October 2007
10月31日(水)

天使のよう。
ここのところ、たくさんの新しいことに チャレンジしている。
なーんて書くと、ものすごくがんばってるみたいだけれど
正直、はたから見れば たいしたチャレンジでもないと思う (笑)
でも、わたしはもともと ものすごくビビリの 超心配性なので (笑)
新しいことをはじめるのは苦手だし、とっても勇気がいる。
それでも 「 案ずるより産むが易し 」 の言葉通り
実際に行動してみると、本当に なんてことないものだ。
そして それを繰り返すたびに、心配するよりやってみることだ と
頭ではなく、経験として 学んでいく。
結局 この世の人間は、みんな 何かができないからこそ
その課題に取り組むために、生まれている。
そう、みんな 課題は違うんだよね☆
いつもたくさんの友達に、囲まれているひとは
まわりに流されず、自分の意見を持つ 学びなのかもしれない。
いつも自分の意見をはっきり言って、その分 友達が少ないひとは
まわりにこころを開き、受け入れる 学びなのかもしれない。
そう考えたら、だれかと比べる必要なんてない。
「 あのひとは 友達がたくさんいて、うらやましい 」 とか
「 あのひとは 自分の意見が言えて、うらやましい 」 なんて
文系の試験を目指しているひとと、理系の試験を目指しているひとが、お互いを
嫉妬しているようなもので、求められている課題が違うんだから なーんの意味もない。
大事なのは 驕らず 謙遜せず、ありのまま そのままの自分を
しっかりみつめ、課題に取り組むことだけだ。
わたしは、何が好き? 何が得意? わたしは、何が苦手? 何が悩み?
まずは好きなことや得意なことを どんどん実行して、自分自身が楽しみながら 行動してみる。
それは、おのずと 誰かの役にたつことにもなるだろう。
その上で ちょっとだけ 苦手なことや悩んでいることを、のりこえようと練習する。
それで、いいのだと思う。
もちろん、できないからこそ 生まれているのだから
いろいろなことに、失敗して 当然。
失敗して 失敗して 失敗して 失敗して・・・ (笑)
その中で 少しずつ改善して、いつか 乗り越えればいいだけだ。
肩の力を抜いて、好きなことや得意なことを どんどん実行し
そして、ちょっとだけ (笑) 苦手なことを努力もし
結果をあせらず いろんなことを経験して、自分を 磨いていきたいものです♪
10月26日(金)

車のボンネットに、青い空が反射して キレイ☆
わたしたちはだれでも、枠をもって生きている。
たとえば 「 人間は見た目ではなく、こころだ 」 と考える Aさん。
Aさんは 見た目のオシャレやスタイルに対して、あんまり 注意をはらわない。
そんなことより こころが大切だと思っているから、その分 こころを磨こうとする。
これが、Aさんの入っている枠。
逆に 「 人間は、見た目が一番大事 」 という、枠を持っている Bさんがいるとする。
オシャレが大好きで お化粧に余念がなくて、とにかく 見た目をよくしたい。
すると 見た目に対して、注意をはらわない Aさんは
見た目が一番大事 という Bさんから、自分の存在を 否定されたような気になる。
否定されることは だれでも怖いし、悔しいし、不安だ。
Aさんにとって、Bさんは 枠の外側 にいるひと。
だから ついつい、自分の正当性を訴える。
同じ意見の仲間を集めて 「 人間にとって一番大切なのは、こころに決まってる。
それがわからないBさんは、かわいそう 」 などと
さも 正しいのは、自分だ と主張し、自分の枠を守ってしまう。
もちろん反対に 見た目が一番大事という Bさんは、見た目より こころが大切というAさんから
同じように、自分の存在を否定されたような気になるだろう。
そして同じ意見の仲間を集めて 「 人間は、見た目が一番大事。 Aさんは
美人じゃないことを、ひがんでるのかも 」 などと
やっぱり 正当性を訴え、自分の枠を守ってしまう。
これって、よくある話ですよね。
わたしたちは得てして、自分の持っているものや 得意なものの枠に入って
自分自身を正当化する。 まるで それによって、自分自身の価値を高められるかのように。
でも 本当に重要なのは、枠を守ることじゃなくて 枠をはずすこと だと思うんです。
いろんなひとがいていい。 いろんな枠があっていい。
自分の枠を守ろうとせず 「 わたしは、こころばかりを大切にしてきたけど
確かに、見た目も大切かもね☆ 」 と、相手の枠を認めてみる。
すると 相手は認められてうれしいから、わかりあおうとしてくれる。
そして 相手から情報を得たり、いろいろ教わったりして
苦手だったオシャレが、上手になったりする。
何よりこうして 枠をはずすと、自分自身が 楽に生きていける。
「 ひとに甘えちゃいけない 」 という枠をもっていると
甘えるひとを否定して、自分自身も枠で縛ってしまう。
「 ちゃんとやらなきゃいけない 」 という枠をもっていると
ちゃんとしないひとを否定して、自分自身も枠で縛ってしまう。
「 遅刻してはいけない 」 という枠をもっていると。
遅刻するひとを否定して、自分自身も枠で縛ってしまう。
そして、それができなかったとき 「 わたしはダメな人間だ 」 と、自分まで否定して
ネガティブになったり、落ち込んだりする。
それより 自分の持っている枠に気づき、はずしてみよう。
こんな簡単なことで 毎日は、もっと楽しく変化する。
そして 枠をはずすことは、相手の価値観を認めて 受け入れる 受容のひとつであり
世界中のひとが、これをできたら 戦争もなくなるのではないかと思う。
まずは、わたし自身から。
自分の枠に気づき はずして、相手を受容して 過ごしていきたいと思います♪
10月23日(火)

