2002年6月19日
今年のゴールデンウイークに中国映画の梯子※をしたばかりだったけど、つい先頃また中国映画を見る機会がありました。劉恒原作『貧嘴張大民的幸福生活』(へらず口の男、張大民の幸せな生活)を映画化〔わたしは見ていないけど、テレビドラマ化もされていたそうです:先日CSで初めて見ました8月10日追記〕した楊亜州の初監督作品『没事偸着樂』(『しあわせの場所』)という1本です。1999年の春節(旧正月)――この時期にはよく新作が公開されます――に上映され、何でも天津では同時期上映のアメリカ・ハリウッド映画『プライベート・ライアン』を凌ぐほどの人気を博したそうです。
偶然映画サービスデーだったので中国ものを見ようと足を運んだわけで、単純に邦題『しあわせの場所』という言葉に惹かれたとも言えるし、人気の高いコメディアンで軽妙洒脱さぶりが好きな俳優・馮鞏主演――彼の他の主演作品『青島アパートの夏』や『張り込み』もよかったですね――だからとも言えます。主演の馮鞏は、この映画で1998年度中国金鶏賞最優秀主演男優賞を受賞したそうです。
話は都市再開発が進む天津のとある胡同に住むある人々に巻き起こる「住宅」「家族」の問題やら日常生活の様々な事柄を取り上げた物語となっています。だからこそ中国人にとっては今日の中国都市部が抱える身近な話題がテーマになっていることもあって親近感が湧き大いにヒットしたのでしょう。しかし、だからと言って中国人だけに分かるテーマを扱っているとは思えず、むしろ庶民を庶民の視線でこまごまと描いているため、外国人にとって国情は違えどかえって自分も同じ市井に生きる一庶民として共感できる部分があり、主人公たちを後押ししたくなる気分になりました。自分自身は決して主人公の張大民(馮鞏)ほど減らず口をたたけるわけじゃないにしても………――自分にも思い当たる節があるんだけど、どんなにちっちゃなことであっても当人にとっては大きなことなんですよね――。
魔法瓶工場勤務の張大民と母親・妹弟たち一家6人は、隣家の間近にせまる共同トイレの胡同暮らし。機関銃のように矢継ぎ早にポンポンと言葉が繰り出される大民――さすが相声の馮鞏――の日常は、「憎めない減らず口」の形容がよく似合う。失恋した隣家の幼馴染み雲芳(鄭衛莉)を慰めている間に心を解された彼女に急に結婚を申し込まれる――ここらへんの女心がいまいち分からないんだけど、これだけでもそんなのあり?とちょっと笑えるシチュエーション――。大民は狭い二間の我が家で新婚さんがどう住むかで考え込み、家族会議でその巧みな話術を駆使して奥の一間を確保。しかし結婚も束の間、弟の三民(気殻)が今度は結婚すると言い出しダブルベッドも購入済みと言う、ここでまたまた考え込み、結果奥の一間を仕切り二組の夫婦が住まうこととなる。三民の披露宴で隣近所が祝う中、末弟の五民(姜峰)が酒の力を借りて「蟻の巣から逃れたい」と愚痴り出す。ここまで来ると、決して広くもない物置小屋のような自分の家のことが想い起こされてきて、身につまされる感が大いにありと言うところ。しかもひょっとして自分もああいう風に酔態を晒すんじゃないかと……。――その後五民は二間8人暮らしとなる我が家を避け西安の大学に行ってしまう――
やがて弟夫婦の声が気になり出し兄弟喧嘩――よく分からないけど、それはそれで問題なんだろうなぁ。でもその弟も妻のコネで引っ越して行き、そうこうしているうちに妻の雲芳が妊娠して、またまた部屋の問題で頭を悩ませ始め、とうとう中庭を潰して一間を設けようとする。でも道が狭まるやら木を切るの切らないのやらとお隣さんと一悶着あり、結果的に部屋の真ん中に木を残しながら一間の完成とあいなるものの妻の出産後の授乳待遇――いい物を食べさせる辺りから口五月蠅い二民(丁嘉莉)と兄妹喧嘩。その二民は天津へ出稼ぎに来ていた山西省の農民李木勺(李g)とさっさと結婚してしまい家を出、家を出たかと思うと子供が出来ず夫婦喧嘩で殴られたと言い戻って来る始末。迎えに来た夫木勺にここでも大民が世話を焼き子作りの仙薬(そんなもの有るのかな?)を持たせて、結果妊娠したと夫婦揃っての挨拶。。。。。
それまでの6人二間が今では母親(李明啓)、大民家族、四民(肖輝)の5人三間となり、次は看護婦の四民の番と思う矢先、あっという間に病気で四民が亡くなってしまう。狭いながらも大家族で住んでいた胡同から新しい住宅に引越し完全に「住宅」問題は解決したけど、もう妹弟は誰一人いない。
最後に親子三代5人が公園に遊びに行った帰り、草に覆われた線路を歩いていく後ろ姿がとても印象的でした。その線路を歩く画面に載せて「たくさんの幸せに出会おう。そしてこっそり笑うんだ」と子供に語りかける大民、ひょっとして「しあわせの場所」(邦題)ってそういうことなのかと思えてきた一瞬でした。――そういう意味では邦題の付け方が上手い――
『洗澡』(『こころの湯』)と同じようにまごうことなくそこには都市庶民のこまごまとした日常生活の描写――しかも都市再開発による今までの地域の絆の失われていく相までも――がありました。単なる「家族愛」という言葉では薄っぺらくなってしまい、単なる「都市問題」と言えば手から擦り抜けていく何かが多過ぎるようです。かつて(今も?)日本の市井でも繰り広げられていたであろうちょっとした日常を、隠し味的な面白味を付け加えて、さらりと見せてくれました。それは小さな事柄に夢中になれた、小さな喜びに夢中になれた、そういう人たちの淡々とした、しかし地に足をつけた確かさのあるその積み重ねを、まるでパステル調の色彩絵の具によって描いていったような映画でした。決して大作ではないし、派手さもないけど、今思うと心に沁みる一篇でした。
言い過ぎかも知れませんが、少しだけほんの少しだけ小津安二郎風の雰囲気を感じさせる気がしました(ん〜、やはり言い過ぎでした)。