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〜コラム〜
| 2005年6月27日 |
| DECORATIVE ART〜暮らしのなかの芸術〜 |
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絵画や彫刻といった美術品に対して、住居や身体などを美しく飾る目的でつくられた作品というものがあります。工業品に美術的な原理をとりいれた応用美術、また生活用品に美的表現を求める工芸などがそれにあたります。芸術的な価値のあるガラス製品、陶磁器、家具、金属工芸また宝飾品などを装飾美術として考えてよいと思います。 家具だけでなく小物的なものにまで自分の趣味を取り入れた生活は、そうでない生活に比べて確実に人生の充実度を増すものであると思います。しかし私たちは常に日常に忙殺されていますし、また生きるには思ったよりお金がかかりますので、残念なことにもっとも後回しにされる部分であるかもしれません。けれども一度興味を持ってしまうとのめり込む人が多いこの分野はそれだけ魅力あるものですし、生活と結びついているという点でより自分の人生を鮮やかに彩ることが出来るのです。 |
| 2005年6月1日 |
| JEWELRY/MODE〜永遠の美をまとう〜 |
| アンティークジュエリーとアンティークドレス、これらをコレクションするのは、女性の喜びの中でも最高レベルと言えるのではないでしょうか。多くの女性が美しくあるため、日々装いに心を砕きます。美しく着飾ることとそのための買い物は、女にとって人生の大きな楽しみなのです。そしてその買い物が大量生産品ではなく、贅沢の限りを尽くした一品であったなら・・・・。その喜びを一度知ってしまえば、きっと欲望はさらにふくらんでいくでしょう。かつてマリー・アントワネットが美しいものにとりつかれてしまったように・・・。贅沢と技術の限りを尽くしたものを手に出来る女性は限られています。そして時が流れても、それらの美と価値は衰えることなく、再び別な女性の手へと受け継がれていくのです。 欧米のオークションでは美術品だけではなく、価値の高い宝飾や服飾も扱われています。年代物の贅沢なドレス、名のあるデザイナーのオートクチュール、それをコレクションする女性がいれば、それらを流通させるコスチューム・ディーラーもまた存在しており、アンティークモードは美術品と同じようにとり扱われるのです。たとえばクリスティーズでは1978年にココ・シャネルのワードローブセールが開かれ、世界中で大きな話題となりました。40着のドレスとスーツ、44点のコスチューム・ジュエリーがオークションにかけられ、約45000ポンドの売上があったそうです。これはオークションとしては大きな数字ではありませんが、その華やかさと集まった参加者の豪華さにおいて競売史上に残るものとなりました。 アンティークジュエリーなら、さらに歴史の深いものを手に入れることも可能です。19世紀のもの、あるいは18世紀のもの。またロンドンの高級店へ行けば、ロスチャイルド夫人やヴァンダービルド夫人が所有していたものなどを見られることもあるでしょう。、その来歴を知り、過去の持ち主の運命に思いを馳せるのもまた楽しいものです。その1点はもしかして、とあるプリンセスから不思議な運命を辿ってあなたの手に渡るかもしれません。女たちはいつの時代も宝石とドレスに心奪われ、それらと共に運命を生きるのです。 |
| 2005年5月15日 |
| CHINA/PORCELIN〜テーブルのうえのアート |
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今回は最も身近なアンティークである陶磁器、食器についてご紹介します。 |
| 2005年4月25日 |
| スタイルの定義〜What is Style? |
