02−2  2002年9月 天水 

――麦藁――



今そこにあるもの
 今年は中国との国交正常化30周年の年にあたる。日中双方で「中国年」「日本年」と称して様々な催し物が一年に亘って繰り広げられている。北京では日中国交正常化調印式の日(だったかな?)天安門広場に日本人5000人(一説には10000人とも言うらしい)の人々を集めて盛大な記念式典が予定されていると聞いた――追記:9月22日付けの新聞によると、13000人の日本人観光客が集まり、21日人民大会堂の大宴会場にはその内6000人の日本人を集めてレセプションが開かれたそうだ。このことだったのかな?――。個人的にはそんなこととは何の関わりもなく――30周年という節目にあたり名実共に友好な関係であって欲しいと願うのは言うまでもないが……――、今中国へ向かう機上にある。

 関空から中国への直行便が大幅に増え便利になってきたなぁと思っていたが、成田への飛行機のシフトが進みつつあって、今じゃ毎日出ている北京・上海・香港・広州以外には僅かに経由便を含めて週1〜3便の天津・沈陽・大連・青島・成都くらいになってしまった。開港当初アジアのハブ空港を目指すなんて威勢のいいことを言っていたのが、今では「ハブ」の「ハ」の字も聞かなくなりこれまた隔世の感。それでも同じ他の地方空港に比べればまだまだ多いほうだし、開港以前のことを思えば贅沢は言っちゃいけないか。

 そんな愚にも付かないことを思いながらふと辺りを見回すとやけに2人連れの女の子の旅行者が多いなあという印象―(9月の方が飛行機代等々前の月より遙かに安いのを有効利用する旅通か?)―を持ちつつ何時の間にやら中国に入っていた。




悠久の信仰
 まだ夏の暑さが残るある日、乗り継いで西安 (咸陽空港) に降り立っていた。昨年見た空港ターミナル工事は順調に進んでいるようで、1〜2年以内にはすっかり新しい空港に生まれ変わっていることだろう、と思う。

 西安で一泊して翌朝バスで約470km先の甘粛省の天水まで移動する。天水は甘粛省内にあっても気候温暖・風光明媚な場所で長江下流域の江南に準えて「小江南」とも言われている。陝西省内の宝鶏までは高速公路が通っていて、そこからちょっと先の天水までは合計5時間以上かかる。天水に行く途中で、西安から西へ約100kmほどの宝鶏市の扶風県にある仏舎利で有名な法門寺――1987年倒壊しかけの塔から釈尊の指の骨が見つかった――に立ち寄った。ここは個人的には以前に何回か訪れているところだったが、今回はある人たちが某先生の書簡を届けるという用事があったためだ。

 「何やこれ、この牌楼」、牌楼 (装飾・記念用門) とそこから延びる道の両側にはどこの観光地でも見かける品物を売ってる露店、露店、露店。露店の奥には街路樹、街路樹の向こう側には扉の閉じられた古代建築風 (恐らく文房四宝とか掛け軸とか書画の土産物店になるんだろう) の建物群。みんな異口同音に「去年 (or一昨年) こんなん無かったで〜」。ある人たちもわたしも初めて見る存在に少し記憶が混乱。だが、法門寺前の広場に立ってみて分かった。そう言えば、前からそんな道と建物群あったなぁ。あの時はまだ露店がなかっただけだったと………。それに以前は法門寺前に直にバス (or車) が着いたが、今は降りる場所が変わっただけだとも(観光地整備の一環としてのお店とそれを見せるためなんだろうとみなで得心がいった)。

