June 2009
6月27日(土)
クレマチスの花の後。
まあるい姿が、かわいい♪
いいのいいの。 だって、わたしは わたしなんだもん。
できないことだってある。 苦手なことだってある。
だからこそ、苦手なことは 得意なひとに頼ればいい。
「ありがとう。 おかげで助かったよ」 と、お礼をいえばいい。
そして 自分もまた、得意なことで 誰かのお役に立てばいい。
いいのいいの。 だって、あなたは あなたなんだもん。
あなたが あなたらしく、いつどんなときも あなた自身でいられますように☆
6月24日(水)
くんくん。 良い香りがするぞ・・・と思ったら、足元に ラベンダーの花。
ちょっと しあわせな、日常の一瞬です。
時々 立ち止まり、空を見上げて 雲を眺める。
静止してる? と思うほど、ゆっくり ゆっくり 流れていくこともあれば
驚くほどのスピードで、あっという間に 流れていくこともある。
時々 手を休めて、耳を澄ませ 雨の音を聞く。
しとしと と、しっとりやさしく 降ることもあれば
すべての音をかき消すように、激しく強く 降ることもある。
ただ 自然の時間に、身をゆだねる。
人間の世界で、人間の時間ばかりで生きていると
知らず知らずのうちに、せわしなく あわただしく こころが硬くなるように思う。
だから 時々、自然の時間に浸りこんで
わたしたちも 大自然の一部であり、地球と一体であることを 実感する。
人間が、一から作り上げられるものなど 何ひとつなく
生きているのではなく、生かされているのだと 実感する。
すると こころが、やわらかく ゆるんでいく。 ほっ と一息つく。 安心する。
本当に大切な なにかが、見えてくるように思うのです。
6月20日(土)
薄紫の夕空。
ふと、理解した。
まず最初に いまこの瞬間を、生かしていただいているという 現実がある。
だからこそ 実際に、わたしはどう生きていきたいのか 社会にどう貢献したいのか
情熱をもって 自ら選び取り、愛をもって 行動する。
そのために使うのが、頭であり 知恵なのだと。
こんな風に生きていきたい・・・というような、人生の目標は
こころの底から湧き出てくる、たましいの声。
頭で考えることではなく、こころで感じること。
わたしは、何が好きなのか? 求めているのは、何か?
自分にとって、本当のしあわせとは どんな状態なのか?
そういった たましいの声を聞いて、愛と情熱を使う 目標 (方向) を定める。
その上で どうすれば目標へ向かえるのか、手段を考えるために使うのが
頭であり、知恵。
だけど わたしたちは、往々にして 頭だけで考えようとする。
しかし 方向となるべき目標がなければ、情報が入り交じって 混乱するばかりで
すっきりとした答えなど、出るはずがないのだと思う。
種から芽が出て やがて木へと成長するように、ものごとには 順序があり
頭も こころも たましいも、すべては つながっている。
迷い 錯綜し 混乱しているときほど、頭で考えるのではなく
たましいの声を、感じることからはじめよう。
答えは、そこにあるのだから。
6月16日(火)
車窓を流れる緑の木々。
先日、駅から家へ向かう 木々のトンネルの中を歩いていたら
見知らぬおばあさんが、ニコニコしながら近づいてきて 「この道、いいでしょう?
わたし この道が大好きで、いつも必ず通るの」 と話しかけてくれた。
「本当に、いい道ですよね~」 なんて答えながら、ふと気付いた。
そのとき わたしは、この木々の一本一本 葉っぱの一枚一枚さえ いのちの顕現であり
それらに囲まれ 生かされている いまが、なんとありがたく 素晴らしいことか・・・と
感動しながら 歩いていたのだけれど、自分の気持ちが 感謝やよろこびに
向いているときは、見知らぬひとに 話しかけられることが多い。
逆を言えば 気持ちが、もやもやしているときは
まったく・・・と言っていいほど、話しかけられないように思う。
そう考えると やっぱり、わたしたちは 想いをオーラとして放っていて
相手も無意識のうちに それを、読み取っているのだなあ と実感します。
自分の想いが、まわりに影響を与えるのならば
少しでも やさしく やわらかく あたたかく、思いやりをもっていたい。
いま目の前にある 日常の生活こそ、自分を磨く 学びの場であり
自分自身を映し出す、鏡 なのですね♪
6月12日(金)
凛とした、夏椿。
今朝の新聞記事で、おもしろい話をみつけた。
それは 訪問販売の際、玄関に入り込めれば セールスは半ば成功 というもの。
社会心理学者によると、客は セールスマンを 「玄関に入れた」 という事実と
「何も買う気がない」 という気持ちの矛盾を、こころの中で 不快に感じるそうだ。
この 不快な気持ちを和らげるには、事実を変えるよりも 気持ちを変える方が簡単なので
自分は、まんざら買う気がなかったわけでもない・・・ と思いはじめるとか。
これを読んで 「わかる!!」 と思った。
不快に感じる現実に向き合い、変化させていくのは とってもたいへん。
でも だからといって、不快な気持ちを無視して 「別に、なんとも思っていない」 などと
自分をごまかしても、うまくはいかない。
本当の想いに 耳を傾けず、頭の中で もっともらしい理由をつけて
無理に 納得させようとしても、こころの声に 嘘はつけない。
