2002年3月9日
様々な人たちがいると知ってはいるのですが、時折日本の大手新聞による分析記事を眼にしてきたこともあってか、90年代半ば以降から中国マスコミ等による日本への批判キャンペーンが増大していると薄々感じていました。そうこうしていると、各種サイトをネットサーフィンする人たちの間からもインターネットの「論壇」――中国サイト上にある匿名性の高い書き込み投書欄――では過激な日本叩きが横行しているといった声を聞くようになりました。
ちょうどそういう時、あるところで、ここまで書いて本当に大丈夫と思ってしまうような本と出会ったのです。石平著の『なぜ中国人は日本人を憎むのか』(PHP研究所:2002年1月出版)という、長年日本に住む中国人の手による、中国人の「日本憎悪」を分析している本です。
日中間の関係について、去年から今年にかけて問題点を挙げて前向きに考えましょうという日本人の意見が示されていた(ここ)のですが、今度は偶然にも時を置かず、中国人自身が中国人の心理を主観的・感情的にならず極めて冷静に分析している見解が出てきました。
著者は、インターネット上の各種「論壇」・日本に関する出版物・新聞記事の分析と、早大助教授劉傑氏の『中国人の歴史観』(文藝春秋社:1999年12月出版)の指摘とを照らし合わせて、次のような結論を導いています。
中国特有の状況下において、統一された主題と台本に基づき、中国国民の意思形成にもっとも大きな影響力を持つ学界(専門家)とマスメディアが、それぞれの役割分担を組み合わせた共同作業により、現在における平和隣国日本という国の実体とは無関係に、「軍国主義日本」を主軸とする「日本悪魔像」という虚像をつくりあげて、それを中国の多くの国民に植えつけて浸透させたのである。その結果、この虚像としての「日本悪魔」に対して、「日本憎悪」という激しい憎しみの感情が多くの国民に生み出されて煽り立てられているのである。それこそ、この書物において探求してきた、「日本憎悪」という狂気を生み出す真の原因とそのメカニズムである。
(本書195頁:原文段落分け)
と。これは日本での日本語による出版だからこのように書けることであって本国ではぜったいに書けないことでしょう。ここまで言って、帰国しても大丈夫という気持ちになるほど、一石を投じる内容だと思われます。さらにその分析した「憎悪」の背後にある理由として、著者は苦慮の末、「あとがき」の中で答えを見い出しています。長い長い引用となりますが、次のように真摯に語っています。
中国においては、改革・開放政策の実施以来、市場経済原理の導入や外来思想と文化からの衝撃によって、共産主義的理念と道徳が徐々に廃れていく一方、社会全体がかつて経験したことのない混乱と秩序崩壊の危機に直面している。
こうしたなかで、死の床にある共産主義のイデオロギーにとってかわって、十三億の民を束ねていけるだけの神話を新たにつくり出さなければならない立場にある共産党政府が、いわば国民統合の新しい理念として打ち出したのは、ほかならぬ愛国主義という名のナショナリズムであった。
政府のコントロール下のメディアによる宣伝・教育活動を通じて浸透させた結果、国民におけるナショナリズムの意識と感情が急速に高まってきたが、そのなかで、共産党政権自身もこの愛国主義を自らの一枚看板に仕立てることによって、共産主義の崩壊と共に揺らいできた自らの正当性の根拠づけと政権基盤を強化することができた、ということである。
そして国民のナショナリズム意識と感情を人為的に盛り上げるためには、「外敵」というものの存在がどうしても欠かせない装置となる。今度の同時多発テロ事件において、テロという外敵の攻撃によってアメリカ国民の愛国心が一気に高まったことがその一つの好例であるが、中国の「伝統」においても、「愛国」は常に「攘夷」と共に語られてきた。
しかし、現実に起きたアメリカのテロ事件と違って、現在の中国にはすぐにでも攻めてくるだろうという外敵がどこにも存在していない。そうであれば、いわば「仮想の外敵」をつくり出すしかないのである。
こうなると、中国を侵略したという「前科」があり、しかも中国に近隣する経済大国として一定の実力を備えている日本こそ、「仮想の外敵」のもっとも理想的な候補となる宿命にあるのかもしれない。
とくに、かつての抗日戦争において日本軍と闘い抜いた輝かしい経歴を持つ中国共産党にとって、こうした歴史への記憶を喚起させるだけでも、政権基盤の強化につながる点も無視できない。
もちろん、中国政府も日中関係の大事さを理解しているはずだし、外交上において日本をほんとうの外敵として捉えているわけでもない。経済交流を含めて日本との安定した関係を保っていきたいのがむしろその本音であろう。
しかし、こうした現実の日中関係とは無関係に、ナショナリズムというイデオロギーの樹立という中国国内の内政上の理由により、日本という「仮想の外敵」をどうしても必要とし、その場合、日本という国の実体とは無関係に、むしろつくりあげられた「悪」としての日本のイメージが、中国国民における「愛国攘夷」的な意識や気分を刺激し高揚させるための、一つの象徴的な符号として利用されているのではなかろうかと思われる。
つまり、中国における「愛国主義精神高揚運動」の展開という全体背景のなかで、その運動展開の道具あるいは副産物として、まさに一つの符号である「日本悪魔像」がつくりあげられ、国民の敵愾心と憎しみ感情が煽り立てられて、それに向けさせられた、ということである。
それがすなわち、「日本憎悪」というものである。
(本書201頁〜203頁)
偶然にも大手新聞の分析記事等と概ね軌を一にするこのような著者の答えに対して、耳を傾けた上で、さらに著者の言葉を借りれば「健全な協調関係の構築と相互理解の増進」(本書205頁)をどう図るべきなのでしょう。こういう時に、ふっと思い起こされて来ることがあります。かつて中国古典学者の加持伸行氏が、長年本音で中国の人たちと交わってきた経験から語った「建前ではなくて本音で語り合う向き合う」という言葉でした。少なくとも著者の石平氏は、「脚下照顧」(足下の現実に目を向け明らかにする)という禅の言葉を大切にして、冷静な分析に基づいて直截に本音を述べています――なお今は「愛国主義精神高揚運動」の内容について執筆中だそうで、次作が待たれるところです――。
一人一人の日本人にいろいろな人がいるように一人一人の中国人にはいろいろな人がいるわけですが、中国人自身による総体としての心理の一分析となると、実にいろいろと考えさせられる一冊となります。取り敢えず、まだ実際に「論壇」や「出版物」「新聞記事」を見たことのない人には、著者の分析に必要な点から日本語に訳されて引用されているため、そこで何が語られていたのかを知る上でいい機会になるかも知れません。それから先はそれぞれの人がどう受け止め、どう考えるのかということになるのでしょう。