日記 2008年1月/にしやまゆかスピリチュアライズ研究室 來風 [LIFE]

トップページ

HOME > 日記 > 2008年 > 1月

January 2008

1月31日(木)

image154.jpg
やさしい夕焼け♪

昨年末、友達との話題の中で
「 この一年、自分が成長したと思う? 」 と、よく聞かれました。

毎年 聞かれるのだけれど、わたしの答えは かならず 「 YES!! 」
だって、いつも 「 ものすごく成長したなあ 」 と思うからです。

たとえば、この日記。
ここで書き続けていることは 実は、最初からいままで いつも同じで
「 自分という存在は あまりに小さくて、自分の力でできることなどなくて
全てはお導きであり、だれか (なにか) のおかげであるという感謝。

そして まるで矛盾しているようだけれど、それらをふまえた上で
自分にできることを探し、行動することの大切さ 」

言葉を変え、例えを変えながら、結局のところ
それだけを、伝えているように思う。

そう考えると、一見 成長などしていないみたいだけれど、それはまったく違っていて
たとえば、あるとき 「 素晴らしい気づきを得た!! 」 と感じるとする。

けれど、その一年後には 「 あの時の気づきなど、いま考えれば入り口だった。
さらに深く 素晴らしい気づきを得た、いまだからわかる!! 」 と感じる。

そして、そのまた一年後には 「 いままでは、わかったつもりになっていただけだ。
さらにさらに深く 素晴らしすぎる気づきを得た、いまだからわかる!! 」 と感じる。

そんな風に 理解というものは、自分の器の大きさに比例するもので いつでも100%であり
時や経験や行動を経て、さらに 深く 大きくなっていき
どこまでいっても、到達することはない。

だからこそ 後々考えれば、100%どころか10%にも満たない気づきであっても
その瞬間は 100%の気づき なのだと思うのです。

未熟で 足りないところだらけでいいから、その時々の器に応じた100%で
せいいっぱい、成長を繰り返していく。

それでいいのだと思うのです☆



1月21日(月)

image149.jpg
ナンキンハゼが、白い実をつけていました

今日は、二十四節気のひとつ 大寒 (だいかん)。

一年で もっとも寒い時期 とされるそうですが
その名にたがわず、めちゃめちゃ寒~~~い!!!

みなさまも、お風邪などめされることのないよう あたたかくなさってくださいませ☆

ところで 先日、友達との電話で思ったこと。

その友達は いままで人から無視されたり、嫌われたりしたことが ほとんどなかったそうです。
(わたしは、いっぱいされてきました。 もちろん、自分の蒔いた種です (笑))

けれど いま現在、彼女を無視するひとが近くにいて
「 イヤだなあ・・・ 」 という気持ちを抑えられない というような話でした。

そこで、ふと 2割の蟻の話 を思い出しました。

蟻が100匹で働いているとして うち2割の20匹は、なぜか ただ動いているだけ。
働かない。 サボる。

そこで、働かないその20匹の蟻を群れからよけて 別にすると
80匹のうち2割の16匹が、またサボりはじめる。

それは実際に、人間にもあてはまっていることで
さまざまなものごとに対応するための 自然界の法則 ではないか? ・・・というような話です。

あたりまえのことですが、全員が同じことをしたら
ひとつの問題には効果的でも、さまざまな環境や状況など
自然界の多様さに、対応することはできない。

そう考えれば、全員が同じ・・・ってありえない。
間違いなく好かれる とか、すべての人が信じる とか、あるわけがない。

だから、合わないひとがいていいのだと思う。
どちらが 正しい とか 間違っている とかではなく、いろんなひとがいて
いろんなことを学んで、きっと それでいいのだ。

そんな話をしていたら、彼女が言った。
「 きっと 自分のこころの中でも、2割はサボるのかもしれないね 」

ああ、そうかもしれないなあ。
悪口は言うまい・・・と思っていても、つい 否定的な言葉を口にしてしまったり
やろうと決めたのに、結局 諦めてしまったり。

でも どんなにがんばろうとしても、わたしたちのこころのエネルギーの2割はちゃんと
サボるようにできているのかも。 (わたしの場合、8割でサボってる気もするけど (笑))

そんなことを話していたら、なんだか気が楽になった。

自分を許そう。 受け入れよう。
すべては、そこからはじまるのだと思うから。



1月14日(月)

image148.jpg
大空へ羽ばたいて。

今日は、成人式♪
新成人のみなさま、おめでとうございます。

自分のことを想い出してみれば、20歳のころは めちゃめちゃ子供だったなあ と思います。

ま ・ わたしが 「 大人になった 」 と思えたのは、正直 30歳すぎ なので
20歳から10年近く、オコチャマのままで生きてたわけですね。 わはは (≧▽≦)ゞ

周りのみなさまには、ご迷惑かけたと思うけど、おかげさまで
いまのわたしがある のだと、ありがたく思っています (笑)

