翌日の朝。
目覚めてすぐ、電話帳で来栖川エレクトロニクスの研究所の電話番号を調べ、マルチに会えるかどうか問い合わせてみたが、日曜日のせいか留守電だった。
「ま、しょーがねえ。とりあえず行ってみっか」
結局うちに泊まっていったあかりに、俺はそう告げた。
「あ、ちょっと待って、浩之ちゃん。会えなかった時のために、わたし手紙書くから」
「おお、そうだな……あかり、任せた」
「浩之ちゃんは書かないの?」
「そんなこっ恥ずかしいもん書けるかよ。そーゆーのはお前に任す」
「うん、分かった」
そしてあかりは身支度を整えるためにも、一度家に戻ると言った。玄関まであかりを送ったところで、ふと疑問が浮かんだ。
「あかり」
「なにー?」
あかりは靴を履くのに苦戦している。その靴は昨日の雨でまだ湿っていた。
「お前朝帰りなんかして大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫だよー」
あかりは靴紐を結び終えると、立ち上がって俺の方を振り返った。
「ちゃんとお母さんに言って来たもん。浩之ちゃんのところに行って来るから、って」
「おい……?」
俺は戸惑いを隠せなかった。
「お前、昨日ここに泊まったの確信犯かよ!?」
いやそれよりも、俺のところに泊まるのに、親からOKが出ていることの方が驚きだったのだが、口に出しては俺はそう言っていた。
「えへへ」
あかりは笑ってごまかした。
「じゃ、浩之ちゃん、また後でね。ちゃんと朝ご飯食べてよー?」
「へいへい……」
最近「女は魔物だ」という使い古された言い回しを、思い知らされることが多くなった気がする……。
適当に朝飯を済ませた後、あかりと合流してバスに乗った。
今日は雨が降っていない。それでも雲は厚く、あかりは傘を持って来ていた。
「浩之ちゃんも入れるように、大き目のやつ持ってきたよ」
「……」
俺が傘を持って来ないことまでお見通しだったらしい。ま、今更この程度のことでは悔しがる気にもならないが。
バスに揺られること20分。俺達は目的地に辿りついた。街の郊外にある、大きな敷地を持った研究所だ。休みの日だが建物の中にはちゃんと人がいて、来意を告げると応接室に通された。しばらく待たされるようだが、とりあえず門前払いは免れて俺はほっとした。
「何しろ天下の来栖川の研究所だからなー。企業秘密だらけだろうし、一般人がこんな簡単に入れるとは思わなかったぜ」
「でも浩之ちゃん、さっきわたし達を案内してくれた人、わたし達のこと知ってたみたいだったよ」
「なに?」
「わたしが『マルチちゃんの友達です』って言ったとき、なんか納得顔してたもん」
そういえばそんな気もする。それにしても、あかりはこういうことには結構鋭い。
しばらくしてあかりと話すネタもなくなった頃、応接室の扉ががちゃりと開いて、長身を白衣に包んだ男の人が入って来た。
「やーやー、お待たせしました」
その男はマルチの開発主任で、長瀬源五郎と名乗った。大きな四角い顔に呑気そうな表情をたたえている。
「マルチは今メンテナンス中で、残念ながら今日は顔をお見せできないんですが」
「そうなんですか……」
あかりはがっかりした表情になる。
「お二人のことはマルチから聞いています。うちの娘を可愛がって頂いたそうで」
「ははは……まあ」
俺は曖昧な返事を返した。うちの娘という言い方が、この人のマルチへの愛情の深さを感じさせた。
「朝ここに電話したら留守電だったので、今日は誰もいらっしゃらないと思ったんですが」
「ああ、今日は会社は休みなので。今日来ている連中は、みんな趣味で来てるんですよ」
「……趣味ですか?」
「ええ、みんなマルチを可愛がりに」
「……」
マルチはここでも、ずいぶんと愛されているようだ。俺は続けて軽い疑問をぶつけてみる。
「その、マルチの頭の中には、俺達と付き合ってた一週間の記憶が、全部残ってるんですよね?」
「まあ、そうですねえ」
「なんかそれが研究の対象になってるかと思うと、なんかくすぐったいと言うか恥ずかしいと言うか……」
