委員長に続きあかりとも肝試しに行き、ホテルに戻ったその晩。
俺は、眠れなかった。
同室の他のやつらは、修学旅行初日の晩は興奮で眠れなかったみたいだが、さすがに3日目の晩ともなると疲れが溜まっているようで、消灯時間早々に部屋じゅうにいびきが響いている。
俺は部屋を静かに抜け出し、昨夜レミィと会った中庭へやって来て、星空を見上げていた。
「ふう……」
溜息をひとつ。
肝試しの時のあかりの力無い様子が、頭から離れない。あかりはつとめて冷静に振舞ってはいたが、やはり元気はなかった。あまり盛り上がらないうちに、肝試しコースは終わってしまった。
別れ際に、あかりに質問を受けた。
『保科さん、髪解いてたけど……何かあったの?』
その質問にあかりの、いつもとは微妙に異なる気遣いが感じられて、俺はやや動揺した。
『いや、何もなかったぜ』
『ホント?』
『……少なくとも俺は何もしてない。信じられねーか?』
卑怯な言い方だと、自分でも思う。しかし後ろめたさからか、俺は他の言い方を思いつけなかった。
『ううん、そんなことないよ。信じてる、浩之ちゃんのこと』
もちろんあかりは、それ以上俺の言葉を疑う言葉は口にしなかった。
しかし……。
「……俺は本当に、あかりを幸せにしてやれるんだろうか」
そんな言葉がふと口をついて出て、満天の星空に吸い込まれていく。
2日連続、あかり以外の女の子から告白された。俺はもちろんそれを拒んだ。あかりを悲しませるようなことはしたくなかったからだ。
だから許される、というわけじゃないと思う。
告白されるような隙が、俺にあったということだから。
もちろん俺は、レミィや委員長にモーションをかけたつもりは無い。相手が男であれ女であれ、困っているやつは助けてやるし、悲しんでいるやつは慰めてやる。それが俺のやり方だ。
お節介だと言われたこともあるが、俺には他のやり方なんて思いつかないし、あかりも俺のそういうところを好きになってくれたんだと思う。
でもそれがあかりを傷つけるなら……。
「……ふう」
俺は頭を軽く振った。自分の考えが堂々廻りになっているように思った。
ふと、夜空を見上げる。吸い込まれそうな星空だ。
そういえば、あかりと結ばれたあの夜、二人でベッドから見た星空も、こんな澄んだ空だった。
……そうだ。
あのとき俺は何を学んだのか。
俺があかりの気持ちに応えられなかったあの日々。
苦しかった。
辛かった。
そして、後悔した。
それを思い出したとき、一つの考えが俺の中で形を定め始める。
「そうか、簡単なことだったんだ」
俺は答えを見つけた、ような気がした。
「おい、あかり、デートに行くぞ」
次の朝、あかりに会って開口一番、俺はそう告げた。
「え?」
「デートだよ、デート。二人だけで、な」
俺はあかりの肩に手を置いた。
「え? え? でも、今日だって班別行動だよ?」
「いーんだよ、んなもん。雅史には話通してあるから、あいつがうまくやってくれるって」
「でも……」
案の定、あかりは戸惑っている。そこで俺は、わざと不機嫌そうな表情を作って見せた。
「……嫌か?」
するとあかりは、ちょっと考え込んだが、すぐにいつもの笑顔になった。
「ううん、嫌じゃないよ」
「じゃ、行くか?」
「うん!」
その笑顔は、この修学旅行で一番のものだった。
俺達は二人きりで、いろいろな場所を見て回った。うちの学校の生徒に見つかるとまずいので、観光名所は避け、ありきたりの自然公園や牧場を歩いた。
あかりは常にニコニコとして、歩きながらそっと手をつないだり、肩を触れ合わせたりしてきた。
「楽しいか、あかり?」
聞かなくても分かることだが、微笑ましいあかりの様子を見ていると、ついそう聞かずにはいられない。
「うん、楽しいよ、浩之ちゃん!」
いつもの柔らかい微笑ではなく、珍しくやや興奮した調子で、あかりは答えた。
そして俺達は、牧場の売店で弁当を買い、芝生に座って食べることにした。
「いい天気だなー」
「そうだねー」
俺は芝生に腰掛けて、ひとつ伸びをする。そんな俺を見て、あかりはくすっと笑った。
「な、なんだよ、あかり。何かおかしかったか?」
「ううん、そうじゃないの」
そう言うと、あかりの眼差しがやや真剣な光を帯びた。
「今朝の浩之ちゃん、何かちょっと変だったから……どうかしたのかなって思ってたんだけど、今の、いつもの浩之ちゃんだったから……」
「……」
「修学旅行中に二人でデートなんて、わたしびっくりしたんだからね?」
あかりはそう言うと、いつもの笑顔に戻った。あかりの手は弁当の包装を解こうとし始めたが、俺の言葉でその動きは止まった。
「お前も今朝変だったぜ、あかり」