| 前回、スタイルメーカーとしてエルシー・ド・ウルフについて書きました。では「スタイル」とはいったい何であるのか。日頃とくに考えず使っていますが、実は定義が難しい言葉ではないでしょうか。一般的には様子、態度、身のこなし、品格、流儀、様式などと訳されますが、はたしてエルシーの創り上げたものとは何だったのでしょう。 ギリシャの大富豪でエスクァイアなどのコラムニストであったタキの著書「ハイライフ」に、「スタイルとは何か」という文章があります。「スタイルという言葉は、英語のなかでもっとも濫用されている言葉である。だいたい無見識な人間はファッショナブル・ピープルがスタイルを持っているのだと考えている。だが、スタイルとはとらえどころのない資質であって、上流社会の人間やトレンディの大半は本物のスタイルなどまったくといっていいほど持ち合わせていないのだ。スタイルは金で買うことは出来ない。コンサイス・オクスフォード辞典は、きわめて優れた資質としてこれを定義しているが、要は抽象的な性格のもので、持っている人は持っているし持っていない人は持っていない、ただそれだけのことなのだ。」「スタイルとは見せかけの反対である。強い信念のことである。」「要するに本物たらんと意識的に努力しなくても本物たりえている人間は、誰でもスタイルを持っていると言うことだ。さらに家柄などどうでもよく、個々の生きるスタイルこそが重大なのだと信じている人間がいる。彼らもまたスタイルを持っている。」この本のなかでタキがスタイルある人物としてあげたのは、ウィンストン・チャーチル、ジョン・F・ケネディ、ジャンニ・アニエッリ、オスカー・ワイルド等々。 また、アネット・タパートとダイアナ・エドキンスの共著で、スタイルある女性達をとりあげた「THE POWER OF STYLE」によると、「”スタイル”とはきっちりと定義することが出来ないが故に、永遠に魅力のある課題なのだと思う。」「私たちは”スタイル”を定義すること、また”スタイル”をもっともよく実証した人物を選択すること、そのどちらにも非常に苦心をした。そしてついに私たちはずっと探し求めていた、それらを繋ぐ糸を見つけたのである。私たちがもっとも心惹かれた女性達は、皆ある点で他者よりすぐれており、それはしばしば、”the art of living”と呼ばれるものだった。」とあります。この中でスタイルある女性として、エルシー・ド・ウルフ、ポーリーン・ド・ロスチャイルド、ココ・シャネル、ダイアナ・ブリーランド等が紹介されています。 洗練されていることがスタイルではなく、また悪趣味であるからスタイルがないわけでもない。たとえ悪趣味でも、強い信念から生まれた一貫性あるものなら、強烈な個性として他者を魅了することもあります。自己規律、ウィット、機知に富むこと、オリジナリティーなど、つまりはよりよく生きようとする強い意志、人生においていかに自分を燃焼させるかという強い欲望、それがスタイルの核ではないでしょうか。 私が思いだしたのは、昔、本で読んだサルバドール・ダリのエピソード。どこかで講演を行ったダリは潜水服とヘルメット姿で壇上に立ったそうです。ヘルメットをつけたまま話し始めた彼は、よく聞こえないと苦情が出たため、とろうとするのですが、頭が引っかかってはずれない。ついに係員が工具を使ってヘルメットをとりました。しかし、潜水服のままのダリは暑さでへとへと、おまけにヘルメットをとっても、彼のスペイン訛のひどい英語は誰にも理解できなかった、というオチがついていました。まさにスタイルの塊!おもしろい人だな〜と思います。もちろんダリはウケなど狙ってはおらず、自らの信念に従って大まじめだったのでしょう。 物があふれ、お金さえあれば誰でも好きなものを手に入れられる日本です。しかしどれだけ多くを所有してもそこにたったひとつ、その人自身のスタイルが欠けていれば魅力など生まれるはずないのです。「魅力」はお金では買えず、ハウツー本で学べるものでもありません。しかし、それだけが誰にも奪うことの出来ない個人の真の財産だと思うのです。他人に見せる顔よりも、常識や一般論よりも、いかにオリジナルの自分自身であるか、またその中に自己規律を持てるかにかかっている。確かに言えるのは、けっしてリスクを犯さない人間、信念を持たずいつでも都合のいい方へつくさ、というような人間には死んでも”スタイル”など持てないということでしょう。 「ハイライフ」タキ著/井上一馬訳/河出文庫 「THE POWER OF STYLE」/TAPERT&EDKINS/CROWN |