俺は正直な感想を述べた。
「ああ、ご心配には及びませんよ」
長瀬さんは相変わらずのにこやかな表情で言った。
「我々はマルチの個人的な記憶までは覗いていません」
「そうなんですか?」
「ええ。お二人のことはあくまでマルチ本人の口から聞いたことです。メイドロボとはいえプライバシーは大事にしてあげたいですから」
「そういうものなんですか」
「ま、こんなことばかり言ってると上司に睨まれたりはしますがね。余裕のある来栖川だから、こんな開発の仕方も許容されてるんですが」
「はあ……」
この人は研究者の中でも変わり種らしい。それで主任をやっているのだから、結構大した人物なのだろう。
「ところで、お二人にお願いがあるのですがね」
長瀬さんがいきなり身を乗り出した。
「何ですか?」
「マルチはこの1週間で、我々の予想を越えた成長ぶりを示しました。しかも成長曲線はまだまだ上昇の傾向にあります。やはり一般の方、特にあなた方とのふれあいが良かったんでしょう」
「はあ」
「それでこの際、マルチに徹底的に成長してもらおうと思いましてね」
「はあ……」
「要するにマルチを、お二人のどちらかのお宅に居候させて欲しいんですよ」
「ええっ!」
俺とあかりの声がハモった。
「形式としてはメイドロボのレンタルということになりますが、もちろん経費は全てこちら持ちです。1週間ごとにデータを計測して、成長がある程度止まった段階で終了、ということを考えているのですが……」
「……」
「いかがですか?」
俺は急な話に驚いて、返答できなかった。ところが……
「わかりました」
答えたのはあかりだった。
「マルチちゃんなら大歓迎です。是非お願いします」
頭まで下げるあかり。それを見て長瀬さんは会心の笑みを浮かべた。
「いやー、引き受けて頂けますか。よかった、よかった。こりゃありがたい」
「うちより、やっぱり一人暮らしの浩之ちゃんのところがいいよね?」
「あ、ああ……」
展開についていけず、俺は頷くことしか出来ない。すると長瀬さんが立ち上がった。
「では、そういうことで。早速明日からうかがわせます。それでいいな、マルチ?」
「!?」
「はい!」
応接室の扉が勢いよく開いたかと思うと、次の瞬間にはあかりにマルチが抱き付いていた。
「ありがとうございます、あかりさん〜!」
「マ、マルチ、お前、メンテナンス中じゃなかったのか?」
「ちがうんです〜。長瀬主任が、面白いものを見せてやるから隠れてろって……」
「……」
長瀬さんを見ると、相変わらずの笑顔で俺の方を見ていた。
つまりこの人は、俺達が断ることなどないと予想していたわけだ。
……食えないおっさんだ。
「浩之さん、またしばらく、よろしくお願いします〜」
「……」
ま、いいか。
そんなわけで、何故かうちにマルチが居候することになったのである。
帰りのバスの中。俺はあかりに聞いた。
「あかり、いいのか?」
「何が?」
「何がって、その……」
もちろんマルチがうちに来ることについて、俺は聞いたのだ。
昨日俺の前で初めて焼きもちを焼いてくれたあかり。
マルチに嫉妬したと言って泣いてくれたあかり。
それだけに、研究所でのあかりの申し出は意外だった。
「……浩之ちゃん、マルチちゃんがいた方がいろいろと助かるでしょ?」
「あ? ああ、まあな……」
マルチの掃除以外の手際にはあまり期待していなかったが、まあ一人よりは同居人がいた方が楽しい。
「じゃあ、いいじゃない。わたしも時々マルチちゃんに会いに行くから。ね?」
あかりはそう言って微笑んだ。その笑顔はいつもと同じように見えたが、何故か俺にはそう言いきる自信はなかった……。
「あっ、浩之さんとあかりさん、おかえりなさ〜い!」
翌日俺とあかりがいつものように二人で帰宅すると、すでにマルチが家の前で待っていた。見なれた制服ではなくボーイッシュな私服で、ぶんぶん手を振っている。
「浩之さん、今日からよろしくお願いします!」