 ただ渡すだけだそうで前もってアポを取っていたわけではなかった。偶然というか、案の定というかトップの人は出張中だった。だがトップの人が不在にも関わらず前日の電話のお陰でというか、その書簡のお陰でというか (この場にいない某先生のお陰でなのでしょう) 全く関係のないわたしも思わぬ歓待を受けることとなった (別に食事をご馳走になったというわけではない)。真身宝塔―かつての倒壊しかけた塔:今では立派に再建されている―地下の仏舎利や博物館等は誰でも入場すれば自由に参観できるのだけど (もちろん門票はいるけど)、まるで銀行の金庫のような丸くて厚くて重い鉄(ジュラルミンかな?)の扉の奥にしまわれ普段は絶対に見せてもらえない博物館地下に眠る幾つかの出土品を見せていただくことができた――写真だけは博物館に展示されている――。地下にあっても照明の光による劣化を防ぐため黒い布で覆われている。その黒い布がすっと捲られ、ほんの僅かの間その姿を見せてくれた。そのうちの一見何の変哲もない布きれの一つは――仏舎利を収めた函内のもの――今でもその緻密な仕事ぶりがよ〜く分かるほどの鮮やかな色彩を保ち、どうしてどうしてとても千数百年前のものとは思えないほど綺麗だった。僅か十センチ足らずの四角い布の切れっ端ではあるけど、まさに正倉院の御物に匹敵するほどの貴重さと美しさを兼ね備えたものだった。すべての展示館とその地下の宝物など見せてもらい思わぬ時間を費やしてしまったが、結果的には嬉しい誤算と言える――この後の行程が若干辛くなるだけだけど、まあ大したことはない――。


 陝西省の道路は比較的整備されつつあってバスの跳ね具合が少ないけど、甘粛省に入った途端急にでこぼこが多くなってバスの跳ね具合いも多い多い。今こちらでは道路整備に力を入れ初めているそうで、舗装の仕直しもあちこちで見かけられた。蘭州方面行きの鉄道も複線化だろうかスピードアップ化だろうか渭河に沿って至るところ橋脚やらトンネルやらの工事が進んでいる。あとは橋を架けるだけのようで、こちらも数年以内に完成するのだろう、多分。
 傍晩近くに天水に到着した。ここの宿は市街地から少し離れたところにあるので、外には別に夜店等の楽しいところがないのが残念。翌朝、天水から東南へ凡そ45km先にある麦積山石窟に向かった。ちょうど観光地の整備が進みつつあるみたいで、途中までの道路は新たに作られ割合に舗装も行き届いているようだった―麦積山石窟以外これといったものがないから当然これを飯の種にしようちゅうのは分かる気がする―。
 ちょっど藁塚のように麦藁を積み重ねた形をしているために麦積山と言われ、大同の云崗石窟・洛陽の龍門石窟・敦煌の莫高窟と合わせて中国四大石窟の一つと呼ばれている (以前までは云崗・龍門・敦煌で三大石窟と言われるのはよく聞いていたが)。その麦積山の壁画塑像調査・研究というか石窟見物・参観というか仏跡参拝・巡拝というか、各々がそれぞれの目的(ひょっとしてな〜んの目的も無い人もいたかも知れないが、それはそれとして中国を体験するだけでも十分にいいのではないかと)をもって訪れた場所だった。まだこの場所には日本人は殆ど足を踏み入れていないと聞く。今まで僅か百数十人しか訪ねていないそうだ――誰が数えたのだろう。また千人に満たない割には掲載されているガイドブックはとても多い印象がある――。
 五胡十六国時代の後秦時代(384〜417)に創建され、爾来唐代まで開鑿が続き、宋代以降は専ら修復・再建が行われて清代まで続いたそうだ。主な担い手である専門の職工集団が石窟を開鑿し塑像を作成していったのであろうが、直接作った人・作らせた人、それに関連した大勢の人を含めて、すべてやり遂げていく基となったのが厳しい命令であったり報酬であったり名誉であったり、或いは具体的な現世利益であったり、はたまた崇高な信仰であったり、その幾つかの複合的な理由であったりしたことは容易に想像がつく。それにつけても様々に絡み合う縁(えにし)から作られ、さらに種々の縁が相まって今現在その姿を留めてわたしたちの前にある。山肌にへばりつくように桟道が何段も設えられ上へ下へと移動する、石窟やら仏龕やら燕の巣やら何やらと。。。一番高いところから約83m余、その景色は圧巻だった。創建から千五六百年余の間、世の中がすっかり変わっても変わらず(風化や破壊で変わってるやんとは言わないでよ)人々を慈しみ続けてきた仏たちにただただ畏敬の念を持って接していたわたしだった。