ころんとまあるいバラ、ベビーロマンチカ♪
わたしが スピリチュアルな世界に惹かれたのは、簡単なことからだった。
もともと 子供のころは、ものすごく そっちのタイプ (← どっち? (笑)) で
おまじないや 妖精が大好きで、いつも 空想と夢の世界に生きていた。
月に祈りをささげ、神さまにお願い事をし
木陰に座って、一日中 自然の存在と戯れていた。
でも、あるとき 「 このままじゃいけない 」 と感じた。
空想の中で生きることは、現実の世界から 目をそらすことでもあると思った。
それからずっと 自分が苦手なことに取り組んで、現実の自分と 向き合い続けた。
あたりまえのことだけれど、空想の中では なんでも簡単にうまくいくのに
現実の世界では、つらく 厳しく たいへんなことばかり (笑)
でも 苦しんだからこそ、たくさんの 自分なりの真理を手に入れた。
苦しんだからこそ この理は真であると、確信があった。
その 自分なりの真理が、ぴたりとはまり
体系づけてくれたのが、スピリチュアリズムだった。
だれかに進められたわけでもなく、信じる信じないの話でもなく
自分の持っている 真理が、そのまま スピリチュアリズムにあったからこそ
これが 真実だと、断言できた。
それだけのことだ。
結局のところ、この 現実の毎日がすべて。
神も 天使も 守護霊も 自分自身が、この現実をどう生きていくかに付随するものでしかなく
大切なのは この現実の毎日。
すべては、そこにあるのだと思う。
10月21日(日)

掘り出された山芋は、まるで 手のような形でした (笑)
畑が好きです。
種をまいても 発芽しなかったり、かといって 多めにまいたら
びっくりするぐらいの豊作になったり、結局 人間の力なんて
たいしたことないなあ と思わせてくれる。
なにより 太陽や雨や土の力によって、どんどん成長していくさまを 目の当たりにすると
すべては 大自然の恩恵によるものだという、感謝の気持ちを 感じさせてくれる。
中でも、土に触れるのが好きだ。
土を触ると、手が荒れて ざらざらになっていくし
爪の隙間など、いたるところに入りこんで 黒くなってしまうけれど
それでもわたしは、あの ものすごく大きなエネルギーに触れているような
なんともいえない 癒しの感覚が、すごく好き。
もちろん 手が荒れないように、軍手やビニール手袋を することもできるけれど
そうすると なぜか、全然楽しくない。
なんだろー、土を汚いもののように思ってしまう気がするのかな?
だから、結局 素手に戻ってしまうんです (笑)
ちなみに 今日の収穫は、里芋、ニラ、ルッコラ、水菜、それから 初物の冬キャベツ。
キャベツって無農薬だと 大量の青虫がついて、ほとんど 食べられてしまいます。
だから 青虫をみつけたら、退治しなきゃいけない。
命をつくることなどできやしないのに、命を奪う。
いつも 「 ごめんね 」 と謝りながら、青虫をやっつけるけれど
やっぱり、ものすごくツライ気持ちになります (笑)
でも だからこそ、わたしたちが 野菜をひとつ食べることにも
たくさんの命を奪っているのだ と、思い知らされる。
わたしたちが生きることは、たくさんの命に生かされていること。
深い感謝とともに せいいっぱい生きることで、恩返しすることしかできないのだと
あらためて、思います。
それから 畑を借りている植木さん (仮名) たちに、ほうれん草、小松菜、柿
わたしの顔ほどの大きさがある 冬瓜 (とうがん) も、いただきました。
中国では、冬瓜のスープが薬膳として食される と聞くけれど
さて、どうやって食べればいいんだろー (笑)
大自然のエネルギーを感じ、その恵みとたくさんの命に感謝し
新しい食材と 新しい料理方法にチャレンジながら、家族とともに食すこと は
わたしにとって、ものすごく しあわせ。
やっぱり、畑が大好きです。
10月18日(木)

