一 「星降る夜に」


「た、隊長! いけません!」
「し、しかしもしカンナだったら・・・、う、うむ。これは隊長としての責務だ!」
 マリアの制止を振り切り、大神はシャワー室のドアをあけた。大神の腕を引っぱっていたマリアも、引きずられるようにシャワー室に入る。
「ん〜? 誰だ、覗いている奴は」
「いいッ!? よ・・・、米田支配人!?」
「は・・・早く出ましょう、隊長!」
 ガラス越しとはいえ、米田の裸体を目撃した衝撃からか、大神はすっかり血の気の引いた表情で頭を振っている。
「う〜ん、とんでもないものを見てしまった・・・」
「だから止めたじゃありませんかッ」
「面目ない」
「───ったく、なんてぇ奴らだ」
 シャワー室からタオルを腰にまいただけの米田が、いやににやけながら出てきた。
「大神、マリア───おめえたちも、すみにおけねえなあ。二人でシャワー室でこそこそナニするってんだぁ?」
 そこで二人は初めて、米田の笑みの意味を知った。大神はしどろもどろに言い訳を試みる。
「ち、違います! 自分達はみまわりの最中でありまして・・・」
「ほお? 腕ぇ組んでか?」
 マリアは引いたままの大神の腕に気付いて、真っ赤になる。慌てて一メートルほど離れたが、米田の目つきは変わらない。
「す、すみません、米田支配人。まさか、支配人とは・・・」
 目のやり場に困ってか、ずっと下を向いているマリアをちらと窺って、大神が殊勝を装って頭をさげる。
「いーや、許さん。せっかく、いい気分でくつろいでたってのによ。大神、おめえバツとして、俺の背中を流せ」
「いいっ!? 長官のをですか?───二度と見たくないなあ───」
「マリア。おめえは、そうだな、洗濯でもしてもらおうか」
「はあ・・・。とんでもないことになりましたね、隊長」
「とほほ・・・」

(あ、マリアはんだけ出てきおった)
(手におよーふく、もってるよ?)
(・・・ということは、大神さんを脱がせたのね!!)
(・・・紅蘭。アイリス、さくらが怖い・・・)
(辛抱や、人間、辛抱を覚えて大人になるんや)

 一時間後。米田に続いて更衣室から大神とマリアがやつれた様子で現れた。
「やれやれ、やっと解放されたね───それにしても、カンナはどこ行ったんだろう」
「・・・カンナの行きそうな場所なら心当たりがあります。行きましょう、隊長」

(やれやれ、やっとウチらも、解放されるわ)
 鍛練室に隠れていた尾行者たちも、安堵のため息を漏らしていた。
(ねえ、紅蘭。・・・さくら、どうする?)
 二人の背後からは、サンドバックの悲鳴が聞こえてくる。
(大神一郎のばか〜〜〜〜!)
(───アイリス。こういうのはな、「さわらぬ神にたたりなし」いうんやで。また一つ、おりこうさんになりはったな)
(アイリス、なんだか大人になるの嫌になってきちゃった・・・)

「カンナ!」
 食堂で機嫌良く夜食を平らげていたカンナが、肩を震わせて振り返る。
「うっ・・・、何だよ、マリア」
「何だじゃないわよ。今何時だと思ってるの?」
 カンナは箸の先を子供のように噛みしめて、愛想笑いを浮かべていった。
「やだなあ、これ食ったら寝るよう」
「そういう問題じゃないでしょう? さあ、隊長。隊長からも注意してください」
「ああ。で、でももう寝るといってるんだし・・・」
「隊長。お気持はわかりますが、ここで甘やかしたら、カンナの為になりません」
 マリアの迫力に圧されて、大神は咳払いを一つしてカンナに向き直る。
「あー、カンナ? 公演も近いことだし、そろそろ身体を休めたほうがいいんじゃないかな、はは、は・・・」
 カンナとマリア、二人に挟まれて、大神の笑いは空虚に響いた。大げさなため息をついたカンナが頭をかきながら立ち上がる。
「しょうがねーなー。今日のところはおとなしく休んでやるよ。だけどな、隊長。もちっと、こう、マリアの尻にしかれないように・・・」
「私が何ですって、カンナ」
「っと。マリアに言われる前に、隊長の職務を果たした方がえーんでないかい、と思う訳だな。んじゃ、おやすみっ」
 両手を合わせて「ごちそうさま」をすると、カンナは脱兎のごとく食堂から姿を消した。
「もう、カンナったら。なんだかんだ言って逃げちゃうんだから」
「まあ、いいさ。カンナの言うとおり、俺も次回からはもう少し気をつけて注意するようにするよ」
「お願いしますね、隊長」
 カンナが残した食器を片付けに、マリアは厨房へ引っ込んだ。洗い物を終えて食堂に戻ると、大神が所在なげに椅子に座っていた。
「あら、隊長? お休みにならないのですか?」
「あ、ああ───だって君を残して自分だけ寝る訳にはいかないし」
「まあ」
 マリアは破顔した。
「そんなこと気になさらなくても」
「そういう訳にはいかないよ」
 生真面目に大神が答える。二人は見つめ合って、同時に吹き出した。
「やめとこう。あまりに他人行儀だ」
「そうですね」
 最後に玄関の鍵を確かめて休むことにした。ロビー脇の階段を昇りかけた時、頭上の照明が消えた。見回りを始めて二時間。花組全員を寝かしつけるのに、こんなに時間がかかるとは。
 二人は顔を見合わせて苦笑した。

