あかりと結ばれ、その後すぐに修学旅行。その北海道から帰って1ヶ月が過ぎた。
学校では人目が気になって、あかりとの接し方はあまり変化させなかったが、付き合いの長い雅史と志保にはしっかり見抜かれていた。
意外だったのは、この件に関して志保が大騒ぎしなかったことだ。いつもなら人のスキャンダルを掴もうものなら、次の日までには100人の人間にそれを伝えているあいつが……。
「いくらあたしだってねえ、親友のネタを売るわけにはいかないわよ」
「ほほう」
「あんたのためじゃなくて、あかりのためだからね、あ・く・ま・で。感謝しなさいよ?」
「へいへい」
志保はいつもより嬉しそうな口調でそう言った。
……あかりとの関係を、大きく前進させたこの春。
季節はいよいよ夏を迎えようとしていた……。
「おはようございます、浩之さん、あかりさん!」
「うぃーす、マルチ。今朝も熱心だな」
「マルチちゃん、おはようー」
このところ恒例になった、校門でのやり取り。
マルチはこの6月からうちの学校に編入してきたメイドロボだ。集団内での生活のシミュレーションをするのに学校は格好の場所だとかで、マルチは一学生として1年生のクラスで学んでいる。もっとも高1としてはかなり体が小さく、小学生にも見えるほどだ。
得意技は掃除。まあメイドロボなのだから当然なのだが、マルチはかなりおっちょこちょいで、他のことはあまり上手でない。
今日も今日とて、マルチは竹ぼうきを両腕に抱え、校門から昇降口にかけてをきれいにしている。
「今日も早いですねえー」
マルチもあかり同様、笑顔の似合うやつだ。
「早く起きねえとこいつがうるさくてよ、たまんねーぜ、全く」
俺はあごであかりを指しながら言った。
「浩之ちゃん、そんなこと言って……『マルチに会うためなら多少早起きしてもいいかな』なんて言ってたくせに」
「……本当ですか? 浩之さん、嬉しいですー」
「あかり、てめえ……それをここで言うか!?」
それはおとといの夜、一緒のベッドの上であかりに言った台詞だった。
「うふふっ」
あかりはいつもの微笑を返した。
こいつも、だいぶ手ごわくなってきたな……。
俺は苦笑するしかなかった。
マルチと出会ったのは、雨のしとしとと降る典型的な梅雨のある日のことだった。
放課後特に用事のなかった俺は、商店街の本屋にでも寄ろうかと、あかりと一緒に昇降口へ向かっていたのだが――。
途中の廊下に何人かの生徒がたむろしていた。上履きの色からして、全員1年生のようだ。
「おい、お前」
その中の一人が、妙な耳飾りをつけた女の子に高圧的な態度で話しかけていた。
「は、はい!? なんでしょう?」
「お前、メイドロボなんだろ?」
「はい、そうです」
「それなら、人間の代わりに働くのが仕事だよなー」
ニヤニヤしながらその男子生徒は言った。
「は、はい、そうですが……」
「じゃ、俺らの代わりにここの掃除頼むわ」
「メイドロボちゃんよろしくねー、アハハッ、ラッキー」
別の女子生徒が癇に障る笑い声をあげた。
「あかり、メイドロボって……?」
俺は傍らのあかりに問い掛けた。
「あ、何か志保が言ってた。こないだからうちの生徒やってるんだって。1年生のクラスにいるとか」
「ふーん」
メイドロボは最近では一般家庭にも入ってきている。乗用車数台分の値段とかで、まだまだ庶民には高嶺の花だが、街で見かけるのは珍しくなくなっている。しかしセーラー服を着たメイドロボは初めて見た……。
「そういえばあの耳飾り、よくメイドロボの人が付けてるやつだよね」
メイドロボにまで「人」をつけるのが、あかりのあかりたる所以だ。
「確かにあれがないと、人間と見分けがつかねーな」
俺達がそんなことを話しているうちに、1年生の集団はどこかへ行ってしまった。メイドロボの女の子だけがポツンと取り残されている。体がえらく小さいので、本当に「ポツン」といった風情だった。
その子は掃除用具入れからバケツとモップを取り出し、廊下の掃除を始めた。
「浩之ちゃん……」
「言わなくても分かってるって」
俺はあかりの言葉を遮りつつ、モップで床をごしごしやっている女の子に近づいた。
「なあ」
「はい?」
