔と右に大塔という構図のために、個人的は蒼山を後ろとした大塔の左右に寄り添うような二小塔という絵柄のほうが好き。そこからの眺めも十分に美しく、写真に撮った姿はまさに大塔に寄り添ってやや傾き加減――レンズの為せる技でしょうが――に二小塔が映り、何か微笑ましい。

 三塔は、千尋塔という名の最も高い塔とそのほぼ70mの間隔を開けた左右南北にやや小さな二塔が立っている。千尋塔は、高さ69.13m方形平面の16層密檐式磚塔(分かり易く言えば西安の小雁塔のような塔内中空のタイプ)で、南詔国王豊祐の保和から天啓元年の時代(836〜840)の建立とみられている。左右の二つの小塔は、高さ42.19m八角形平面の10層磚塔。建立は千尋塔より新しく五代時代(907〜960)と考えられている。

 西を向けば4000m級の峰々に雪を頂いた蒼山、東を向けば静かな湖面が広がる〔さんずい編+耳〕海、その間に立つ三塔は、千年以上の風雪に耐え形容し難いほど稟として美しくわたしの前に佇んでいた。月並みな表現だけど、一幅の絵画になる三塔。
 帰り際に、後ろで大きな音がした。振り返ると古壁が一部分崩れ落ちていた――今では修復されているでしょうが――。




2) 筑〔左の凡がおおざと〕 竹 寺 (雲南省昆明)


 雲南省昆明市街から西北へ12kmあまり行くと玉案山山腹に○竹寺がある。ここまでバスが出ており40分くらいだろうか。正確な建立時期は不明だけど、元初(大理国征服後に昆明には雲南中行書省が置かれ、以後明・清・民国・共和国と現在まで中心地となっている)の時期にはあったらしい。○竹は、前漢の武帝時代、西域ルートを開いた張騫がバクトリア(大夏)で蜀布と共に見かけたと言われているほど古くから中国に知られているらしい。

 寺は山門、天王殿、大雄宝殿、華厳閣、梵音閣、天台来閣などがあり、寺の中心・大雄宝殿の本尊には三世仏が安置されている。その大雄宝殿両壁面と殿左右にある梵音閣・天台来閣には、五百羅漢像が並べられていている。○竹寺を有名にしている羅漢像は、清代光緒年間、夢仏和尚の要請を請け四川の雕塑家黎広修とその弟子達が7年の歳月をかけて1890年に完成させた泥塑像。一つとして同じものがなく中にはユーモラスな姿態の羅漢もおり、一通り見回しても飽きないかも知れない。わたしが訪れたときには、多くの中国人観光客・参拝客が来ていて、それはもう賑わっていた。




3) 龍 門 (雲南省昆明西山)


 昆明から南西へ15kmほどのところに〔さんずい編+眞〕池に沿うように太華山・羅漢山等々の峰からなる西山(西山森林公園)が約40kmほど連なっている。その主峰羅漢山の断崖には12の殿閣が散りばめられた三清閣という道観(道教寺院:元の梁王避暑宮がのち玉清閣となる)がある。さらにこの三清閣から通天閣に到る道々に石窟建造物があり、これを龍門(元々は通天閣石碑坊題額の字)と呼んでいる。1781年から1853年まで断続的に足かけ70年余かけて道士呉来清から楊汝蘭・楊際泰たちへと工事が受け継がれて作られたもので、三清閣から慈雲洞を抜けさらに雲華洞をくぐり抜けると通天閣に到る。そこまでには種々の楹聯(対聯)があり、眼前の景色と共に楽しませてくれた。三清閣山門牌坊石柱外側には「時出雲烟鋪下界夜来鐘磬徹諸天

【ここは高き空の上、眼下に目をやると雲烟が時に大地を隠し時に現わす。烟霧が湧き起こり大地を覆うとただ広々とした雲海が広がるのみ。夜のとばりがおりるころ三清閣の磬が鳴り、その清らかな音は天上世界にまで響き渡る】