いつも思うのは だれもが、個性を持っている ということ。

それは、自分の得意なことで、他者に奉仕し サポートし 手助けできるように と
神さまが、わたしたちに与えてくださった資質なのだと思う。

たとえば 学生のころなら、足の早い人は 運動会のリレーでは人気者。
足の遅い人は 「 あの人と同じチームになりたくない 」 と言われたりする。
(↑ ちなみにわたしは、こっち側だった (笑))

だから 足の早い人は、遅い人の分も がんばったらいい。
遅い人は、早い人に感謝するだろう。

そして 足が遅い人にも、かならず得意なことがある。
たとえば 細かいことが得意なら、文化祭の準備では 活躍するかもしれない。

自分が得意なことは、神さまから与えられた だれかをサポートするための資質 だと思えば
できないひとを責めたり、バカにしたりすることはないだろう。

また、自分ができないことや苦手なことに、落ち込む必要もないだろう。

大人だとか子供だとか 年齢など関係なく、生きていく上で 大切なこと。

そういったことを忘れずに、どこまでも 羽ばたいていってほしい。

成人、おめでとう☆



1月11日(金)

image145.jpgimage46.jpgimage71.jpg
左から順に 朝の海、昼の海、夕方の海♪


昨日今日と 立て続けで、子育て中のお母さん達に、会ってきました。

いつも思うことだけれど お母さん という存在は、あまりにも素晴らしく
愛に満ち溢れているので、見ているわたしまで 思わず感動してしまう。

その理由のひとつは、間違いなく あふれる無償の愛の精神 だ。

この精神は お母さんたちの日常いたるところ に、ちりばめられている。

久しぶりに子供を預けて、お出かけする予定。
ずっと楽しみにして、指折り数えて待っていたのに
なぜかそんな日に限って、子供が熱を出し キャンセルとなる。

趣味をやりたい。 遊びに行きたい。 ゆっくり眠りたい。
けれど 家事と育児に際限はなく、自分の時間というものが あまりにも取れない。

たまに外へ遊びに出ても 時間制限があるため、羽を伸ばしているようでも
どこか緊張している。 ちらちらと、幾度も時計をチェックする。

これってまさに仏教で言うところの 無我 であり、自分という存在をささげて
子供を育てるという 無償の愛の精神 そのものだと思う。

利害や損得など、なにもない。 ただ、わが身を捧げて尽くす。
それはもちろん、ものすごく大変なことだ。

でもだからこそ その聖なる姿に、わたしたちは感動する。
だからこそ 母 という存在は、比類なく偉大であり 特別なのだと思う。

それなのに。

そんなお母さん本人に 「 あなたは、本当に素晴らしいよ 」 と伝えても
「 そんなこと、だれにも言われたことないよ 」 と笑う。
「 わたしなんて、全然ダメ 」 なんて言ったりする。

子育て中のお母さん。

あなたは、本当に素晴らしいです。 あなたは、とってもがんばっています。
愛は、かならず伝わります。 神さまは、見ています。
わたしはあなたを、こころから尊敬します。
どうか、自分を褒めてあげてください♪

そしてなによりも、わたしたち周りの人間が お母さんである方々に
言葉にして、それを伝えていきたい と思うのです。



1月1日(火)

image222.jpg
迎春♪

あけましておめでとうございます!!!

2008年。 みなさまは、どんな年になさりたいですか?

振り返れば、2007年は 「 偽 」 という漢字で、あらわされてしまいました。

たいへん残念なことではありますが、その原因のひとつは
わたしたちが 「 安全 」 や 「 サービス 」 など
さまざまな事柄に対して 「 あたりまえであり、当然である 」 と驕り高ぶり
感謝を忘れたことにも、あるように思います。

たとえば、頼まれた仕事を 一生懸命取り組んだとき
家族のために、日々 家事仕事をがんばったとき
「 ありがとう 」 や 「 お疲れさま 」 などの ねぎらいの言葉 がなかったら
ものすごーく つまらない気持ちで、ふてくされたくなりませんか?

わたしは、なります (笑)

でも、だれかが たったひとこと
「 ありがとう 」 とか 「 助かったよ 」 なんて言ってくれるだけで
「 喜んでもらえてうれしいな 」 とか 「 わたしは、ひとの役に立っている 」 という
あたたかい気持ち でいっぱいになり、次もまた
真摯に 情熱的に 前向きに、がんばれるものではないでしょうか。

そう考えると あたりまえ とは 感謝に気がつかないこと であり
感謝の対極にある意識 なのかもしれません。

2008年こそ わたしたちひとりひとりが、日常のさまざまなものごとに
深い 感謝のこころ をもって、世の中に少しでも多くの
この あたたかな気持ち を広げていきたいもの。

そして 日常から広がる、その あたたかな気持ち が
結果的には 国の違い、宗教の違い、生活の違い、考え方の違い など
たくさんの違いを 感謝と調和 で包みこみ
世界中が平和であるように と祈ります。

そのためには なによりもまず、わたし自身が周りの人々に
あたたかな気持ち を、ふりまいていけるように。

みんなで、2008年を 良い年 にしていきましょう!!

本年も、どうぞよろしくお願いいたします♪

Menu





Others