それが、本当の わたしの想い だから。
もちろん 不快な現実をなんでもかんでも、自分の思い通りにできるわけがない。
でも 現実が、不快な状態にならないよう 努力することはできる。
自分のこころを、冷静 かつ理性的にみつめること。 気持ちに、正直であること。
そして 面倒なことでも、必要があれば 自らの意思をキッパリと伝える勇気。
自分を愛する・・・って、そんなことなのかもしれません☆
6月9日(火)
大きな雲の下を、薄い雲だけが 猛スピードで流れていくさまに
大気の動きを感じた、雨上がりの空。
先日 あるきっかけから、日本神話の神 ニギハヤヒノミコトさまについて調べていたら
ひとつの神社が わたしの生まれ故郷にほど近い場所にあり、物部氏の祖神とのこと。
物部氏を調べると、末裔に わたしの旧姓があり
その氏族は、現住所の 八王子城にも関わりが深いことが判明。
しかし たしかに、わたしの実家の先祖は 武士だけど
長野に本家があり、家紋は 諏訪大社 (諏訪明神) の氏子のもの。
同じ姓とはいえ この氏族は、我が家のものとは まったく違う家紋をしている。
関係ないのかなあ、それにしてはシンクロしてたのになあ ・・・な~んて思いながら
先日録画していた ジブリ映画 「千と千尋の神隠し」 を、ぼんやり見てたら
ハク (←知らない方、ごめんなさい) が思い出した 本当の名前が
ニギハヤミコハクヌシ!! (笑)
ええっ?! と思って調べてみたら、ハクの名前は たしかに
ニギハヤヒノミコトさまから、つけられたみたい。
これは まだ何かあるというメッセージかしら?・・・と思って、さらに調べたら
わたしの産土神社 (生まれたとき住んでいた土地を、お守りくださっている神さま) は
住吉大神さまを奉っているのだけど、なぜか 諏訪明神とも呼ばれているとか。
しかも、ある氏族の氏神さまで、その祖神はニギハヤヒノミコトさまだったことが判明。
というわけで するすると、すべてのキーワードがつながりました。
いつもそうなのだけれど、こうして神話 (霊的な世界) と現実の自分が
ちゃんとつながっているのだと実感すると、本当に不思議。
神道の教え 「敬神崇祖」 そのままに、わたしがここに存在するには
日本神話の神々からご先祖の皆様方に続く、大いなる縁や導き、見守りがあると実感し
大切なものは すでに、すべて与えられているのだと 感謝があふれます。
もちろんこれは、決して わたしだけの特別な話 ではなく だれにでも当てはまる話。
みなさまも機会があれば、ご自身の魂のご縁を 調べてみてはいかがでしょうか?(*^_^*)
6月7日(日)
守護霊さまがくださるメッセージには、いつも 言葉では表せないほどの感動がある。
お金や地位や名誉・・・、物質的なものには 決して左右されることなく
ただ たましいの成長だけを願う、本質的な愛や思いやりの深さは
真実のものだけがもつ、輝きと喜びに満ちている。
そのたびに、わたしは 「守護霊さまって、神さまみたいだなあ」 と思う。
そのくらい 謙虚で愛に満ちて、高く清らかな波動をもつ存在に
わたしたちは だれもがかならず、見守られ 導かれている。
なんて ありがたく、しあわせなことだろう。
そして そんな守護霊さまよりも、ずっとずっと 進化向上なさった高級霊の方々が
この土地を、国を、地球を、宇宙を統べてくださっていて (八百万の神々)
その頂点には、唯一無二の 神さま がいらっしゃる。
神さま と、言葉にするのもおこがましいほど
わたしたち人間が どんなに想像力を働かせたとて、決して 計り知ることはできないほど
神々しすぎて 畏怖の念を抱くほどの、絶対的かつ圧倒的な愛の存在。
守護霊さまの あの深い愛でさえ、唯一無二の 神さま の愛に比べれば
地球上のすべての海の、ほんの一滴にすぎないだろう。
それがわかっていれば、驕り高ぶることなどできるはずがない。
未熟で傲慢で不完全な、小さな小さな存在である わたしたち。
神さま は、守護霊さまを介して
わたしたちひとりひとりを、いつでも 限りない愛で包んでくださっている。
その愛に気づき、感謝し、ほんの少しでいいから 報いることができるよう
今日 いまこのときを、せいいっぱい 生きていこう♪
6月3日(水)
木漏れ日。
最近 手放すことの大切さを、実感しています。
たとえば、過去のできごと。 「あんなこと、言わなきゃよかった」 とか
「あのメール、どう思われただろう」 とか、不安になること。
たとえば、他の誰かのこと。 「どうして、ああなんだろう」 とか
「なんで、わかってくれないんだろう」 とか、納得できないこと。
過去には、戻れない。 他人は、変えられない。
そのできごとが 何を学ばせてくれているのか、自分をみつめ 考えることも必要だけど
・・・それでも、どうしようもないこともある。
そんなときは、思いきって 手放そう。
いますぐ、答えが出ないこともある。 いますぐ、結果にならないこともある。
いますぐ、理解できないこともある。
そして 願わくば、ときが来たら 思いきって手放せるように
日常から、できるときに できることに できる範囲で 取り組んでいこう。
ものごとを手放す 潔さや勇気、いつも もっていたいものです☆










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