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藤枝あやめは地下作戦室まで下りてくると、連絡係の月組隊員に頷いてヘッドフォンを受け取った。欧州、イタリアからのコールだった。
『───姉さん?』
ノイズ混じりに聞こえてくる声は、妹のもの。あやめは微苦笑をもらす。
「かえで。私用はダメだってあれほど・・・」
『あら、副指令への定期連絡の、どこが私用なのかしら?』
「ものは言いようね。で、今どこなの?」
『ローマよ。ソレッタ・織姫のお供でね。聞いてよ、姉さん。あの子、サンタ=チェチーリア音楽院に、本当にパスしちゃったのよ』
「え? だって音楽大学でしょう? 織姫はまだ16になったばかりで・・・」
『飛び級。5年間の高校を1年で終えちゃったのよ。せっかく人並みの学校生活を送らせたいと仕組んだっていうのに、勝手に卒業して、勝手に進路まで決めてくるんだもの。あの子、ピアニストにでもなるつもりかしら?』
「ふふっ、それならそれで構わない・・・と言ってあげられるといいんだけど。もう一人の天才さんは?」
『ああ、レニ? あの子はちゃんとドイツの女学校に通ってるわ。多少従順すぎるのが返って心配なくらい、おとなしいわね。一度、爪の垢を煎じて織姫に飲ませてみようかしら』
「どちらも相変わらずという訳ね」
『織姫の引っ越しが済んだら、レニも交えて一緒にバカンスを取るつもり。ところで、姉さんの方こそどうなの? 銀座本部にはもう慣れた?』
「ええ。花組もカンナが戻ってきて全員揃ったわ。かえでにも早く、あの子たちの舞台、みせてあげたいわ」
『そうね、二人が学校に慣れたら、一度戻るわ。藤枝の本家にもずいぶんご無沙汰だし』
「そうなさい。こっちは心配いらないから」
『でもね、姉さん。ずいぶん思いきったことをするってこっちのメンバーと話してたんだけど、一気に新人二人を隊長職に───ちょっときつすぎない?』
「大神少尉もまだまだ研修中ってとこかしら? でも、花小路伯じきじきのご推薦だけのことはあると思うわ。あの難しい年頃の女の子達を相手に、毎日楽しくやってるもの。彼なら大丈夫よ。貴女はそっちの、元星組の子達のことだけを考えていてちょうだい───いつ彼女らが必要になるか。・・・例の黒之巣会、ちょっと油断できない情勢よ」
『わかったわ』
海を越えて、ため息が伝わってくる。
『でも、姉さん・・・。いいの?』
「何が?」
『新しい花組の隊長・・・、<<触媒>>、なんでしょう?』
「・・・それが、どうかして?」
『姉さん───』
「任務に私情は挟まないわ。知ってるでしょう?」
『ええ・・・』
「心配しないで。5年前の轍は踏まないわ。あれから、少しは成長して、変わったと思ってるのよ、私」
大神は事務局を出たところで、地下から上がってきたあやめに呼び止められた。この暑いさかりだというのに、詰襟の軍服をきちんと着こんで、汗一つかいていない。
「ああ、大神くん。ちょうど良かった、今ヒマかしら?」
「あやめさん。ええ、何か?」
今日は朝から売店の商品補充を手伝い、昼前には終えることが出来た。椿を含む事務局の3人は、仕事を半日で終え、ところてんを食べに出かけるという。由里いわく、「太る心配のない、数少ない嗜好食品」だそうだ。やはり、女優でなくても、世の女性はそういうことを気にするものらしい。それで、大神にも暇が出来たのだ。
「良かった。浅草まで、この書類を届けてきてもらいたいの」
「はい。・・・帝都新芸術振興会?」
「そう、主に演劇や活動、ダンスレビューなんかを支援する団体よ。米田支配人が理事長をなさってるのよ」
「え!?」
「大神くん・・・。その『え!?』は何?」
「いえ、あの、長官・・・じゃない支配人も、支配人らしいことをなさってるんだなあ、と」
大神の言い訳の途中から肩を揺らしていたあやめは、とうとう盛大に噴き出した。
