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「ふんふふんふふーん☆」
アイリスは大きく反動をつけて、ベットの上に起き上がった。
「行くよ、ジャンポール!」
いつも一緒の相棒に声をかけると、勢いよく廊下に飛び出す。きっかけは、紅蘭の謎かけだった。
「なあ、アイリス。空に流れる川はなんや思う?」
「へんな紅蘭。空に川があるわけないじゃない。アイリスをばかにしないでよ」
「甘いっ、甘いなあ、アイリス。あんさん、まーだ日本の情緒っちゅうもんを理解しとらんで! 夏の夜空には『天の川』ちゅう川が流れとるんや。ホンマやで。嘘だと思うなら確かめてみい。日本の夏はすいかと花火と天の川、これで決まりや」
紅蘭は「たなばたぱーてぃー」なるものを由里と企画中なのだとか。それで、「天の川」を知らない人間が帝劇にいるのは、「困りモン」なのだそうだ。
・・・何がなんだか、アイリスには良くわからないが、とにかく「天の川」は見なければならない。そういうものらしい。
仕方なく納得した振りをして、夜になったら確かめてみよう、と思ったアイリスである。
だが、廊下に出た途端、低く交わされる話し声に気付き、彼女は無邪気にその声のする方へ向かっていった。
「あれえ? マリアにお兄ちゃん! ・・・二人っきりで何してるの?」
「アイリス!?」
普段「寝る子は育つ」の代名詞のような早寝のアイリスが出てくるとは思わなかったのだろう。大神とマリアは実に慌てて、アイリスを見下ろした。
「あなたこそ・・・、こんな時間に何をしてるの」
「あのね、『あまのがわ』っていうのを見に行くの! おにいちゃん達、知ってる?」
ほんの少し考えこんだ大神が、ぽんと手を打ってアイリスの目線にあわせるように小腰をかがめた。
「おすもうさんの名前だよ。昔『あまのがわ』っていうつよーいおすもうさんがいてね・・・。その強さを賛えて星座の名前にしたんだよ」
「へえー、すっごーい! おすもうさんのお星様、アイリス見たい見たい!」
「隊長、ダメですよ! アイリスに嘘を教えるなんて!」
マリアは大神を押し退けると、アイリスにきつく言い渡した。
「アイリス。こんな時間じゃなくても天の川は見られるわ。明日になさい、子供はもう寝る時間よ」
「アイリス、子供じゃないもん!」
「そうかしら───?」
マリアはすっとアイリスに顔を寄せた。
「この間、朝、布団が濡れていたのは気のせいだったかしら?」
「ああっ!」
アイリスはしまった、と口に手をあてた。
「だって、あれは・・・、カンナがオバケの話をするからぁ・・・」
「怖くて、夜トイレに行けないってのは、大人じゃないのよ、アイリス」
「───何の話?」
蚊帳の外に追い出されていた大神が、不思議そうにマリアとアイリスを見比べる。
はっと、アイリスは飛び上がってマリアの口をふさごうとした。もちろん届くはずもない。
「いえ、何でも。アイリスはもう、休むそうですよ。隊長」
「そうかい? そうだな、天の川は明日でも見られるよ」
大神は疑いもせず、にこにことアイリスの頭を撫でた。
「おやすみ、アイリス。良い夢を見るんだよ」
大神には絶対におねしょの話など知られたくないアイリスは、不承不承、二人に背を向けた。
「・・・うん、アイリス、もう寝るね」
じっとマリアを一睨みして、アイリスは廊下を引き返した。
だが、彼女はまっすぐ部屋に戻りはしなかった。
(マリアのバカッ! アイリス、きょーはくには、くっしないんだからあ!)