「どうしたんだい? マリア」
 大神はテラスで急に立ち止まったマリアを振り返った。バルコニーへと続くガラス戸の向こうには夜の深淵が広がっている。
「あ、すみません。テラスから見た星空があまりに奇麗だったので・・・」
「・・・本当だ。ちょっとバルコニーに出てみようか」
 ささやかな風が二人の間をすりぬけていった。真夜中といえど、帝都の中心地、銀座にはまだ繰り出している人影も多く、蒸気自動車のヘッドライトが彼らの眼下を流れて行った。マリアは風に髪を揺らしながら宙を見上げた。
「わあ・・・、奇麗な天の川ですね・・・」
 バルコニーの手すりから身を乗り出す。マリアには珍しい子供っぽい仕草だった。
「ロシアからは見えない南の星が、こんなにたくさん・・・」
「・・・」
 二人はしばし無言のまま、天空を見上げていた。
「───俺の生まれた所は山の中でね。この銀座みたいに瓦斯灯もないし、店だって看板に明りを使うなんてハイカラなこと、しやしない。だから夜は本当に真っ暗なんだ。
 流れ星なんかもそれはそれはゆっくりと動いてね。『願い事を3回唱えると叶う』って、よく言うじゃないか。別に信じていた訳じゃないけど、それでも唱え終わる前に山の稜線に消えると悔しくてたまらなかったっけ」
 マリアがクスッと笑った。
「あと星といって思い出すのは海士の卒業航海の時かな。夜、寝付けなくて一人で甲板に出たことがあってね。そこで思いがけない物を見たんだ」
「・・・」
 大神が優しくマリアを見つめる。
「マリア。海の中にも、星があるんだよ」
「え?」
「夜光虫っていってね、プランクトンの一種なんだけど、青白く波間に漂ってるんだ。弱々しい光でね。船のたてる白波のほうが明るかったりするんだ。それでも波に逆らわずに、どこまでもついてくる。あれはすごい不思議だったな。
 頭上の冴えた星明りは、どこまでいってもその場にとどまっている。眼下の星は刻々と揺らめいている。なんていうのかな、人間とはかかわりないところで動いている万物の在りようを見せつけられたようで───人間は小さいものだと実感させられたような気がしたんだ。堅苦しいかな」
 大神が鼻の頭をかく。
「そんなことありません。むしろ羨ましいくらいで・・・。私は───私にはそんな語れるほどの思い出はありません」
 マリアは首をふった。
「・・・昔、星を見上げたのは戦いの間、氷の大地を移動中に方角を知るためだけでした」
「・・・」
「母を亡くし、父と離れたくないがために入った軍隊です。周りは皆、大人ばかりでしたし、子供に構う余裕など、誰にもありませんでしたから。私、日本に来てはじめて、カンナに星座の名前を教わったんですよ」
「へえ?」
「もう思い切りバカにされました。本ばかり読んでいるくせに、そんなことも知らないのか、と───隊長に比べてつまらない思い出ですね」
「そんなことないさ。大地を行く者も、海を行く者も、旅する者はみんな星あかりに導かれて旅をしていたんだ。───そうして君はカンナと一緒に星の名前を覚えることが出来た。今、ここでこうして俺と一緒に南の星を見ることが出来ている。それは誇っていいことだと、俺は思う」
「・・・戦って来たことを、ですか?」
「生きていることをさ」
「・・・」
 マリアは、大神から眼をそらした。
「そんなふうに思える日が、来るでしょうか」
「もちろん」
「・・・そうですね」
 大神はそっとマリアの横顔を見つめた。星空を見上げたまま、彼女は微笑んでいた。以前のような寂しげな笑顔ではなく、底に力強さが加わっていた。彼女が生きる張りを取り戻せたことを、自分がその手伝いを出来たことを、大神は素直に喜んでいた。
「マリア・・・」
 大神が一歩、その間をつめようとした時。
「あーら大神さん。ずいぶんマリアさんと仲がよろしいんですねえ」
 大神の背筋に冷たいものが走った。