「えっ、わたし?」
「おう、お前が決まりを破ってまで俺の言うことを聞くなんて、そうそうないだろ?」
あかりは確かに俺の頼みなら何でも聞いてしまうようなところがあるが、いざという時俺にブレーキをかけるのもまた、あかりだった。いつもは妹分のくせに、そういう時だけ母親ぶるのである。
「あかりはいい子ぶりっこだからなー」
「……」
「で、だ」
俺は本題に入った。
「何で俺がいきなりデートって言い出したか、気になってるだろ?」
「……うん、もちろん」
「そーだろーな、しかも気になってるくせに無理に聞き出そうとしないのもお前らしいよな」
「……うん」
「お互い付き合い長いとよ、そういうとこまで分かっちまうよなあ」
「……うん」
「そうするとあかり、お前、何で俺が今日デートって言い出したかも、何となくわかってんじゃねーの?」
「……」
今度は返答が無かった。
俺もそれ以上言葉を続けず、時間が流れるに任せた。
それはお互いの気持ちを確認する時間だった。ある程度気持ちを整理して、言葉を準備してきた俺に比べ、あかりにはもう少し時間が必要だろうと思ったから、俺はあかりの言葉を待った。
そしてそれは、意外に早く返ってきた。
言葉の中身も意外だった。
「分からない」
「へ?」
俺は予想外の返答に戸惑って、間の抜けた声をあげてしまった。
「分からないよ、浩之ちゃん。だってわたし、エスパーじゃないもん。他人の気持ちなんて、読めないよ」
「……」
「だから……」
あかりは俺の目をまっすぐに見詰めた。
「浩之ちゃんの言葉でちゃんと言って欲しい。どうしてなのか」
その台詞で、俺にはあかりの本当の気持ちが伝わってきた。
……あかりだってこの数日、何か変化を感じ取っていただろう。昨日の委員長の行動といい、その前夜の俺の行動といい、不審に思わない方がどうかしている。
それでも、あかりは俺を信じてくれていたのだ。
だから次は、俺があかりに応える番だ。
あかりの瞳は、それを求めているような気がした。
「……あかり」
「うん?」
「あのな」
「うん」
「俺、昨日委員長に抱きつかれた」
「えっ!」
「肝試しの時、森の中で、コース外れて……」
「……」
「それからその前の夜、レミィにキスされた」
「ええっ!?」
「レミィは実は、俺がお前に会う前の初恋の相手でな……」
それから俺は、高校でレミィに再会するまでの顛末をひととおり説明した。
「はあ……」
あかりは溜息をついた。まあそれ意外に、反応の返しようもなかったろうが。
「ま、そういうことだったわけだ。でな……?」
俺は声をややひそめた。
「俺、どうしたらいいと思う?」
……昨日の晩、俺が考えて出した結論。
それがこれだった。
すなわち、あかりと二人で話をすること。
あかりに相談を持ち掛けること。
あかりと付き合い始める前まで、俺にとってあかりは、守ってやる対象だった。あかりに相談するなんてことは、考えもしなかった。
しかし今のあかりは、俺のかけがえのない恋人なのだ。俺のプライドなんてどうでもいい。俺はあかりに秘密を持ちたくなかった。
そして何より、二人で話せば怖い物など何もないことを、あの日に思い知らされたから。
あかりは俺の心の奥まで、分かってくれているから。
「どうしたらって?」
「……わかってるだろ?」
俺はこのときあかりから、ある言葉が出るのを期待していた。
あかりは俺があかり以外の女の子に乗りかえるなどとは、つゆほども思っていないに違いない。
もちろん俺にもその意志はない。
そしてあかりは、俺の期待していた答えを返してくれた。
「……浩之ちゃんは、浩之ちゃんのままでいいと思うよ」
やっぱりあかりは、分かっていてくれた。
「あかり……!」
俺はあかりをぎゅっと抱きしめた。
あかりも抱き返してきた。
「浩之ちゃんは優しくて、だからこれからもいろんな人に好かれると思う。だからってわたし、やきもち焼いたりしないよ?」
「……そうか」
「時々こうして抱きしめてくれたら、それで十分」
「……すまねえな」
俺は不覚にも胸がいっぱいになり、それしか言えなかった。
「どうして謝るの?」
あかりは体を離して、俺の顔を見て微笑んだ。
「そんな浩之ちゃんを、わたしは好きになったんだから」
「あかり……」
俺は再びあかりを抱きしめて、唇をそっと重ねた。
こんな幸せなやつは、世界じゅう探したっていやしない。
こんなに俺のことを思ってくれるやつもいやしない。
俺はその幸せを、今十分にかみしめていた。
ホテルに戻った俺達を待っていたのは、委員長とレミィの冷やかしだった。
「まーったく、二人で愛の逃避行なんて、藤田くんも存外よくやるなー?」
