二 「空のおくには何がある」


「さあさ、よってらっしゃい見てらっしゃい! 海の向こうの英国生まれ、”ぽりてくにっく・いんすてちゅーしょん”、日本初お目見えだよーっ」
 かなり怪しい英語を駆使する呼び込みに、大神は慌ててポケットから由里の書いてくれたメモを引き出した。確かにこの場所だ。
「あのう、すみませんが」
「なんでやんしょ、ダンナ」
「ここに幻燈の見世物小屋が出来ている、と聞いてきたんですが・・・」
「ここがそうでやんスよ、ダンナ。ただし幻燈なんちゅー、どめすてっくな言い方は使っとりやせん。あえて日本語にするなら、そうねえ、”科学技術館”なんてどう? あら、カッコイイ」
 大神の後ろでアメリカ暮らしの経験があるマリアが小さく首をひねった。呼び込みの男はそれには気付かず、調子良く言った。
「まあ、帝都で見世物をするには英語くらい話せなくっちゃね。あんだすたーん?」
「はあ・・・」
 臨時興行というから、テント張りの簡易な物を想像していたのだが、予想に反してその「科学技術館」なる見世物は、六区の大通りに面した立派な劇場だった。
 木造二階建ての正面玄関は黄色や緑の原色のペンキで塗られ、万国旗が斜めに交差するように賑やかに飾られている。しかも横合いの小路には蒸気発電器が並び、しゅうしゅうと熱を吹き上げていた。
「ずいぶん大がかりな見世物なんですね・・・」
「そうなんでやんスよ。なんたって英国生まれでやんスから」
 マリアのつぶやきを聞き止めて、呼び込みはよく判らない理由を上げる。とにかく、珍しい見世物ではあることだし、見ずに帰っては由里に何を言われるかわからないので、大神は二人分の木戸銭を払って中に入った。
 そこにはちょうど三面鏡のように三枚のスクリーンが用意されていた。
一枚が畳六枚分もあろうか、白っぽいガラスのような板だった。これに裏から光を当てて絵を動かすという。
 客席は安っぽい堅い椅子で、なんとなく手抜きな感じを与えた。それでも、ほぼ満員の観客が入っている。
「成程───」
「どうしました?」
「いや、由里くんが帝劇にはライバルが多くて敵情視察が欠かせないと言っていた訳が判ったと思って。大人も子供も好奇心にかられて詰めかけてるよ。日本人は新しいもの好きだからな」
 隅の方にならんで座ると、大神はぐるりと周囲を見回した。つられてマリアも見渡し、すこしばかり和んだ様子で言った。
「でも、いいことじゃありませんか。こうやって外国生まれの見世物を、家族で楽しめるなんて。平和な証拠ですよ」
「まあね───でも幻燈は日本にもあるんだけどね」
 呼び込みの言葉を素直に信じたらしいマリアを思いやって、後半は口の中に収めた。
「帝劇ではあまりお子さんはいらっしゃいませんから───そうだわ。子供も楽しめるような演目もやったらどうかしら。カンナはああ見えて子供好きだから、乗ってくれるかもしれないわ」
「そりゃいいね。もうすぐ夏休みだし。帰ったら支配人に打診してみようか」
「ええ、お願いします」
 初めてマリアが、華やかな笑顔を見せた。
(そうか、マリアもやはり芝居が好きなんだな───)
 帝撃としての戦いと、歌劇団としての女優業、どちらか一つでもハードなのに、花組の誰一人不平を言わないのは、彼女達自身が演じる事が好きなのだ。
 心中密かに忙しい彼女達に同情していた大神は、初めて彼女達を羨ましいと思った。
「私達は、開演前の客席を見ることは出来ませんが、帝劇にいらっしゃるお客様も同じように期待に満ちた表情をされているんでしょうか・・・?」
 マリアが前の席に座った子供達がはしゃぐのを眺めていった。
 やがて場内が暗くなり、三方を囲むスクリーンいっぱいに、星空が写し出された。わっと歓声があがる。
 客席の後ろに陣取った弁士が、
「銀河ステーション、銀河ステーション」と列車の到着を告げ、物語を始める。
 それは、まだ世に出ていない童話を元にした物語だった。
 二人の少年が夜汽車に乗っている。彼らは親友同士だが、ちょっとした仲違いで気まずくなっている。ある祭の夜に、ふとした事から銀河を横断する列車の切符を手にいれて、冒険の旅に出たのだという。
 その列車の線路は、天の川だった。
「・・・天の川に縁があるね」
 大神はこっそりマリアの耳元に囁いた。暗闇でくすりと笑い声がした。

