October 2008
10月30日(木)

先日、8つの病院に救急搬送を断られた妊婦さんが
脳内出血で亡くなった問題で、その夫である男性が
27日に記者会見をおこなった内容を、ご覧になったでしょうか?
「 だれも責める気はない 」
「 妻が死をもって、浮き彫りにしてくれた問題を、力を合わせて改善してほしい 」 と
「 赤ちゃんを安心して、産める社会になることを願っている 」 とおっしゃったそうです。
病院スタッフや、受け入れ拒否した当直医にも 「 辞めないでほしい 」
「 傷つかないようにしてほしい 」 との、配慮をなさっていました。
記事を読みながら、涙があふれてとまりませんでした。
この世でもっとも強いのは 愛の力なのだと、あらためて 強く感じました。
「 妻の死を無駄にしないで、世の中を変えてほしい 」
この言葉が わたしには、わたしたちひとりひとりへのメッセージに聞こえました。
だれかを責めるのではなく、意識をもって、現状をみつめること。
医療も 政治も 事件も 環境も わたし自身も・・・ すべては、ひとつ。
すべては、つながっている。
小さなことでいい、わたしにできること。
さまざまな問題を、自分のこととして 意識をもって、考えたいと思う。
10月19日(日)
愛らしい紅色に染まった、ホウキグサ。
寒くなると いつも思うのだけれど、おでんって偉い (笑)
たっぷりのお水に 昆布で出汁をとり、塩と醤油を (好みでみりんも) 加え
じっくり 煮ただけ。 なのに、なぜ あんなにも美味しくなるのか?
謎だ (笑)
たぶん、魔法の素は 練り製品&たっぷりの野菜。
時間をかけて煮込むほど、美味しいおでんへと変身してくれる。
だからこそ 一晩寝かせて、しっかり味をしみこませるのが 我が家流。
わたしのお気に入り具材は、たこ!!
煮込みすぎると固くなるし、だし汁をちょっとだけ赤く染めるけど (笑)
おでんには、ぜひぜひ 入っていて欲しい。
我が相方のお気に入りは 油揚げを開いて、お餅を入れた 餅巾着☆
卵を入れた 卵巾着 も、かなりイケル。
(余談ですが わたしは、油揚げも かなり偉い と思う。
煮物や鍋物に加えたときの、あの旨みはスゴイ (笑))
そして、なにより おでんが素晴らしいのは、残りものの活用が効くこと!!
中でも、おでんの残り汁で炊いた 炊き込みご飯は絶品☆
普通につくっても美味しいのに、旨みがたっぷり溶け込んだ
おでんのスープで炊けば、ほっぺが落ちること請け合い。
微妙に具材が残ったときは、カレールーを加えて カレーおでん に。
先日 ふと思いついて試してみたら、これが めちゃウマでした。
ぜひとも、お試しあれ☆
当日のみならず、翌日のメニューもカバーしてくれるなんて
おでんって やっぱり偉いなあ と、つくづく思う この季節のわたしです (笑)
10月17日(金)

かわいい~♪ ねこじゃらしの群生。
時々、一日休みしかない 強行スケジュール で
伊豆の実家に帰ることがある。
その場合は、前日の仕事後に伊豆へ入り
朝から遊び、夕方には宴会がはじまって、夜の7時には、就寝 (笑)
まだ夜も明けきらぬ早朝、車を走らせて家へ帰る。
体力的には大変だけど (・・・といいつつも、計算してみれば 10時間近く
寝ているので、そんなに大変でもないかも (笑))
わたしは、ちょっとだけ このパターンが好き。
それは 真っ暗な夜の中から、太陽が昇り 世界に光が射しこむ、あまりにも神秘的で
壮大で 厳かで、言葉にならないほど美しく、圧倒的なエネルギーに満ちている
夜明け という時間を、体感できるから。
夏は 夜明けの時間が早く、ちょうど 朝日が海から昇る景色を見ることが出来るのだけれど
今朝は、また 違った絶景に感動した。
ちょうど小田原あたり、時間は5時近かったと思う。
そのとき わたしは、太陽の姿が現れる直前の 薄く光が差し込みはじめた海を見ながら
清々しい気持ちで、車を運転していた。
そして そのまま道なりにカーブして、ほとんど真後ろに向かったとき
そこには 箱根の山のすぐ上に、ぽっかりと浮かぶ まあるいお月さまの姿があった。
月のまわりには、そこだけライトアップされたかのような
金色の光がにじみ、その近くを 雲がゆっくりと流れていた。
バックミラーには、明るくなりはじめた海。 目の前には、満月の輝く箱根の山。
それは 朝でもなく夜でもない、陰と陽の間
どちらかに偏ることのない、バランスのとれた空間で
古来より人間が求めてきた、徳のひとつ 中庸 という状態を
景色として、体験させてもらったような気持ちだった。
・・・で。 それなのに なぜ、今日のTOPが
その写真ではないのかと申しますと、もちろん わたしは運転中で
カメラなど触れず、一方の相方は 助手席で爆睡していたからです (笑)
でも この写真も気に入っていて、なんてことない 景色の中にあふれる
素朴な美しさを、感じています。
自然の中に、わたしたちの生きる見本がたくさんあり
その答えさえもあるように、感じてならない毎日です♪
10月10日(金)

