22 梯子

                                  2002年6月9日



 今年のゴールデンウイークは結果的に中国映画の梯子をした。『站台』(『プラットホーム』)、『活着』(『活きる』)、『鬼子来了』(『鬼が来た』)の大陸ものの3本。『站台』(2000年ベネチア映画祭最優秀アジア映画賞受賞)は主人公の王宏偉以外ほとんど素人を起用し、文革直後の79年から90年代初頭までの山西省の田舎町汾陽で暮らす青年男女の姿を捉えた賈樟柯監督・脚本作品。『活着』(1994年カンヌ映画祭グランプリでも今になってやっと上映)は葛優や鞏俐の主演による40年代の国共内戦から文革後までのある一家の姿を描く張藝謀監督の作品。『鬼子来了』(2000年カンヌ映画祭グランプリだけど、本国では上映禁止)は、第二次大戦末期の渤海湾岸の長城が残る華北の村で起こる日本軍兵士(香川照之)と村人たちとのおかしくも悲しい交流を描いた姜文監督・主演作品。

 偶然大陸ものが3本、しかもこの時期にこちらで上映されていたものだけど、梯子するにつけても何か何れも生き抜く、生き続けるということを強く描いていた気がしてならない。

 『站台』は、文革直後改革開放の潮流が田舎町にも押し寄せてきて、弥が上にも今までのように食べられるわけじゃなく自主的に生きていかなければならなくなった県文工団(県の文化劇団)で芝居などをしている主人公青年明亮(王宏偉)とその周りの友人達のはなし。青春映画と言えば青春映画に入るのだろう。
 芝居の演目も文革期とは大幅に変わるが、やがて請負制によって劇団が売りに出され、それを買った元劇団員仲間の男と一緒に内陸部の地方巡業に出かける彼ら。地方巡業も芝居や京劇風の歌から沿海地域で流行っている流行歌を歌うような歌謡ショーへと衣替えしてゆくなど時代の流れに身を任せながら生きていく――敏感に時代の風を嗅ぎ分けているのかも知れない――彼ら。芝居を止め税務署勤務という固い職業につく瑞娟(趙濤)と長髪――長髪自体が新しい風そのもの――となった恋人張軍(梁景東)に従って地方巡業に出かける鍾萍(楊天乙)たち彼女ら。四人の人間模様は確実に当時の中国を切り取っているようだ。
 明亮の父親は明亮の父親で、自分の不倫の結果家を出て新しい商売を始める、主人公の従兄弟は主人公の従兄弟で、進学志望の妹のために決して先があるとは思えない郊外の炭坑で僅かばかりの給金で職につく。彼女たちは彼女たちで、繰り返される恋人の連れない態度に業を煮やして何処かへと消える――恐らく都会へ出たと想像されるが――鍾萍に比べて劇団に未練のあったものの父親の勧めで税務署員になった瑞娟は最後には主人公と結婚してしまう、時代に乗っていたように見えた鍾萍が消え、その後を歩いていた瑞娟がゴールインしている。
 それぞれの場所でそれぞれが生きなければならないのだろうけど、そのような各人の生の現場、現場に佇む、何か画面の底に沈殿している雰囲気に乗せるように80年代頃かつて流行った歌が場面場面に流れていき、それとともに至る所でラジオからバックミュージックのように流れているあの少し甲高い女性の声――天安門事件の首謀者たちの指名手配の告知を初めとして――など上手い具合に見る者に自然に感情移入させる効果を上げていて(わたしにはラジオの女声が臨場感があって、さながら自分もそこに居る感がした)、スクリーンとの距離感を縮めてくれていた。
 それにしても主人公からはこれでもかといった風に気怠さが醸し出されながら十数年を過ごしているように見えてしまった。明確な将来の夢があるわけでもなくかといって全く絶望しているようでもなく、力まずそれでいて強かにでも何処か飄々とした生き方をする主人公だ。監督は「人々の隠された前向きのパワー、ふり返ることのないパワーを表現したかった」と言う。やはり主人公のあの様子はそのようなことなのかも知れない。でもその生き方が民衆の一面を衝いていることになるのかも。そのような彼・彼女たちの描き方には、ひょっとして見る者にとって賛否の分かれるのだろうか。
 中国には「上に政策があれば下に対策あり」(だったかな?)とよく言われるけど、気怠い感じに見える主人公は、文革とその後の改革開放の10年といった激しい変化に晒された人々の一つの雛型のように見えてくる。その意味でも監督の「どの時代にもある大衆の一面を表現するもの」という言葉が今響いている。




