August 2007
8月31日(金)

知らない花だったので 名前を調べたら、アメリカ朝鮮朝顔というらしい。
なんとも国際色豊かな名前です (笑)
いろいろな出来事や考え方を学び、経験し
自分なりに考え、取捨選択する。
そうして 繰り返し 繰り返し、自分自身で選びとったものこそが
わたしという人間、ひいては わたしの人生を形作っていることについて。
本当にありがたいことに、ここのところ わたしは
ものすごく忙しい日々が、続いています。
お客さまのいらっしゃる日が、忙しいのはもちろんのこと
そうでない日も、かなりのハイペース。
朝起きて お弁当をつくり、相方を送り出したら
休む暇なく 瞑想し、掃除や洗濯など 家事が終わらせると 11時過ぎ。
畑へ行き、雑用や買い物を済ませて 1~2時
その後 日記を書いたり、資料を集めたり 仕事をして、気がついたときには、6~7時。
夕飯の支度もままならずに、相方が帰宅。
もともと のんびりやで、急かされるのが苦手な わたしは
かなり、慌てふためいておりました。
もちろん こうして忙しい毎日を過ごせるのは、とても ありがたいことであり
自分にとって またひとつ、新たな課題だと うれしい気持ちもある。
だからこそ、がんばってしまうのです。
それでも。
わたしにとって、いちばん大切なものは 相方と過ごす時間。
特に、しっかりと手間をかけ こころをこめた夕飯を
ともに食べることは、かけがえのない しあわせ です。
それなのに、ついつい 時間に追い立てられ、その かけがえのない
しあわせな時間を 満足に過ごせないことで、わたし自身が 枯渇していく。
愛のエネルギーが、低下してしまう。
自分を しあわせな気持ちから遠ざけているのは、まぎれもない わたし自身であり
それを変化、修正させることができるのは わたしだけ。
まさに 自分の人生は、すべて自分しだい なんですね☆
結局のところ、わたし自身が もっとも大切にするものを明確にし、それをないがしろにしたり
軸をぶれさせたりすることなく、まずは 自分がしあわせな気持ちにならなければ
他の出来事や、まわりの人々を しあわせな気持ちになどできないのだと思います。
まずは、自分の いちばん大切なものから選び取り、自分自身を しあわせにしよう☆
わたしの人生は、わたししだい。
いちばん大切なものを選び取りつづけたい と、あらためて感じました♪
8月21日(火)

夏の夕空。
前回の日記で、食事が大好き!! 的なことを書いたのに
なにをおもったか、2日間の断食をしてみました (笑)
それは 相方が試験前で忙しく、2日間は お弁当も夕ご飯もいらないと言われたので
こんな時でなければできないこと = 断食をしよう と、ふと 思いたったからです。
(我が家は普段、かならず一緒に ご飯を食べるので)
正直 もっとつらいかなー と思ったけど、なんだか あっという間に過ぎた。
そして 全然平気だったってことは、やっぱり 普段 食べすぎなんだなーと思った (笑)
そして 感じたのが、家に食べ物が備蓄され
食べようと思ったら食べられる ということが、とんでもない 幸運なのだということ。
蛇口をひねれば 水が飲めることも、そうだけれど
家の中に食料を備蓄する ということは、だれにでも可能なことじゃなくて
もし世界が小さな村だったら、ひとにぎりの よっぽど恵まれたひとだけが可能な気がする。
それにも関わらず、食材を使い切れなかったり
腐ったりさせることは、絶対 避けたい。
もちろん、いざというときの 防災の食料は別として
普段はなるべく 備蓄を減らし、冷蔵庫の中もすっからかんになるくらいで
生きていきたいなあ と、なんとなく 思いました。
(もともと、すっからかんの冷蔵庫なんだけれど (笑))
それと 先日、テレビの憲法九条に対する討論番組で
「 命がこの世でいちばん大切なんだから、九条は変えるべきではない 」 と
発言した男性に対して、コメンテーターが
「 命がいちばん大切だというのなら、ガンジーの思想を否定することになりますよ 」 と
反対意見を述べていたとき感じたことを、より明確に感じた。
それは 『 自分の意思でそれをおこなうことと、強要されたり
それしか選択できなかったりすることとは、その意味において、天と地ほども差がある 』
ということです。
ガンジーは自らの意思で、命を懸け 非暴力を貫いた。
戦争は 自ら望んでないにもかかわらず、命を差し出すことだ。
同じように、自らの意思で (食べ物のある中で) 断食することと
食べたくても食べるものがないことは 全くもって違うと、はっきり思った。
それでも。
毎日、ご飯を食べることができない人たちの気持ちを想いながら
断食してみることは、わたしにとって とても良い経験だった。
何事も 自分で経験してこそ、理解することができ
大切なのは、そこにある 自分の意思 (想い) なのだと、あらためて感じた 2日間でした。
8月18日(土)