「もしかして、一人で全部掃除するつもりか?」
校舎の清掃は各クラスが分担して行っているが、廊下は広いので2つのクラスで分担している。この子が自分のクラスの担当を一人でこなすとすると、この2階の廊下の半分を全てやるはめになるわけだ。まあ30分では終わらないだろう。
「はい、そうですけど」
「たく、しょうがねーなー」
俺は誰にともなくそう愚痴ると、別のモップを取り出した。あかりは既に窓の拭き掃除を始めている。
「あ、あの……?」
「手伝ってやっから、とっとと終わらせよーぜ」
そう言って俺は彼女の返事も待たずにモップ掛けを始めた。
そんな俺達を彼女はきょとんとした表情で見ていたが、
「はい、ありがとうございます!」
にっこり笑って、再びモップを動かし始めた。
その純真無垢そのものの笑顔に、俺は手伝ってやっているにも関わらず、何故か引け目を感じてしまった。
……こうして俺達とマルチとの短い付き合いが始まったのである。
そして、別れの日は程なくやってきた。
「浩之さん、あかりさん、短い間ですが本当にお世話になりました」
マルチはぺこんとお辞儀をした。
土曜日の放課後。マルチの編入生活最終日だ。
もともと一週間の予定だったそうで、今日でマルチとはお別れとなる。
「特に浩之さんにはご迷惑ばかりかけて、わたしなんとお詫びを申し上げてよいやら〜」
掃除を手伝ってやったり荷物を運んでやったりというのが「ご迷惑」なら、確かにこの一週間で、軽く二桁は「ご迷惑」を掛けられているが……。
「あー、気にすんなって」
俺はマルチの頭を軽くぱむぱむとなでてやった。マルチはそれだけで、ぽーっと暖かい表情になる。
「お前みたいないい子は、誰かに助けてもらえて当たり前なんだよ……」
本当にマルチは「人」が良すぎるくらい良かった。
そのせいでクラスの連中にはパシリとしてこき使われ、失敗しては皆に笑われ……。
それでもマルチは笑顔を失わず、「人間様」に与えられた仕事をこなし続けた。
お節介の俺やあかりでなくとも、助けてやりたくなるのは当然だろう。
「……」
マルチは俺にされるがままに頭を撫でられている。ずっとそうしているわけにもいかないので、俺は手を離して言った。
「妹が出来たみたいで楽しかったぜ。また会おうな、マルチ」
「はい! 今度はちゃんとした商品になったわたしと会って下さい!」
俺は「商品」という言葉にちくりと胸を痛めたが、表面上はそれを出さなかった。
「ははは、俺がメイドロボを買えるような身分になるのは、当分先だろうけどなー」
そんなことを言って、俺は隣のあかりにちらりと目をやる。
「……」
あかりは元気がなさそうだった。
「あの……あかりさん?」
マルチも気付いたようだ。
「……」
「おい、あかり」
その言葉にあかりはやっと反応を示した。
「えっ? あっ、その……ごめんなさい。ちょっとぼーっとしちゃった」
あかりは照れ笑いをマルチに向ける。
「マルチちゃん、今日でお別れなんだね……」
「はい……」
マルチまであかりにつられてやや暗くなる。
「おいおい、二人してそんな顔してたってしょうがねーだろ。さっさと掃除終わらせてぱーっと遊びに行こうぜ?」
「……そうだね」
「はい、行きましょう!」
マルチはすぐに元気を取り戻したが、あかりの表情は浮かないままだった。
3人でゲーセンやカラオケで遊んで、バス通学のマルチをバス停で見送って、家に帰ったその夜。
今夜も雨が降っている。
俺はラジオを聞きながら、あかりのことを考えていた。
「……」
あかりのやつは今日は最後まで元気がなかった。ああいうあかりは付き合いの長い俺でもあまり見た記憶がない。
気になっていた俺は、マルチと別れてからその理由をあかりに問いただそうとしたが、「買い物があるから」とか言って、あかりは逃げるように俺と別れて町に消えて行ってしまった……。
(マルチとの別れがそんなに辛かったのか……?)
いや。たぶん違う。
あかりはガキの頃から、人前では控えめに微笑んでいるだけだった。例え何があっても。
ショックを受けている自分を友達に見せて、心配をかけさせるようなやつじゃない。
(やっぱ、他に何かあったのか?)
