一 「星降る夜に」


 翌朝、医療ポッドの中で目覚めた大神は、後頭部の鈍痛をもてあましながら身を起こした。
「・・・はあ」
 ため息がもれる。脇のスツールにモギリの制服がきちんとたたんで置かれてあった。疲れた気分で身支度を整えると、食堂に向かう。
「あ〜ら、少尉。今日はお早いお目覚めですのねえ」
 階段を昇りきったところで、声をかけられた。大神の脳裏に、昨夜の飛び蹴りの衝撃がよみがえる。おそるおそる振り向くと、相手はにこやかに笑顔を振りまいていた。
「や、やあ、すみれくん・・・」
「わたくしも、何故だか今朝はすっきりとした気分で眼が覚めましたの。これも美容と健康に対する日頃の心がけの賜物ですわ」
「そ、そう。そりゃ良かったね」
(そのおかげでエライ目にあったんだが・・・)
 大神は頭痛を感じた。
「あら、どうしたんですの? わたくしの顔に何かついてまして?」
「いやっ、その、き、き、き、きれいだな〜〜〜〜と思って、さ」
「ま」
 すみれがぽっと赤くなった。
「嫌ですわ。わたくしが美しいなんて、そんな当り前のことをおっしゃるなんて。少尉ったら、寝ぼけてらっしゃるの?」
(寝ぼけてたのは、キミだっっっっっ!)
 もちろん、声に出して言う勇気など、持たない大神であった。


 朝から憔悴しきった大神が食堂に顔を出すと、一斉に刺のある視線が突き刺さった。テーブルの端から、マリアが助けを求めるように大神を見た。
(俺たちが何をしたと言うんだか・・・)
 すでに抗弁する気力も失せ、大神は機械的に海苔の佃煮を口に運んだ。
「さくら、大根のお漬物あげるね」
「あらありがとう、アイリス」
 大神の隣に座った少女が二人、わざとらしい会話を演じている。いつもなら、好き嫌いの多いアイリスは、嫌いな食べ物を大神に「おにいちゃんに、特別にあげるね」といって押し付けてよこすのだが、どうやら今日は無視する算段らしい。
 妙に緊張感の漂った朝食が終わる頃になって、あやめが珍しく髪を下ろしたままの、普段着の水色のツーピースで現われた。
「おはよう、みんな。ごめんなさいね、ちょっと寝坊しちゃって」
 照れ隠しに、しきりに笑い声をたてながら、あやめは言った。
「珍しいこともあるもんやな。あやめはんが寝坊やなんてぇ」
 紅蘭があやめの顔を覗き込む。
「何ぞありましたん?」
「ううん別に。夕べはついぐっすり眠りこんでしまって。おかげで今朝はすっきり」
 あやめが艶然と微笑んだ。
 大神の箸が止まった。
(・・・あの騒ぎはあやめさんの部屋の前だったんだぞ。・・・気付かなかったんだろうか?)
 一番あなどれないのは、やっぱりこの人だ。大神は再び頭痛を覚えた。




 帝都に差し込む日差しも、徐々に強くなってきた。稽古に向かう途中、テラスで足を止めたマリアは、その光に眼を細めた。
 マリアは夏が苦手だった。
 北国で育った彼女には、東京の気温が高すぎるのと、夏には良い思い出がないせいである。
(三年前の夏は、ここではなかった───)
 異国の石造りの都で、その底辺で暮らしていた。
(今さらあの頃のことを思い出してもしょうがないけれど、でも、三年経って、やっとこの日本に来て良かったと思えるようになった)
 マリアはこつんと、ガラスに額をあてた。
(最近、無理をしてあれこれ忘れようとすることが、なくなったわ───なんだか、自然に薄れてゆくようで───どうしてかしら?)
「あれ? マリア」
 背後から声がかかる。マリアは慌てて、物思いに沈んだ表情を誤魔化そうとする。
「───あら、隊長」
「うわぁ、暑くなりそうだね」
 マリアの横から、窓の外を覗き込んだ大神は、顔をしかめた。
「これから、アイリスのお供で出なきゃならないんだよな」
「それは、ご苦労様です」
 くすりと笑みがもれる。アイリスが昨夜、大騒ぎして外出着を選んでいたのを、マリアは知っている。そんなところはしっかり「女の子」だ。
 素直に大神に接してゆくアイリスの一途さを、マリアは愛らしく思う。
 今日はアイリスの満十歳の誕生日だった。
「ホント、七夕が近づくと夏だなって気がするよ」
「七夕?」
「ああ、マリアは知らないんだね。日本では七月七日に、笹竹に、願い事を書いた、短冊という紙をつるす習慣があるんだ」
「・・・そういえば、あやめさんに聞いたことがあります。願い事ですか。ロマンティックな風習ですね」
「そうだね。七夕の由来がロマンティックだからかな」
「由来?」
「そう、天の川を挟んで離れ離れになった天界の恋人同士、彦星と織姫が、年に一度、逢えるのが七夕の日だからさ」
「へえ、良くご存じなんですね。隊長だったら、どんな願い事をタンザクとやらに書かれますか?」
「そうだなあ」
 大神は、ちらっとマリアを窺った。
「───マリアと仲良く、楽しく過ごせますように、かな?」
 途端にマリアの頬が赤く染まった。
「そ、そうですか・・・。ありがとうございます」
 マリアは、そそくさと大神に背を向けた。
「で、では、私はこれで・・・」