マルチはぴょこんとお辞儀をする。その一つ一つの動作が可愛らしくて、見ていて飽きない。
「ああ、まあ気軽にやってくれや」
考えてみればタダで働いてもらえるのだから、こっちがよろしくと言うべきかも知れない。俺がそんなことを考えていると、後ろにいたあかりからマルチに声が掛かった。
「マルチちゃん、浩之ちゃんのことよろしくお願いね」
「はい! 精一杯がんばります!」
マルチは元気だ。
「わたし、初めてのお勤めが浩之さんのおうちで、とっても幸せなんですよー」
「そうかあ?」
うちなんて普通に家族の居ない一人暮しだから、そんなに面白味はないだろう。俺はそう思って言ったのだが……。
「はい! 大好きな人のもとで働けるなんて、メイドロボとして最高に幸せですー」
あ……。
マルチのその言葉は嬉しかったが、どちらかと言うと俺は後ろのあかりの反応が気がかりだった。
しかしあかりはその言葉には特に反応しなかった。
「浩之ちゃんのおうちのことで何か分からない事があったら、いつでもわたしに聞いてね。電話でもいいから」
「おい、そりゃ俺があてになんねーってことか?」
「だって浩之ちゃん、自分の家のお味噌の在り処も知らなかったじゃない」
「うっ……」
そして俺は、あかりとマルチにひとしきり笑われた。
この調子ならあかりも大丈夫そうだな。
このときは、そう思った……。
そしてマルチの家政婦生活が始まった。
ある程度予想してはいたが、マルチの家政婦としての能力は、掃除だけは完璧、他は才能まるで無しというものだった。初日だけで皿を三枚割り、食事を作ればまっ黒焦げ、しまいに洗濯機から泡を噴き出させる始末……。
「はううう、浩之さん、すいませえん……」
「あー、いいからいいから。とりあえず片付けてな」
「はいい……」
昨日長瀬さんが「マルチを置いてもらえるにあたって報酬も出します」と言っていたが、俺は「そこまでされては……」と断った。
断らなかった方が良かったかも……。とりあえず、壊れ物の請求だけ出すことにしよう。
そんなこんなで、あっという間に1週間が過ぎた。
初日の惨状を聞いたあかりが、いろいろと指導なり手伝いなりしてやっているせいもあって、マルチもそれなりには働けるようになってきた。「学習型メイドロボ」とか言うだけのことはあるようだ。
そして土曜日の夜。
明日はマルチの1回目のデータ計測(長瀬さんは里帰りと言っていたが)の日で、マルチは朝早くから研究所に戻ることになっている。
その夜に、事件は起こった。
コンコン……。
「ん?」
自分の部屋のベッドに寝転がって本を読んでいると、扉をノックする音が聞こえた。もちろん今家には、俺以外マルチしかいない。
いつものように「浩之さーん」と声が聞こえないのを不審に思いながら扉を開けてみる。そういえば夕食の時もマルチは元気がなく、気になってはいたのだが……。
「……!」
そこにいたのは、ネグリジェ姿のマルチだった。
「お、おい、マルチ、なんだその格好は!?」
「……浩之さん、夜のお供をしに来ました……」
マルチは俺の言葉を無視してそう言うと、部屋に入ってきた。可愛い下着が透けて見え、俺は目をそらした。
「わたしを使って下さい、浩之さん」
「……」
「お願いします……」
マルチは絨毯の上に両膝をつき、土下座までして見せる。
「……」
なんで急にそんなことを言い出したのか、俺には見当もつかなかった。
「マルチ、とりあえず顔を上げてくれよ」
その言葉に、マルチはゆっくりと従ってくれた。
「どうしてだ……?」
「好きなんです、浩之さんが」
マルチは珍しくきっぱりと言った。純粋なマルチの瞳に、俺の顔が映っている。
「せっかくひとつ屋根の下で暮らしているわけですし……わたしは浩之さんが大好きです。浩之さんはわたしがお嫌いですか?」
「もちろん、そんなことはねえけどよ……」
「なら問題ありませんよね」
マルチは力なく微笑んだ。その笑みは、いつものたんぽぽのような柔らかい笑みには程遠かった。
「好き同士の男女が一緒に暮らしていればこうなるのが自然だと、わたしの知識回路は言っています」
