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大神が去った後、あやめは有無を言わせず一升瓶を片付けた。机の上に投げ出されたままの書類の山を整え、米田愛用の万年筆と、煙管をおく。あやめとて、いくら浴びるように酒を飲もうと、米田が酔いつぶれることなどないことは知っている。ただ、酒肴もなしに空っぽの胃に清酒ばかり流し込むのはどう考えても健康に悪い。別に口やかましくしたくはないのだが、夫人の目の届かない帝劇において、あやめが言わねば誰が言うのか。
「・・・いかんな」
杯を取り上げられて、不貞腐れていた米田がぽつりという。酔いはすっかり醒めた顔をしていた。
「どうも、あいつに対しては説教くさくなっていかん。妙に堅え態度取りやがるから、ついこっちまで言わんでもいいことを言っちまうじゃねえか」
どうやらぶつくさと並べ立てているのは、大神に対して理不尽に怒っているらしい。
「海軍てなあ、ウチの陸軍なんぞよりはよほど融通が利くもんなんだがなあ」
「でも、大神くんだって、四角四面というほどではありませんわ。現に花組にも、この短期間で適応してますし」
「まあな。だが月組に引っこ抜いて来た、例の、大神の同期生。ああいう方が、俺としては面倒がなくていいんだがなあ」
あやめは脳裏にその男を思い浮かべて苦笑する。
「・・・彼は彼で、特殊な例だと思いますけれど」
米田は大きなため息をついた。あやめの持つ酒瓶に未練がましい眼を向ける。視界の届く範囲に置いていては大変と、あやめはさっさとキャビネットにしまい鍵をかけた。背後でまた一つ、米田がため息をつく。
「・・・似とるなあ」
「え?」
「似とると思わんか───山崎に」
あやめの手元で鍵が、がちゃりと無作法な音をたてた。あやめ自身、その音にびくりと身体を震わせる。
「降魔部隊にやってきた頃の山崎に。あいつも融通が利かねえ奴だったよ。一つところを思い詰めたら、梃子でも動かねえとことかな。覚えてるか、山崎が一馬と張り合って単独行動を取った時のことを」
「・・・」
「深川の木場だったな、怪我を負った一馬を帰して、自分はその場に残りやがって。十数体の降魔を一人で片付けたのはいいが、自分も伸びちまいやがってよ。一歩間違えりゃ、そのまま御陀仏だってのに、助けも呼ばんと」
「・・・」
「ま───あやめくんに、いいとこ見せたかったんだろうが、気負いすぎるのもな・・・。若気の至りで死んじまったら、何にもならねえよ・・・。俺みてえな年寄が生き残って、こんな昔話をするような羽目に、よくもしてくれたなってなもんだ───大神の奴にゃあ、そんな真似はして欲しくねえんだ」
米田があやめから視線を逸らしてつぶやいた。
「あの降魔戦争からこっち、俺達は敵を、魔を、力でねじ伏せることしか考えてこなかった。霊子甲冑を生みだし、翔鯨丸を造りだし・・・。それで、ぱっとあいつが、大神が眼の前に出てきた時、思ったのよ。俺はまた、四年前と同じことをしてんじゃねえかってな」
「米田長官、そんな・・・」
「帝都を守る、平和を守るってのは、言葉で言うと単純なように見えて、実はそうじゃねえ。命懸けで守るったって、命を捨てりゃあ済むって話でもねえ。国の成り立ちは人だ。だが人の営みを守るのに、必要なのは力なんかじゃねえ。ことによっちゃ、力任せに敵をぶった切るより、舞台に立ったり、切符をもいだりしてる方がよほど平和を守ってるのかも知れねえ。俺達軍人にゃあ、そこんとこが今一つピンとこねえのよ。・・・なかなか、な」
「ええ・・・。私も、私もそう思います・・・。花組の子たちが、戦いに身をおくより、舞台に立つほうが帝撃の名にふさわしいのではないかと、時々思うことがあります」
「花小路さんに言われて歌劇団に偽装した花組だが、案外こいつは金的かもしれんぜ、あやめくん。なんたってあいつらの、大神や花組の目の前に『守るべきもの』が存在してるんだからよ。あいつらにも歌劇団の活動の中で思うところが、あるかも知れねえ」