「その台詞は、米田支配人には黙っておいてあげるわ。その代わり・・・、マリアを連れて行ってくれない?」
「はあ、マリアを、ですか? でもこのところ、何か悩んでいるようで・・・、あまり話らしい話もしていないのですが・・・」
「あら、気付いてたの? ふふ、大神くんも隊長さんらしくなってきたわね」
あやめは微笑んだ。
「そうね、以前の時ほどではないけれど、ちょっと変ね。何故だかみんなと一緒にいたがらないし・・・。気分転換でもさせてあげてほしいの。今日の午後はずっと出てきていいから」
「はあ・・・」
大神は頬をかいた。
「どうしたの?」
「いえ。あの、マリアに気分転換って、何をすれば・・・?」
あやめは大神の額をつん、とつついて言った。
「───コラ。そのくらい自分で考えなさい。いつまでも私を頼ってちゃダメよ」
あやめと別れた大神は事務局へ赴き、帰り支度をしていた由里を捕まえることに成功した。
「由里くんを情報通と見込んで頼みがあるんだ」
大神は真顔で迫った。
「今一番、帝都で『とれんでぃーなすぽっと』はどこだろう」
「・・・大神さんも大概にして流行遅れなヒトですよね。『とれんでぃー』なんて明冶時代の言葉じゃないですか」
「そ、そうかい? とにかく、もの珍しくて女の子が喜んでくれそうな場所知らないか?」
「あー!! デートだ、デートだぁっ!」
「なっ、違うよ、仕事だよ、仕事!」
由里はそうかっ、と手を打った。
「なるほど、大神さんもついに勤労意欲に目覚めたんですね?」
「・・・由里くん、君は俺の本職を何だと思っているんだ?」
「モギリでしょ?」
こともなげに由里は言う。大神は肩を落した。
「・・・いいよ。とにかく良い所があったら教えてくれないか」
「───そうですね。浅草公園に写し絵の小屋がかかってるって聞きましたけど」
「写し絵?」
「私もよく知らないんですけど、幻燈ってあるでしょ? あれの大規模なやつらしいんです。筋立てがあって弁士までついてるんですって。私もいっぺん連れて行ってってお願いしてるんだけど、まだ行く機会がなくって」
「お願いしてるって、彼氏?」
「・・・そういう突っ込みはなくていいんですっ」
真っ赤になって由里は怒鳴った。
「もうっ、罰としてレポートの提出を要求します!」
「いいっ!?」
「ただで人の情報を利用しようなんてムシがよすぎです。見返りは当然よね。敵情視察だと思ってしっかり見てきてください」
「敵情視察?」
「何ボケてんです、大神さん。帝劇がおかれている状況、わかってるんでしょうね!?」
由里は引き出しから「早わかり帝都全図」なるものをを引っぱり出した。中央に宮城、その下方にいびつな魚篭の形をした銀座がある。
そのくびれにあたる数寄屋橋と三原橋をつなぐ大通りと、それと垂直に交わる京橋と新橋を結ぶ通り、その交差点に大帝国劇場は位置する。
銀座はさすがにモボやモガの集う時代の先端を行く街だけあって、太正に入って盛んになった大衆芸術───ことに演劇に関しては十指に余る劇場を有していた。
老舗の歌舞伎座を始め、帝劇を囲むように、東京劇場、新橋演舞場、日比谷劇場、邦楽座、新富座など。
いくら少女歌劇が目新らしいとはいえ、こけら落としから数ヵ月の帝劇は、未だ採算をとれるまでには至っていない。まだ世間には「女優」が演じるということに反感を持つものも多いのだ。
そして知識人階級がもてはやす銀座とは毛色が違う、従来からの盛り場・浅草では、オペラやパノラマ、水族館まで造るという無節操ぶりで、銀座文化に対抗している。
「だーかーらー、ライバルの偵察は欠かせないんですよ。ひょっとして大神さん、あたしやかすみさんが交代で各劇場を回ってるの、知らなかったとか」
「・・・知らなかった」
「信じらんなーい! 何の為に伝票整理やら雑用やら、代わってもらってたと思ってたんです?」