| 2005年3月29日 |
| アメリカ初の室内装飾家〜エルシー・ド・ウルフ〜 |
| 前回、家具について取り上げた中、ちらっと出てきた人物に今回はフォーカスを当ててみます。 アメリカで最初の室内装飾家、そして自らのサロンにおける伝説の女主人。自力でビジネスの道を開き、ヨーロッパとアメリカでセレブリティたちにとっての”シックのミューズ”となった女性、それがエルシー・ド・ウルフです。 1865年にニューヨークで生まれたエルシーは、父親は医者、母親は弁護士や学者の家系という名門の出身でした。しかし、父親の投機の失敗により、貧しい子供時代を送ります。そんな生活から逃げ出すために仕事をしようと思った彼女は、まず舞台女優の道を選びました。美しい物への興味が強かったエルシーは、自分の舞台衣装をフランスで買い付けていました。そしてその買い物のおり、アンティーク家具を安く買っては自分の家をコーディネートしていったのです。やがて彼女のインテリアを見た友人達が、自分の家の装飾を彼女に依頼するようになりました。これはビジネスになると感じたエルシーは、女優の道を捨て、室内装飾家としての仕事を始めたのです。シックかつエレガントなデコレーターであったエルシーは、また同時に切れ者のビジネスウーマンであり、発明家でもありました。寄せ木細工の床、ドアのすぐ側に照明のスイッチをとりつけること、長椅子から取り外し可能にした肘掛け椅子、これらはすべて彼女が発案した物です。 当時は現代に比べ、女性がビジネスで道を切り開いていくのはずっと困難だったはず。無一文から社会に出たエルシーが、のちにバッキンガム宮殿の内装を手がけるほどに成功した理由はなんだったのでしょう。それは彼女の創造力、企画力、行動力、そして子供のような冒険心だったのです。 「室内装飾」・・・そこでセールスするものは、結局のところ、美意識やスタイルといった、かたちないものです。そういうものに大金を支払うのは庶民階級ではありえないと気づいたエルシーは、上流階級のみを対象にビジネスを展開していきました。そしてその路線を確立するために、「サロン」というかたちをつくりあげます。自宅をサロンとして社交界の人々を招き、自分はホステスとなって魅力ある「エルシー流スタイル」を披露していきました。彼女はここで、美的センス、おもてなしの才能、他者を魅了する能力を如何なく発揮しました。「皿はあくまでも熱く、グラスはあくまでも冷たく」などといったエルシールールのひとつひとつが、ゲストにとって重要なものとなっていったのです。 エルシーにとって、セレブリティやミリオネアを招くことはビジネス上のセールスにつながり、そしてゲストにとっては、このサロンに招かれることがステイタスとなる。その相乗効果で、彼女のビジネスはどんどん大きくなっていったのです。仕事と、それによって築いた生活を謳歌していたエルシーは、61歳でパリのイギリス大使館員、サー・チャールズ・メンドルと結婚し、レディ・メンドルと呼ばれました。そして85歳で亡くなる日まで結婚生活を全うしました。 貧しい子供時代を送った彼女はいわゆるソシアル・クライマーの一人だったのかもしれません。しかし、当時においてこれだけの成功を築いたのは、多くのパトロンの援助があったにせよ、それをひきよせた彼女の能力とチャームによるもの以外ではあり得ないでしょう。 |
| 2005年2月25日 |
| FURNITURE〜アンティーク家具のある生活〜 |