があり、雄大な風景と融け合っているようだった。上に青天を見、下に深湖を臨みつつ歩いて行くと三清殿(元々は七賢殿の楹聯)の前には「春水船如天上坐秋山人在画中行

【広々と真っ青に澄み切っている春の湖水に青き空と白き雲が映り込み、湖面の船はまるで天上を漂っているようだ。三秋の時分、空気は清々しく山崖は鮮やかに木々は麗しい、登攀する人にとってはまるで身を画図の中に置いているようだ】

が懸かり〔さんずい編+眞〕池と西山の詩情を描いているようだった。さらに歩を進めると、普陀勝境牌坊上がありその牌坊上に目をやると「海立雲垂到此間殊非凡境岩径高曲至其上是亦洞天

【高い高い山上に立ち周りを見渡すと広大な大海は青空と融け合いあたかも藍き大きな壁のように眼前に立っている。雲や霧が舞い隆々と流れ去る、このようなところへ来ると既に仙境に入ったようであり、ここはもう人間界ではない。山肌の小径を見るとくねくねと曲がりくねっていてここの高く険しきこととが分かり、山のいただきに到るとそこは確かに仙府洞天である】

がある。こんなことをしながら通天閣に着く。その神龕には魁星・文昌・関羽の三尊が躍動的な美しい姿でわたしを迎え入れてくれた。太華山(太華寺)からの〔さんずい編+眞〕池が最もすばらしいと言われているが、ここからの眺めも決して引けを取らない。断崖に縫うように設けられた建造物やトンネルを抜けていくと、その都度〔さんずい編+眞〕池の景色が微妙に変化し、何度も息をのむ思いをした。雲南省最大の街昆明の直ぐ側にこのような絶景を堪能できる場所のあることは、むしろ昆明が広大な大地の懐に抱かれて育まれてきたという感を持たせた。




4) 曼 飛 龍 仏 塔 (雲南省西双版納)


 雲南省省都の昆明から南西へ約733kmほどのところに、北回帰線の南側に位置する西双版納〔イ泰〕族自治州最大の街・景洪――偶々バスから眼にした日傘をさすタイ族小姐のかわいいことといったら……写真撮りそこない残念――がある。チベットを源にする東南アジア最大のメコン河上流・瀾滄江がこの街を流れている。因みに、明代にここら辺りを12地区に分割するに際してタイ語で12がシーサン、1000畝〔畝から久を除く〕がパンナ(1パンナが徴税の基礎単位になるそうです)と言いい、以後この辺りはこう呼ばれるようになったそうです。
 景洪よりさらに南へ60kmほどのミャンマー国境近くに大〔孟力〕龍という小さな町があり、そこより2kmくらいだろうか行くと南阿河附近の曼飛龍背後の山に青い空に映える真っ白な仏塔がある(景洪より70km位かも知れない)。タイ族の祐巴南批により1203、4年頃創建されたと言われている。
 塔の基壇は平面八角形(直径8.6m)高さ1mあまりの須弥座となっており、その上に8ヵ所の仏龕を設け白玉石製の仏像が安置されている。基壇の中心には16.29mの主塔とその周りに9.1mの8つの小塔が花弁状に配置され、円形多層の瓢箪型塔身は純白で塔頂が金色、その天辺に銅製の天笛があり風に鳴る音が心地よい。「笋塔」「白塔」とも呼ばれている曼飛龍塔は、典型的な東南アジアの部派仏教の塔形式で、強い日差しのなか青い空にぽっかりと白い雲が浮かぶもとでの塔の光景は、もうここは上座部仏教圏と言ってもよく、中国ということを完全に忘れさせてしまうくらいだった。




参考文献:(関連本を読みたいと言う人のリクエストにお答えして取り敢えず列挙します。別の本も随時挙げてみます)
張科仁『昆明地名漫談』(雲南大学出版社)
宝洪峰編著『神奇美麗的大理』(中国環境科学出版社)
華堅『雲南少数民族風情録』(広東旅游出版社)




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