ふんわり、夏雲♪
ここのところ、なんだか忙しい。
家事 畑 仕事など、あっという間に 時間が過ぎていく。
ありがたいことです♪
そんな忙しい毎日の中でも、しっかり手をかけているのは やっぱり食事!!
わたしの辞書に 夏バテ とか 食欲不振 とかいう言葉は、絶対に ありません (笑)
その中でも特筆すべきは、ゴーヤ (にがうり) !!
8月4日の日記に書いた、きゅうりの最盛期は すでに終了し
最近は、とにかく ゴーヤの成長がものすごい。
(ゴーヤは近所に配ろうと思っても、嫌いな人もいるから ちょっと微妙なんだよね☆)
というわけで ほとんど毎日、ゴーヤ料理が続いています (笑)
相方のお気に入りは ゴーヤサラダで、種を取って 細切りにしたゴーヤを
さっと茹でて ツナとマヨネーズを加えて、コショウかけるだけ。
簡単だけど、結構イケル♪
わたしのお気に入りは、ゴーヤ唐揚げで
同じく種を取って 細切りにしたゴーヤを、市販の唐揚げ粉につけて 揚げるだけ。
少量の塩と片栗粉で揚げるのも、おいしいんだけど
市販の唐揚げ粉で揚げると、なぜか ごはん (米) とあうのです!!
現在、創作料理 ゴーヤどんぶり を思案中☆
(↑ あんまり、食べたいひといないかなー (笑))
なんだかんだ、忙しいながらも 楽しい毎日。
やっぱり、ありがたいことです♪
8月15日(水)
今日は久しぶりに、友とおしゃべり☆
お互い、考え方も好みも まったく違うけれど
根底にあるものが似ているのか、彼女と話をするたびに感銘を受ける。
そんな彼女と会って、最初に出てくる話題は
最近の恐ろしい事件や事故など、社会のニュースについて。
恥ずかしながら わたしも彼女も学生のころは、ニュースや政治に興味がなかった。
「 いましあわせだし、平和だし、それでいいんじゃないの~? 」 と思っていた。
なにがきっかけだったのか、いまでは もうわからない。
でも、いつからか 「 自分のしあわせ 」 だけでなく
「 日本中、ひいては 世界の人々のしあわせ 」 を、本気で 考えはじめたのだと思う。
わたしたちは、学生のころ 何も知らなかった。
いや、知ろうとしなかった。
だからこそ、彼女は言う。
「 すべては、知ることからはじまると思う 」 と。
知らないから、わからない。 知らないから、気がつかない。
知らないから、思いやれない。
まずは、ひとや出来事に関心をもつことこそ
この世の中を愛で満たすための、最初の一歩ではないかと思う。
そして 今日は、終戦記念日。
戦争の犠牲となったすべての方々へ、こころよりご冥福をお祈りするとともに
まずは たくさんの人々の苦しみや悲しみを、知ることからはじめたい。
そして 戦争をおこさないために、自分にできることを考え 行動したい。
そんな話をしながら、ふと 外を見ると。

それは、まるで七色の光を放ったような 不思議な光景でした。
すべては、わたしたち ひとりひとりの手にゆだねられている。
そんなメッセージを、もらったような気がしました。
8月11日(土)