「ああ・・・、あれ個人的に遊びに行ってたんじゃないんだ」
「当り前ですッ! わかりました。これを機に根性入れ直さないとダメです、大神さん!」
由里は有無をいわせず、事務局の業務日誌を大神に押し付けた。
「いいですか、大神さん。これ、今日中に持ってきてくださいね。あ、作成者印も忘れずに。字は奇麗に。公的書類ですから水性インクは許しませんよ。わかりましたか?」
「・・・はい」
「それはそうと───誰と一緒に行くんですかあ?」
「そ、それは言えないよ」
大神は口の中で、特に君には、と付け加えた。
「ふーん。でもそのレポート、同行者名も書かないといけないですから」
「いいっ!?」
何度か廊下を行きつ戻りつしたあげくに、意を決してマリアの部屋のドアを叩くと、短い応答があった。
「あ・・・隊長」
扉をあけたマリアは、何故かひるんだように見えた。すぐに伏せられた視線に、大神はこの数日、避けられていたことを思い出す。だが、引く訳にもいかなかった。
「何か・・・?」
「今、ちょっと出られるかな・・・。つきあってもらいたい所があるんだけど」
大神はあやめから預かった書類を差し出す。一目見てマリアが怪訝そうな顔つきになる。大神はすぐさま用意していた台詞をはく。封筒の宛名には見覚えがあったのだ。
先月、大神はアイリスの誕生日に付き合って浅草まで出向いた。活動写真を二人で見ようとしたのはいいが、ストーリーを怖がったアイリスが霊力を暴走させ、劇場を破壊してしまったのである。
あやめから尋ねて行くように言われたのが、他でもないその活動映画館なのだ。
「何故、こちらに?」
「ああ。中を見てもらえれば判るけれど、劇場再建資金の融資に関するものらしい」
大神はあたりを伺って声を低くした。
「米田長官は、帝都新芸術振興会という協会の理事長をなさっておられるそうなんだ。アイリスの一件は帝撃とは無関係ということになっているから、多分支配人は『表』の振興会の理事として再建資金を賠償しようとしているんじゃないだろうか。・・・これは俺の推測なんだけれども」
「・・・考えられますね。で、何故隊長や私が?」
大神は頭をかいた。
「えーと・・・、いざという時のことを考えて、花組の責任者である俺やマリアも、米田長官の仕事の一端を知っておいた方がいい、ということじゃないかな?」
「いざという時、とは?」
「・・・えーと」
そこまでは考えていなかったぞ、と大神は天井を見上げる。
「・・・」
「・・・ごめん」
「どうして、謝られるのですか?」
「いや、マリアが悪い訳じゃないからさ。俺が腑甲斐ないだけだし・・・」
マリアは何もいわず扉を閉めようとした。
「あ、マリア!」
「・・・着替えます。少しのあいだ、お待ちいただけますか?」
大神は安堵の混じった複雑な吐息をついて、肩の力を抜いた。
マリアはいかにも「男装の麗人」にふさわしく、黒地のストライプのパンツスーツで現われた。もっとも七月も下旬だというのに長袖だ。大神が驚くと、マリアは生地が薄いから大丈夫だという。海士以来、服装には無頓着な大神はそんなものか、と思った。
二人で帝劇を出ようとした時、廊下をぱたぱたと駆けてゆく小さな姿があった。噂をすれば、のアイリスである。大神は声をかけた。
「アイリス───どうしたんだい?」
「あ、おにいちゃん! あのね、今日は大事な日で、アイリス忙しいの」
「大事な日?」
「うん、ジャンポールがデートするんだよ!」
「へ?」
「デート・・・?」
大神とマリアが顔を見合わせる。
「あのね、ジャンポールはずっとフランシーヌに片思いしてたの。あ、フランシーヌっていうのはね、ピンクのうさぎさん! ジャンポールったらオクテだから今までお話もできなかったんだけど、アイリスが助けてあげて、やっとデートできることになったの。えへへっ、アイリス、心配だからついてってあげるんだ」
走り去ろうとしたアイリスは、くるりとターンして戻ってくると、声をひそめていった。