足(つぼ)マッサージ
 麦積山等々山々を昇ったり降りたり上がったり下がったりはたまた数ヶ寺へ行ったりで、かなり足に疲れが溜まっている模様(歳か?)。そこで西安を去る前の晩、9時前だったろうか大人数で夜ごはんのあと鐘楼近くの再開発されたレストラン・ショッピング街(鐘鼓楼広場)にあるマッサージ店(支店)に入った。しかしそれだけの客をこなすマッサージ員がいないということなので、店を出て本店に向かおうとした矢先、店を飛び出してきた店長が引き留めた―― 一度にこれだけのお客さんはおいしいに違いない――。そうこうして5人部屋に通されて、わたしにとっては足つぼマッサージ初体験となる。いや中国マッサージそのものが初体験だった。マッサージ員は全員女の子(これも初めて知ること:ただ女性客には男性マッサージ員が当たっていた)だが、他の人たちにはさっさっと担当が決まりやって来るのに、端っこに陣取っているわけじゃないのに何故かわたしだけ最後まで放っておかれて、まるで「避けられてるのるの?」と思っていると、とうとう最後に来たのはどう見ても見習い風の人だった。で、一応出身を聞いてみると西安と言っていたが、どう見ても田舎から出てきたと思われる20歳前後の娘たちだった。みんなを代表して名前と歳を聞いてくれとリクエストされたが、そんな「こっ恥ずかしい」ことはできないので、にべもなく断ったことはしっかり記しておこう。
 身体を横たえ、そばにはお茶と雑誌(ただし2〜3年前のものやないか、おいおいおい)のサービス。まず薬湯――お茶パックのようなものに刻まれた薬草が入っている――に足首までつけ、足を揉みし出したあとおもむろに下肢をマッサージし始めた。指先から腿まで緩急をつけ、叩いたり揉んだりと、或いは木槌を使ってと、その規則正しい音と共に次第に心地よくなってきてとうとう鼾をかくを人も出てくる。当初一時間半の予定が、店側の好意で二時間に及ぶマッサージとなった。再び薬湯に足をつけ、最後に肩・腕のマッサージで終了となる。

 一言感想を述べれば、足の疲れがとれたかと言えばどちらかと言えばとれ、気持ちよかったと言えばどちらかと言えば気持ちよかった。ただ、ただ惜しむらくは、わたしの担当の人がどう考えても実習生風なので、段取り等で周りを気にして周りの人と早くなったり遅れたりと少しズレていたこと――心地よいリズムが室内に十分満ちることが少ないが、まあこれは別段どうでもいいでしょう――と必ずしもマッサージが効いていないところもあったと言うか少々痛いところもあったというか、全面的な心地よさではなかった――こちらが大事なんです――。
 でも、これに懲りて嫌になったとか言うことはなく、機会があればまた中国マッサージは受けてみたい。今度は年齢のことはいいからせめて熟練した人にお願いしたいものだ。――もちろん今回誰も年齢をリクエストなんかしていないよ――。それこそ中国マッサージの醍醐味を体験できるのではないかと、密かに思っている。

 鐘鼓楼広場にはそこかしこに夕涼みの老人―(何故か孫を連れた人もいた)―や抱き合う若いカップルたちの姿、何をするでもない若者風の人々や茣蓙を敷きその場で寝ている人々、いろいろなことをしているいろいろな人たちを夜がすっぽり包み込みながら、もうまもなく日付が変わる。




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