大自然の不思議な色合い。
最近のニュースを見ていると、空恐ろしい気持ちになる。
それは 朝青龍関、沢尻エリカさん、亀田大毅さんなど、すべてに共通する 世間の風潮 。
「 悪いことは、許さない 」
まさに そんな勢いで、犯罪を犯したわけでもない有名人を
世間が裁くニュースが続いている。
本当に、これでいいのだろうか?
もちろん、それぞれに いろいろな問題はあるだろう。
世間の人々が、感じる想いもあるだろう。
それでもわたしは これこそが、いま 日本中を苦しめ
ここ 來風 LIFE にも、お悩みをもたれるお客さまがいらっしゃる 原因のひとつ
「 失敗は許されない 」 という風潮、まさにそのもののように感じる。
みなさんは、何かをサボったことはありませんか? わたしは、あります。
機嫌悪く、ひととかかわったことはありませんか? わたしは、あります。
卑怯な行為をしたことはありませんか? わたしは、あります。
有名になるということは、いいことばかりでは決してない。
彼らはきっと、たくさんのねたみや批判や悪口など
わたしには想像もつかないほどの、ツライ経験をしているに違いない。
その分、どこかに ひずみが生じることってあるのではないでしょうか?
それに 結局のところ、本人がどう思っているか
なにを考え行動したのかは、本人にしかわからない。
その見えない部分を想像し、自分のことのように慮ることこそ
いま、この国に足りない 思いやりなのだと思う。
キリストが、罪を犯した女を裁こうとした人々に 「 あなたたちの中で
罪を犯したことのない者が、最初に この女に石を投げなさい 」 と答えたというのは
まさに、このことではないだろうか?
なにより大切なのは、わたしたちひとりひとりが
「 すべては本人にしかわからない 」 という 思いやりと想像力をもって
ひとを責めたり、断罪しないこと。
それには まず、わたし自身が
これらを強く意識することから、はじめたいと思う。
批判より、愛を。
10月17日(水)

まさに、秋空♪
太陽って、守護霊さまみたいだなあ と思う。
生命エネルギーの源。 その大いなる力を、なんの見返りを求めることもなく
無償の愛で、いつでも 降り注いでくれている。
雲に覆われ、見えない日もある。 けれど その雲の上には、かならず太陽の光がある。
守護霊さまも同じように、いつでもどんなときも かならず
わたしたちを、愛し 見守り 導いてくれている。
それなのに。
わたしたちは、感謝を忘れてしまう。
太陽が昇るは、あたりまえのことだ と感謝を忘れるように
そのありがたさに、目を向けることは ほとんどない。
そして ひとと比べて足りないものを数え、ネガティブになって 落ち込んで
暗く重い想念によって、太陽の光を 雲で覆ってしまう。
自ら、さえぎってしまう。
それでも かならず、太陽は 雲の上で光り輝いている。
無償の愛で、わたしたちを見守ってくれている。
わたし自身が覆った雲は、わたし自身にしか取り去ることができない。
だからこそ その深い愛をもって、雲がはれるときを ただ じっと待ってくれている。
わたしたちは どんなときも、決して ひとりではない。
感謝とともに、前をむいて歩いていこう☆
10月10日(水)