「隊長、ありがとうございました。いい気晴しになりました」
「そうかい? それなら良かった」
 呼び込みは多少大げさだったが、確かに面白かった。子供だましの影絵の延長かと思っていたが、少年の表情が素早く変わったり、星空の中で色取り取りの花火が上がったり、動作も滑らかでなかなか凝った仕掛けになっていた。
 外に出たマリアは、うって変わって晴れ晴れとした笑顔になっていた。
 これなら、無事役目を果たしたと、あやめに胸を張れそうだ。
 大神は、今日一日、無理にマリアの口を開かせようとは思わなかった。以前の大神なら「悩み事があるなら話して欲しい」とストレートに迫っていただろう。
 だが、マリアが故国ロシアで受けた傷を知ってからは無遠慮に踏み込むことにいつしかためらいを覚えていた。
 もしマリアが距離を置きたがっているなら、自分は待つべきだと思い始めていた。押してダメなら引いてみよう、と腹を決めたのだった。。
 幸い、帰途の帝鉄の中で写し絵の感想やとりとめのない話をしながら、かなり打ち解けた様子でマリアと話をすることが出来た。彼女に対して身構える必要はなかったのだと、大神は改めて思った。

 銀座三丁目で帝鉄を降りると、そこには人だかりが出来ていた。人の肩の間から覗くと、歩道の石畳の上に、二人ほどの青年が正座させられていた。その前に軍服の男達が数人、木刀を持って立っていた。憲兵だ。
 一人が木刀を振りあげて、青年を打った。大神は野次馬に声をかけた。
「何があったんです?」
「主義者だとよ」
 嫌悪をあらわに男がいった。主義者とは、社会主義、無政府主義の活動家を指す。もっとも、ソフトスーツを着こんだ紳士然とした野次馬には、主義がどうこうより、横柄な憲兵の方に反感を抱いているらしい。
 明冶の御一新以来の性急な工業の近代化は、そのまま劣悪な労働環境を生んだ。折しも「資本論」が世に出回り、ストライキなどの権利運動が肥大化していった頃、社会主義の組織は幾つにも分裂し過激な思想を抱く組織まで現われる。
 明冶四十四年には主義者の一斉処刑が行われていた。いわゆる「大逆事件」である。以降、特別高等警察による弾圧が日常に入り込んでゆくことになる。
 警察官のみならず、軍人の間にも主義者を罰することは国家の利益である、とする風潮が根強いことは、かねてから大神も聞いていた。
 だがもう一度、憲兵が腕を上げるのを見て、堪らず大神は割って入った。
「暴力はやめてください」
「何奴だ!?」
「自分は只の通りすがりの者ですが、ここは天下の銀座の往来です。それに路上での刑罰は陸軍憲兵隊の職務とも思われませんが」
「馬鹿者! 秩序を守るのに、銀座も他の地もあるかッ!」
「ですが、無抵抗な人間に暴力を振るうのは、見苦しいですよ」
 背後から涼しい声がした。マリアだ。
「何・・・?」
 ほとんど白眼をむくほど反り返させて、憲兵達はマリアに向き直った。自分達より頭一つ分背の高い、しかも白人の女の指摘が、大神のそれよりさらに彼らを激昂させたのは間違いなかった。
「貴様、知ってるぞ。そこの帝劇の女優だな? しかもソヴィエトの血を引いているという───」
 憲兵はマリアに指を突きつけた。
「つまり、国は違っても、同じ主義者を庇いだてすると、そういう訳か?」
「生まれと主義は関係ないでしょう!?」
 大神が間に割って入った。
「どうだかな。おい、女。貴様の国と違ってな、この国は神国なのだ。マルクス主義など無用の長物だ。大和民族の結束には不必要なのだ───」
 その時、路上に急停車した車から、丸眼鏡をかけた小柄な男が飛び出して来た。
「何をしておるかッ!?」
 腹の底に響くような一喝であった。野次馬の半分以上が蜘蛛の子を散らすように居なくなった。残りは逃げ出す機会を逸した者達だ。
 憲兵達の顔が蒼白となった。
「ぶ、分隊長殿・・・」
「このような所で油を売るとは何事か! 急ぎ日比谷に帰投、釈明せよ。十五分以内に戻らぬ場合、職務放棄とみなし、厳罰に処す!」
「は! 申し訳ございません!」
 憲兵らは一斉に敬礼し、大神に目もくれず駆け出した。
 分隊長、と呼ばれた男は大神、マリア、残った野次馬達をざっと睥睨し、何も言わずに車に乗り込んだ。周囲にあからさまな安堵のため息がもれる。
 マリアが大神に寄り添って尋ねた。
「誰でしょう・・・?」
「見たことがあるよ。麹町憲兵隊の大尉殿だ」
 理由も聞かず怒鳴るとは横暴だが、そのお陰で騒ぎが一気に静まった。見ると、打たれていた主義者らしき男達も、姿を消していた。大神は舌打ちした。
「───戻ろう。連中の言ったことなんか気にすることはないんだよ、マリア」
「私、前にも、あのような眼を見たことがあります」
「マリア?」
「革命軍にいた当時、思想的に迎合しない者達を私刑にかける集団がありました。彼らが、あんな眼を」
「・・・そうか」
 おそらく、いつの時代にも、どこの国にもあるのだろう。みずからの行為を正義と信じて疑わない輩が。迎合しないもの、意見の違うものを社会の片隅に隠し、排除し、差別するのだろう。そんなものは正義ではないと憤る気持ちが大神の中にはある。
 だが、大神は一方で不安を感じる。
 では大神自身が信じている「正義」はどこまで正しいものなのか、と。
 その「正しさ」は誰が決めるものなのか、と。
 その不安をなくした時、自分もあの手の蒙昧な輩と同レベルになるのだろう、と大神は思う。
「・・・ああいう軍人ばかりじゃないんだがなあ」
「判っていますよ───私は隊長を見ていますから」
 マリアはそういうと、先に立って交差点を渡り、帝劇へと戻っていった。