| 一般的に、100年以上前のものを指してアンティークと呼びますが、家具にはそれぞれ時代ごとのスタイルがあります。おのおのの様式で装飾の特徴があり、それは現代のものでは見ることが出来ないほど美しく手のこんだものです。その家具が、どこの都市、どんな家族の中で時を経て来たのか、思いを巡らせるのはわくわくするものですし、またその圧倒的な美しさを暮らしの中で身近に感じられることが、家具の一番の魅力だと思います。 装飾家エルシー・ド・ウルフは、最も快適な家具は18・19世紀のイギリスとフランスのアンティークに限る、と言っています。「もしあなたに、本物を買う余裕がないのなら、コピーでも同様。」とのこと。18世紀の家具といえば、フランスではルイ15世様式、イギリスではクイーン・アン、チッペンデール様式の頃です。ルイ15世のロココスタイルは、宮廷やサロンで愛用された非常に華やかで装飾的、また女性好みなスタイルです。一方イギリスでは18世紀といえば、イギリス家具の黄金期といわれた時代で、トマス・チッペンデールなど数多くの家具デザイナーが活躍しました。 様式は古代・中性から近代まで細かく分類され、非常に複雑なので、ひとつひとつの説明は省きますが、ご購入の際は細かく好みの雰囲気など伝えることで、納得のいく一品を選んでいただきたいと思います。またルイ15世様式の家具であっても、18世紀のものであるとは限らず、その様式を生かしたもっと後の時代の作品であることも考えられます。真に18世紀の作品ならやはり高い価値がありますが、年代にこだわるよりも、やはりご自分の好きなスタイルで選ぶのが一番でしょう。 さてアンティーク家具のとり入れ方ですが、住居全体が西洋クラシック調で揃っている人はともかく、そうでない場合はどうコーディネートすればいいのでしょうか。余裕があればお気に入りの椅子に合わせて全体を変えることもできますが、そうでない人は本当にに気に入った椅子ひとつ、テーブルひとつ置くだけでもいいと思います。本当に気に入ったものなら、たとえ他のインテリアと調和しなくても、自分をを表現するスタイルになります。そして初めはちぐはぐでも、きっと徐々に好きなスタイルに整えていけることでしょう。自分の大好きなものが、住まいの中にぽつんとひとつでも存在している。それは必ず、生活の喜びとなるのです。好きな椅子をひとつ廊下に置く、コンソールの上を飾ってリビングのアクセントにする、等々、それぞれの生活スタイルにあわせて選んで下さい。 購入の際に、やはり統一感を持たせたい方なら素材を揃えるのが良いでしょう。素材には、たとえば、マホガニー、ローズウッド、オークなどがあります。マホガニーは光沢があり赤褐色、ローズウッドは薔薇のような芳香を持ち、固くて虫にも強い素材です。オークは色味がダークなので、日本の住居にも比較的、あわせやすいものです。 |
| 2005年3月30日 |
| 「ダイアン・アーバス展@METのこと」 |
| ニューヨークのメトロポリタン美術館にて写真家のダイアン・アーバス展が開催中です。(3/8〜5/30) なぜ、このコラムでこの企画展を取り上げたかというと、つい2〜3日前にたまたま中野翠さんの「会いたかった人」(徳間書店)という本を読んだばかりで、そこに中野さんが会いたかった人の一人として、アーバスをあげていたのです。この本は1996年に出版されているので今、私が読んだのも何かの偶然かしら・・・という気がして。これを読み、洋書店でよく目にしていた写真集はこの人の作品だったのだ、はじめてと知りました。 ここでは詳しくは書きませんが、簡単に言えばダイアン・アーバスという人は名家に生まれたお嬢様で、ファッション写真家として若くして成功したのですが、後にいわゆるフリークスといったような人たちを撮影することにのめり込み、48歳の時、離婚や鬱病などの理由から自殺をはかり亡くなったのだそうです。 中野さんは、ダイアンのある写真を見ると「その写真と私との間にひとつの真空状態が生まれたかのように、私はふらふらっと彼らの後をついていきたくなる、〜略〜この真空状態というのがいったい何なのか私にはいまだにわからない。私の心の中の一番、やわな部分を突かれている感じだということだけはわかる」と書いています。この文章を読み、「わかるわかる、そういう感覚を持っている人だけを信用する、みたいなとこが自分にはあるな〜」と思ったのでした。その「やわな部分」はきっと誰にもあるのだけれど、大人になるにつれ少しずつ薄れてしまうもの。だけど、それはいつもどこかに潜んでいて、前面に押し出されるのも迷惑なのですが、全く失ってしまった人というのもどこか、自分とは相容れない気がするのです。 