「怒らせたかなあ・・・」
 テラスに一人残された大神はぽりぽりと頭をかいた。築地の一件での戦闘報告
で、あやめが妙に嬉しそうに、こう告げた。
「大神くん、気付いてる? あの子、あなたの事を『隊長』と呼ぶようになった
わ」
 やっと認められたという感慨が、大神を、とみにマリアに近づけているのだが。
「調子に乗りすぎたかな?」
 大神はため息を一つついた。
 マリアと仲良くなりたい、という気持ちは実の所、本音であったりする。
 確かに華やかな女性の園で暮らすのは、一人の男として楽しくもあり、役得ですらある。だが一方で、一人の軍人としては、時に気詰まりに感じることもないではない。
 ありていにいえば、自分を見失いそうな不安。のどかな日々に流され、危機感が薄れてしまいそうな、かすかな苛立ち。
 海軍に残った仲間たちは、おそらく従来の希望通り、有意義な時間を過ごしているだろうという焦り。
 そんな自分の弱さに、いつも自らを律しているマリアに向かい合うことで、歯止めをかけられるような気がするからだ。
 彼女は大神にとっては、副隊長として任務についても対等に相談できる唯一の隊員であり、あまり「女の子」に対する動揺を感じることが少なかった。 
 出来れば、もう少し心を開いてくれたなら。
 大神にとって、そして花組にとってきっとプラスになるだろう、と思うのだが。
 彼女の潔癖な性格には、からめ手は通用しないようである。
「女の子って、難しいよ」   
 大神はもう一度ため息をついて、アイリスの部屋に向かった。


 昨夜、大神を三時間付き合わせて選んだ服で、アイリスは出迎えてくれた。お気に入りのポシェットを下げて、いざ出かけようという段になって、アイリスが言った。
「おにいちゃん、あやめお姉ちゃんが誕生日のプレゼントをくれるんだって! もらってくるからロビーで待っててくれる?」
 浮かれて駆け出すアイリスの背中に苦笑しつつ、大神は一人で階段を下りる。百貨店へでも連れて行って、何か買ってやる心積りだ。本当ならあらかじめ用意してやりたかったのだが、女の子の喜びそうなプレゼントなど思いつかなかったのだ。
 支配人室の前を通りすぎようとすると、たたきつけるような米田の声が聞こえてきた。
「何度行ったらわかる! タチバナ・マリアが光武を無断で使用したという事実は存在しない。あれは俺が立てた陽動作戦だ───査問委員会? 勝手にしたまえ!」
(査問・・・委員会?)
「だがな、これだけは言っておく。タチバナ・マリアは出頭させん! いいな!?」
 廊下にまで、受話器を叩き付ける音が響く。大神はたまらず支配人室の扉を開いていた。
「失礼しますッ!」
「ん〜? なんだ。大神」
 普段と変わらぬ暢気な口調だが、眼の奥には剣呑な光が残っている。
「長官、今の電話は・・・」
「ん? 何の電話だ?」
「ですから、今マリアの・・・」
「あん? お前夢でも見たんじゃねえのか?」
 米田はそういってコップに冷や酒をついだ。小さな水面が波だっている。
「しかし・・・」
「だあっ、つべこべうるせえなあ! 俺はこれから一眠りするからよ、起こすんじゃねーぞ!」
 米田は一方的にまくしたてると、支配人室から大神を追い出した。
「米田長官・・・」
 当然なのだ。赴任して間もない、半人前以下の自分では、どうすることも出来ない問題だ。大神は唇をかみしめ、廊下に立ち尽くした。
(マリアが知ったら、また気にするだろうな───)
 大神の脳裏に、星を見上げるマリアの横顔がよみがえった。