階下へと下りてゆく二人を、こっそりとつけはじめる。もう天の川など、どうでもよくなっていた。自分を子供扱いして、邪魔にした二人に、一矢報いてやらなければ。
「ね?」
アイリスは、ジャンポールに同意を求めた。腕の中の相棒は、力強く頷いた───ように見えた。
「えーと、こう・・・だったかな?」
舞台のかすかな灯りの下で、さくらの袖が舞う。と、くるりと回転するはずの足がバランスを崩し、彼女はその場に尻餅をついた。
「きゃ! ったあ・・・、とほほ、あたしってドジィ」
端役とはいえ、まだまだ新人女優として覚えるべきことはいくらでもある。昼は、主役の二人の稽古に重点が置かれるため、さくらとしてはこんな夜中でなければ、すみれに追い付くチャンスはないのだ。
「すみれさんを見てると、簡単そうに見えるんだけどなあ・・・。えい、もう一回!」
上手にこころもち移動し、頭の中で流れる音楽にあわせて、すっと右手右足を伸ばす。剣を学んでいたおかげで、身体のさばきかただけは、なんとかさまになっている。
首を巡らすと、袖から近づいてくる二つを影を見つけた。
「あ、大神さんに、マリアさん。夜の見回りですか?」
いつもなら、大神一人のはず。
だから、時には彼の趣味や好みを聞き出したり、休演日の予定を押さえたり、実にお役立ちのひととき、のはずなのだ。もっとも、この時間を利用しているのは、さくらだけではなく、他の皆も多かれ少なかれ、大神との時間を持ちたくて夜更かししているのである。
しかし、その中でまったくそういうことをしそうにない人物が、大神と一緒とは───。
「そうなの。今日は私も隊長と一緒に見回りをしてるのよ」
妙にマリアが嬉しそうなのも、気になる。
さくらは思わずムッとなって、大神にあたった。
「ふーん・・・。大神さん、ずいぶんマリアさんと仲が良さそうですね」
「え?」
不意をつかれた表情で、大神は隣に立つマリアとさくらを見比べた。
「大神さん・・・、否定しないんですね」
今度はマリアのほうが焦って不機嫌な声を出した。
「何いってるの、さくら。今何時だと思ってるの? 早く休みなさい」
ぷいと横を向いたその顔が耳元まで真っ赤に染まっているのを、さくらは見逃さなかった。
(な、なあによ、マリアさんったら! 結構喜んでるじゃないのお)
「ええ、どうせ、あたしはお邪魔でしょうよ」
「さくらくん、そういうことではなくてだね・・・」
上目使いに大神を見上げるさくらの表情は、どんな言い訳をも受け付ける状態ではなかった。大神が半歩あとずさる。
「わかりました! もう遅いし部屋に戻りますッ!」
(白々しいっ、フケツよ、フケツ!!)
「ふたりとも、どーぞ、ごゆっくり!」
自棄になって、足を踏み鳴らして舞台を去る。部屋に戻るのではない。まっすぐ、地下の鍛練室に駆けこむつもりだった。これはもう、サンドバックにでもやつあたりしてやらねば、気がすまない。
「きゃん!」
舞台袖で、胸の辺りにぶつかったものから悲鳴が上がる。
「ふぇ・・・、さくらあ、いった〜い」
「アイリス!? 何してんの、こんなとこで」
怒りの表情を張り付けたままのさくらにおびえたのか、アイリスは素直に白状する。
「マリアとお兄ちゃん、あやしいから、後つけてるんだもん」
「あやしい? やっぱり!?」
「うんうん。なーんかね、アイリスのこと邪魔にするんだよう。二人っきりになりたがってるみたい」
「何ですって・・・!」
さくらの頭上から湯気が上がる。
「さ、さくら、こわひ・・・」
「もう許さないっ! 絶対、ずぇーったい、いいむうどなんて、ぶっ壊してやるんだから」
さくらは、猛然と二人が去った方へ引き返した。
「───あ、さくら! アイリスも行くよっ」
尾行者が増えたことに気付かない大神とマリアは、廊下に出たところで、話し声に引かれ、宿直室までやってきていた。
「前々から思っていたんだけど、この宿直室ってどうして使われていないんだい?」
ぼそぼそという人の声を扉の向こうに聞きながら、大神が指をさした。
「・・・隊長、ご存じなかったんですか?」
「え?───何を」
「いえ、私の口からはちょっと・・・」
「な、何で勿体ぶるのかな、マリア・・・」
大神の顔がひくついている。実をいうと、幽霊や怪奇物の話が、この元海軍少尉の弱点なのである。江田島の士官学校でも、しごきに耐え兼ねて自殺した生徒の霊が出るとか、鬼教官が敵の霊を戦地から連れ返ったとか、そうした話は枚挙に暇がなかった。
だが、竣工して一年の大帝国劇場にそういった怨念話があるはずもないと、高を括っていた大神にとって、思わせぶりなマリアの態度は脅威だった。
「・・・知らない方がいいことも、世の中ありますし」
「そんな、気になる振り方しないでくれよおっ」
大神は取りすがるようにして、マリアの肩に手をかけた。
尾行者二人は、それを廊下の角から見つけて飛び上がった。
(おおおおおお大神さんっ!)
(おおおおおおお兄ちゃん!)
(マリアさんを抱き寄せようとするなんて!)
(アイリスという恋人がいながら、お兄ちゃんのうわきもの!)
「取り合えず開けてみましょうか」
「マ、マリアッ? 夜も遅いし、そろそろ切り上げないかい?」
「何をいってるんです、隊長。さ、入りますよ」
(宿直室に連れ込んで、どうする気!?)
(いざとなったら、アイリス、しゅくちょくしつごとお兄ちゃんにおしおきしちゃ
うからあっ!)