「・・・ええ」
「俺は山崎に、そこんところを教えることが出来なかった。山崎も触媒の素質を持っていた。だが、あいつを中心にした二剣二刀の儀は───失敗した」
「・・・」
「山崎に・・・、力で押し切るばかりが能じゃねえってことを判らせることが出来ていたら、二剣二刀の儀は上手くいってたかもしれねえ。あんな年端もいかねえ娘達を戦場に送り出さなくとも良かったのかもしれねえ」
「米田長官! それは・・・、山崎少佐のせいでは」
「おお、勿論。だが───だがな、あやめくん。俺が悔いるとすれば、大神や花組の連中といる時に感じる安らぎや暖かさや、・・・守りたいと感じさせる、そのいろんな事を、山崎に教えてやれなかった。そのことなんだよ」
「そんな、そんなことって、あるでしょうか!」
あやめの声は悲鳴に近かった。
「私は、私は、二剣二刀の儀が失敗したのは、純粋に私達の力不足だったからだと思います。もし仮に真乃介さんの触媒としての力が充分に発揮されていたとしても、計算されたような結果が出せたとは、思いません」
「あやめくん・・・」
「だって、真乃介さんは・・・、大神くんと違って『負』の性質を持った触媒だったではありませんか!」
すべてを無に、生まれ出る前の渾沌に戻してしまう───それが山崎真乃介の触媒の力の特徴であった。だがそれですら、降魔の蓄積された怨念を消し去ることは出来なかったのだ。
みずからの能力が及ばないことに絶望した山崎は失踪し、真宮寺一馬は破邪の血でもって降魔を封じた。あやめと米田は、そのどちらも制止することが出来なかった。
あの時の喪失感を、なんとあらわせばよいのだろう。あやめは俯いて涙がこぼれるのを抑えた。
「すまん、あやめくん。仮定で話しすぎたようだ。謝る」
「いいえ・・・。私の方こそ、取り乱しまして・・・」
「───山崎も一馬も、一人ですべてを背負い込みすぎた」
つとめてあやめの泣き顔を見まいとしながら、米田がつぶやいた。
「我々は、あの愚を繰り返すことだけは避けねばならんのだ・・・、今度こそ、な」
「あ、大神さーん」
来賓用玄関で手を振っているのは高村椿。その横では珍しく難しい顔をして、由里が腕を組んでいる。
「・・・何してるの?」
「猫です」
「猫?」
「そうです、野良猫。ここんとこ、厨房から出る残飯を荒しに来たりするそうなんです」
「ふうん。で、由里くんは何を考えこんでいるんだい?」
「───猫いらず反対」
ぼそっとつぶやく。
「町内会に相談に行ったら、猫いらずかペット屋って言われちゃったのよ。残飯漁るからって殺すのはあんまりでしょ? だからこうして見張ってて、やってきたらペット屋へゴー!」
「由里くんが見張ってるの・・・?」
「そうです」
「来ないよっ」
「そうかしら?」
「そうだよ。だいたい由里くんのイメージから言ったら、ペット屋じゃなくて三味線屋」
「大神さぁん? わたし、久しぶりにカフェ・ライオンで珈琲飲みたいなあっ。あとモンブランと、ピッツァマルガリータと、白玉あんみつなんか」
「なんなんだよ、それは。第一、俺、万年金欠で」
「この間の浅草視察の報告書、大変興味深く拝見させていただきました」
由里はころりと真面目な口調に変えた。
「只今わたし、不肖榊原由里がお預かりしておりますが、なんなら花組の皆さんにも、大神さんの職務の一端を是非見ていただこうかと。特に同行者の名前とか」
「お、脅す気かい?」
「椿! あんたも行くわよね、カフェ・ライオン」
「は、はい。あの、大神さん・・・、ごめんなさい。あたしもモンブラン食べたいなあ、なんて」
「とほほ・・・」
財布に手痛い打撃を受けて戻ってくると、さくらが夕食に呼びに探しにやってきた。
「あ、いたいた、大神さん。どこかへお出かけだったんですか?」