上の写真は、大好きな友達と 公園で
おしゃべりしながら、何の気なしに撮った一枚。
こういう 無意識にシャッターを押した、偶然の産物写真 には
後に大きな画面で見たとき 「 これ、いいな♪ 」 と思うものが多い。
なんの意図もなく てらいもなく 飾り気もなくて
ただそのまま 自然の素晴らしさ が、垣間見える気がする。
写真の専門家とか、芸術的感性をもってるひとが見たら、ぜんっぜん!!
なんてことない写真 って言われるかもしれないけど、わたしはそう思うのだから
それでいいのだ。 わはは (笑)
最近 わたしって、恵まれているなあ と実感している。
それは なんてことない日常のことだけれど
ものすごくラッキーで うれしくて ありがたいことばかり。
大好きなひとと、暮らしていること。 家族が、元気で笑っていること。
ステキな友達が、たくさんいること。
学びたいことを、学べる場をいただいていること。 ありがたいご縁を、いただいていること。
目が見えて 耳が聞こえて 声が出せて、自分の想いを伝える術をいただいていること。
ご飯が、食べられること。 きもちのよい布団に、横になれること。
蛇口をひねれば、きれいな水が出ること。
太陽が、照らしてくれること。
なにもかもが、本当に恵まれている。
感謝☆
10月8日(水)
秋桜と、秋空と。
自分という存在、その性質を受け入れ 認めることは
人間がしあわせに生きる上で、ものすごく重要だと思う。
どんなひとでも そのひとの役割があって、この世に 生まれている。
だから だれもが、そのために神さまから与えられた、素晴らしい性質をもっている。
自分自身の性質に感謝して、上手に活かすことが
しあわせへの道であり、生きる目的だとわたしは思う。
だけど、自分が好きじゃない とか 自分の良いところがわからない などというひとも
結構、多い。
そんなときは、まず 自分のイヤなところ を、書き出してみてほしい。
たとえば、自分の 「 面倒くさがりでナマケモノ 」 なところがイヤだとする。
(↑ あくまでも たとえ話であって、わたしのことではない・・・はず (笑))
でも ものごとには、かならず 良い面と悪い面 があるのだから
「 面倒くさがりでナマケモノ 」 の良い面を探す。
たとえて言えば 「 いまの世の中、みんなが忙しく いつも焦って、イライラしている。
でも 自分はこの性質だからこそ、イライラせずにのんびりと
自分のペースを守ることが出来る 」 といった感じ。
そう気付けば イヤなところ は、もって生まれた 素晴らしい性質 に変わる。
自分という存在に、自信がつく。
(ちなみに、この ものごとを両面から見る練習 は
人間が生きる上で、すごく重要なスキルだと思う)
一見、悪いこと に付随する 良いこと や
一見、良いこと に付随する 悪いこと を考えたり感じたりするのが
苦手なひとは、どうしても ひとつの価値観に縛られて苦しみがち。
練習を繰り返し さまざまな角度から、ものごとを見る力は 効果的だと思う。
そんな風に、自分の性質を受け入れ 認め 自分という存在を愛し
はじめて 自分の役割 にも、目が向けられるのかも。
先ほどの例であげれば、会社や地域、日常生活の中で
いつもニコニコ、周りのひとを癒し ほっとさせる役割なんて、まさに適任かもしれない☆
そうやって 自分という存在が、だれかの役にたっている と思えたとき
ひとは もっと自分らしく、自信をもって、生きていけるのではないかと思う。
まずは、自分を受けいれ 認め 愛し、自分をしあわせにしてあげよう。
それは、自分にしかできないことなのだから♪
10月5日(日)

今年もまた、金木犀の香り。
残念ながら、いまだ子どもを授ることのない わたしですが
ときどき 子育て中のお母さんから、相談を受けたりします。
もちろん、子育て経験がないわけですから
的確なアドバイスなど、なにひとつ!!できません (笑)
そんなわたしに なぜ、お母さんたちが 相談をもちかけてくれるのかといえば
きっと、ただ 話を聞いてもらいたかったり
細かいアドバイスより、根本的なこと (たとえば、人間が生きるということ) について
話したかったりするのだと思います。
そんなとき いつも感じるのは、だれもが それぞれの場所で
それぞれの学びをもって、せいいっぱい いまを生きていることの素晴らしさ。
たとえば、その話が 愚痴や不満であっても (笑)
聞きながら、なぜか あたたかい気持ちに満たされ
涙があふれてくるのは、その素晴らしさが伝わってくるからだと思う。
そして、それは 子育て というものが、自分自身のたましいを
ものすごく磨いてくれる深い学びであるからこそ、苦しいことや心配なこと、厳しいことも多く
また だからこそ、大きな喜びや、比類ないしあわせを伴うのだとも思う。
そう。 きっと、家族とは 魂の磨きあいであり
大人も子供も 相手のおかげで、自分自身の学びをもらってる。
だれでも かならず、いま いる場所こそ 自分にとって必要な学びの場所。
だから たとえば 「 子供がいるから、自分は~できない 」 のではなく
「 自分の足りないところを気付かせ 鍛えるために、子育てをさせてもらっている 」
わたしのように、子供を授からないひとは
「 授からないからこその学びを、させてもらっている 」
大切なことは、自分自身のいまいる場所で
せいいっぱい 日々を生きて、たくさんの経験をして 自分を磨くこと。
それぞれに それぞれの課題があるのだから、だれかと比べても意味はない。
そんな風に考えたとき、わたしは少しでも
普段から、がんばりすぎているお母さんたちが笑顔になったり、ほっと一息ついて
肩の力を抜いたりするお手伝いが、出来たらいいなあ と思うのです。
そこにまた、わたし自身の学びがあると思うから。










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