「───由里には内緒だよ? ぜーったい言いふらすんだからぁ。ジャンポールがかわいそう」
改めて駆けてゆくアイリスを大神は手を振って送り出した。
「ハハハ、クマとうさぎの恋って実るのかな?」
マリアからはなんとも散文的な答えが返って来た。
「私はそれ以前にぬいぐるみがどうやってデートするのかが不思議ですが」
「・・・」
「すみません。・・・私はそうした遊びをした経験が、ありませんので・・・」
マリアは恥じたようにうつむいた。
「いや、謝ることはないよ」
大神は慌てて言った。それから彼女の半生に思いをめぐらせる。彼女が産まれてまもなく、日本とロシアの関係は悪化し、戦争へと発展した。それが集結したと思う間もなく、今度は欧州大戦とロシア革命である。
だが、知識としては知っていても、小さな女の子が人形遊びも出来ない乱世を、大神は想像出来なかった。
常に自身や周囲に厳しさを求めるマリア。だがそれは、彼女の生い立ちが心に残した傷でもあったのだ───。
下町、庶民の盛り場というイメージの浅草は、実は東京府の胆入りで整備された公園である。幕末から明冶にかけて、新門辰五郎によって仕切られてきた町は、明冶六年に七区に分けられ、営業時間も府によって定められている。太正期の浅草はまさに「東京」が「江戸」を駆逐した象徴でさえあった。
「───マリアは、浅草へは来たことがある?」
仲見世に気を取られているマリアに大神は尋ねた。
「いいえ、こうやって歩くのは初めてです。この前はアイリスを止めるのに必死でしたし・・・。隊長は?」
「俺も初めてだ。せっかく帝都に配属になったんだから、一度、十二階に昇ってみたいとは思ってたんだが・・・」
「十二階」の名で親しまれている凌雲閣は、煉瓦造りの展望台で東京名所の一つである。晴れた日には日光連山まで見えるという。五区の西北、千束町に建っていた。栃木に生まれ育ち、広島で学んだ大神は帝都に関してはお上りさん同様である。二人はしばし、八角形の塔を見上げた。
浅草は一月前の黒之巣会との戦闘で破壊された雷門はさすがに直ってはいないが、門前はほとんど以前と変わりない活気を取り戻している。興行街である六区の活動写真館は未だにがれきの山だったが、巻添えをくった両隣の商店がバラックながら営業している。経営者は、商業会館の一室に避難しているという。
もしかしたら顔を覚えられているかも、と多少びくついていた大神は一向に気付かれることなく書類の説明と手続きを済ませた。十歳の少女に大事な小屋を破壊される憂き目にあった───本人はそうとは知らないのだが───経営者からは逆に感謝され、罪悪感が増した。
「やれやれ、これで米田支配人にはますます頭が上がらなくなったな」
乾いた笑いを浮かべる大神に、おとなしくついてくるばかりだったマリアは何も言わなかった。経営者の気が大神から逸れたのには、彼の後ろに控えていた「帝劇女優」の存在もあったのだ。
「・・・どうしたんだい? 先刻から上の空だね」
「え?・・・ああ、すみません。ちょっと考え事をしていたものですから」
「もしかして、俺に気を使ってるんじゃないのか? 本当は来たくなかったんじゃないのかい?」
「いえ、そんなことはありません。ただ私は、つまらない女ですから・・・、隊長を退屈させてしまって、申し訳ありません」
「そんなことないよ。俺は───前からマリアとはこうして話してみたかったんだ」
アイリスの誕生日の日にも、そう思った。それが果たせないでいたのは、あの日以来、彼女がまたふさぎこんでいたからだ。
そう、あの日から、だ。
「そういえば二人で出歩くのは初めてだね」
「───そうですね」
「・・・どうだろう、もう少し付き合ってくれないかな?」
「え?」
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