2002年5月10日
今から数年前、ちょうど新中国建国50周年の節目に当たる1999年という20世紀末に、岩波書店から一冊の新書が目立たず(単にわたしの思い込みかも知れませんが……)刊行されていました。その本とは中国政治・アジア現代史を専門とする青山学院大の天児慧氏の『中華人民共和国史』(新赤版646)でした。
わたしが手にした(2001年2月第2刷版)のは、つい先日のゴールデンウィーク真っ最中でした。こういう現代中国史関係の本は今まで何十冊と出ているでしょうし、幾冊かは折に触れて読んできましたが、一読して、これはまるで大学の教養課程や専攻の基礎科目で使えるテキストだと感じてしまいました。テキストになるか否かはその授業に対する本の内容・著者・出版社・値段等から判断されるのでしょう、でも実際のテキストに使われているかどうかではなくて、新中国50年の流れを専門家の視点からメリハリを利かせてコンパクトに凝縮して見せてくれているあたりの手捌きはテキストを読むようでさすがの一言でした。しかも1000円未満の一新書で、50年の骨子・大凡の流れが理解できる点でも現代中国素描として非常に有効なのだと。
彼の研究が、1949年を境として何もかも変わったという「革命史観」と中国数千年の伝統を強調し固定的体質を保持しているとする「文明史観」との二つの史観を克服する手だてとして、「変わって変わらぬ中国」をどう説明できるかということのようで、そのため本書では50年の歴史の流れを説明する工夫として五つの基本的フャクターを抽出しています。その五つとは、革命(暴力的破壊的手段で主体となる経済的社会的思想的基盤の破壊)・近代化(経済的近代化や国民国家建設及び西欧近代思想の受容)・ナショナリズム・国際インパクト(国際環境)・伝統(革命や近代化の対象になりながらも革命や近代化に作用し「中国的なもの」にさせる)のファクターを用い、それを五角形として各ファクターが相互に共鳴・反発し合って、どう組み合わさるかにより特徴づけられる、と言うわけです。
本書冒頭には、その基本的な見方を例を挙げてデッサンしてくれています。例えば、孫文の辛亥革命や49年の建国は、ナショナリズムと革命及び近代化の各ファクターが共鳴し合った大事件としてそこに共通性を見つつも、前者の場合は帝国主義の列強各国の介入という国際インパクトや伝統ファクターとは対決の方向性が見られず曖昧なまま列強の取り込みや反清朝の伝統勢力への依存を強める特徴があったのに対して、後者では政治的には伝統勢力との明確な対決と国際インパクトとして冷戦の枠組みへの取り込まれからいやが上にもソ連への傾斜を強める選択を鮮明にしている点で異なると見るなど両者の同異を示そうとしています。更に毛沢東とケ小平を比較して、前者の場合はナショナリズムと革命の2ファクターを結ぶ辺が基軸となり、伝統ファクターは変革の対象としての伝統社会には攻撃的だけど革命の手法には伝統を取り込むことに肯定的であるといった反発と依存の関係が併存していると見、国際インパクトには全体として過敏に反応し対抗的であり、近代化ファクターでは50年代前半頃までは前向きだったものがやがて取り組みへの積極性が欠如し、彼の目指す革命目標が近代的国民国家建設から離脱して自己閉鎖的なナショナリズムと伝統的ユートピア(大同思想)・原始共産主義思想のアマルガムとして描ける像に変容してしまい、文革がその典型的なタイプと見ているなどの見方をしています。一方後者の場合は、ナショナリズムと近代化の二点を結ぶ辺を基軸とし富強の近代的国民国家建設を目標に掲げているとして、そのため国際インパクトは開放政策に見られるように積極的で前者と対照的、ただし第二次天安門事件のように全面的な開放や西欧化には反発をして国民の自尊心に抵触しない前提を設け、ナショナリズムには炎黄の子孫等の民族主義の鼓舞や儒教に見られる実利的思考には積極的でも非合理的な伝統には消極的という取捨選択的態度に特徴があると見ています。
このような基本的見方に基づいて建国50年の現代中国を語っていくことになりますが、その50年の骨子は、人民共和国前史と新国家の誕生−社会主義建設の模索−プロレタリア文化大革命−曲折する近代化への転換−改革開放路線と天安門事件−脱ケ小平と富強大国への挑戦となっていました。中でも出色だったのが毛路線分析でした。彼の軍事戦略家としては冷静さと緻密さを認め肯定的であるのですが、国家建設者としては一般論として展望を語り得るものの具体的な取り組みとなると性急で緻密さを欠くと否定的です。特に文革発動が、大躍進後の建設路線の食い違いと国際社会との孤立感・危機意識とが、劉・ケの経済回復政策をソ連と同じ修正主義と見なして排除する方向に動き彼の希求する理念の実現と社会変革を目指して大衆を巻き込む運動へと繋がっていったと見ているのです。まだまだ不明な部分の多いところですが、その素描には関心してしまいました。
本書末尾で著者は、得てして「思い込み」「思い入れ」に先走る日本人の中国理解に対しより冷静に中国理解を深め同時に中国に対する前向きの関心が高まることを期待して執筆したと明かしています。かつてバブル経済以前、21世紀は日本の時代などと海外で喧伝されその気になっていました。今また21世紀は中国の時代と言われています。どうなるかはそれこそ先ほどの五つのファクターの組み合わせによって大きく変わっていくのかも知れませんが、お隣の現状を見るためにもそのお隣の足下を見ることは、大いに役立っていくものだと感じられます。その意味でもこの新書は、教科書的によくまとまっている本でした。
なお参考までに目次を挙げておきます。
第1章:人民共和国前史と新国家の誕生
ウェスタンインパクトから辛亥革命・国民革命−国際緊張の高まりと国共対決−日中戦争と国共内戦そして人民中国の誕生−新民主主義共和国としてのスタート−土地改革の展開と都市の秩序化−朝鮮戦争への参入
第2章:社会主義建設の模索
「過渡期の総路線」の提唱と社会主義への転化−国家体制の整備−毛沢東独自路線の萌芽・農民の集団化−ソ連との協調と独自性の交錯−毛沢東の粛清「反右派闘争」と国際路線でのソ連との亀裂−大躍進と人民公社化運動−彭徳懐事件と大挫折
第3章:プロレタリア文化大革命
経済調整と毛沢東の危機意識−反撃に向けての毛の戦略と体制作り−紅衛兵と劉少奇・ケ小平の失脚−毛の理念・野心、フラストレーション社会との共鳴−コミューン建設の挫折と混乱−国際危機認識の高まりと秩序の回復
第4章:曲折する近代化への転換
謎の林彪事件−外交路線の転換と近代化建設の提唱−周恩来・ケ小平VS四人組−第一次天安門事件と毛沢東の死−「過渡期」としての華国鋒体制とケ小平の再復活−中共第11期3中全会
第5章:改革開放路線と天安門事件
ケ小平体制の確立と是々非々外交、台湾平和統一への転換−農村と沿海地域から始まった改革開放−政治改革論議と党の改革案−改革開放のディレンマと高まる社会不安−改革派内での新権威主義論争と民主化要求の高まり−第二次天安門事件と武力鎮圧−国際的孤立化と冷戦の崩壊
第6章:脱ケ小平と富強大国への挑戦
南巡講話と高度経済成長への再加速−中国脅威論の台頭−ケ小平の死と江沢民体制へのソフトランディング−政治改革への展望−朱鎔基・経済改革の正念場と安定成長への模索−見えてこない台湾問題解決の道筋−米中関係と21世紀の国際秩序形成に向けて