17 14人の語り部

                                  2002年2月5日



 昨年東京で上映されたドキュメンタリー映画が、1月末から2月初めにかけてこちらの地方に、僅か2週間の単館上映という形でやって来た。

 松井稔監督の『日本鬼子 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白』という作品だ。出身も生い立ちも軍歴(下士官・軍医・将校等々)も異にする80歳を有に越える14人の元皇軍兵士たちが、1931年の満州事変(柳条湖事件)から1945年の敗戦までの15年の間大陸各地で行ってきた様々な行為を赤裸々にかつ淡々と証言している――(1999年から2000年にわたって「戦地で自分が何をしたか」「戦地で何を感じたか」だけを1人2時間〜4時間かけた計約50時間の告白を編集)――。映像自体に動きが少ないためにカメラに向かって話すことが、見る者一人一人に対して直に語りかけているような錯覚を覚えるからか、2時間40分という長い映画にもかかわらず直視しえた――お尻が痛くなって座り直すことはあるものの――。


 率直に言って、人間というものは、ひょっとして自分たちの祖父・曾祖父たちだったかも知れない人たちは、戦争という極限状態ではここまでの行為―狂気―をするものなのかということが、平和でモノのありあまる飽食の時代に育った者に対して、圧倒的な勢いでのし掛かってくる思いがする。

 どのような行為をとってみてもすべてする側とされる側がいる。それが戦争の場合にも加害側と被害側とから成り立っているものではあるが――加害者であり被害者でもあるということは戦争ではありえるだろうが、特に老人・女性・子供といった非戦闘員に対して兵士が一方的に行ってきたことは加害者の何ものでもないであろう――、概して被害者側からは語られやすい。たとえまだまだ未解決の問題が山積しているとしても一応現に語られて来ている。しかし、こと加害者側から、単なる噂や他人のしたことでなく、自分たちが実際に手を下した数々の残虐行為が、具体的に刻銘に、これこれでこういう風にしましたと語られることはなかった。少なくとも管見ではあるが、書物を除いて映画では日本の場合なかったのではないであろうか。
 今回の告白者全員が、大戦後、新中国誕生後、撫順(遼寧省)や太原(山西省)の戦犯管理所で長期間――(多数の人たちは1956年の戦犯裁判で起訴免除・即時釈放による帰国、一部の人たちは起訴・有罪〔禁固刑〕判決が出されるも収容期間を差し引かれて1964年までに帰国)――収容され、その間周恩来の「戦犯とても人間である、その人格を尊重せよ」という指導の下での人道的待遇から人間的良心に再び目覚め心から謝罪し、今また語り始めたことは、決して「中国共産党による洗脳があった」とか「自虐的」という心ない人間の非難は当たっていない。裁判での無期・死刑判決がなかったこととか、当時の中国の政治的思惑が絡んだ上での戦犯への待遇があったとしても、元兵士たちにとっては心底悔い改め平和への誓いを胸に刻んだことは本物だったと信じたいし、また信じえるものだと思う。

 戦闘期間だけでいえば、東南アジア等々でのアメリカ軍やイギリス軍等との戦いよりも大陸で中国軍(国民党軍・共産党軍)を相手として戦ってきた期間が長いにもかかわらず、主に真珠湾に始まり都会の空襲、学童疎開、長崎・広島の原爆投下、玉音放送による終戦という流れの中でアメリカを相手とした戦争が語られ、中国大陸での戦闘行為がすっぽり抜け落ちていたように思える。むろん情報不足による認識不足という点は否めないわけだけど、当時の世界情勢から鑑みても日中国交回復までは特定の国策の下で何かことさら忌避してきたように見える。国交回復以後もその状況に変わりはないのかも知れない(思い過ごしか……)。そういった中でのこの映画は、実際何をしてきたのかといった加害者側から改めて戦争の真実の姿を白日の下に晒してくれる効果があるのではないだろうか。


