2001年6月3日
中国で王家衛監督の新作『花樣年華』のVCDを買っていたが、まだ見ていない間に日本でも上映され始めた。とある星期天、友人数人と見ることとなった。既に巷ではよい評判が立ち始めている頃で、全国紙でも好評をもって迎えられている。
これは60年代香港を舞台とした、偶然隣の部屋同士となった夫婦たちの秘められた恋愛だった。互いの連れ合いが不倫をしていると知ったチャン夫人(張曼玉)とチャウ(梁朝偉)の二人、その二人の間で揺れ動く心と心が描かれている。恰も夏の夜の蛍が水を求めて彷徨うように近づいたり離れたりその危うげで物憂げな距離感・速度感は、まさに即物的でなく抒情的であってたゆたう時の流れを感じさせるに十分ではなかったろうか。少なくとも自分にはそう思えた。
確かに、最初はこの二人焦れったいなぁと思ったが、そのうち二人の速度が妙に心地よくなってきた。淡々としていると言えば淡々としている、こそこそしていると言えばこそこそしている、そんな何れにも取れ得る幅のある画のような気がする。これはこの速度感等が心地よい場合と眠たくなる場合に分かれるだろうと思うけど………。
全編を通して彩られていたのは、秘められた情熱の赤だろうか。映像としてその抑制の利いた彩りが大人の秘められた恋を現していて、そこに効果的に使われていたナット・キング・コールの「キサス・キサス・キサス」「グリーン・アイズ」「テ・キエロ・ディヒステ」、周〔王施〕の「花樣的年華」、播迪華の「ブンガワン・ソロ」、鈴木清順映画の「夢二」。特に「キサス・キサス・キサス」はチャン夫人とチャウとのちょっとしたシーンに繰り返し繰り返し現れ、映像と融け合っている(もうパブロフの犬状態化)のじゃないだろうか――映像と音楽の掛け合いか――。それにしても60年代の香港を体現していたであろうスプレーで固めたヘアースタイルと衿の厚い色とりどりの旗袍を着た張曼玉は、実に美しかった。
そのうち見ていくにつれて二人の間では、――この時点では――どこまで許されてどこから許されないのかなんて現実的なやや下世話的なことも考えず、映画タイトルである、満開の花のように成熟した女性が一番輝いている時(花樣年華)を見つめていると言った感があって、きっと目眩く進んでいく二人の心の中に秘められた思いは強ければ強いほど、結晶と化していくのだろう。なんて好き勝手なことを思いながら。
終わりに映画タイトルクレジットは、静かに
男は過ぎ去った年月を思い起こす、埃で汚れたガラス越しに見るかのよう
に、過去は見るだけで触れることはできない。見える物はすべて幻のよう
に、ぼんやりと………。
と告げている。んっ、と言うことは、最後にチャウはアンコール・ワットの朽ちかけた壁穴に何を囁いていたんだろう。シンガポールの屋台で友人ピン(蕭炳林)に対して「大きな秘密を抱えている者は大木の幹に掘った穴に秘密を囁き穴を埋めて永遠に封じ込める」と話していたっけ。チャン夫人との大きな秘密なんだろうが――再び同じ部屋に暮らし始めたのがチャン親子と言うと、やはり……――、そんな色々な想像を掻き立てるさせる余地を残す映画だったようだ。
『花樣年華』は香港を舞台にした香港人の映画であったが、大人の男女の秘められた恋の数年間を描きその余韻を味わえる美しい映画だったという思いが強い。