「そ、その声は・・・」
 彼らの背後には、殺気をみなぎらせた一団が居並んでいた。
 さくら、紅蘭、カンナ、アイリス、そして米田。
「み、みんな」
「もう部屋に戻ったはずじゃあ・・・」
「あたしたちを部屋に追い払って、自分たちだけこそこそナニしてるんですかッ!」
 さくらが詰問する。
「いや、ちょっとくつろいでいただけなんだよ・・・」
 一斉に不満の声が上がった。
「おーれだって、シャワーを浴びてくつろいでいただけだぞ?」
「話しとったウチらを注意しといて、自分らかて話しとるやないの!」
「それに天の川みてる! ずるいずるいーっ」
 アイリスが地団太を踏んだ。
「それはね、アイリス」
「ちょっと、待ってくれないか、みんな」
「問答無用です!───皆、大神さんにおしおきしちゃいましょう!」
「な、何でそうなるんだああ!」
 さくらが荒鷹の鞘を抜き払う。
「覚悟はいいですねっ、大神さん!」
 アイリスが小脇に抱えていた枕を大きく振りかぶった。
「そぉれ!」
 それを、後ろから手を伸ばしたカンナがアイリスを制する。
「カンナ・・・、ありがとう。君は聞き分けてくれると思っていたよ・・・」
「いーや! アイリスの力じゃぶつけたところで、何の効果もないからな。アタイが代わって思いきり投げてやる!」
「じょ、冗談じゃない!」
 大神はマリアの手を引いて走り出した。
「逃がさへんで! チビロボ!!」
 命令一下、紅蘭の足元から、小さな刺客たちがうなりを上げて飛んでくる。
「紅蘭、やめなさい!───皆、落ち着いて」
 マリアの怒声も、いつものような歯止めの意味をなさない。大神が彼女をかばってチビロボの攻撃を受けてのけぞった。それがまた、少女達の怒りをあおる。
「こんなときまでかばってどないするんや!」
「そ、そんなこといったって・・・!」
 サロンを駆け抜けたところで、階段を昇ってきた人影に二人はぎょっとなった。行く手に米田が立ち塞がっていた。
「しまった、回りこまれた!」
「畜生、俺を邪魔にして、いちゃつきやがって───」
「いちゃついてなんかいません!」
 マリアは必死に首を振るが、前後挟み打ちにした5人の耳にはもはや届いていない。
「ちょ、ちょっと待ってみんな・・・」
「待ちません!!」
 包囲網が一気に距離を縮めようとしたとき、彼女らの私室のほうから、バタンと力任せにドアを閉める音がした。
 横目でうかがった米田の顔が石化した。
「す・・・、すみれ」
 ショッキングピンクのパフスリーブのネグリジェ。髪はいつものカチューシャの代わりに白いリボンのついたナイトキャップで覆われている。これまた白いリボンのついた室内履きで、猫のように音も立てずに角からぬっと現われたすみれは、怪しい一団を見つけると、にこりと笑った。
「あら〜〜〜〜〜〜。み・な・さ・ん、楽しそうですことねえ〜〜」
 一同は固まったまま、嫌な予感に耐えた。
「で・も・ね。レディの貴重な睡眠時間を邪魔する輩は、こうですわっ!」
 恐れおののいて、すみれから遠ざかろうとする面々の中で、一人事情が飲み込めない大神だけが遅れる。マリアの叫びが響く。
「───隊長! 寝ぼけているすみれには、絶対勝てません!!」
「きぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいっ!!」
 大神の顔面に、すみれの飛び蹴りが決まる。大神はそのまま後ろにぱたりと倒れた。
「お、大神さん!」
「おにいちゃん!」
「大神はん!?」
「隊長!」
「おいっ、大神。しっかりしろ!」
「すみれ、貴女、なんてことを!」
 薄れてゆく意識の隅で、大神は確かにすみれの高笑いを聞いたと思った。


 
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