偶然撮れた、お気に入りの一枚☆
先日、相方と駅までの道のりを歩いていたら
道端に、駅前スーパーのカートが転がっていた。
家の近くまで カートのまま荷物を運び、そのまま 放置したのだろう。
わたしの住んでいる町は マンションだらけの住宅街だからか、こういう光景に よく出くわす。
そして そのたびに、悲しいような 腹立たしいような
こころが、ざわざわと波立つような気持ちになる。
駅近くへ行く予定だったので 通りがかりでもあるし、もちろん そのカートを押していった。
そして スーパーの駐車場入り口まで、押していったのだけれど
わたしたちも人を待たせていて、時間がなかったので
ちゃんと カート置き場には返せないまま、はじっこに置いていった。
もしも、だれかが見ていたら
「 あの人たちは、使ったカートを ちゃんと返さないで
そのまま放置していった!! 」 と思うかもしれない。
でも、人の目なんて関係ない (笑)
要は どんな動機、どんな気持ちで行動するか? だ。
霊界 そして神さまは、かならず わかっているからね。
それにわたしは 「 自分だけがいいことをしている!! 」 は思わない。
カート置き場までの道を通りがかる 他の誰かが、それを戻してくれたら
それは善意のリレーであり、とってもステキなことだ☆
・・・だけど、ふと 思う。
はじめに、置き捨てられた カートを見たとき
ざわざわと、波立つような気持ちがしたけれど
もしかしたら、どうしようもない事情があったのかもしれない。
もちろん、使ったらちゃんと返したほうがいい。
だけど たとえば ご年配の方がどうしてもひとりで、その荷物を運ぶことができなくて
頼る人もいなくて、悪いことだと思いつつ、それを置いていったかもしれない。
または どうしても運びきれない荷物だったから、カートを使って運び
荷物を家に置いて、いまから返しに行こうと思っている
その間の出来事だったのかもしれない。
そう考えたら、カートを使う行為そのものは たいしたことじゃない。
大切なのは、それを見て 「 自分がなにを感じるか 」 なのだ。
わたしたちは、ついつい 自分の価値観や
考えつくことの枠の中で、勝手に 白黒の判断をしたり
善悪の評価をしてしまうことが多いけれど、それは違うのだと思う。
テレビのニュースなどでも 「 ~したこの人は悪い人!! 」 とか
「 甘えている!! 」 とか、すぐに白黒つけるけれど
本当の動機、本当の気持ちは本人にしかわからない。
もし 悪いことだとしても、かならず本人にカルマ (因果) が返るわけだし
なにより、それを評価するのは 神さまの役目であって
わたしたちまわりの人間が、評価することじゃない。
(神さまの役目を人間がしようなんて、ものすごく傲慢なことだ)
そう思えば わたし自身、いかに 自分の枠の中だけでものごとをみているのだろう と
とても恐ろしい気持ちになる。
すべてのものごとは 動機や気持ちが大切であり、善悪の評価は 神さまのお役目。
わたしはただ わたし自身の動機や気持ちによって、よいと思う行動を
すればいいだけなのだ と、反省をこめて感じた ある日の出来事でした♪
8月9日(木)

いつの間にやら恒例になっている、夏の旅行 (笑)
今年は 伊勢~奈良~産土(うぶすな)の旅 から帰ってまいりました♪
今回は 自分をみつめ考える ことがテーマであったかのように
わたしにとって、ものすごく学びの深い旅でした。
個人的な出来事が多かったのですが
今回もまた、のんびりペースで書き記していきたいと思ってます。
とりあえず、ご報告まで!!!
8月5日(日)


今月もまた、キジさんに会えました♪
肩の力を抜こう。
いま、ここに生きている。
それだけで、充分がんばっているのだから。
どんなに不満があっても、つらくても悲しくても
あなたは何かを学ぶために、その状態にある。
それはなんの間違いでもないし、ましてや失敗でなんてない。
もっとあたたかく もっとやわらかく もっとやさしく
人間としてステキに成長するために、必要な 愛の課題。
だから肩の力を抜いて、すべてを受け入れよう。
この状況は これで完璧なのだと受け入れ、自分は こんな自分なのだと受け入れ
他者は そのひとは、そのひとなりでいいのだ と受け入れる。
すると、ものすごくラクになる。
「 ~でなければならない 」 なんてないし、みんなと一緒である必要なんてないし
この世に、失敗なんてない。
現状を認め 自分を認め、肩の力を抜いたら、足りないものより もってるものを数えよう。
その経験で、あなたが得た なにか を探そう。
それは 本当のしあわせを手に入れるための、愛にあふれたプレゼント。
そこには、絶対 意味がある。
そして いつかかならず、その経験の意味がわかるときがくる。
生きているだけで、充分がんばっている☆ 生きているだけで、ものすごく素晴らしい☆
生きているだけで、とってもステキ☆
自分を認めて、肩の力を抜いて 生きていこう。
8月4日(土)