連れを探すように辺りをきょろきょろと見回す。由里や椿は帝劇には寄らず、そのまま帰っていった。それで仕事になるんだろうか、と疑問に思いはしたが、口にするとさらなる懐のダメージが予想される。それに、さくらに連れだって帰って来るところを見られると面倒なことになっていたし、良しとしたのである。
「今晩はあやめさんが料理の腕をふるってくださったんですよ」
「あやめさんが?」
「ええ。珍しいですよね。何だか気分転換したかったとかで、下ごしらえからずいぶん手の混んだものを作ってましたから、楽しみです。きっと米田支配人がお酒ばっかり飲んで、あやめさんとばっちり食ったんじゃないですか? それはもう、ものすごい力の入れようで」
「なるほど、気分転換というより、ストレス解消なんだね」
「そうです、そうです」
声高に笑いながら食堂に入ってゆくと、品よく器に盛られた純和風料理が並べられていた。エプロンをはずしながら、あやめが厨房から顔を出す。
「あら大神くん、おかえりなさい」
「只今帰りました。・・・これ、あやめさんが一人で?」
「おにいちゃん、すごいでしょー!」
アイリスがジャンポールの手を振りながら、我が事のように自慢した。
銀のトレーで、さらに料理を運んできたあやめが照れたようにいった。
「───久しぶりに作ったから、味の方がちょっと心配だわ」
「大丈夫だって、あやめさん。前に作ってくれたスペイン料理だって、上手かったじゃないか」
「あーら、カンナさんの場合、いつだってお味より量があれば構いませんでしょうに」
「るせっ! あたいだって味わって食う時はあるよ」
「ということは、味わって食べてない時もあるんですね・・・」
「さくらっ、そこで突っ込むな!」
「はいはい、その辺にしてみんな席について」
手をたたきながら、いつものようにマリアが締める。それを機に一同は自分の椅子に戻った。いただきますの唱和の後、一斉に箸と口を動かしはじめる。
大神の隣に座っているすみれが、手鞠寿司を取り分けてくれる。
「ありがとう、すみれくん」
「ぼやぼやしていると、カンナさんに全部取られてしまいますわよ」
「心配しなくっても、おめぇの分までちゃんと食ってやるよ」
「遠慮いたしますわ」
ほほほ、と笑いながらすみれも南瓜の煮こごりを口に運ぶ。向かいの席ではマリアが「これは何と言う魚かしら?」とさくらに尋ねていた。
「鱧です。あ、マリアさん、お刺身大丈夫ですよね?」
「ええ。”はも”ねえ。初めて食べるわ」
「そのおろし大根やネギを薬味にして下さい」
かと思えば向こうではアイリスが
「この卵巻き、中にヘンなのが入ってる〜」と叫ぶ。
「アイリス、それは卵じゃなくて湯葉よ」
あやめがクスクス笑いながら教えている。
「中に入っているのは穴子。騙されたと思って食べて御覧なさい」
「ウチの発明『たいりょうくん』が今朝、東京湾で取ってきた穴子やで」
「紅蘭、いつのまにそんなのつくってたの?」
「内緒や」
加茂茄子の姿煮、かれいの酒蒸しと大神も負けじと腹に詰め込む。
「おいおい隊長。そんながっつかなくても」
「カンナさんに言われても説得力ありませんわね」
「やろうってのか、すみれ」
「ふ、二人ともその辺にして。せっかくあやめさんが作ってくれたんだから」
大神がおそるおそる取りなすと、それまで顔をくっつけるように乗り出していた二人があっさりと身を引いた。
「ま、ここはあやめさんの顔を立てとくか」
「仕方ありませんわね。今日は許して差し上げますわ」
あやめは二人を見つめて微笑みを浮かべた。
「───よろしい」
(ちょっと食べすぎたかもしれないな)
きつくなったズボンのベルトを緩める。既に見回りの時間をすぎ、あやめを囲んでお茶を飲んでいた花組もサロンから去り、夜のしじまが帝劇を支配している。懐中電灯を持った大神は、腹ごなしとばかりに、劇場内をくまなく歩いた。