───何事も悪い方へ曲解する二人であった。
「あ、大神はん!マリアはんも一緒やないの」
「カンナに紅蘭。何してるの、今ごろ」
「何って・・・、こいこい」
「ひどいんでっせ、カンナはん、一人勝ちや」
マリアの背後からおそるおそる宿直室を覗き込んでいた大神が脱力する。気の緩んだ反動でか、ついきつい言い方で二人を叱りつけた。
「こら、夜更かしはいけないぞ、二人とも! 今、何時だと思ってるんだ!」
きょとんと大神を見返していたカンナと紅蘭だが、同時ににやりと笑って大神に詰め寄った。
「大神はんこそ、こないな夜更けにマリアはんと二人っきりでぇ」
「大体、宿直室なんか普段見回らねーだろ? 何しに来た訳?」
「何って・・・、貴女達の話し声がしたから」
マリアもしどろもどろに言い返す。
「ほんまでっかー? なーんやあやしいなあ」
「ちょっと待ってくれよ。誤解してるよ、君達」
「ははは、まあまあ隊長。夜は短いんだ。ここは一つ邪魔者は消えるとするかな。いやー、若いっていいねえ」
訳のわからない納得の仕方をして、カンナが宿直室をすばやく出て行った。夜更かしの注意をしそこねたことに大神が気付くまで、八秒ほどかかった。それほどさりげない早業である。
「さすがカンナはん、引き際も早いで」
「感心している場合じゃないでしょ、紅蘭?」
マリアの怒りの矛先が、残った紅蘭に向いた。
「その座布団の下を見せてくれるかしら?」
「え!? い、いややなあ、なに言い出しますねん、マリアはん」
「いいから」
必至に座布団を押さえる紅蘭を押し退けると、そこには一円札が束になって隠れていた。
「やっぱり・・・。帝劇内では賭けごとは禁止だってあれほど言ったでしょう」
「え? じゃあ、俺から十円巻き上げたあの勝負、無効じゃないか!」
それを聞いた大神が思わず紅蘭に詰め寄る。
「・・・大神はん、どじ」
「───隊長?」
「あ、いや、その」
「困りましたね。貴方がそれでは」
「・・・ごめん」
「貴方はこの帝劇内の規律を守る立場にあるのですよ? それが何です、先頭にたって遊び惚けるなんて」
「すみません」
ますますしゅんとなる大神。
今がチャンスとばかりに、紅蘭がそろりそろりとドアににじり寄る。
「えーと、ほな、ウチもこれで失礼しますさかい・・・」
が、二人はそろって紅蘭に向き直った。
「待ちなさい、紅蘭! たっぷりしぼってあげるから覚悟なさい」
「そうだ! 十円の恨みを思い知れ!」
「あっちゃー! 大神はんの裏切り者〜〜っ」
紅蘭は捨て台詞を残すと、脱兎の如く宿直室を抜け出した。とりあえず飛び込んだ先は衣装室のマネキンの間。それらしくポーズをとってみたりして、二人の気配が去るのをじっと待つ。
「───いないね。どこいったんだろう、紅蘭。それにカンナも」
「───紅蘭のことですから、地下格納庫とか───」
「はぁぁぁぁ。あせった。ふたりとも、息の合ってはること。どーも信用できんで、こりゃ」
「へええええ、そうなの」
すぐ傍で、低いうなり声がした。
「ひっ!?」
思わず飛びすさった紅蘭だが、同じくマネキンの群れの中にさくらとアイリスの姿を発見して、眼を丸くした。
「さくらはん、アイリス。あのー、つかぬことをお聞きしますが・・・、何しとるん?」
「別に!? ただちょっと夜の散歩をしているのよね、アイリス?」
「うん。別にお兄ちゃんとマリアが怪しいから後つけてる訳じゃないよねっ」
「・・・後つけてたんか。うーん、ウチも混ざったろかいな、夜の散歩」
「ええ、そうしましょ。大勢の方が散歩も楽しいわ!」
「うん楽しい楽しい!」
「・・・目つきが、全然楽しそうやないで、二人とも」
「しっ、来たわよ」
「・・・地下に行ってみませんか? まだ見回っていませんし」
「そうだね」
(地下やて。なんや、人目のないとこばっかり見回っとる感じやな)
(そぅぅぅぅぅぅまでして、二人っきりになりたいのかしらぁぁぁぁぁぁぁぁ?)
(さくら、眼が座ってるよ)
大神とマリアは地下に下りると、真っ先に鍛練室を覗いた。が、そこでカンナの姿を発見することは出来なかった。
「どこへ逃げたんだ、カンナの奴」
大神が指を顎にあてて、考えこむ。その背中にマリアが注意を促した。
「隊長。水音がしませんか?」
「・・・ほんとだ」
「誰かシャワーを浴びているようですね」
「え?」
シャワーという言葉に大神が反応する。
「い、いかん! くらくらしてきたぞ。身体が勝手に・・・」
(シャワーを一緒に・・・!?)
(それはなんぼなんでも、あかんやろ、大神はん!)
(おにいちゃんのエッチ!)
(おおおお、おおがみぃぃぃぃぃ〜〜〜!)
(ちょ、ちょい待ちって、さくらはん!)
思わず飛び出そうとするさくらを、かろうじて紅蘭が羽交い締めにして止めた。
<2> 99.5.2
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