ほくほくかぼちゃができました♪
野菜をつくっていると、すごく感じることがある。
それは 「 自然は、わたしたちの都合にあわせてくれない 」 ということだ。
たとえば、きゅうりの種を蒔く。
もちろん、100%の確率で発芽するわけじゃないから、多めに 蒔くことになる。
すると 天候、その他 もろもろの条件によって、大量に芽が出て 成長するときもあるし
たいして芽が出ないときや、ぜんぜん成長しないときもある。
そして、収穫時期は 一気におとずれる。
それはもう、ふたり家族では食べきれないほどの量の
きゅうり きゅうり きゅうり きゅうり きゅうり (笑)
それが毎日、繰り返される。
(ちなみにこれは、リアルタイムの我が家の話で
相方は 「 うちの食卓は、毎日きゅうりがある 」 と泣いている (笑)
昨日なんか、冷蔵庫の中の 大量のきゅうりをみつけて 絶句していた)
そのとき うけられる自然の恵みによって、食べるものが決まる。
豊作のときは、いろんな料理法を駆使してそれをいただく。
「 自然は、わたしたちの都合にあわせてくれない 」
ものすごくあたりまえのことだ。
それでも、わたしたちはついつい そのことを忘れてしまう。
スーパーへ行けば、なんでも買えるから。
冬でもトマトが食べられるし、夏でも白菜が売っているから。
それは、自分の都合にあわせることのできる便利さ。
でも その便利さこそが、わたしたちはみんな
この地球の大自然の恵みによって 生かされている という事実を忘れ
自分の力だけで生きている ように、錯覚させるのかもしれない。
テレビから流れてきた、国民の不満の声。
「 長引く梅雨の影響で (不作になり) 夏野菜の価格が高騰していることが不満だ 」
聞いて、おもわず耳を疑った。
自分の力だけで、生きているわけじゃないのに。
環境の変化さえ、わたしたち人間のカルマだというのに。
同じようなことからいえば お魚をいただくなら、アラも ちゃんといただきたい。
お肉をいただくなら、あらゆる部位 (もつやレバー、ガラなど) も、きちんと食したい。
それが 本当の意味で、地球に いのちに 大自然の恵みに、感謝することではないかと思う。
この地球の一員として 本当に大切なこと、一緒に 考えてみませんか☆
8月1日(水)

朝日から伸びる、光の道が美しい。
しあわせ♪
昨日は我が父、相方、弟の3人が、揃って ゴルフにでかけたため
わたしは 我が友人と母とともに、おしゃべりしながら、昼食会。
このたび、めでたく結婚が決まった彼女は、久しぶりに会ったら
とってもキレイになっていた。 なんだか、うれしい☆
母の話に耳を傾けながら、楽しそうに笑う 友の横顔。
友の結婚に 祝福の言葉を投げかけながら、お茶を入れる 母の手の動き。
とりたてて、なんということもない 日常のほんのひとこま。
でも、一見あたりまえとも感じられる そんな時間こそ
後で思い出すと、こころが やわらかく満たされる かけがえのない瞬間。
これを しあわせ というのだと、わたしは思う。
夜。
男三人衆は、今日1日 ものすごく楽しかったようで
いっぱいはしゃいで、いっぱい笑って、いっぱい飲んで (←笑) いい顔をしていた。
みんなが眠りはじめたころ、おやすみの挨拶がてら 父に
「 相方も 弟も、とっても 楽しかったみたい。 今日は、本当にありがとうね 」 と
お礼をいうと、彼は ぼろぼろ 涙をこぼした。
「 実の息子と 義理の息子と、こうして 楽しい時間を過ごせるなんて
俺こそ、感謝でいっぱいだ。 俺は、しあわせだ 」 そんな風に、言った。
もちろん わたしも、胸があたたかくなって うれしくて 涙が流れた。
素直に 喜びを表現してくれる父が、ありがたくて 感謝の気持ちでいっぱいだった。
しあわせ って、きっと特別なものじゃない。
それは、わたしたちひとりひとりの あたりまえの日常の中に
たくさん たくさん ちりばめられている。
朝 「 おはよう 」 という相手がいること。 だれかが、自分を誘ってくれること。
一緒に、ご飯を食べるひとがいること。
すべてが、かけがえのない しあわせの瞬間だ。
だからこそ、失ってみて はじめて
そのありがたさに気がつくなんて、絶対 悲しい。
方法は、たったひとつ。
日常の中のひとつひとつのできごとを、あたりまえと思わず 感謝して
その中にある 小さなしあわせを感じ、自分から 「 ありがとう 」 を言葉にして伝えること。
それだけだと思う。
そして それは、かならず 愛の輪 となって
自分とまわりの人々を包みこみ、どこまでも どこまでも 広がっていく。
そんな小さな努力こそが、世界をしあわせにする第一歩なのだと
わたしは、思っています♪










前のページへ