「ホーント、アタシ達も連れてってほしかったヨ」
二人ともそのくらいの台詞で、俺達の勝手な行動を許してくれた。
……正直言って、ホテルに戻るまで俺はちょっと不安だったのだ。
俺みたいなやつに好意を寄せてくれて、しかもそれをはっきり俺に伝えてくれた二人。
その二人を置き去りにして、俺はあかりと二人でデートに行った。
二人に泣かれるんじゃないか。あるいは怒りをぶつけられるんじゃないか。
そして何より、あかりがつらい思いをするんじゃないか。
しかしそれは杞憂だったようだ。
俺の後ろにいたあかりが、ふと前に出る。
「ごめんね、二人とも。今度は一緒に行こうね」
あかりは微笑んだ。そして、
「……わたしが、浩之ちゃんに頼んだの。レミィや保科さんともデートしたみたいだから、わたしともして、って」
突然そんなことを言った。
俺も含めて、ちょっと驚く一同。それを尻目に、あかりは言葉を続ける。
「……保科さん」
「……なに?」
「浩之ちゃんのこと、好きよね?」
「えっ! まあ、その……うん」
委員長もあかりの真剣な様子に、思わず頷きを返していた。
「レミィも、好きよね?」
「Yes! だーいスキよ」
レミィはいつもの通り、屈託なくそう言ってのけた。
「そうよね……わたしも、浩之ちゃんが好き。もう十年以上も、ずーっと……」
当事者の俺を抜きにして、どんどん話は進んで行く。
「それで今日は、浩之ちゃんにも、わたしのことが好きって言って欲しくなっちゃったんだ。だから今日のことは、本当にごめんなさい!」
二人に頭を下げるあかり。
そんなあかりを、二人はやや呆然と見ていたが、
「神岸さん、強うなったなあ」
委員長がそんなことを言った。そして俺に向き直る。
「藤田くん」
「……ん?」
委員長はちょっとまなじりを吊り上げた。
「ちゃんと神岸さんに、『お前が一番好きだ』って言ってあげたんやろな?」
「!」
「神岸さん大事にせな、わたしが許さへんで」
「……」
そこでちょっと委員長の表情が緩む。
「ま、わたしが言わんでも大丈夫そうやけどな、さっきの神岸さんを見る限り」
「え?」
「あの神岸さんの自信に満ちた表情……あれが証拠や。ちゃんと応えてあげたんやろ? 神岸さんの思いに……」
「……」
ふと委員長から視線をそらすと、あかりもこっちを見ながら少し頬を染めている。
俺はあかりの目を見て言った。
「あかり」
「……何?」
ちょっと呼吸を整える。
「好きだ。世界じゅうで、誰よりも」
「……!」
あかりの顔が、今度こそ真っ赤になった。たぶん俺の顔も、似たようなものだろう。
「そういえばさっき、ちゃんと言わなかったような気がしてな。今さらだけどよ」
「ううん、そんなことない。嬉しい……嬉しいよ、浩之ちゃん」
あかりは涙ぐんだ。この世で一番美しい真珠が、あかりの頬から落ちた。
「ヒューヒュー、ヒロユキ、やるネー!」
「何や、まだ言ってへんかったん? しょうがない男やね……」
二人の言葉は俺への冷やかしと文句なのに、なぜか俺の耳には心地よく感じられた。
その日の放課後、俺はあかりと学校の屋上にいた。
夕焼けが綺麗だった。
あかりは俺の胸に体を預け、朱に染まる町並みを俺と共に見下ろしている。
「修学旅行……楽しかったね」
「そうだな。やっぱ北海道はいいよなー」
「うん」
「そうだ。なあ、撮った写真、現像出したか?」
「うん。昨日出しといた。もうできてると思う」
「よし。じゃあ、帰りにでも取りに行くか」
「うん」
あかりはこくんとうなずいた。
「浩之ちゃん、後半ふざけた写真ばっかりだよ」
そう、俺は修学旅行後半、必要以上にふざけて回った。
前半の息苦しさを払拭するように。
そして、あかりへの罪滅ぼしの為に……。
「私たちふたりのアルバム。いつもお互いが映っていたらいいな」
「……ったくう、なに言ってんだ、お前は。相変わらず恥ずかしいヤツだな」
「えへへ……」
照れ笑いするあかり。
あかりがこんなことを平気で口にするようになったのも、思えばあの日からのような気がする。
あの時委員長が言ったように、確かにあかりは強くなった。
その強さをもたらしたのが俺だということを、俺はほんの少し誇りに感じて。
そして、何よりも嬉しかった。
「……いつまでも……ずっと……一緒にいようね……」
そんなあかりの言葉に俺は、強くうなずいて応えた。
俺にとってあかりがかけがえのない存在であるように、あかりにとっても俺がかけがえの存在になっている。
それが確信できた時、心の中から不安は消え去っていた。
……俺はあかりを幸せにしてやれる。してみせる。
それは俺がこれからずっと抱えて生きていく、自信であり、誓いだった。
(第4話へ続く)