     
 


 マリアは書庫で一冊の雑誌を探していた。春にマリアが受けた対談記事が載っているもので、最近、何度か読み返しているものだ。
「マリアぁ、なにしてるの?」
 踏台に乗って高い棚を覗いていたマリアに、声がかかった。
「アイリス───雑誌を探してるんだけど。貴女はどうしたの?」
 いつものように、くまのぬいぐるみを抱えた少女がマリアを見上げていた。アイリスは2週間程前、自分の誕生日に外出先の浅草で、超能力をつかった破壊活動を行ってしまい、罰として謹慎中だった。
 珍しく書庫などに顔を見せるところをみると、かなり退屈しているようだ。
 少女は照れたように頬を染めて言った。
「えっへへー、アイリスもねー、ざっしを探してるんだよ!『童話』っていうの! ジャンポールに読んであげるんだー」
「『童話』? ああ、西条八十が作っている雑誌ね。いいわ、一緒に探してあげる」
「え? マリアも探しものしてるんじゃないの?」
「いいのよ───私はもう、何度も読んだから」
 「童話」は比較的簡単に見つかった。アイリスの身長よりも高いところにあったので、見つけられないだけだったのだ。
「わーい! マリア、ありがとう。ねえねえ、マリアもこれ、読もうよお」
「・・・はいはい」
 無邪気に「童話」とジャンポールを抱えて駆け出すアイリス。マリアは笑いながら、あとを追おうとした。書庫の戸口で後ろ髪引かれるように、一度、振り返りながら。

「マリア、こっちこっち」
 サロンのソファーに腰掛けて、アイリスが手招く。サロンの主ともいうべきすみれが、ポットを手にしながら、マリアに言った。
「マリアさんも、ご苦労様ですわね」
 本を延々朗読させようというアイリスの魂胆だ。被害者の一人であるすみれは、訳知り顔で苦笑していた。
「お茶、おいれしますわね」
「ありがとう」
「すみれー! アイリスもだよっ!」
「はいはい」
 アイリスはさっそく、雑誌のページを繰った。
「マリア、これ! これ、アイリスとジャンポールに読んで!」
 隣に腰を降ろしたマリアが、アイリスの小さい指が差し示す詩に視線を落とした。
 それは一編の投稿詩だった。

「空のおくには何がある。 
   空のおくには星がある。
 星のおくには何がある。
   星のおくにも星がある。 
   めには見えない星がある。

 みえない星はなんの星。
   おともの多い王様の、
   ひとりのすきな たましいと、
   みんなに見られたおどり子の、
   かくれていたい たましいと。」

「どうしたの、マリア? ぼーっとしちゃって」
「え?───ああ、なんでもないわ」
(眼には見えない星。そこにあるのに、見えない星)
 マリアの記憶の中に、一つの名前が浮かび上がった。
 在って無い者、という意味の、その名。
 かつて、アメリカで出会った男の声が、耳の奥で響いた。
(星の名前なんだ)
 みずからの名前の由来を、ふてくされたように話す、その顔。
(忘れられたと思っていたのに・・・)
 マリアは立ち上がった。
「あら、マリアさん。お茶は?」
 すみれの呼びかけにも答えず、逃げるようにサロンを出た。自室に戻ると、鍵をかけてベッドに突っ伏した。