「私は反対です」
 かすみは一言で却下した。事務局で彼女と向かい合っていた由里と紅蘭は、ぽかんと口をあける。
「な、なんで? 年に一度のお祭りでしょう?」
「そやそや。ロビーに笹を飾ってお客はんに願い事書いてもろたら、子供たち喜ぶでえ?」
 机の上には、紅蘭と由里が三日がかりで仕上げた、七夕パーティーの企画書がのっている。かすみは、中身を一瞥しただけで突き返した。
「帝劇でやる企画とは思えません」
「・・・庶民的すぎるんか?」
「二匹目のどじょうを狙う訳ではないでしょう? 花やしきがすでに行っている企画を、わざわざ追従する必要はないと思います」
「・・・」
「それに銀座の真ん中で七夕なんて風情にかけると思いません?」
「それはそやけど・・・」
 小さくなる紅蘭の隣で、由里が身を乗り出した。
「名目なんていいのよ。要は気分が大事なの。ぱーっと盛り上がれば、それで成功なんだから。七夕らしさなんて、二の次よ」
 かすみは、由里をじっと見つめ返した。
「───なら、七夕パーティーなんて名目にこだわらずに、実のある企画をあげてちょうだい」
 けんもほろろなかすみの態度に、由里がきれた。
「───かすみさんの、バカァッ!!」
「あ、由里」
 席を蹴倒して駆け去る由里を、おろおろと紅蘭が追う。
 ひとり残されたかすみは、企画書をゴミ箱の中に捨てながらつぶやいた。
「本当に、馬鹿ね」


「おーい、紅蘭。玄関先のロボット、あれ何だい?」
 一度アイリスとともに出発しようとした大神は、帝劇を一歩出て引き返してきてしまった。なにしろ銀座のど真ん中に、斧を構えたねじり鉢巻のロボットがスタンバイしていたのだ。
 紅蘭は気の抜けた声で応答した。
「ああ。もうええんや。役立たずになってもうた」
「?」
「ウチが発明した木こりロボ『よさくくん』や。せーっかく笹切ってこよ、思たのになあ」
「笹?───ああ、七夕だからね」
「なによなによなによなによ! かっすみさんの石頭あ〜〜〜!」
 突然、由里が大声で怒鳴り出す。大神が目顔で問いかけると、紅蘭は理由を説明し、両手を広げて嘆息してみせた。
「かすみはんに反対されてもうて。あーあ、どうしてこう、融通がきかへんのやろな?」
「・・・おかしいね。そんなに物わかりの悪いほうじゃないだろう? かすみくんは」
 人呼んで『帝劇の潤滑油』、人間関係のトラブルがおこったら、まず第一に出馬を要請されるのが、当のかすみなのだ。
「変よね、絶対」
 由里はむくれて、サロンのテーブルに突っ伏してしまった。
「徹夜で書いた企画書なのにい」
「しゃあないって。かすみはんの許可が下りんことには、どーにもならへん」
「うーん、くやしい」
 力尽きたまま、ぶつぶつ文句を並べ立てている由里に愛想をつかしたのか、紅蘭は新聞を取り上げて読みふける振りをした。
「じゃ、紅蘭。『よさくくん』片付けといてくれよ」
「はいな。お出かけ前に騒がしてすんまへん」
 一度は去りかけた大神だが、
「うっひゃあ、こりゃ、エライことになりましたなあ」
紅蘭の素頓狂な声に回れ右して戻る羽目になった。何事だい、と大神は彼女の手元を覗き込む。
 それは朝日新聞の一面に大きく報道されていた、ある作家の醜聞だった。

『 軽井沢の別荘で、有島武郎氏心中  愛人たる、若い女性と』


 
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