子供の頃の感受性の強さ、世界を知らないが故に短絡的、衝動的に生きること。そんなままで生きるのは辛すぎるけれど、すべてをどこかに置いてきてしまうのもまた、なにか悲しいのです。以前「ヴァージン・スーサイズ」を観たときにも感じたことですが、ああいう感性・ヤワさは少女なら多分、誰でも持っているでしょう。ただ、ある状況の中でどちらに転ぶかによって、その人の大人としての個性がつくられていくと思う。私自身は出来ればヤワな部分は奥底に秘め、いつも合理的な方向に転んでいきたいと、自分の弱さを知る故にそう思いました。 もしも自分が今、ニューヨークにいたなら必ず必ず、メトロポリタンへ足を運んだことでしょう。人はそんなふうに、黙っていても自分の本質をつきつけられるような対象には出会ってしまうものだ・・・などと考えたりする今日この頃でした。 |
| 2005年2月25日 |
| 「上流階級と芸術の関係」 |
| はるか昔、言葉さえ存在しなかった時代。おそらく3万年も前から、人類は顔料をつくり出し、動物の毛や棒きれを使って洞窟に絵を描いていました。生き延びるだけでも大仕事であった時代から、直接生命に必要ないものをつくり出していたのです。それを思うと、人間が本能的に行う仕事は、生命を守り生き延びることとだけでなく、芸術(創造)活動もそこに含まれるのでないかという気さえします。芸術なんて必要ないけど、テレビと携帯電話がなければ半日も耐えられないという現代ですが、情報や他人に流されることのなかった時代には、人は真に求めるものを本能で理解していたのかもしれません。 そして芸術は昔から、美しいものに魂を奪われた一部の力ある人間によって繁栄してきたのです。ギリシャ文化に夢中になって屋敷をギリシャ彫刻で飾ったローマ人。おかかえ芸術家を雇った国王。そして高いお金を支払う貴族やコレクターたち。 たとえば印象派が登場した当時、批判の対象となり売れる見込みがまったくなかったそれらの作品を多く集めた人物に、ギュスターブ・カイユボットがいます。彼は自身も画家であり、元々裕福な家に生まれたため、仲間の画家達を経済的に援助するために、もっぱら印象派作品を買い集めました。しかし、ただ仲間を助けるだけでなく、印象派を世に認めさせたいという情熱もあったのです。自分の死後は公開展示することを条件に国に寄贈するという、遺言を残したことでもそれは明らかでした。 またアメリカでは、貧しい青年であったアルバート・バーンズが、医・生理学者となり、自己の研究によって巨万の富を築いたあとに、美術作品の収集に財産を費やしました。若干のアメリカ美術の他、ほとんどが印象派、後期印象派、フォービズム、キュビズム、エコール・ド・パリの作家のもので、なかにはセザンヌの「カード遊びをする人たち」やスーラの「ポーズする女たち」など近代美術史を語るうえではずせない重要な作品も含まれていました。バーンズはこれらの作品を中心に、「教育の振興と美術の鑑賞をはかるため」財団を設立し、バーンズ財団美術館をつくりました。このバーンズコレクションは、以前、日本でも公開されたので記憶にある方もいるでしょう。。 こうして、鋭い美意識、先見の明、高い志を持った人物が、芸術の人間に与える力を信じ、自らの財産を投資し、美の歴史をつくってきたのです。投資目的で美術品を購入する、それもまた美術流通の一端を担うわけですが、経済の変動だけで価値を決めるというのでは悲しすぎます。歴史上で名を残すようなパトロンたちは、いつでも最終的には自分の嗜好や直感といった精神的な部分で、芸術を見つめていたと思えるからです。 芸術は決して特権階級だけのものではありませんが、その貴重さを思えばやはり動きを左右したり、保護する力を持つのは一部の力のある人たちだけです。この日本でも、そんな力のある人たちが積極的に(たとえ力を誇示するという目的でもいいから)芸術の保護・普及に関わることで、造形美術に関わらず芸術全般が、もっと一般的で身近なものとして人間の暮らしに浸透するようなシステムが出来ていくといいなと思っています。 カイユボット、バーンズに関する参考資料〜「芸術のパトロンたち」高階秀爾/岩波新書 |