いつもはメイドロボであることを忘れさせるくらい人間に近いマルチが、このときはそんな言い方をした。
それが俺の癇に障った。
「馬鹿野郎!」
「!」
マルチは俺の怒声に怯えて首を縮めた。
「お前はそんなことをするためにうちに来たのか!?」
「……」
「そんなの、らしくねえぞ……」
俺はどこに怒りをぶつけていいか分からずに、そう呟いた。
「長瀬さんや研究所の人達は、そんなことをさせるためにお前を育てているわけじゃねーだろ?」
「……!」
マルチはその言葉で、少し我に返ったようだ。
「すみません、浩之さん……」
「わかりゃいーんだ」
俺の興奮もようやく収まり、俺はマルチの頭を撫でてやった。
「怒鳴りつけたりして、悪かったな」
「……ふええええん!」
マルチは俺の胸にすがった。
「マルチ、お前はもっともっと勉強しなきゃな」
「はい……」
「男と女の話なんてよ、まだお前には十年早えよ」
「でも……」
マルチは顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃの顔だった。
「わたし、本当に浩之さんのことが……」
「分かってるよ」
俺は諭すような口調で言った。
「でもお前、あかりも好きだろ?」
「……はい」
「この間会わせてやった雅史も、志保も。お前、好きだって言ってたよな。研究所の人達の中にも、好きな人いっぱいいるだろ?」
「……そうですね」
「お前、その全員に身を捧げるつもりだったのか?」
マルチは顔を真っ赤にした。
「えっ!? いや、その、そんなつもりは……」
「ははははは」
俺は軽く笑って、マルチの背中をぽんぽんと叩く。
「だーからお前は勉強不足だってんだ。そういう大事な決断は、もーちっと育ってからにしろ。な?」
「はい……」
マルチはまだ納得し難い様子だった。それを見て、俺はさらに言葉を続けた。
「お前は学習型なんだろ? 焦るこたあねえ、すぐに育つって。そのためにお前はうちに来たんだし」
「……」
マルチは何か言いかけたが、思い直したようで口をつぐんだ。
そのときのマルチが、まるで何かを決意した表情に見えたのは、俺の気のせいだろうか……。
そして次に口を開いたマルチは、また珍妙なことを言ってのけた。
「わたしって浮気性なんでしょうか。好きな人がいっぱいいて……」
俺は吹き出した。
「ばーか」
マルチの体を引き剥がして、くるりと後ろを向く。
「またよく知らねえ言葉を使いやがって。お前みたいなのは浮気性なんて言わねえよ」
「?」
「誰にでも愛される可愛いヤツ、って言うんだ」
俺はさすがに恥ずかしくて、その言葉と同時に逃げるように部屋を出て、トイレに駆け込んだ。
「それじゃ浩之さん、明日には戻りますからー」
「ああ、来る前に電話しろよ。ここまで迎えに来てやるからな」
「マルチちゃん、気をつけてねー」
「はい!」
翌日の朝、俺とあかりはバス停までマルチを見送りに行った。マルチを乗せたバスが走り去った後、あかりが俺に尋ねてきた。
「浩之ちゃん、昨日の晩どうだった?」
「どうって?」
「マルチちゃんと何かあったでしょ?」
あかりはずばりと言い当てた。
「……なんでそう思う?」
「恋する乙女のカン」
「……」
「それはじょうだん。昨日の夕方、マルチちゃんがわたしのところに来たの」
「……?」
「あかりさん、ネグリジェ貸して下さい、って」
俺は絶句した。
「ちゃんと説明してくれるでしょ?」
この時はあかりの笑顔がちょっと怖かった。
「……まあ、どのみちそのつもりだったからな。じゃ、俺の部屋行くか?」
「うん」
あかりは俺の腕を取り、並んで歩き始めた。
「それにしてもお前、貸すほうも貸すほうだぞ、そんなもの。大体想像ついてただろうが、何に使うか……」
「まあ、そうだね」
俺の腕を握る力をあかりは強めた。
「でも、浩之ちゃんのこと信じてたから……」
「……」
まったく、なんと言って良いやら。
おれはそれ以上の抗弁を断念し、あかりと帰途についた。
(第6話へ続く)