コスモスいっぱい。
たとえば 「 今日、あなたに会えてうれしかった。 ありがとう☆ 」 と伝える。
すると、相手が 「 わたしも、うれしかった。 ありがとう♪ 」 と伝えてくれる。
お互いが 感謝に満たされ、うれしく あたたかい気持ちになる こんな瞬間を
わたしは プラス+プラスの瞬間 と呼んで、大切にしている。
「 気を使う 」 という言葉があらわすように、どちらかが削ったり減らしたりして
その分、相手の機嫌がよくなる (増える) ものではなく
お互いが、うれしくあたたかい プラス+プラス。
きっと、この世を 愛 でいっぱいにするのは
こんな簡単な方法なのだと、わたしは思っている。
そのために 絶対必要なのは、自分を守ろうとしないことだ。
傷つかないように、失敗しないように、変に思われないように 自分を守ろうと
硬く縮こまれば 縮こまるほど、それは 愛 からかけ離れ 恐れ へと変わっていく。
たとえば、最初のひとこと
「 今日、あなたに会えてうれしかった。 ありがとう☆ 」 というのが
相手に嫌われたくない という 恐れ からの発言だとする。
すると、相手が 「 わたしも、うれしかった。ありがとう♪ 」 と伝えてくれても
「 嫌われないで、済んだかな・・・ 」 と、ちょっと ほっとするだけで
感謝に満たされ、うれしく あたたかい気持ちには、ならないだろう。
それは、彼氏に 「 浮気してない? 」 と聞いて 「 してないよ 」 といわれても
心配で仕方がなかったり、「 わたしのこと好き? 」 と聞いて 「 好きだよ 」 といわれても
相手を信じられず、何度も聞くのと同じこと。
(↑ 昔、これを散々やったのは わたしです (笑))
守ろうとするから、不安になる。
不安になるから、喜びや感謝に気がつかなくなる。
自分を守ろうとしないで、感謝に目を向けること。
うれしいことや ありがたいことを探して、照れずに 言葉にすること。
そんな日常の ちょっとしたこころがけ で
人生って すごくステキに変化すると、わたしは思う。
10月8日(月)
秋が、深まってきましたねえ♪
色づく木々も 高く広がる青い空も美しいけれど、この季節 何よりうれしいのは
いつもと変わらぬ 日常の景色の中で、ふと 鼻をくすぐる やわらかな金木犀の香り。
一年の中でも、いまだけのささやかな喜びです☆


左/金木犀 (きんもくせい) もうすぐ、満開♪
右/街路樹も色づいてきました。

彼岸花、咲いた☆
そういえば、先日 スーパーで見かけたら、どうしても食べたくなったので (笑)
まだちょっと早い落花生を 一部だけ収穫し、ゆで落花生にして 食べてみました☆

掘りたての生の落花生を よく洗って、多めの水とともに 火にかけて30分程度煮る。
水の2%程度の塩を入れて (もちろん、わたしはいーかげんに入れちゃいますが (笑))
さらに10分ほど煮て、出来上がり。
なんともいえない、素朴なおいしさで
ひとくち食べて、思わず 笑みがこぼれます♪
季節のうつろい、自然の美しさ、あふれる恵みに、感謝でいっぱいの この秋です。
10月2日(火)

ほおずき、みーつけたっ♪
ふと、思ったこと。
しばらく連絡のなかった友達と、再度 縁がつながるたびに
「 相方くんは元気? 」 と聞かれた。
「 前に 調子を崩してる話を聞いたから、ちょっと 気になってたんだ 」 なんて言っていた。
(しっかり、元気にしています (笑))
その中のほとんどのひとが、実際に 相方に会ったことはないひとだった。
それでも 本当にたくさんのひとが、彼のことを 気にかけていてくれるのだと思った。
そういえば わたしだって、会ったことのない 知り合いの知り合いでも 病気だと聞けば
「 大丈夫かなあ 」 と、気にしたりするもんなあ。
そんなものだよなあ。
そして、思った。
わたしたちは 死ぬと、肉体を脱ぎ捨て 幽体となる。
肉体がないので 時間や距離はなくなり、幽体という エネルギー体として活動する。
そして 想いのエネルギー (想念) が、伝わることに気付く。
幽体において すべての想いは伝わりあい、嘘も ごまかしも 通用しないという。
なにも、隠すことはできない。
だからこそ 善行悪行 喜怒哀楽 動機など、すべてが 白日のもとにさらされる。
魂のかがやきが、目に見えて表れる。
・・・ということは、もしも わたしたちが死んで、まず最初に気付くのは
実は 「 ものすごく多くの人が、自分に対してこころを配ってくれていた 」
という事実なのでは、ないだろうか?
愛するひとや親兄弟 親戚 友達はもちろん、いまではもう会わなくなった友達や 近所の人
会ったことはないような友達の友達、知り合いという程度の人々まで
ものすごくたくさんのひとが 「 大丈夫かな? 」「 元気かな? 」 と
想ってくれていたことが、ありありと 感じられるのかもしれない。
それは きっと、ものすごいショックだろう。
ああ、人間とは こんなにもあたたかいものだったのか!!
わたしは、こんなにも愛されていたのか!!! と、その事実に 愕然とするに違いない。
もしそうなら 肉体があったころは、目に見えず 言葉で聞こえず わからなかったけれど
たくさんの愛の想いが、自分をを包んでくれていたことへの 感謝と喜び
それらに気付かなかった 情けなさや申し訳なさに、号泣することだろう。
そんな風に、思った。
でもこれも たまたま相方の話だったから、相手からの愛を感じられただけで
自分に向けられたものだったら、あんまり 気がつかないのだろうなあ (笑)
(人間 ひとのことはわかっても、自分のことは たいしてわからないものだし)
もっともっと、小さな愛に気づき 感謝し
それをあらわせる人間に、成長していきたいです☆










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