 サロンに取り残されたアイリスとすみれは、なんとなく黙ったまま、それぞれの世界に没頭した。アイリスは、「童話」を眼で追い、すみれは紅茶を口に含んだ。やがて、アイリスがぽつんと訊いた。
「ねえ、すみれ・・・」
「なんです?」
「『ぷれあーど』って、なあに?」
「さあ、何ですの、それ?」
「さっきね、マリアが行っちゃうとき、きこえたの、マリアの心のなかの声」
「・・・そんな日本語はありませんわね」
「ろしあごかなぁ」
 首をかしげるアイリスの仕草に、すみれはふっと笑みを洩らした。アイリスはアイリスなりにマリアを思いやって、直接問いただすことを避けたのだろう。
 すみれがこの年少の仲間をいとおしく感じるのは、こんな時だ。
 すみれは黙ったまま、アイリスの次の言葉を待った。
「マリア、すっごく悲しそうな眼をしてた・・・」
 アイリスはそう言ってジャンポールの頭を撫でた。
「アイリスも、前にお城で一人ぽっちの時、すごく悲しくて寂しかったよ。でも今は大丈夫、みんないるもん。・・・マリアはみんながいるのに、寂しいのかな」
「・・・大勢の中にいるほうが、余計寂しいということもありますわ」
 すみれは何かを思い出すように、あらぬ方を見つめて言った。
 再び沈黙が下りたサロンを大神が通りかかった。
「あれ、お茶の時間かい? いいなあ」
「───少尉も召し上がりません? セイロンからわざわざ取り寄せた逸品ですのよ」
「はは、良くわかんないけど、呼ばれるよ。アイリスは読書かい。感心感心」
「ねえ、おにいちゃん、これ読んで」
 ここぞとばかりにアイリスは大神にすりよった。
「んまあ、このガキンチョは手が早いったら」
「べーっだ」
「まあまあ、二人とも」
 意識的に憎まれ口をたたきあっているとも知らず、大神が取りなす。改めてアイリスに差し出された雑誌を見る。
「どれどれ、星に関する詩の特集か───神話も載ってる」
「わーい、読んで読んで」
 アイリスはジャンポールを抱いて座り直した。
「アイリス、おほしさまならみ〜んな好きだもん。天の川をのぞいてね」
「はは、悪かったよ。今度、また、ね」
「うんっ」
「じゃ、読むとするか。

 『巨人アトラスには7人の娘がありました。マイア、タイゲタ、アステロペ、
  エレクトラ、ケレーノ、アルキオネ、メロペの7人は、みな月の女神アルテ
  ミスの侍女でした。ある日、彼女たちは仲良く泉で水浴びをしていると、狩
  人のオリオンがのぞきにやってきました』」

「わあ、のぞきだって。おにいちゃんみた〜い」
「なっ、何をいうんだ、俺はそんなことは」
「あら、してないとおっしゃるの?」
「ももももももも勿論」
「顔がひきつってるよ、おにいちゃん」
「えー、こほん。気を取り直して、

 『娘たちはオリオンが嫌いでした。何故なら、オリオンは酒に酔うと決まって
  大暴れするのです』」

「・・・おにいちゃん。アイリスも酔っ払うと大暴れする人を知ってるよ?」
「ア・イ・リ・ス? いったいそれは誰のことかしらぁ?」
「つ、続きを読もう。すみれくんもほらっ、長刀をしまってっ」
 大神は冷や汗を浮かべながら、雑誌に視線を落す。

「『この時もオリオンは酔っ払っていました。彼は娘たちを捕まえようと追いか
  け回します。娘たちは口々に神の王、ゼウスに助けを求めました。ゼウスは
  願いを聞き届け、7人を空の星へと姿を変え、逃がしてあげました。
   それからしばらくして、ギリシアとトロイで戦争が起こり、トロイの街は
  攻め滅ぼされてしまいました。娘たちの内の一人、エレクトラは、息子のダ
  ルダノスをこの戦争で亡くしました。』」

「・・・かわいそう」

「『彼女は悲しみに泣き暮れて、とうとうその星さえ涙でかすんでしまいました。
  この時から、この星座は6つしか見えなくなってしまったのです。こののち、
  一つ見えなくなってしまった星を、行方知れずのプレアード、と呼ぶように
  なったのです。』」

「ええっ!? おにいちゃん、それ、なんていうお星様?」
「プレアデス星団というんだ。日本での名は───すばる」

<引用>
金子みすず「みえない星」 JULA出版局「金子みすず童謡集 明るいほうへ」より


<2> 99.7.28