途中、シャワー室に立ちよると、誰が使ったものか微かなシャンプーの匂いが漂っていた。きっと、先刻のようにはしゃぎながら、この場にいたのだろうと思うと、何とも言えずいとおしい気分になる。もし、海軍に残っていたら、こんななまめかしい場面はなかったな、と大神は笑みを洩らす。花組は笑い疲れて、今ごろ深い眠りの中だろう。楽しい夢を邪魔するような出動は今夜は勘弁して欲しい───そう、願わずにはいられなかった。
地下から一階、さらに上へと見回りと続け、大神はテラスの扉をあけた。この時間の密かな楽しみとして、ここで一服するのが、最近の大神の習慣だった。別に帝劇内での喫煙が禁止されている訳ではないのだが、すみれなど着物に煙草の匂いがつくのを嫌がるし、面と向かって言わないまでも「身体に悪いですよ」というような眼でじっと見られるのも居心地が悪い。それでつい、子供のように人の眼を盗んで、ということになるのだった。
手すりに持たれて深く吸い込むと、めまいがするほどのほろ苦さが口の中に広がる。無意味に紫煙を眺めていると、肩の力が抜けてゆく。頭の中からすべてが消え、時間さえも忘れるこのひとときが、大神は好きだった。
ほろ酔い加減の男達が連れだって、「東京行進曲」を歌いながら路地に消えた。花を抱えたカフェの女給を乗せて、円タクのヘッドライトが流れて行った。昼とは違う銀座の顔を見下ろすのも面白い。
(・・・?)
視界の隅を見慣れた人影が通りすぎた。
右手の、来賓用の玄関から忍び出てゆく。
(マリア?)
大神は煙草をもみ消すと、そっと階下に下りて行った。細く開いていた来賓玄関の扉から覗くと、マリアがしゃがみこんでいる。甲高い、ひきつるような声に、
大神の心臓が強く波打った。泣いているのかと思った。だが消え入りそうな声は彼女のものではなく、彼女の手元から聞こえていた。
「・・・しーっ。帝劇の皆が起きてしまうわよ。静かになさい」
眼をこらすと、マリアの手の下でうごめくものがある。盛んに鳴く声に、ようやく大神は見当をつけた。野良猫だ。それも、かなり小さい子猫。マリアに見守られて、小皿に取りついている。ミルクかなにかを与えているようだ。
「・・・もう、来てはダメよ。由里に見つかったら、売られてしまうから。今夜が最後よ、いいわね?」
野良猫相手に諭すような口調がマリアらしいが、どこか寂しげでもあった。
お礼のつもりか、子猫はしきりにマリアの手の甲にすりよる。マリアもさせるがままにしていた。
「いいわね、お前は。この東京は豊かで、食べるものも、眠る所もあるんだものね。私の国とは大違い・・・」
マリアは子猫の頭を撫でた。
「お前、冬になったらどこで暮らすの? その前に飼ってくれる家が見つかるといいけど・・・」
やがて腹がくちくなったらしい猫は、元気よく路地に駆け去った。マリアはじっとその闇を見つめていたが、埃を払って立ち上がった。
大神は見つからぬように慌てて二階へと上った。
自室で耳を澄ませていると、マリアが部屋へ戻る足音が通った。大神はベットに寝転んで、路地の奥を見つめていたマリアの後ろ姿を思い描いていた。
幼い頃に、人形で遊んだことすらないマリア。野良猫を、豊かだとうらやむマリア。彼女がこれまで抱え込んできた思い出は、なんと痛々しいのだろう。あのロケットの中に入っているであろう人のように、乗り越えていかなければならない想い出の、なんと大きいことだろう。
(簡単に、理解したい、などと思ってはいけない)
それは僭越というものだろう。彼女の傷は、計り知れないのだから。
(でも、その傷を取り除くことが、俺の役割でもあるんだ)
大神は、そのまま眠りの中に落ちて行った。
暗い夢の中で、幻燈に眼を輝かせるマリアと、子猫を見送る寂しげなマリアとが交互に浮かんで消えた。
<4> 99.10.15
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