 淡々と残虐行為を語る中から浮かび上がってくることは、戦前の軍国教育による一種の洗脳とでも言えるモノの見方――軍国教育これはよく指摘されること――、さらに上官や古参兵の理不尽な私的リンチの蔓延する抑圧姿勢が日常と化していた軍隊の体質が、実は残虐行為に拍車をかけていたことも見逃せないということ。
 この点を、山田明明治大学教授は、戦死への恐怖、軍内の抑圧、戦死した仲間の報復、食糧の現地調達のそれぞれがすべて一般民衆への残虐行為として繰り返されエスカレートしていったことや、また休養や一時帰郷もなく延々と続く作戦行動による戦時下のストレスがすべて弱者に向けられた結果、目を覆いたくなるような残酷な行為の数々だった、と分析する(パンフレット22頁の趣意)。これは十分状況を説明するものとして説得力があるようだ。

 しかし、もっとも基本的なことと言えば、戦争はごくごく普通の人間の感覚をいとも簡単に狂わせ、良心・道徳心などもなくさせ、やがては何も感じさせなくなることなのだろう。それはまた集団内での個人性の埋没と集団による暴走とを簡単に許してしまうということに繋がってゆく。 あたかも何年も前の種子が芽を吹くように、日頃は普通の日常生活を営む人間であってもある「縁」さえあれば、どんな残虐なことでも平気で出来てしまうという人間本来の弱さを、恐さを、愚かさを、しょせん誰もが罪悪深重の凡夫に過ぎないということなのだろう。 また、一方で、これは何も「戦争」という特殊な状態だけではなく、一見平和な世の中であっても人間の根幹に関わることだけに、常に似たようなことが行われる恐れがあるいうことでもあるのだろう。

 14人の語り部たちから、ただ自戒をこめて「人間」というものを再認識させられたようだ。





監督は言う、
 この映画を見て、「これでもか、これでもかの残虐な話に不快になった。今更自分の国の過去の恥部を暴いて何になるんだ」と言う人がいた。
 しかし、この映画は歴史の、人間の真実である。私たちは未来のために、戦争の実態、組織の歯車となった人間の狂気と弱さ(これは平和な現在にも存在する)を知らねばならない。
 残虐な加害者たちは、戦争に行く前はごく普通の平凡な人たちであった。彼らは私であり、貴方でもある。残虐だからといって、目をそむけたり、隠したりする態度こそが不快であり、恐ろしいことなのだ。それは再び同じ過ちを繰り返すことに繋がる。
 知らないこと、知ろうとしないことは罪悪である。
 私たちの未来のために、貴重な加害の証言を記録することを承諾してくださった十四人の方々の勇気に、深く感謝いたします。

プロデューサーは言う、
 この映画の製作意図は、戦争犯罪者を糾弾するものでも、また間違って証言者の勇気を讃えるものでもありません。あくまでも、日中十五年戦争の中でおきた事実の記録です。
 終戦から五六年が経った今、その体験すら語れる人がいなくなりつつあります。不幸にして私たちは加害者側の国民として生きているのですが、だからといって、この事実を見過ごすことはできません。加害、被害の立場を越えて、戦争が人間に及ぼす悪魔性を知ることに、この映画が重要性があります。生命体である人間の記憶は、時に待ってはくれません。しかし、フィルムとして記録されたものは、戦争を知らない若い世代にも伝えていくことのできる新たな生命として生き続けます。この映画は、新しい時代の創造に活かされることを願って製作されました。
                                   (パンフレット3頁)


 そのような言葉が示されると、取り留めもなく映画館でのことが思い出されてくる。
 わたしの前に座っていた、見たところ80歳前後の白髪のお年寄りが、映画の途中で席を立った。長時間座ることに疲れを感じたのか、別の席へ移ったのか、はたまたトイレなのか、あるいは正視できずいたたまれなくなったのか知る由もない。でもスクリーンの中で語るお爺さんの言葉に彼はどんな思いを持ったのだろう。プロデューサーの切なる願いが叶うことを思うものの、今途中退席がとても印象に残っている。
 さらに高校生や大学生などの若い人たちは、語り部たちの話を聞いてどんな感想を持つのだろうか。当然教育上バランス感覚は必要なものの、学校教材の一部としてでも使われれば、もっと「事実の記録」が活かされると思うのは少数派ではないと信ずる。

 月並みながら、映画から事実と向き合うことの大切さというお土産をもらった感じがして映画館をあとにした。




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