@ 1991年9月 韓国

――初海外――



 自分にとって初めての海外旅行となったのが、お隣の国韓国。ほぼ10年前のことなので、詳細は忘れていますが、ちょっと記してみます(記憶違いがあれば、連絡下さいね)。ちょうどある勉強会を通して韓国人留学生とも仲良くなり韓国に対し肌感覚の好感を持ち始め、実際に見てみたくなっていた頃でした。

 一人旅でもカップルあるいは友人との旅行でもなく、団体旅行でした。と言うのも、この年、ある大学の学会(宗教組織じゃないよ)旅行が韓国に決まり、しかもたまたま知人達も参加することを知り、今まで海外に行ったことのない身としていい機会だったので、みんなに着いていく気楽さで参加することにしたのです。

 初日、伊丹の大阪国際空港に集まり(現地集合)、初めて飛行機(大韓航空)に乗り込むものの、あいにく当日は、台風が東シナ海まで来ており日本上陸かという状態でした。JALなどの国内会社が早々と欠航していたにもかかわらず、ひとり大韓航空だけが定刻通り飛び立ちました(一部で拍手がわく)。このまま旅行が中止になるかどうかとやきもきしていただけに旅立てたのは嬉しかったのですが、何せ台風が来ていたので、うかれている人はいなかったようですし、事の真偽は別として、「やっぱり元戦闘機乗りは違う」とみんなで勝手に噂し合ったものです。でも内心はびくびくしていましたし、飛行機初体験の後輩Mなんかはずっとトイレに入りっぱなしの状態でした(単に飲み過ぎだったかも)。
 幸いに何のトラブルもなく定刻通りに釜山の空港に着き(機体車輪が地上に触たときの体への振動は忘れられません)、そこからバスで一路、慶尚南道の霊鷲山通度寺に詣でました。しかし、そこで何故か分からないけど(単に糸が弱くなって切れかかっていただけでしょうと言い聞かせる自分)、持ってきた数珠の糸が切れ、畳一面に広がった数珠玉を夕暮れで暗くなりかけた堂内のあちらこちらごそごそしていたことを思い出します。
 夜には初めて本場の焼き肉を食べ、服に匂いをいっぱいつけて一日を終えました。このときは初めてホテルでクリーニング経験をするおまけつき。


 二日目には、昨日切れた数珠の代わりに人に借りた数珠を持って、新羅の仏教の地、慶尚北道の吐舎山仏国寺・慶尚南道の伽耶山海印寺を訪れました。
 仏国寺は一般の観光旅行のコースに入っているらしく地元韓国の学生の一団やおっちゃん・おばちゃんたちのすがたをよく見かけました(台風の翌日なのでまだ少ない方だったようです)が、よう話しかけずあちこち見て回ってました。ここといえば、何といっても大雄殿(本堂に相当)の石垣下前庭の左右に立つ釈迦塔と多宝塔の二塔の美しさといったらまさに絶品。
 海印寺では経蔵庫に世界的文化財の『高麗大蔵経』[注記]の版木が保存されており、それを特別に間近で見せてもらえ感慨深いものがありましたが、他の観光客からは「日本人にみせるんなら、わたしにも見せて、おれにも見せてくれ」という声が起こり、特別許可を得ているものの何だか意味もなく申し訳ない気分になってしました。
 この日は、ある温泉保養地に泊まる。

 ◎『高麗大蔵経』は、高麗時代にモンゴル軍によって焼かれた初彫高麗大蔵経に代わって、モンゴル軍撃退の悲願のもと1236年から1251年までの16年間かけて板彫された再彫の仏教経典。日本には、公的には室町時代足利幕府によって李朝から15〜16度将来されている。(今の日本の大蔵経の底本になっている)


 三日目にソウルに入り、ある大学を訪問し、また今は取り壊されてもうない国立中央博物館(旧朝鮮総督府)や、奈良と関係の深い扶余の遺跡群を見学。午後からは韓国人留学生に南大門市場やその周辺に連れていってもらい初めて生の韓国を直接味わえほっと一息つく感じがしました。


 四日目は自由日で、ロッテワールドに行く者、買い物する者、散策する者と各自・各グループがソウル市内を自由に動き回っていました(ただ板門店に行けなかったのが残念)。わたしはこれといった目的がなかったので、ぶらぶらとソウルを見て回ってましたね。で、何か買ったのかって、ん〜青磁の一輪挿しかな。
 あとで冬に漢江が凍りスケートも可という話を聞き、今度は冬に行くと公言しながらもまだ実現していません。

 ◎三日目と四日目の日程に記憶の混乱があるかもしれないです。扶余に行ったのはひよっとして四日目だったかも。


 初めての海外旅行がアジアの身近な隣国韓国だったことは、アジア好きな自分をますますアジアに目を向けさせることになったようです。




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