そこまで考えたとき、不意に玄関のチャイムが鳴った。
「……こんな時間に誰だ?」
時計を見るともう11時を過ぎている。俺はスリッパを鳴らして階下に降りて行った。
「……あかり……」
玄関のドアを開けると、傘を差してそこに立っていたのはあかりだった。同時に外の湿気が家の中に入ってくる。
「浩之ちゃん、こんな時間にごめんね。入っていい?」
あかりはか細い声でそう言った。
「……おう」
俺はそのまま身を翻した。あかりも後ろについてくる……と思ったら、なぜかあかりは動かない。
不審に思ってもう一度振り返る。すると……
「……おい、あかり、とりあえず体を拭け」
何故かあかりはずぶ濡れだった。大して強くもない雨だから、あかりの家からうちに来るまでにこんなに濡れるとは思えない。制服姿ではないから一度は家に帰ったのだろうが……。
俺はあかりに乾いたタオルを放った。
「……ありがとう……」
あかりはうつむいたまま体を拭き始めた。
俺はあかりが好きな紅茶を淹れ、あかりの待つ2階の俺の部屋へと戻った。
「あかり、入るぞ」
「あ、うん」
自分の部屋なのに何故かそういう言葉が出てしまった。
部屋に入りあかりに紅茶のカップを手渡す。
2人でテーブルを挟んで向かい合ったまま、しばし無言で紅茶をすすった。
「……」
「……」
雨の音よりも、むしろ雨粒が屋根から滴る音の方がうるさく響く。その音が俺をいらだたせた。
「どーしたんだよ。らしくないぞ」
「……」
あかりはしばらく俯いたままだったが、ややあって口を開いた。
「ごめんなさい、浩之ちゃん……」
その台詞と同時にあかりは涙をこぼした。
「お、おい、どうしたんだ?」
俺はうろたえた。いくら何でもいきなり泣かれるとは思っていなかったのだ。
「わりぃ……ちょっと言い方、キツかったか?」
「そうじゃない、そうじゃないの。悪いのはわたしなの……」
あかりはしゃくりあげながらそう言った。
「わたし、わたし……マルチちゃんに嫉妬しちゃった……」
「へっ!?」
俺は意表をつかれて素っ頓狂な声を上げた。
「だ、だって、お前よ……」
そんなそぶりはぜんぜん見せなかったじゃねーか……と続けようとした俺の言葉を、どう勘違いしたのかあかりは遮った。
「焼きもちなんか焼かないって約束したのにね……浩之ちゃんがマルチちゃんに『妹みたいだった』って言ったとき、なんかこの気持ち、抑えられなくなっちゃったの……」
「……」
そうか。
あかりと付き合い始める前まで、俺にとって「妹」はあかりだったから……。
あかりも俺の「恋人」より「妹」の期間がずっと長かったから……。
この雨の中、どこかで一人でその気持ちを持て余して、どうしようもなくなって、あかりはここに来たのだろう。
「あかり」
「……?」
あかりは泣き顔をあげた。
「お前は悪くない」
「……」
「悪いのは俺の方だ」
「でも、わたしが約束を……!」
「そんなことはいいんだ」
今度は俺があかりの言葉を遮った。
「『妹』なんて言葉を、お前以外に使っちゃいけなかったよな……」
「……」
「すまん」
俺はあかりの目を見ながら謝った。
「ううん、浩之ちゃんは悪くないよ……」
あかりも目をそらさなかった。
「でも、その言葉、嬉しい……」
俺はあかりの隣に座ると、横から肩を抱いた。
「でも、やっぱり悪いのはわたしだよ……」
「でも、ばっかりだな、おい」
あかりに苦笑を返し、軽くおでこをぶつけてやる。
「いーんだって。その約束は忘れろ」
おでこをぐりぐりする。
「少しくらい焼きもち焼いてくんなきゃ、俺だって寂しいからよ……」
「浩之ちゃん……!」
あかりは俺に抱き着いて、俺の肩に顔をうずめた。
「ありがとう、浩之ちゃん……」
俺は髪をなでてやった。
雨の音が、今は部屋に優しく響いて聞こえた。
その晩、俺はあかりを抱いた。
「わたし、マルチちゃんにも悪いことしちゃったな……」
情事の後、俺の腕枕に頭を乗せてあかりが呟いた。
「今日が最後だったのに、ちゃんとお別れ言ってあげられなかった」
「そうだな……」
けだるい沈黙。しかし心地よい沈黙だった。
その沈黙を俺の言葉が破る。
「じゃ、明日マルチに会いに行くか」
「え?」
「あいつがいるとこ、分かってるだろ?」
マルチは確か来栖川エレクトロニクスの研究所から学校に通ってきていたはずだ。
「会えるかどうかはわかんねーけどよ。行ってみようぜ、な?」
「うん、そうだね……」
あかりは柔らかく微笑む。そしてゆっくりと俺に抱き付いてきた。
「あかり……?」
「えへへ」
照れ笑うあかり。発展途上の裸の胸が背中に当たって、ちょっとくすぐったい。
「ありがと、浩之ちゃん」
「何がだよ」
俺も照れ臭くて、ちょっと突き放してみる。
「ぜーんぶ」
だがそんなことはおかまいなしに、あかりは甘えてきた。
「浩之ちゃん、だーいすき……」
その晩のあかりは、最後まで可愛かった。
(第5話へ続く)