11 那山 那人 那狗

                           2001年7月12日(14日補筆)



 その週の金曜日で上映終了〔後日、映画館が替わって上映を続けると分かる〕という間際も間際に、ようやく霍建起監督作品『山の郵便配達』を見た。既に日本に来る前に、中国では1999年金鶏賞(アカデミー賞に相当)の作品賞と主演男優賞(父親役の滕如駿)を、カナダでは同年モントリオール世界映画祭で観客賞を、インドでは2000年インド国際映画祭で銀孔雀賞(審査員大賞)を受賞している映画だった。どうやら好評をもって迎えられている映画ということだ。しかも彼の監督作品の大半を受け持っている奥さんの思燕が脚本を担当しているというまさに夫婦二人三脚の仕事。


 そのようなチラシなどからの予備知識を持ったまま映画を見た。見終わって、感動と言うには烏滸がましいがまず爽快感を感じた。それは山間部120kmを二泊三日かけた徒歩による郵便配達という単純かつ苛酷な労働、その労働を通した父親と息子との親子の絆の再確認が綴られているからだろうか。
 ある種、理想的な形で素朴に親子関係の再構築が語られている。21世紀初頭の現代だからこそ、それは観客にとって有意義に作用しているのだろう。自分の労働に誇りを持つ父親と、一緒に行動する息子の気持ちの変化に、おそらく映画の尺の中での至福の一時を感じたからかも知れない。それには偶々、隣りの席に親子が一緒に見に来ていたことも大いに影響していた。


 だが、それよりも強く自分の心を占有する思いがあった。どこかで異口同音に見た人たちが語っていたように、わたしも思った。「何か懐かしい映画だ」と。どうやらそれはそこに映し出される風景の一齣一齣に、故郷として実体験しないにもかかわらず言いしれぬ郷愁を覚えるためのようだった。そういうものは真の郷愁とは言わないかもしれないけど、懐かしいのは事実だった。今まで暮らしてきた中での様々な映像記憶等の蓄積が、今目の前で繰り広げられている映画への認識に際しそのような感情を呼び起こしていると、一応の自己説明には理解できるが、それでもなお、意識するしないは別として、モンスーン気候の照葉樹林帯に暮らす者が持つであろうと想像される原初的風景への賛美のようなものが少なくとも自分の心の奥にあるという気がする。自然への憧憬がそうさせているのだろうか。単なる都市生活者の思い上がりか。
 ちょうど撮影時期が夏の息吹を感じる7月下旬から8月ということもあり、また湖南省の山間部を舞台にしているだけあって、小さな千枚田から割と大きめの田までと様々な形の田圃に青々としてすっくと育つ稲、山々の樹木と実に鮮やかな緑が眩しいくらいだった。田圃、畑、畦道、清流、水車(日本のものとは形・大きさが異なるけど大した違和感はなかった)、切り株、梢を渡る風、山越に見る雲とどれをとってもかつて見たような懐かしい気持ちになる。大木康氏は「原点の風景」で、

  山の奥深くに点在する村々を歩いて回りながら、郵便物を配達してゆく、ひ
  と昔もふた昔も前の光景、物を運び届けることの原点にある光景、そして
  この地味な職務に忠実な昔かたぎの父親、機械化合理化の一方で忘れ去
  られてゆく手作業のあたたかさ、人と人との心のふれあいが、懐かしさを
  思い起こさせたにちがいない。…………湖南省西部を舞台とするこの映
  画の、木々におおわれた山(実際には伐採されて畑になっている場所が
  多いのだが)の風景。このような、おそらく日本ではよく見られる(見られた
  )何でもない風景が、われわれに懐かしい気持ちを起こさせるのだろう。
                                 (パンフレット10頁)

と解説する。確かにそういうことはあるだろう。戦後の復興・高度経済成長・長期不況の半世紀を経て、昨今変わってきたとはいえそれでも日本の自然環境と多くの面で共通性があったためにわたしたちにとってはごく自然と上記のような感想を抱くであろうし、年代・地域によって異なるもののこの半世紀を支えてきた上の世代にはもっと懐かしいのではないだろうか。そのような光景を生地として、その上に親子・夫婦・辺境地の人々との触れ合いが巧みに織り込まれている一枚の織物のようだ。
 時代設定が80年代初頭、まさに改革開放がスタートし沿海部が変わり始める矢先の内陸山間部での話だけに、その織物には併せて、その後の時代変化の予兆と共に反対に変化に取り残され変わらないままであろうという予感とが交錯していた。そんな映画だった。 




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