 『活着』は、賭博で元影絵芝居師の龍二(倪大宏)に全財産を巻き上げられ、代わりに貸し出されたその影絵芝居――五代・宋からの伝統芸能――の道具で生きていく元資産家の息子福貴(葛優)とその妻家珍(鞏俐)との物語。春生(郭濤)と共に影絵で細々と家計を支えるものの時代は国共内戦時。国民党軍に無理やり徴用されるとそこで影絵を見せてしのぎ、共産党軍に捕虜となると今度はそこで雑役係として影絵を見せる。帰還後、賭博で自分の財産を奪った龍二が財産没収に反抗した反革命罪で処刑されるのに対して雑役が革命に参加したこととなって労働者というよい出自――労働者・貧農等・革命幹部・革命軍人・革命烈士の紅五類――として生き延びることとなる。でも娘は福貴のいない間の高熱が原因で口がきけなくっていた。
急速な社会主義化の中で毛沢東号令の「大躍進」が始まると24時間操業といってもよいくらいの町の工場で一晩中影絵を見せて彼なりの貢献をはたす。しかし、息子は「大躍進」の最中、事故で亡くなる。しかもその直接原因がかつての旧友春生が党書記として赴任する際の居眠り運転の事故。一方、娘は工場労働者と結婚しそして妊娠、親子は束の間の喜びを噛み締めるも、今また文革の最中のため医者は権威の知識分子として糾弾され医学生だけしかいない病院で出産直後の大量出血で亡くなってしまう。

 その何れもに福貴がかかわっている。よいと思ってしたことが、ミスが重なったと言うか、――学校での「大躍進」に参加させないと批判されることを恐れ寝不足の息子を学校に行かせ事故に遭わせる、娘の出産時医者がいないと困ると考え反動分子として弾圧されていた医者を連れて来るも空腹の医者のために多量のマントウを買い与え且つ喉を潤すためにお湯を飲ませ気絶させる(マントウは水分のために何倍も膨れる)――

結果的に死なせてしまうことになるなど、まさに禍福は糾える縄の如し。その福貴を家族を支え続けてきた家珍にとってもまさに禍福は糾える縄の如し。党地方幹部として帰ってくる際に旧友の息子を死なせ家珍から許されずまた文革で批判されることとなる春生にとっても禍福は糾える縄の如し。新生中国の建設のために献身してきたにもかかわらず文革で吊し上げられることとなる村長にとっても禍福は糾える縄の如し。細かな物語は描かれていなくとも主人公家族の周囲の人々にとっても多くはまさに禍福は糾える縄の如し。

 糾える縄の如く痛い失敗を繰り返しながらも、でも何か最後までは憎みきれない主人公の福貴じゃないのだろうか。ここには国共内戦から文革直後までの大きな変動・動乱を生き抜く、生き続ける中国人のすがたの一端が福貴と家珍を通して示されているのではないかと。




 『鬼子来了』は、ある者によって拉致され麻袋に詰め込まれた日本人兵士とその中国人通訳の二人が、日本軍占領下の村(掛甲台村)に連れてこられて彼らの面倒を見させられることによって起こる悲喜劇。いや結果としては悲劇だった物語。
 巷に伝わっていた話では、日本人兵士の描き方に不満があって中国当局は上映を許可せず、それにもかかわらずカンヌ映画祭に出品させてしまい、しかもグランプリをとってしまったためになおさら許可が下りないということだった。日本軍兵士にはよい兵士はおらずすべて「日本鬼子」でしかなかった今までの中国映画。その肝心な部分が蔑ろにされたために不許可と思っていた。でも、実際見てみると、決して「日本鬼子」ではないのではなく、やはりまごうことなく「日本鬼子」だった。それが戦時下の極限状態では選択不可能な人間のすがたと言えば、そう言えるのかも知れないが。だが、その点では不許可の意味が分からない気がした。

 しかし、パンフレット中の宮台真司氏はその点をいとも簡単に解き明かしていた。麻袋に詰め込んだ男は共産党軍だと。しかも中国国内上映に際しそこの再編集を要求したが姜文が受け入れなかったため上映許可が未だに下りていないと。さらに彼は言う、単純な感情(娯楽性)と有効なメッセージ(複雑なメッセージ)との両立を目指していると。評論家・川本三郎氏は生々しい抗日戦争映画ではなくむかしむかしに起こった悲しい寓話と言う。

 この世の中まったくの善人も悪人もいないことをみんな当に知っているはずだけど、こと映画界に関しては今でもそれを求めている現実――観客だけでなく作り手にも――がある。それを単純な感情と呼ぶならば、戦争(日中戦争という個別性と戦争一般という普遍性か?)を描く『鬼子来了』はそれを明らかに拒み続けている。かつて社会主義リアリズムや文革礼賛等の明確なメッセージ性と単純な感情を持つ映画があったことを多くの人は知っている、だけどものごとそう単純ではないことも知っているのだろう。殊に監督は。
 見終わった直後には、何かもやもやとしたすっきりしない気分に覆われていた。時間が経つにつれ、次第に宮台氏や川本氏の言う意味が少しずつ分かりかけてきた気がする。少なくとも戦時下の人間の精神は、そう生半可な状態ではなく、簡単に感情移入できるものでもなく、真の勝者なんていないのではないかと……。結果として生き延びたたわけではなく、襞の一枚一枚を覗き込むように不条理に進行する掛甲台村民の人生、時折りブラックユーモアを醸し出しながら惨憺たる終局へと突き進んでいくモノクロ映画の『鬼子来了』には、ドキュメンタリー映画『日本鬼子』と協奏しながらある時代のある人々のぎりぎりの感情・行動が奏でられているのではないかと。


 さらに時間が経てば、また異なった新たな意識『鬼子来了』観が浮かび上がってくることだけは確かじゃないのかと今は思える。




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